自閉症マニア・自閉症アスペルガー症候群研究所本部

自閉症・アスペルガー症候群を取り巻く本当の話

二項対立

まったく。 書こうと思うとこれだ。

昨日の自閉症とはの記事に、さっき【ララ】と言う人間からのコメントがあった。

私は、自閉症の事が知りたいから、私の意見と違う意見、違う見方をするのは
大いに歓迎で、議論を深めたい。
大体、そんな10年や20年で自閉症の事なんか分かるわけ無いんだから、日々勉強だな。

ところが、私の意見に「反論」する人は、何故か反論になっていなくて、
結局「花風社及びそのご一行様擁護」になってしまうんだ。

議論であれば、色々な角度から見た見方、色々な意見、であるはずなのだが、
結局は、

「アスペ・エルデの会」             対  私、
「自閉症協会(の陰に隠れている連中)」  対  私
「ニキさん大好きの人」             対  私
「花風社」                     対  私

で、上記の左側の人達は、共通して仲良しなんだな。

どうしてそこまで単純な二項対立になるのか本当に不思議。
しかし、いつまでもこんな事を続けては、本物の自閉症の子供たちの為にならない。

裁判がんばりまーーす。もうじきだよ。

自閉症とは

昨日、自閉症の事件を掘り起こすついでに、強制削除された私のジオログを読み返して見た。

他の人から見たら、てにおは(注:指摘があり、本当は、てにをはでした。ここから違ってる)、
はおかしいのかもしれないが、私が見れば、本当に良く書けてる。
かつて、私のジオログを読んでくれた人なら、そう思うんじゃないかな。
よくもあの膨大な資料を消したよな。
それも、自称、自閉症療育関係者か?

その第一人者が、辻井大教授だ。
こんなサイトは閉めて、大学院に進んで、それから発表したら良いでしょうだって。

町の研究家が、独り言の様に書き溜めること自体が悪いらしい。
今じゃ、この人は子どものこころの発達研究センターの客員教授
ここは、大人の心潰して自殺研究センターか?

世の中不思議なことはいっぱいある。
日本自閉症協会は、シンポジウムに、「自閉症の診断」を受けていない「村上由美
を推薦するが、「自閉症の診断」を受けている私は、アクセス禁止だ。

面白いよね。不思議でしょうがない。
私は、本当の「自閉症を持つ親」たちの総意でされているとは考えていない。
自閉症協会の内部に入り込んだ誰かに利用されているだけと考えてるけどさ。
衆議院選挙も近いし。

ここで、改めて読みたい人は、先ず私が東京都通所作業所研究会での話しを聞いてみて
下さい。多分面白いし、ここにエッセンスは詰まっているはずだ。

事件の忘備録

昔私が、3年間に渡って書き溜めたブログ(正確にはジオログ)は、自閉症の子供たちが
係わった事件の忘備録として書き溜めて居たのだ。

事件自体は覚えていても、それが、何処の誰だったかは忘れちゃうからね。
自閉症の子供がイジメられるだけならいざ知らず、イジメ殺されちゃうからね。

強制削除によって無くなったのは仕方ないので、此処に書き残しておく。

2006/6/26 奈良で起きた家族焼死事件。優等生の反発かと思ったが、妙。
小学生の時成績が良い(俺と同じ)   中学受験で1番  英語だけが苦手(俺と同じ)
成績報告会が恐ろしく(同感)  事件を起こした。

侵入した家では、長椅子の横に靴をきちんと置き(きまじめ)
冷蔵庫から勝手に飲み物を飲んだが、コップは流しにおき、しかし、賞味期限切れの葛切りは
手を付けずゴミ箱に捨て、あげくに捕まった。

灘高に入る程の知能を持ちながら、珍妙な行動。  なんだか気持ちが分かって嫌になる。

2006/9/1 ヤマト運輸で雇ってくれていた自閉症の青年が自殺。2005/3/3
自殺 埼玉越谷の小林 年(みのる)君。

2007/1/18 八尾市で男が幼児を歩道橋から投げ捨ててしまった。吉岡一郎君。
           ハイジャック事件の中島君と共に覚えておこう。

2007/3/7 似て非なる 京都塾女児殺害 萩野 裕 コイツの自己愛から見て、
到底、アスペルガー障害とは納得出来ない。量刑も大変不満。

2007/3/21 栃木足利市の浜岡渡君。17年前当時55才の母親が倒れ、親族会議で
未だ24才の浜岡渡君に介護を任された(丸め込まれた)。
母親の「死んでしまいたい」の訴えに抗しきれず、ついに首を絞めて殺してしまった。
3/15 執行猶予付き温情判決。 自閉症の報道は無し。

2007/9/17 広島福山市で、自閉症の二人の息子(5才と3才)を殺した母親の裁判。
母親は、自閉症の本を読み、勉強会にも参加熱心に育てていた。
どんな本を読み、どんな勉強会に出ていたのか。そもそもその診断は正しかったのか。知りたい。

2007/9/25 佐賀県で安永健太君が警官に取り押さえられ、死んだ。多分圧死じゃないか。
なぜ普通の人は、証言を嫌がるのか。不思議。彼は自閉症じゃないの?報道では無し。

