2日にがん性リンパ管症のため58歳で亡くなったロック歌手忌野清志郎さんの密葬が3日、都内の寺院で営まれた。RCサクセションの盟友、仲井戸麗市(58)、親友の三浦友和(57)、共演した坂本龍一(57)井上陽水(60)竹中直人(53)らが悲しみに暮れる中、RCの最初のヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルで都立日野高の担任教師、小林晴雄さん(77)が参列した。葬儀、告別式は9日正午から、東京・青山葬儀場で営まれる。喪主は妻栗原景子(くりはら・けいこ)さん。
この日午後4時4分、都内の自宅から清志郎さんの遺体を運ぶ車が、密葬会場に向けて出発すると、晴天の上空に虹が2本アーチを架けた。雨上がりの空でもないのに…。気象庁に問い合わせても「極めて珍しい」という現象は、カラフルなメークと衣装で観客を酔わせた「清志郎ルック」の名残のようだった。
ひつぎの清志郎さんは喉頭(こうとう)がんを克服して行った08年の日本武道館公演で着用した、関係者が「これしかない」というピンクのスーツを着ていた。場内に清志郎さんの歌が流れ、遺影はほほ笑んでいた。午後6時から近親者のみの密葬に親交の深い友人たちも参列した。RCサクセションのギタリストで第一の親友仲井戸は、沈んだ表情をサングラスで隠した。坂本も陽水も竹中も険しい顔つきで言葉はなかった。
悲しみの中、松葉づえをつきながら、清志郎さんに別れを告げたのは日野高3年時の担任教師、小林先生だった。フォークバンド時代のRCが、初めて飛ばしたヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルになった美術教師だ。かつて漫画家や画家を目指した清志郎さんが同曲で「劣等生のこのぼくに すてきな話をしてくれたちっとも先生らしくない ぼくの好きな先生」と歌った小林先生は柔和な笑顔で「実際は苦しんだか分からないけれど、穏やかに逝った顔だったよ」と、語り始めた。
高校を卒業して40年。清志郎さんが慕い続け、最後まで親交が深かった。2月の同高美術部の「OB展」が、最後の対面となった。「病気があるから、元気なうちにゆっくり話したかったようだ。回復しているように見えたんだけどなぁ…」と無念がポロリとこぼれた。
清志郎さんは目立たない生徒だったが気遣いを忘れず「レコードを出したときもね。(モデルにして)『先生に迷惑かけちゃったかなぁ』って気にしていたよ」と振り返った。職員室より教室でキャンバスに向かうことが多かった小林先生は、体制にこびないパフォーマンスを繰り返した清志郎さんの原点だったに違いない。恩師が当時の顔を思い出しながら「よく頑張った。ゆっくり休め」と、ひつぎの教え子に語りかけるころ、虹が映えた青空に夜のとばりがおりていた。