広告がなくなるわけではないので、「広告批評」を続けることもできたのかもしれませんが、ここまでお話した“今”をふまえたとき、時代にかなった新しいジャーナリズムや批評の可能性があるはずで、そちらを模索してみたいという思いが強いですね。雑誌の販売数が落ちていたわけではないので、読者には大変申し訳ないのですが、3年先を考えると果たして今のままでいいのかどうか。あと、こういうお話をすると、今後はWebのインタラクティブ広告を対象にジャーナリズム活動をするというように誤解される方がいらっしゃるのですが、インタラクティブは、いまのところ“広告”という行為には向かないメディアなのです。
例えば、googleで検索をかけると、そのワードに関連した“広告”が表示される、あの検索連動型というシステム。僕たちに言わせれば、これは広告ではないのですね。なぜならそこには表現がないから。表現がないとコミュニケーションが成り立たないわけです。これは人間関係になぞらえると分かりやすくて、ひたすら無味乾燥に情報ばかりまくしたてる人とは友だちになりたくないですよね。その情報が有用なものだったとしても、聞かされるほうはうんざりしてしまう。その人なりの語り口だったり、仕草、つまり“表現”があることで、メッセージは伝わるわけです。
ネットの検索連動型はテレビCMとは逆に精緻なターゲティングができるわけですが、これはその意味での批評の対象にしにくい。フィールドがシステム批評に限定されてしまいますから。でも、そればかりがネットのコミュニケーションではありません。検索連動型広告が幅を効かす一方で、ユニクロのようにマス広告とインタラクティブをしなやかに連動させ、時代にかなったコミュニケーション・デザインを構築している現代的なブランドもあります。こういった対象に新しい手法で迫り、世間にお伝えして行くことが、“NEXT 広告批評”の可能性の一つだと思います。テレビやネットと言った媒体にとらわれず、“何が僕たちの暮らしとコミュニケーションを本当に豊かにしてくれるのか”、そのことを時代と表現者と共に考えていく。批評の目的はそこにあります。それが時代を超える“広告批評”のスピリットだと思います。