2007/12/21 佐世保で馬込容疑者が銃乱射。萩野と同じで自己像肥大。自己愛型。

2008/3/7 思い出したくない話。伊達市の15才の少年が施設から居なくなった。

久しぶりに自分で読んで、この当時でも此処まで知っていたのかと、自分自身驚く。
是非、私の自閉症カンファレンス講演会をもう一度読んでみて下さい。

考えてみれば

まったく、自閉症の事を考えるのが3日と保たない。いろいろケチを付けたい人が多いんだな。

私は、2000年に「ニキリンコ」のテレビ放送を見てから、NHKを始めありとあらゆる、
(多分花風社を含め)「ニキリンコ」の実体に付いて問い合わせてきた。
「泉流星」が登場したときも同様だ。

しかし、NHKも医者も、新聞も、ありとあらゆる人は、口をつぐみ、その実体に迫れなかった。

2009年2月2日付け内容証明郵便にて「花風社」に文書で問い合わせた。
しかし、帰って来た話は、「明かせません・あとはご自由にどうぞ」という返事だった。

花風社にとって、その程度の話だったはずなのに、突然麻布警察に告訴状提出だ。

さらに、民事訴訟も同時に起こした。

通常ならば、「秘密厳守を条件に、二人の名前をお知らせします」と言うところが、
弁護士に、着手金(100万円弱?)を払い、裁判を起こす印紙代(8万円)を払い、
民事訴訟を起こすことを選んだ。

不思議な人達だな。よっぽどお金が余っているらしい。利益圧縮の為の訴訟か。

答弁書の資料探しで、アスペルガーの館の掲示板を読み返してみた。いるいるいっぱい。
1999年4月30日、村上真雄が管理人として開設すると、早速辻井正次が挨拶に来る。
ゆみっち(秋桜・現在の掲示板の管理人)」も登場。 丁度10年前だ。

今思えば、変な話で、大人を診察してくれる病院が無いに等しかったのに、此処には、
すでにたくさんの「アスペ」の連中が居る。
一体誰が診察診断したんだ?

村上真雄」「村上由美」については、200人の前で「自閉症と診断を受けていません」と白状させた。
都の主催者は、「村上夫婦はNHKに出てたから信用した」と言ったが、
当の「村上真雄」は、「勘違いして出演させたNHKの責任だ」と私のブログに書いてきた。

NHKに問い合わせたら、「診断は受けていないが複数の専門家に認められている」
から出演させたと言うんだ。

「ニキリンコ」「泉流星」について追求しても同じ事だろう。結局誰も悪くない。 本当か?

私は、私の民事裁判を通じて、白黒を追求していきます。
但し、浅見淳子、浅見昇吾が提訴を取り下げなければね。 進ちょく状況は随時書きます。

イジメ

週明けにまたどこかのブログが、強制削除されそうなので、今の内に書けることを書く。

インターネットと言っても、現実社会そのもので、現実にイジメを受ける側は、
インターネットの中でもやはりイジメられる。

学校で、イジメに遭っても、級友教師一緒になって面白がってイジメる。
「アスペ」の連中も、口では「ボクは学校で苛められた」なんて言いながら、
インターネット上では、嵩(かさ)にかかってイジメに加わり、本当に楽しそうだ。
彼らの言う苛めは、私達自閉症が体験するイジメとはレベルが違う。

自閉症、自閉症の仲間は、イジメられている時点ではイジメられている事を自覚出来ないから
死ぬまでイジメられ続ける。

私のブログを書いても書いても、通報して消すのは、楽しいんだろうな。
何が楽しいか分からないが、大切にしている日記や手帳を、
大切にしているのを知っていて、焼却炉に投げ入れ喜ぶ。

「だって、焼却炉に入れただけで、火を付けて燃やすとは思わなかったモン。
 中を確認しないで、燃やした人が悪くて、私は悪くないモン。」ってか?

まあ、その程度だけど、イジメるのが楽しくってしょうがないんだろう。よっぽど楽しいんだろうな。

5月2日 訴状とは別に、内容証明で通告書が来た。あぼーん店を即刻消さなければ
刑事告訴するというのだ。以前強制削除されたジオログは麻布警察署に告訴状を提出済み、
このあぼーん店も警察署に刑事告訴をする。と言うんだ。

とても善いことだ。
私が警察に逮捕され、「花風社代表 浅見淳子」の潔白が証明されれば、
北海道の田中とかいう医者や、服巻、杉山、辻井、竹田、NHKの海老沢、その他自閉症関係者は
こぞってバンザイ三唱、みんな胸を撫で下ろすだろう。

私も、10年来追求してきた真実が明かされるから、バンザイ三唱に加わる。

しかし、もし、私が8年間主張していた、「ニキリンコ」「泉流星」「花風社代表 浅見淳子」が
同一人物であったら、「花風社代表 浅見淳子」は虚偽告訴で実刑だ。

さて、この刑事事件はどう転ぶか。 結末が出る頃には、またあちこち強制削除されていて、
わたしの情報をインターネット上で見ることは出来ないと思う。
ブログが強制削除されていて、結末を知ることが出来ない人は、メール:risco002@yahoo.co.jp
に、問い合わせて下さい。

鉄格子の中に放り込まれていなければ、返事を書きます。今日現在刑事告訴の動きはありません。

パニック2

「ニキリンコ」や「アスペ」の連中は、みんな「・・のせいでパニックになった」と簡単に言う。

パニックの原因がそんなに簡単に分かったんだったら、その原因に近づかなければいい。
みんな都合の良いところで、パニックを起こしたり、我慢したり出来る。
それが、「パニック」か?
パニック障害で口に紙袋を当てて、落ち着かせたり、何とか回避するのとは違う。

