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暫定掲示板

2009-05-09

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 ダーウィン世界・遺伝子型空間、「かわいいは正義」のハナシの派生というか、余談的な。

 http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20090506#1241641227

 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090506

 http://d.hatena.ne.jp/flurry/20080313

 http://d.hatena.ne.jp/heimin/20080111/p1

 http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20090509/p1

 あたり。ざくざくーっと。読んで。

 雑感レベルで。あまり真摯に向き合ってはいないけれど。

 

 フィクションにおける「邪悪」さ。邪悪な、構造。

 もちろん、「邪悪」としてる時点で自覚的に規範批評、道徳批評であって。

 稚拙さや劣悪さのようなハナシではなかろう。

 むしろ精妙さとセットになったそれこそを問題視していて。

 でもまあ、しょせん規範批評なんで、好き/嫌い、趣味・嗜好でしかない、という。言ってしまえば馬鹿っぽいコトバが、どうしても並びがちで、でも馬鹿っぽいコトバをちゃんと並べてるのは真摯。

 このあたりは好みの問題かもしれないが、このような自身の残酷さへの安住などといった、見下ろす視線にたいする開き直りは、ぼくは好きではない。

 まあ、フィクションだしね。

 

 ところで。例えば。

 http://flatrock.org.nz/topics/odds_and_oddities/assets/wanting_a_meal.jpg

 ↑有名なこの写真。今やまさに道徳の教材にされてる。

 これ撮ってピューリッツァー賞獲って、で自殺したケビン・カーターさんには、まさに、

なんていうか、頭悪い人ですよね。いいから他人にやさしくなれよ。残酷なことするなよ。でも、こういう人って、すべてを捨ててもその視線だけは持ち続けようとするからなあ。そして、その頭の悪さと心中するの。

 と評されて仕方ない一面が、ある、のは確かだろうと思う。

 そして。そういう意味で、だから平民新聞さんに対してこの評価は賞賛ですらある。

 逆に。

 なんていうか、頭よい人ですよね。やさしくて。残酷なことしないし。だから、こういう人って、すべてを捨てるぐらいなら「その視線」をすぐ捨てられるし。その頭のよさと心中したりもしない。

 とか言われたらその方がヤなんじゃないかなあ?

 

街は見下ろすものじゃない

地べたから眺めるもんだぜ

 それは、まあそうなんだと思うけど(その方が面白い、という観点が存在するって意味で)。

 けれど。それは単なる生活者の視線や視点とは微妙に違うし、違うから意味(面白さ)が発生するんじゃないのかなあ。

 街は、生活者にとって、見下ろすものでも、地べたから眺めるもんでもなく、当たり前だけど暮らすものなのだし。

 地べたから眺めてみればわかるけれど、生活者は自分の街を眺めない。

 おそらく、だから「生活者は残酷でしかありえない」がゆえに「処世術」としてスルーするのが妥当、ってハナシではないのだと思う。

 生活者としてのハナシではなく、表現者としてのハナシだろう、と。

 地べたから街を眺め、対象を定め、対象との距離を詰め、シャッターを切る。

 そういう眼差しを「生活者の処世術としてのスルー」だと言われてはむしろ可哀想なカンジがしなくもなくもない。残酷、とすら。が、該当記事ページが「表現者としての作品」として扱わせるだけの力がなかったのだ、というコトでしかないとも言えて。まあ、それはそれで、それだけのことだけど。

 

 ちなみに。

 個人的な感想としては。

やさしくありたい、とかそういう風に思ったことは一度もないけれど

 キザだなあ。と。

 こういうキザなセリフは、あれだ、ある種の美少女ちゃん、ハルヒとかアスカとかそれ系の、に、

「バッカじゃないの? なにかっこつけてんの。村上ハルキでも読んだわけ?」

 とか突っ込んでもらいたく。真の勝負はそれからだろう、と。

 間違っても榊原良子声のお姉さんキャラが出てきて「……うそつき。本当は誰よりやさしいくせに」とか言いませんように、と願おう。

 

 

