私は高機能自閉症

高機能自閉症とは、対人関係の障害・コミュニケーションの障害・こだわりなどの自閉症の特徴の内、知的障害がないものです。

措置入院 〜PART4〜

2009-05-08 11:26:10 | 自分のこと
彼はと言うと・・・
実を言うと、2日目くらいまでは、こんなになってしまった自分には、彼を愛し続ける資格はないと思っていた。
彼に対して失礼だと。
もう私は施設で生きていくしかないんだと思った。
「ゆこたんは死んだんだ」って思うことにした。
でも実際には、変わらず自分の体があり、家から持って来られた衣類や身の回りのものがある。
死んではいない、という事実にぶち当たる。
そうすると、彼が愛しくてたまらなくなる。
なんとか連絡を取れないか?
ママと連絡が取れるようになり、電話が出来たり、面会が出来るようになると、真っ先に「彼はどうしてる?」と聞いた。
ママは、入院翌日に彼にメールで知らせたらしい。
彼は連絡がつかなくなって、とても心配していた。
そして、ママが面会に行くと言うことを伝えるたびに「僕からもよろしく言ってたとお伝え下さい」と一報してくれていた。
その上、内密に計画していた、母の日のサプライズをママに種明かしした上「ゆこたんはこんなに母思いの人なんですよ」みたいなことをアピールしてくれていた。
そういう陰での支えに、むせび泣いてしまった。
こんな状態にまでなっても、見捨てずに愛してくれてる優しさに、感謝以外の気持ちはない。
退院日が決まった時には「お祝いに食べに行こう」とまで言ってくれた。

ママとは、素直になろうと思っていても、実際会ってみたり、電話で話すと、まだ落ち着いていないのか、すぐに喧嘩腰になってしまっていた。
後から申し訳なくなる始末。
ママから手紙が届いた。
入院した日は、ママは一人でカーナビを頼りに運転して、とても心細かった。上野に行くまでになんとか立ち直ってくれないものかと祈っていたけど、変わらぬゆこたんの態度に、そこまで追い詰められていたんだと思うことにした。でもその日はとても重要な会議があり、近所の人も、朝から何事かと見ていたし、その日に限って、近くに友達が引っ越してきた日で、その友達は、パトカーの間を繰りぬけながら、引越しの準備をしていた。そんなママの気持ちも分かって欲しい、と言っていた。
はぁ、なんて親不孝なんだろう?
でも日にちが経つと共に、私も落ち着いてきて、人格が変わったようになり、ママも安心したみたい。

昨日は退院したその足で、元の病院に向かった。
しばらく外来で、慣れ親しんだIさんと話していた。
「どうだったのよ?まぁ、何事も経験ね」と笑っている。
冗談交じりに、措置入院の話をした。
そしてK先生の面接。
「J病院のA先生とはよく連絡を取り合っていたので、状況は分かっています。ゆこたん、どうしてここでもJ病院のように振舞えないかな?J病院のように出来たら、もっともっとここでも入院が利用しやすくなるんだよ。今までの状態だと、個室しか使えないじゃない。でもJ病院では、3日で拘束が取れたんでしょ」とやや呆れ顔。
なんか初めて、自分の口から思ってることを言えた面接となった。
「J病院では、ここを脱出しなければという思いしかなかったです。だからひたすら我慢していました」
「今回の措置は、辛かったの?」
「辛かったです・・・」
「ここまで我慢出来るように身についているんなら、外来でやっていけそうな気がするんだけど、ゆこたんはどういう目的で入院したいと願っているの?」
「J病院で身につけたことが、ここでも活用できるのか試してみたいんです。我慢できたと言っても、無理矢理押さえ込んだ形だし、もっとすんなりと我慢する力をつけたいし、自分でも待つこと、我慢することは大切だって気付いたからこそ、今ここで入院しないと、わだかまりが残ってしまいそうなんです。だから自分の気持ちを整理するためにも、入院したいと思ってます」と話した。
いつもはK先生に「辛い。限界。入院したい」と本当に限界なのに、入院を訴えても、なかなかOKは出してくれなかった。
だけど今回はいつもより落ち着いているのにも関わらず、自分の考えをしっかり言ったら「分かりました。じゃあ、入院予約を入れますよ?いいですね?」と言ってくれた。
そしてまたもや言った。
「前ほど待たないと思いますよ」
今までこの言葉を信じたがために、待てない状態に拍車をかけていたので、今回は3週間は待つだろうと覚悟を決めて、のんびり待つことにした。
入院することは決まっているのだから、もうジタバタする必要はない。
そして最後にK先生から「J病院は、僕の大学の医局の系列だからよく知ってるんですよ。A先生は直接は知らないんだけど、病院のことはよく知っています」と言っていた。
そこで私が「A先生は、医師生活を何年か続けているけど、あそこまで叫ばれた経験はありませんって驚いてたよ」と言うと、一言「A先生はまだまだ甘いな・・・」
ちょっと笑えてしまった。
薬について「この量は、かなり減ってるんだけど、この量で眠れてるんですか?お通じは出てるんですか?(うなずくと、ちょっとむっとしているような呆れているような感じになり)でもまぁ、薬は少ないにこしたことはないので、この量でやっていけるんなら、替えませんよ。それにしてもA先生は思い切ったことをやってくれたなぁ。これには感謝しないと」と言っている。
だって1日2回だけで済んでしまったんだもん。
しかもメインはバレリンのみ。
他には睡眠薬をちょっとだけ。
あれほど飲んでいたお腹の薬は一切なしで、下剤も全く出てないのに、お通じは普通にある。
そんな生活は、10年以上送っていなかった。
体が自然に返った気がする。
薬なんてないにこしたことはない。

家に帰るとS先生から電話が来た。
次回の外来の心理の予約を入れてくれた。
込み入った話はしなかった。
面接時間ではないことをわきまえていたから。
予約だけ入れて、色んな話は心理面接の時に・・・ということになった。

措置入院の時、沢山本を読んだ。
分厚い専門書も。
ほとんどが、児童心理学で、特に障害児に対する本だった。
思い出した。
私は高校卒業で進路を決める時、養護施設の子どもたちの面倒を見たくて、保育士の資格が取りたかったんだと。
そういう何かしら問題を抱えた子どもたちを、ひたすら愛情を持って接してあげたいと願っていたのだ。
だから私が読む本は、児童心理学に偏っていた。
特に児童虐待については、ものすごい量の文献を読んでいるはず。
入院先の病院でも、タイトルを見て「このような心理的な本はちょっと・・・」と言われてしまったほど。
でも本を読むことで、自分の取った行動を振り返ることも出来た。
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2 コメント

児童心理学の本を読んでたなんて・・・・ (ぶじこれきにん)
2009-05-12 21:26:44
ゆこたん、児童心理学の本を読んで児童養護施設で働きたいなんて思っていた。
 色々人生経験豊富な人ですな。その経験から基づく他人へのアドバイスって訳か・・・・
 人はいろんな顔がありますな。
ぶじこれきにんさんへ (ゆこたん)
2009-05-13 10:34:57
私は大学で幼児教育科を専攻していたので、幼稚園教諭の資格はあります。
でも本当に欲しかった資格は「保育士」です。
幼稚園教諭の資格を持っていると、国家試験の時に免除される科目もあるので、保育士の試験を受けてみたいと今でも思います。
児童養護施設で働く夢は諦めていますが、児童心理学の研究は続けています。

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