自閉症の「ヒステリー」は突然起きる。
何が原因かは分からない。だから、周りはビックリするんだ。

「ニキリンコ」は女性自身の記事の中で、
「いまのは悪い言葉!悪い言葉!私は悪い子!悪い子だ!悪い子だあっ!」
握りしめた左の拳が、容赦なく頬を叩く。唇が切れた。真っ赤な血が歯の間ににじむ。
絶叫と殴打は、3分間ほど続いた・・・。

ここで「ニキリンコ」はパニックを起こした原因「悪い言葉」を説明し、カナー型の子供が
起こす「パニック」の様相を呈する。

ほとんどの人が勘違いしているのが、この様な「パニック」の様子は、「知的な遅れ」が
引き起こすモノで、「自閉症」の部分で起きているのでは無い。
だから、表面だけを見ていると、知恵遅れで自閉症の子供と、ただ知恵遅れの子供と
本当に見分けが付かなくなってしまうのだ。

とにかく、自閉症の子供や、患者が「ヒステリー」を起こす原因(きっかけ)は、些細な事が多く、
しかし、突然起きる。

私が、この突然起きる「ヒステリー」を観察していると、やはり「脳味噌の疲労」がある限界を超えると
発生するように見える。
ただ、この「限界」はその時のコンディションや、環境などで、変化するが、
何れにしても、くたびれてきて(この時自分自身では分かっていない)それが、
何かきっかけを見つけると、それをきっかけに突然「ヒステリー」になる。

慌てた両親や、周りの人間はそのきっかけが「原因」だと思い込むが、
次の時はすでに、そのきっかけは、原因では無くなっていて、注意したほうが、肩すかしをくらう。

「ヒステリー」を起こしたとき、或いは、起こすとき、「原因」ばかり探さずに、
疲れた彼らをとにかく休ませてあげて欲しい。

てんかん

「ニキリンコ」や「アスペ」の連中の話を読むと、「パニックを起こしそうになったのを我慢した」と言う。

「自閉症のパニック」は我慢して押さえられる物か?
現実に自閉症の子供を目の前にしている親なら、簡単に答が出ると思う。

一度起きたら、なんともなだめようが無いのが「自閉症のパニック」である。
昨日も言ったように「ヒステリー」と言った方が余程しっくりくるのは、この様子を見なれているからである。

ヒステリーが電気的用語のヒステリシスカーブから来ているのか、その逆なのかしらないが、
このカーブを見て貰うと、下の赤いラインを感情のカーブとすると、いきなり高ぶる。
高ぶったところで行き着くと、それ以上高くならず水平に右にそのまま移動する。

この高ぶった水平の部分(ここのグラフの右外側)が、ヒステリーを起こしている部分である。

さあ、なんとかこの子をなだめなければならない。仕方ないから、そっとしておこう。
一度ヒステリーを起こしたのが、右から戻ってくる。
戻ってくるときは、立ち上がった部分を戻るのではなく、簡単には納まらない。
水平のまま左へ移行し、縦の黒いラインを超えた所で、ようやく気が納まってきて、
マイナス側の100の位置で、ようやく気が静まり、200の位置で平常に戻る。

簡単に言うと、我慢に我慢を重ね、+側の100の位置で突然ヒステリーを起こし、
静かにしても、−側の100の位置を過ぎなければ納まらず、200の位置でようやく静まる。

下側の赤の線を辿り、感情が高ぶり、上側の赤の線を辿りようやく感情が納まるのである。

ある医者によると、自閉症の8割は脳にてんかん波を持つそうだ。
昔、自閉症と診断された、厳密には自閉症では無い症例が混じっていると考えると、
自閉症であれば、脳にてんかん波を持っていると考えて間違いないようだ。

それから、考えると、「自閉症のパニック」はてんかんを起こしていて、我慢して押さえられる
物ではないと考えれば、皆さんの子供を思い返せば、納得出来るだろう。

私が、子供の頃、泣いて止まらないとき、なんとか「深呼吸」を繰り返し、より早く泣き止むように
努力していたことを思いだした。
一度、ヒステリーを起こしてしまったら、しょうがない。
肩の力を抜いて、深呼吸をする事を、子供たちに教えてあげて欲しい。
子供たちだって、いつまでも泣き続けていたい訳じゃない。自分だって泣き止みたいんだ。

但し、ここで強く言いたいのは、「てんかん持ち」だからといって、「自閉症」ではない。
「自閉症」が「てんかん波」を持つ事と、
「てんかん持ち」だから「自閉症」というのは全く成り立たないことを忘れないで欲しい。

追記:ヒステリーの語源は「子宮」だそうだ。ヒステリシスカーブはそれを語源にもじったのかな。

パニック

「ニキリンコ」がパニックと一言で言うと、ほとんどの「アスペ」の連中はすぐ納得する。
自称、自閉症児を持つ親たちも簡単にパニックで納得する。

ところが、誰ひとり、「パニックってどうなるの?」と疑問を持たない。
「パニックってどうなるんだ?」「どうなることがパニックって言うの?」

「ニキリンコ」は「パニック」をパニック障害のパニックと誤解して、
ずっと「自閉症のパニック」を「パニック障害のパニック」と同じ様に説明してきている。
そして、その話に同調する人間も全く同じ理解をしている。