 えーと。

 つづく。かも。

 

「邪悪」と名付けられたものについて。

 世界の、人間の不完全性。欠損。醜さ。残酷さ。

 なんか、まあ、そうしたものを総じて、とりあえず「ヘボさ」と仮称してみよう。

 ヘボい。

 で。それを愛する。肯定する。として。

 接続詞の選択。

 ヘボいので愛する。ヘボいからこそ愛する。

 ヘボくても愛する。ヘボいがしかし愛する。

 とかなんとか。

 や、別に愛せるなら、あるいは愛されるならなんでもよくね? て気も。

 つか、まあ、どのようでもいいんだよな実際。

 そのヘボさが好きだ! でも、まあ、そら個人の趣味、好みの問題でしかない。

 悪趣味、ぐらいの問題はあるやもしれんけども。

 その悪趣味さを仮称したのが「見下ろす視線」というコトかなあ?

 ……む。これ、結構難しいぞ。むむむ。

 

 つづく。

 や。逆に。簡単に考えれば、「○○さんやとか××さんの作品て(ある観点から)悪趣味なのが多いよね」以上の何の意味もない、で終えてもいいわけだけど。

 うーん。

 もうちょっと何かありそうなんだよな。

 

「見下ろす視線」だと価値中立性に欠けるし、とりあえずデタッチメントとか代入しといてみるか。

 

 世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい。

 て。

 世界が美しくない、という理由で美しいのは何?

 と、問うことが可能で。

 美しくなさ、不完全さ、醜さ残酷さをもった世界が、だからこそ、実は美しいのだ、という解釈が一般的解釈なのかとも思うが。

 二文目の省略された主語が世界とは限らない。

 

 作中世界があほらしいほどの不完全さであるがゆえに、作品構成が美しくなっている、とかもいえる。

 作中冒頭だったかで主人公が、自身が矮小で汚い人間と思え、そんなときに世界が輝いて見える、とかなんとかそーゆーのを旅をし世界を眺める理由かも、とか述べていたけれど。

 これ。特にその心情を疑う理由はないので受け入れるけれど。読者視点でならば、もちろんハナシは逆で、いびつに戯画化されたとんちきな国々や人々に対し相対的に主人公の完全さが強調されるふうになってる。

 主人公さんはデタッチメントとはこのことかとでもゆーよーな世界に対する距離のとり方線の引き方をしてくれてるわけだし。

「邪悪」と言えば「邪悪」、なのかなー?

 ちょい、ピンとこない。邪悪、っつーほどの迫力がないからか。

 うーん。

 

 そういや全く内容を知らない『この醜くも美しい世界』てどんなハナシだったのかしらん?

 

 

flurryflurry 2009/05/09 18:38 えーと、ぼくも美少女なんですけどー!(鏡を見つつ)
まあ「バッカじゃないの?」⇒「なんていうか、頭悪い人ですよね」というズラしはあるんですが。
 
そして、平民新聞さんはというと、
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heimin「なんていうか、頭悪い人ですよね。」←このフレーズ、ワスが考えた事にして今度誰かに使ってやろうククク…と思ってリンク先読んでみたら、「頭悪い人ですよね」て言われてるの、ワスだったよ!あたってるけど! 2009/05/08
http://b.hatena.ne.jp/heimin/20090508#bookmark-13324314
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と、「いやまあ、ほら、バカなんだけどさ」モードに、もう一度ズラしたので、真の勝負は始まりそうにないのでした。

rulia046rulia046 2009/05/09 19:31  ……ボクっ娘でしたか。ボクっ娘かあ。それもいいなあ。
 あ、そうそう。豆知識。真っ向打撃勝負じゃないグラウンドでの駆け引き初手には「頭悪い人」より「なんていうか、頭よさそうですよね」ていうのが意外と有効ですよ。否定も肯定もしにくく、しかも別に実質褒めてない、という。

朱玲朱玲 2009/05/10 02:31 森見ンがやってたのでちょっと見たけど、サイボーグだか宇宙人だかの姉妹とか出てくる話だったような?<このみに