「手造りこんにゃくにたずさわる人」「手造りこんにゃくの原料を作る人」「手造りこんにゃくを創る人」。3人の名刺で、最初が敏夫さん、次が父親の和夫さん(58)、そして母親の一江さん。「コンニャク芋の栽培は親父が、コンニャクの加工はお袋が、私がマーケティングとプロデュースを」という家族経営体だ。昨年4月に立ち上げた。
「和」としたのは、和物を扱うことや土着のもに目を向けていきたいという起業の思いと、3人の「和」を大切にしていきたいとの家族の心が込められている。
下仁田町はこんにゃくの町として有名だ。コンニャク芋の栽培を始め、芋を乾燥させて精粉にする製粉業者、製品に加工する練り業者などが集まっている。分野ごとの専門業者のほか、精粉から食品加工まで一貫しておこなう企業もある。農家は芋を二、三年かけて育て販売する。昔から養蚕の盛んな地域で橋さんも十五年前まで養蚕農家であった。経済的に合わないので止め、コンニャク中心の経営を行っている。
敏夫さんは東京の大学を卒業後、宝石輸入商社に入った。タイのバンコク支店ではアジア金融危機にもろに見舞われ、悪戦苦闘した体験を持つ。一線の商社マンがなぜ農業を継ぐ決心をしたのか…。
「自分としての仕事がしたい。農業ならそれを実感できる。これを強みに自分の生き方、『百姓ライフ』を生活感覚として確立していきたい」と考えた。「売り上げ、売り上げというなら、他の仕事をしたほうがいい。たくさん給料がほしいとか、大きな経営がしたいというだけではない。金だけが豊かさの尺度でもない。人生の目標は違うところにある」と思い、「単なる経済的な豊かさというだけでなく。豊かさとは何かという生活感を実践から得ていきたい。現代はブラックボックスのなかで生活しているようなもの。足を地につけた生活、それが農業であればできるのではないか。会社では時間まで自分のものではない。それはいやだ。それには自分で経営し、生産から販売まで持っていないと実現できない」と詰めて踏み切ったのである。 |