ところが、「自閉症のパニック」と「パニック障害のパニック」は言葉は同じでも中身は全く違う。

「自閉症のパニック」は、自閉症がその時点で既に脳内での処理能力をオーバーして、
「ヒステリー状態」になったと考えた方が説明が付く。
この「ヒステリー状態」は「てんかん」とも密接な関係がありそうだ。

私が4/2’09東京都教育庁のシンポジウムに出席した時、アスペルガー当事者夫婦として
NHKに出演し有名な村上真雄氏
が、休憩時間に突然私の所に近寄り、話し始めた。

「きいてくださ〜い」「きいてくださ〜い」「私は自閉症の診断を必要としないんです〜」
「きいてくださ〜い」・・
・・・・・「わ・わかりました」「わかりました」「あなたの話は、正式な場所で改めて聞きますから」
「きいてくださ〜い」

あまりの気味の悪さに、私は「わかりました」「わかりました」と言いながら、
手で、向こうに行ってくれと合図した。

しかし、彼は「きいてくださ〜い」と私にまとわりついていた。
結局、休憩時間の15分間これが続いた。

この様子を見た妻は驚いた。「ああ、これがパニックか」
私は、「私はパニックを起こしたことがない」とずっと思っていたが、
私が村上氏を向こうに行ってくれとする姿は、まるでカナー型の子供が手をぱたぱたさせている姿
そのものだったそうである。

確かに、小学6年生の頃までは、家で感情が高ぶりすぐ泣き出してしまった。
泣きたい訳ではなく、言葉に言い表せられない時に、言葉ではなく涙が出てしまうのである。

そうか、あれがパニックだったか。 そして、村上氏が目の前に現れ突然話し出したのを受けて
パニックを起こしていたのか。

妻曰く、村上氏の出現から、私の挙動が不審になり、今までとても見たことのない様子だったそうだ。

パニックと言っても、単純じゃない。奥が深いモンなんだよ。

ティーチ

読むならこれから!

ここ で、現実に自閉症の子供を育てている親からの、貴重なコメントを貰った。

この本の11ページ、TEACCHプログラムの基本の中に、

「失礼を承知で言えば、読者各位の中には『ADHDもLDも高機能自閉症も軽度発達障害なのだから
 同じ方法で教育すればよいのではないか』と考える方がおられるかもしれない。
 どうしてTEACCHが自閉症だけを対象にするのか、本書を読み進めていただきながら
 ご理解願いたいと思う。」

と、ある。

私は、1999年頃から、掲示板や新聞の投書、自身のホームページ、ブログなどで、一貫して
自閉症とLD等のと「味噌糞一緒教育」に反対してきた。

私の主張と同様の自閉症関係者の意見を公式な形で見たのは、初めてで大変驚いた。

そもそも、この本は、自閉症の子供を持つ親や、自閉症に関係する教育者などが読む本なので、
本当に、つい先日まで読んだことが無かったんだよね。貰いもんなんだ。

これ、いい本だわ。    こめんね内山先生。  みんなは「買って」読んでね。
「本当のTEACCH」 内山登紀夫 学研 ヒューマンケアブックス

自閉症は自閉症

自閉症のこどもを持つ親に会うと、自己紹介の後に、必ず訳の分からない説明がされる。

「うちの子は中機能自閉症です」・・・・・「?」
「うちの子は自閉が強い広汎性発達障害です」・・「?」
「私は自閉傾向のアスペです」・・「!!!!?」

自閉症は長い間「謎の病気」であり、おおよその障害者像というものがあったが、
それは、医者個人の能力に頼り切りの「診断」であった。
だから、実際に子供の頃「自閉症」と診断され、施設に入ったかつての子供たちの中には、
今の基準で見れば、首を傾げたくなる例が時々見られる。
テレビなどで、その様子を見ていると、少ないながらも、その子なりに上手く意志を伝えてる。
身近に自閉症の子供を見ている親なら、やはり「あれっ?」と思う例もあるだろう。

1990年代に入ってからは、ずいぶん自閉症の判定基準も整備されて来たようで、
2000年以降に診断を受けた人達は、かなり精度高く「診断」を受けていると思う。

科学というのは、地道なデータを整える多くの科学者と、時々現れる突拍子もない科学者によって
進歩する。小柴先生が良い例で、小柴先生無くしてカミオカンデもニュートリノの観測も無かった。

自閉症もそうで、ローナウイングが出てきたことで、一気にあらゆる事の関連づけが証明され、
自閉症の「診断基準」が世界的に認められた。

その一部が、自閉症スペクトラムという考えであり、知能指数70を境に自閉症を2つのグループに
分けるという考えである。
つまり、知能指数70以下を「自閉症(カナー型)」
知能指数70以上を「アスペルガー症候群(アスペルガー障害)」としたのである。
これは、今後40年以上この呼び方とこの区分け方が支持され続けるだろう。

しかし、世の中、名誉欲に溢れた人間が居る。彼らはローナウイング程の実績を残せない代わりに
何とか、自分が行った事、印しを残したい欲望が満ち満ちている。
そんな時に発揮するのが、呼び方の「マイナーチェンジ」だ。

自分の影響力が及ぶ範囲であれば、「高機能」「中機能」「低機能」の分類を決めれば、
その分類に倣って多くの人がその言葉を使うようになる。
その満足感を得るために、地方地方、学派学派独特の呼び方が定着する。

極めつけが「ニキリンコ」が提唱する「自閉」。せっかく医学的に明確な診断基準が出来たにも
関わらず、それと逆行するように「自閉」という言葉だけを定着させようとやっきだ。

患者側、あるいはその家族にしてみれば、学派だの思惑などは関係ない。
とにかく、この子のために、自分の為に役に立てばそれでいい。

もし、自閉症の為に役に立てるならば、それぞれが意味が分からない呼び方をするのではなく、
単純に「自閉症(カナー型)」と「アスペルガー症候群(障害)」に分ければいいのである。

そして、その上で、個々の子供たちがどの様に違うか。或いは同じか。
きちんと診断を受けた人間のデータを、少しづつ集めていけば、
20年後には、何か分かり易いガイドブックにでもなるかもしれない。
そのかすかな希望を持って、              ブログに裁判に張り切って行こう!

