最終更新時刻:2009年5月14日(木) 10時56分
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クラシックなアテンション経済としての出版システム その機能不全に挑んだ破綻企業 【本の再販制を巡って】

公開日時:
2008/01/10 20:35
著者:
尊仁

■草思社倒産を巡って考える出版システムの「機能不全」

新風舎倒産の余韻が収まらないうちに中堅の書籍出版社「草思社」倒産のニュースが舞い込んできました。

今後も同様の破綻あるいは整理統合絡みのニュースは続くと思われます。ここでは個別の倒産内容に踏み込むよりも、もう少し構造的な「出版不況」といわれている状況にフォーカスしてみたいと思います。

最近はわりと喧伝されることが増え、その数字が知られることになりましたが、国内の書籍返品率は約40%と非常な高率になっています。

これは「再販制度」のもと「定価販売」および「返品可能(委託販売)」というルールで稼動をしている日本の出版システムに対応した状況だともいえます。

出版社は再販契約を書店と交わした後、「委託販売」を始める。通常の委託販売では、商品の所有権をメーカーが所持するのに対し、出版物の場合は流通とともに所有権も移り変わるのがポイントだ。つまり、書店は販売を委託されているのではなく、買い取った商品を再販売していることになる。売れ残りリスクを「返品」によって出版社に負担してもらう代わりに、自分のモノであるはずの商品の価格決定権を出版社に委ねているのである。

出版物の値引きを禁止する「再販制度」ってどんな制度? (R25.jp)

このシステムは「小売が商品引き取リスクを負わない」「小売が価格競争に追い込まれない」ことで全国一律に書籍配本できる仕組みです。

その構造的な理解に際しては出版ビジネスの可能性 ビジネスモデル発想で考える出版流通の苦境と展望電通 消費者研究センター 消費者情報開発部長 四元正弘」をご覧いただくのがもっとも早いと思います。

委託販売制の下では、店頭在庫リスクも出版社が負い、「買い取り」しない書店にはそのリスクは一切ない。そのために書店は売れそうだと思う本を、在庫リスクの心配なしでいくらでも店頭に積むことができるのである。その意味で委託販売制こそが、出版物の露出機会すなわち立ち読み機会の極大化を通じて、出版市場の極大化をもたらしているのである。

上記記事より「立ち読み機会創出に優位な流通システム」の抜粋

つまり、ネット寄りのカルチャーから考えると、出版社→取次→書店という出版流通の生態系は書籍を巡る「アテンション経済」を形成していると言えるのです。

 

■立ち読み可能なシステム=出版のアテンション経済形成

本にとっては「書店で陳列され直接手に取れる(立ち読みできる)」売り場を通じて「読者に新刊をリーチする」仕組みが有効に機能していたからこそ、このシステムが維持されてきたのだと言えそうです(そういったビジネスメリット抜きで商習慣・法制度だけが残存するという構造は考えづらい..)。

ですから、出版社との契約に際しては、どのジャンルの棚に届くのか?あるいは、どのような購買層に特化した売り場に強いのか?といった「リーチ特性」で判断するという考え方が当てはまります。

逆に言うと、これを間違えてしまうといくら良いコンテンツでも適正な購読者にリーチできません=売れないので増刷されません=返品されて裁断されてしまいます。

では、そのようにうまく機能してきた筈の出版システムがなぜ機能不全を起こし始めているのかというとインターネット普及による情報財の相対的(かつ破壊的ともいえる)価値低下が挙げられます。

情報財は利用者が増えるほど価値が上がるという「外部ネットワーク性」を有しており、出版物も例外ではない。要はベストセラーだから「読んでみたい」「読んでためになった」と感じる人が増えるのだ。その意味で、売り上げが時間とともに漸減する通常のケースでは、出版物の価値は販売直後が最も高くて徐々に低下していくもので、価格を固定すること自体ナンセンスだ。

 これまでは読者も、出版物イコール文化財というコンセンサスの下で価格に鈍感だったが、ネット普及後に出版物価値が大幅低下する中で、ようやく価格意識に目覚めたと考えられる。

 そのような出版物に対する価格志向に対応して成長してきたのが、ブックオフに代表される新古書店だ。出版ビジネスが新古書店に向ける目は総じて敵対的だが、再販制の下で価格硬直的なビジネススタイルを固持しようする既存ビジネスの方に、かえって問題があるように感じられるのは筆者だけではないはずだ。

上記記事より「出版流通が不全になるメカニズム」の抜粋

 

■ブックオフの功罪

出版社にとっては“親の仇”以上に忌み嫌われているブックオフ(実はアマゾンの中古流通も相当キワドイですね)ですが、出版生態系の総体として考えた場合、実はそのシステム機能不全の補完的役割を担ってきた..という見方もできます。

制度のプラットフォームそのものが歪んでいるのであれば、その歪みをビジネス機会として捉えるのはある意味非常にリーズナブルな(つまりマーケット志向、ユーザー志向の)思考方法ですから、「ブックオフ=悪」という決め付けには一定の保留条件が必要だと思います。

つまり、そのシステムは果たして市場および消費者にとって適正なのか?というポイントを考慮すべきだと思います。

また、不良資産としての書籍在庫を、こっそりブックオフ処分する出版社もあるというのは業界公然の裏事情です。

不良在庫はバランスシートを圧迫するだけでなく保管コスト、裁断コストなど実質的に(キャッシュアウトとして)経営を直接脅かすので、もしかすると「無料買取」でも実はありがたいと考える出版社さえ存在するかも知れません。

 

■碧天舎の破綻を改めて考えてみる..