私Chipの自己紹介

東京都より頂いた貴重な精神障害者手帳

「この子トールとそっくり。」
「ほんとだ。トール君自閉症ナンじゃないの」 頑固で意固地な私を家族が、からかった。

それは、昭和42年、カナー型の少年の日常を写したドキュメンタリーだ。
自閉症という言葉もこのとき初めて聞いた。日本中の人も多分初めてだったと思う。

「重い子供がいるんだから、軽い子供だっているにちがいない」私は画面を見つめ確信した。

番組では、始めは耳が聞こえないのかと思ったこと。
呼びかけても向かないが、でんでん太鼓の音にはきちんと反応すること。
小学高学年になった今でも、写真撮影の時はこちらを見ようとしないこと。
など、その特徴的な事柄について、淡々と事実だけ、よけいな推測を交えず報じていた。
(当時の作り手は、まともだったね)

実は写真撮影の時、困らせるのは私も同じ。
目玉が強い意志を持って、さらにレンズを通し巨大化してこちらを見つめるのだ。
気持ち悪いっちゃあない。

別に写真に撮られるのが嫌いなんじゃない。
あの強い目を見なければいけない事が嫌いなのだ。

もちろん、そんなことが出来ないのは、4才ぐらいまで、5才になると嫌々従うようになる。
そんな私と、その子供に家族は無意識に共通点を感じたのだろう。

我が家は、西は博多から東は札幌まで、全国の主要都市を転居して歩いた。
それに伴い、小学校3校、中学2校、高校2校、さらには中学予備校迄含めると、
高校を卒業するまで、延べ8校を転々とした。

同じ地域に住んでいたなら、高校以外はだいたい似たような顔ぶれの持ち上がりだが、
私は、実に多くの異なる同年代(延べ2000人)と机を並べた事になる。

しかし、それでも話が合う(同じような思考回路を持つ)人間に巡り合うことは無かった。

大学を5年で卒業後、就職。 転職した先で妻と出会った。
彼女も一風変わり者。何とも変わっているのは私と話が合うことだ。

付き合いだした頃、彼女が怒り出すのを覚悟してこう言った。
「ねえ、厳密に言うと、あなたは自閉症の軽いタイプだと思うよ。」
意外にも彼女は怒ることなく、それどころか
ほとんどの人が知らない自閉症について詳しいことに驚いた。

そして、自身のことについては、否定も肯定もする事は無く、
その後も何度か同じ話が出たが、いつも同じ態度だった。

ところが、その時蒔いた種は結婚15年後、突然芽を出す。

結婚して15年。私は鬱になっていた。
もちろん自分でうつ病だなんて自覚もないし、そのうち気も晴れると思っていた。
しかし、気が晴れる日は来ない。

異変に気付いたのは妻だった。
彼女の異常なほどの答えを求める執念は、最新の自閉症研究資料の収集にねらいを定め、
新設のクリニックになんとか診察の予約を取り付けた。勿論二人分である。

私は、私が自閉症か自閉症でないかはどうでもいいことだった。
ただ、かつて見たカナー型の子供と私は繋がっていると強く感じ続けていたのだ。

妻は、診察の予約だけでは飽きたらず、講演会などにも出席していた。
その時、ある噂を聞きつけてきた。「ニキリンコと言う自閉症で、翻訳家の女性が居るらしい」

自閉症の翻訳家と言うことには別に驚かなかったが、それで食っている話を聞いて驚いた。
自閉症でそんなに世渡りが上手く出来る人が居るんだ。

しばらくしてNHK教育テレビにんげんゆうゆうにて「ニキリンコ」が登場した。
私は驚愕した。「こんな自閉症居るわけない!」
かつて、「太鼓と少年」と言う自閉症を紹介した真面目な番組を作った、同じNHKが
こんな「偽物」をまことしやかに放送するなんて。

その後、なんとNHKの取材と女性自身の取材を一度にコーディネートをし、さらに、
NHKでは言葉より筆談の方がコミニュケーション出来ると、パソコンのディスプレーを介して
会話する一方で、女性自身の取材では大いにしゃべり、打ち上げは、小料理屋で
話は大いに盛り上がり延々4時間に渡ったと言うのだ。

妻が申し込んだ自閉症の診察は、当日嫌ならキャンセルすれば良いと考えていたが、
そこで私の考えは変わった。
こんな偽物が大手を振って歩いては、今までの自閉症の環境は一気に壊れてしまう。
それを警告出来るのは、同じ当事者しか居ないだろう。
私は、怒りの勢いで、診察日にクリニックに向かった。

そして私は、日本では数少ない専門家の診察を受けることができ、
「アスペルガー症候群」と診断された。遅れて、妻もきっちり「アスペルガー症候群」と診断された。

「軽い自閉症」の自覚があった私にとって、診断や診断名など、どうでも良いことだったが、
現実は違った。
なぜなら、アスペルガー症候群は「脳機能薬」の感受性が一般の人と違うことがある。

私は少量の抗うつ剤の適用を受け、今では安定した日常を過ごしている。

もしこれが何の知識も無い一般の精神科だったら。
生活費の苦労の上に、抗鬱薬の副作用に悩む日々であったなら、考えるだに恐ろしい。

私はこんな大人。 山岸 徹 52才 自営(2009年)

民事と刑事

山岸美代子 模写

ようやく、浅見淳子、浅見昇吾 両氏を原告とした民事訴訟の訴えが起こされた。

同時に、刑事告訴の用意をしているという通告書も送ってきた。

これこそ、こちらの望むところ。

但し、彼らは、虚偽告訴という罪を知っているのだろうか。
名誉毀損などという軽微な罪では無く、実刑なのだ。
もし告訴が取り下げられたら、私の話がすべて本当だったと悟って下さい。   本当に楽しみだ。

おおよその話はこちら。

うーーーー書きたいことは山程有るが、ここはそれ、何とか我慢して、明日からは
純粋に自閉症の話を書きます。(じゃまが入らなければね。)

とにかく育てなきゃ

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なんか子供が変かな?そう思っていたら、病院へ行くのを勧められ、自閉症の診断を受けた。

確かに、ショックはあるだろう。どうして善いか分からないかもしれない。
しかし、日々子供は育つ。

我が家のすぐ近くの家では、ネットの情報など漁らず、特別本を探し歩くこともせず、
ひたすら他の姉弟と分け隔てなく育てるだけで、伸び伸び育った自閉症の女の子も居る。

情報が有るから善いと言うことは無く、情報が有りすぎると言う場合もある。

多分、子育てには「正解」など無いのだろう。子育てもあなたの人生の一部なのだ。
子育てが全てでは無い。

しかし、不安に震える母親には、この本を先ず勧める。
この本は、あくまで子育ての途中経過であり、成功体験の報告ではない。

子育てが成功したかどうか。それはその子供が寿命を全うしたときに、ようやく分かるかもしれない
答えのない事だと私は思う。

自閉症児エリーの記録 クララ・パーク 松岡淑子訳 河出書房新社

自閉症ってなに?

昭和42年、NHKのドキュメンタリー「太鼓と少年」を見て、自閉症に取り憑かれた。
彼と私は、ほぼ同い年。彼は今どうしているだろう。生きているだろうか。

以来、自閉症の事を考えていた。
「自閉症ってなに?」・・「カナー型とかなんとかいうやつでしょう?」
それは、単語だ。説明になっていない。

知ったかぶりの奴に歴史を聞いた時の様に、物知り顔の主婦に、詳しく話を聞こうとした時の様に、
仕事が出来ないヤツに仕事の説明を聞いた時の様に、
誰に自閉症の事を聞いても、聞けば聞くほど分からなくなった。

しかし、世の中偉い人が居る。ローナ・ウイングだ。
1970年からこつこつとデータを集め、ついに自閉症の「自閉症」という概念化に成功した。
L.Wing(1988)'The continuum of autistic characteristics',in E.Schopler and G.B.Mesibov(eds),
Diagnosis and Assessment(New York:Plenum Press)
1988年のこの発表をきっかけに、幾つもの論文が発表され、関連が付き、自閉症を的確に
捉えられるようになった。

私が、どんなに求めても、得られなかった「自閉症」のヒント。
日本人に聞いて分からなかったことが、多くの英米の医者、本当の科学者の研究が翻訳され
直接読むことが出来るようになって、ようやく「自閉症」の大まかな形が具体的に分かるようになった。

真理に目を向けている本は、どの本も同じ事、つまり「自閉症」について語っている。
ところが、その切り口は微妙に違い、言葉(表現)がまた微妙に違い、
実物(私の妻)を観察して考え、私を観察して貰い、その様子を聞いてまた考える。

途中、自身、或いは妻のアスペルガー症候群としての診断もあり、さらに肉付けがされ、
ようやく、なんとか言葉にして説明出来るようになってきた。

私が、知り、私が得た一部ですが、自閉症の事を少しでも知りたい人へ、
私が呆けない内に、私と、妻と、さらにここで参加する仲間と共に、書き残して行こう。

AS気味だと感じたら、大変!精神科へ行かなくちゃ!!

自閉症は「疾病」である。「生まれつきの障害」である。

自閉症の研究が進んでいる英米と「日本」との、自閉症に対する認識の違いは、
自閉症、アスペルガー症候群と判断するのは、医者であることだ。

自閉症は疾病である

ガンであれば、病院へ行き、検査を受け、悪性腫瘍が認められて初めてガンと診断を受ける。
私はガンだけど、診断の必要性は感じません、は認められない。気のせいかもしれない。

統合失調症であれば、何度も慎重に問診を受けてようやく、統合失調症と認められ、診断が下る。
私は統合失調症だけど、診断の必要性は感じません、は認められない。早い治療が必要だ。

しかし、自閉症だけは、どんなに「疾病」だ、「生まれつきの障害だ」とガイドブックに書いてあっても、
私は自閉症だけど、診断の必要性は感じません、
私はアスペ気味だけど、診断の必要性は感じません。
私はアスペルガー症候群の当事者ですが、診断の必要性がありません。