さて、ここで06年の3月に時計の針を戻したいのですが、実は「新風舎」に続く業界第三位だった「碧天舎(06年3月に倒産)」は、その出版システムの機能不全に立ち向かおうとした企業体でした。

と言うと、作家志望の人々を大勢欺いた「集金装置」としての「偽」出版社を「旧態依然の出版システム崩壊に挑もうとするチャレンジャー」と呼ぶのはオカシイぞ!といった指摘を受けそうです。

ですが、碧天舎は、碧天舎倒産後に連鎖倒産した電子出版プラットフォーム開発企業の「ビブロポート」と本来セットで考えられていた企業体だったのです。

世評では、「ワンマン社長が放漫経営の結果破綻した」という部分でしか捉えられていないのですが、碧天舎の破綻は本来、ビブロポート社の破綻とセットで(つまりビジネスモデルの共倒れとして)考えられるべきモノだと思います。

 

■ビブロポートはいったい何を志向していたのか?

ビブロポートが志向していた将来的な出版システムとは、端的に言うと「絶版が無く」「良書がずっと生き残り可能」な書籍流通環境でした。それは、

 1 ) 大量流通する書籍は取り次ぎ経由で書店配本可能

 2) 少量リピートする書籍はオンデマンドで個人向けに流通可能

 3) いずれの場合もすべての書籍は電子書籍としても流通可能

という「書店流通」+「個人流通」+「ネット流通」を全部賄える出版システムとして考えられていました。そして「絶版が無い」とは、イコール「不良在庫を抱えない」、「細かい注文にも小ロットおよび電子書籍で対応可能」ということでもありました。

ただ、その利便性の代わりといっては何ですが、「価格は商品流通形態に応じて変動」「大量流通する本は安価だが小部数のオンデマンド書籍は高価」という“価格弾力性”を持つという点で、従来の「再販制度」からは大きくはみ出していました。

また、オンデマンド書籍と電子書籍は「取次(問屋)扱いではなく出版社が直接販売する」ダイレクト販売の仕組みでもありましたから、そういう点でも従来型の「取次制度を軸にしたシステム」よりは、もっと出版社寄りの(ネット販促や代金回収などを版元が直接行う支援ツールが準備されていた)システムでした。

出版社にとって「取次」とは流通業者というだけではなく、書籍のマーケティングとファイナンスを支えてもらえる生命線ですから、この新システムは本来非常に構造破壊的な部分がありました。

 

■「自費出版ビジネス」批判的検証のひとつとして

そして、なぜそういった出版インフラ開発の試みが碧天舎のような自費出版企業とセットで構想されていたのかというと、そもそも、この「ダイレクトな出版システム」を利用する利用者のターゲティング層として、「自費出版ユーザー」や「同人作家」などが含まれていたからです。

ですから、 ビブロポートは碧天舎を通じて獲得したユーザー・コンテンツをその出版システム内部に組み込むと同時に、同人市場や同人コンテンツの取り込みにも乗り出していたのです。

そのように考えますと、インターネットの普及による情報財の破滅的低下という前提条件が導き出す「出版社および取次制度の疲弊、相対的価値低下」に対して「小集団あるいは個人がダイレクトに良書をリリース&マーケティングする総合的なインフラ」を構想していたという点で、碧天舎およびビブロポートは時代を先取りしすぎていたという見方も(一面では)できるように思います。

ブログ界隈やケータイ小説の現状が指し示しているひとつの時代的兆候とは個人のエンパワーメントです。その台頭を出版システムの側で支援しようという目論見はあながち外れているとは言えないと思います。

そしてCGMなどを通じた対個人のインタラクティブマーケティングはネット系の企業にとっては当然でも、旧態依然の出版業界にとっては相当「水と油」でした。

そして、その理由はというと「再販制(定価販売の維持)」と「取次経由の配本・集金」メカニズムにずっと慣れ親しんでしまった事による弊害がよほど根深かったという事なのかも知れません。

 

■日本的商習慣・法的システム老朽化に対応した新出版システムとしてのビブロポート

それは、従来型の書店をネットした(再販制+取次制による)「アテンション経済」がいかにうまく機能し続けていたのか?の裏づけのようにも感じます。

もちろん、そういった見方をしたからと言って、碧天舎の協力・共同出版商法による被害を過小評価するものでもありませんし、破綻企業の名誉回復など言い出すつもりも一切ありません。

ですが、こういった破綻騒ぎの裏側に出版生態系の老朽化、機能不全を巡る新しい出版生態系を志向したうごめき、動静があるんだということを知っていただくことには、何かしら意味があるのでは?と思っています。

その試みが「時代」を読み違えていた。あるいは時期尚早だった。はたまた経営判断を間違えていた。当然そういったさまざまな批判的検証も可能です。ですが、破綻企業の悪行三昧を非難するだけでは見えてこない、事業構造体的な見直しや批判・検証をすることも十分に可能なのではないかと考えます。

ひとつの見方としては、日本的な出版システムの改善に向けて(無謀ともいえる)「出版構造の組み換え」を志向していた企業体として見直すという見方も、ひとつの見方としては出来るのではないでしょうか?

 

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。

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