はみんな簡単に、認めてしまう。
どうも、自閉症協会ですら、そのスタンスのようだ。
しかし、善意だけで自閉症協会に参加する時代はもう終わっている。

商売、書籍販売を目的に、診断が無く、さらに自閉症当事者と自称して
自閉症協会に参加してくる人間が居る時代だ。

今年(2009年)の4月2日は、あらゆる所で、自閉症の理解、啓発を促す催しが、
全国で開かれたようだが、実は、その催しを開いた連中の啓発が必要なのだ。

「自閉症は疾病である。明確な診断を受け初めて自閉症と認められる」という、
簡単な、疾病の大原則さえ、認識されていないのだ。

自閉症、アスペルガー症候群は、血液型占いでは無い。  真剣な疾病に対する話なのである。

当事者としては、それ程切実なものなのである。 金儲けに利用しないで欲しい。

勇気ある発言

 山岸さんのブログが、私の周囲でも話題になっています。
 Aくんタイプの保護者は、ニキさんご本人が講演されていることもそうですが、有名どころの先生方が皆さん、講演会などで、ニキさんの話を自閉症の代表者としてお話されるので、それらを根拠に「偽者だなんてありえない!」という意見が多いです。

 Bくんタイプのお子さんの保護者は、「そう?うちの子はニキさんに似てるよ。本人も愛読してるし。」とか「他の当事者の○○さんのほうがうちの子には似ている。」とか「前からうちの子とは違うな〜って思ってたんだ。もしかしてうちの子ってアスペじゃないのかな〜って悩んだくらい。」などと結構意見がバラけています。

 Bくんタイプのお子さんの保護者、Aくんタイプのお子さんの保護者、それぞれに反応は違いますね。
両者の間には「話せていいわね。」⇔「話せても大変なのよ」、「福祉が充実していていいわね。」⇔「福祉がなくても自立できるじゃない」などといった溝があって、普段は別々に集まるのですが、両方に属する私は、両者の考え方の違いが興味深かったりします。

 もちろん、ニキさんが本物かどうかというのは、気にならないと言えば嘘になります。
けれども、それよりも気になるのは、周囲の彼女の持ち上げ方です。

なぜ、数多くいらっしゃる当事者の中で、彼女だけがあれほどクローズアップされたのでしょうか?
また、あのように持ち上げられて、彼女が周囲に誘導されたり、周囲の期待に応えるように受け答えをしたりして、本人の意図せぬところで、違った自己理解をしてしまったということは考えられないのでしょうか。

 Bくんなんかはよく、相手に合わせて(あるいは誘導されて)深く考えもせずに受け答えをしては、そのセリフのせいで墓穴を掘りますから、同じようなことになっていたとしたら、彼女も被害者になりますね。
 彼女には防げなくても、自らをモニターしにくい特徴を持っている可能性を知っている関係者なら、防げたはずですから。もしかしたら、周囲がこんなに彼女ばかりを当事者として利用しなければ、山岸さんが彼女への疑問を抱くこともなく、あるいは、早めに関係者が山岸さんの質問に真摯に答えていれば(健康保険証で診察した医師なら、「僕(私)が診断しました」と宣言されればいいだけですよね)、彼女は今、このように疑われるようなことはなかったのかもしれないと思うと、誹謗中傷だとか告訴だとか脅かされている山岸さんにしろ、ニキさんにしろ、いい迷惑だな〜と思ったりしています。

 確か、山岸さんは横浜の有名なクリニックで診断されたとブログで読んだような気がするのですが(違っていたらすみません)、いきなり裁判だどうだということではなく、横浜のクリニックの先生方や、ニキさんとかかわりのある有名な先生方が本人達に代わって話し合われてはどうかと思うのですけどね。私は、積極的に理解と支援を啓発されている先生方が、なぜ、関係ある当事者に対して知らんふりされているのかがわからないでいます。

 また、彼女が本物だとして、何冊も出しておられる売れに売れた本の内容が、読者のそばにいる自閉症の人に役立ったのかどうかということも気になります。
この騒動で、ニキさんの本は、Bくんの診断前に購入して読んだことを思い出し、最近、彼女の本を読み直してみたのですが、Bくんには、彼女についての記述はあてはまらないことが多かったです。
 「自閉っ子、こういう風にできてます!」は、感覚に過敏や鈍感なのは、Bくんも同じだけれど、エピソードは全く違っていました。「俺ルール」は、エピソードは似てるんです。でも、その後の解説とか学習の仕方が、Bくんとは違うんですよね。
 自閉症は千差万別で、個々に違うのは当たり前のことなのに、Bくんから自閉症というものが見えてくるまで、ニキさんとBくんの違いのようなものには、気づけていなかったんです。不思議ですね。

 Bくんがアスペルガー症候群と診断される前、しゃべらないAくんの障害特性が全く理解できず、それでも「少しでも社会に適応できるように」と、なんとかスキルを身につけさせたくて、アプローチの仕方を模索し、こちらの主観で想像するしかなかった頃、ニキさんの本は、救世主という感じでした。学校の先生にも見せ、皆で「なるほど、こういうメカニズムだったのか」と喜んだものでした。
当時の私は、ティーチにもはまっていて、勉強会でカードやスケジュール、自立課題などを作成しまくっていました。そして、周囲が驚くほどにAくんは学校や家庭で適応していきました。私は有頂天でした。

 そのあとしばらくして、BくんがADHDではなくアスペルガー症候群であったことが判明し、混乱しました。私が理解していた自閉症というものと、Bくんのそれは、大きく違っていたからです。

そうこうしているうちに、Aくんが大爆発してしまったんですよね。

 ですから、私や周囲の人間がそうだったように、保護者や教師が、ニキさんの本やティーチ関連の本を妄信的に信じて、そばにいる当事者を無視して、安易にあてはめることに危険を感じています。
 「ニキさんの本は、自閉症のバイブルだ。」「このティーチの本はいいよ。」などと話題になったのは事実ですし、「お子さんとは違うかもしれないけど」「お子さんには合わないかもしれないけど」と警告することなく、これらの本を薦めた保護者や医療・療育・学校関係者は多かったですから・・・。
例え警告したとしても、保護者が社交辞令的に受け止めたり、その違いがどういうものかわかっていなければ、警告していないと同じなんですよね。
親は必死ですから、そのような情報があれば、躊躇無くとびついてしまうんです。
また、飛びつかないことが「こどもを大切に思っていない」というプレッシャーになって、仕方なく実践するという方もおられました。
私の場合は、乗り気になって頑張っていましたが。当時を思い出すだけで後悔の思いがこみ上げてきます。

 Aくんタイプの子を持つ親は、こどものことがわからないから、わからないままに、一般的に良いとされることをしようとして、結局はこどもを追い詰めるという失敗をしがちです。
本当はわが子をよく観察して、何かしら芽生えたところを育てるときに、支援を用意してあげればいいのですが、実際は、観察の仕方(視点)がなかなかわからない、芽生えなんて見落としてしまう、時間ばかりが無駄に経過しているようで焦ってしまうなどなど、簡単なことではありません。
この観察も、「うちの子はこうだ」と思う根拠が本や講演会からということが多く、保護者はわが子を観察しているつもりでも、実は色眼鏡を通してみているということに気づけていないことが多いです。
私もそうでした。だから、こどもを観察するところを、本や講演などに頼り、「自閉症だから」という色眼鏡をかけた状態から支援がスタートしてしまい、そこから先を必死で頑張ってきました。例えば「自閉症だから、見せたらいい」と視覚的なものを提示し、「見せても意図がずれる」ということに気づけていませんでした。

 ちょうど、私と同じように頑張った数人の保護者は皆、後悔を口にしています。
あるお母さんなんかは、積極的に学校関係者へお話をしにいっています。
彼女のお子さんは、Aくんよりもお話ができて、一人で買い物に行ったり、バスに乗れるほどのスキルを身につけました。その様子は、無理強いしているという感じではなく、写真の手順表を用意したり、ごほうびを用意したりして、本人も納得して取り組んでいたように見えていました。学校でも先生に「今日も嫌がらずに頑張っていました。」と褒められていました。
ところが、中学生になって大爆発をしました。「バスの練習したくなかった〜!」「学校、嫌だった〜!」と言い続けながら、家中の家具を壊し、破壊行為が止まらなくなったそうです。小学校時代の大人しい彼からは想像できないような変貌ぶりです。今は、フラッシュバックするたびに大暴れして、学校にも行けていません。「学校・・」と聞くだけで暴れるからです。彼は今、精神科にかかっています。「まさか、うちの子がこんな風になるなんて思わなかった。」と、後悔されています。

 そろそろ、幼児期に早期療育が流行り始めた、Aくんの年代の子達を追跡調査してみてはどうかと思ったりします。
他の障害のお子さんや他の地域はよくわかりませんが、私の住んでいる地域の自閉症の子たちは、結構2次障害がひどいような気がします。早くから診断され、療育機関に関わっていたにもかかわらず・・。
あるお母さんは、「私、あの当時は皆についていけなくて落ち込んだけど、今はよかったって思う。」とおっしゃいました。耳が痛かったですね。

 なんだか、早期療育って、いつ爆発するかわからない時限爆弾を仕込んでいるような気がします。
周囲から「これは正しい」と言われて頑張ってきたものの、その根拠のなさに気づいた瞬間に・・・、あるいは頑張ったけれど我慢の限界にきて、突然爆発するって感じでしょうか・・・。
周囲の無理解からくる爆発って、未診断だけでなく、診断後の療育にもあてはまるんだな〜と、改めて思います。

 だから、何かをする前に、「はたしてこれは、本当に根拠のあるのものだろうか。」「わが子に負担をかけないだろうか。」とじっくり考えるといいのではないかと思います。
根拠については、おそらくほとんどのことが、説明できないことだったりするのではないかと思います。
「社会に適応できるために」なんて、ダントツ1位ではないでしょうか・・・。(^_^;)

 反面教師がここにいます。同じような失敗をせずにすむお母さんが増えるとうれしいです。
自分では、なかなか気づけないのです。誰かが指摘してくれても、なかなか認められないのです。
とてもつらい葛藤が起こるでしょう。
そして、その葛藤から開放されて、自分の失敗に気づいた後は、より大きな後悔と懺悔の気持ちが待っています。
時には爆発に加担した人への恨みごとも言いたくなります。

 それでも、立ち上がって生きていくしかないのです。
覚悟・・・できていますか?

ある、勇気ある母親の手記である。
プロフィール

Chip

Author:Chip
昭和42年自閉症のドキュメンタリーを見てから自閉症に取り憑かれる
話が妙に会う妻に出会い後に妻はアスペルガー症候群と診断を受ける
私も同様にアスペルガー症候群と診断を受ける
2002年二人で自閉症カンファレンスにて講演
以来日本中に散らばる話せる仲間を捜す
現在52才
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