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【ドラニュース】


岩瀬、竜の宝!!200S 連敗止めた打線も祝砲3発

2009年5月13日 紙面から

中日−ヤクルト 通算200セーブを達成し、花束を手に笑顔の岩瀬=長良川球場で(横田信哉撮影)

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 中日の守護神が金字塔を打ち立てた。12日のヤクルト戦(岐阜)。岩瀬仁紀投手(34)が9回をぴしゃりと抑え、プロ野球史上4人目の通算200セーブを達成した。朝倉が投げ、小山がプロ初本塁打、ブランコが真価発揮の特大弾、そして和田も地元で一発。それを守った岩瀬。さあ乗っていけ、巨人を追うのは、そう、ドラゴンズ!

 野球の神様からの「乗り越えろよ」というメッセージだったのか。そぼ降る雨の中、9回のマウンドに上がった岩瀬の前には、青木が立っていた。

 「ちょっとは気にしましたけど、シーズン中に何度も対戦する打者なんで。自分の中で割り切っていきました」

 自身初の危険球退場、それも1球で退いたのが4月30日だった。その夜、ツバメ番から精密検査の結果に大きな異常がなかったと聞き、留守番電話にその旨を入れてあげた。すぐに岩瀬からコールバックがあった。「ホッとした」という表現は、こういうときのためにあるのか…。そんな声だった。自分でも翌日に謝罪の電話をかけたそうだ。生来の優しさを損なうことなく、勝負の世界を生き抜いてきた。岩瀬とはそういう男なのだ。

 200個のうち194個。クローザー・岩瀬の歴史は、落合政権とともに始まった。だが、04年の開幕直前に左足中指を骨折し、竜の新守護神は嵐の船出となった。5月末で早くも3敗。防御率は5・48まで跳ね上がった。当時のことは記者もよく覚えている。2軍再調整の可能性を問う報道陣に、落合監督は頑として首を振らなかった。

 「あのころのオレはぼろかすに言われたよな。『岩瀬をつぶす気か』って。でも、打たれたから再調整って選手と、絶対に乗り越えてもらわなきゃ困る選手がいる。岩瀬は後者。だから1日もファームにはいってないだろ? 信頼というのとはまた少し違うんだけど、それだけのポジションにいる選手ってことだ」

 チームの骨格となる選手は、どんなに状態が悪くても使い続ける。当時も今も、落合監督の軸にぶれはない。就任して6年目。岩瀬は2度の五輪を除けば、1度も出場選手登録を外れていない。能力があるからこそ、故障と無縁の強さを指揮官は求める。再調整も故障離脱もないのは、岩瀬と立浪だけだ。

 今年で35歳。球威が落ちてきたという声もあるが、MLBにいけば同世代こそがクローザーの旬として活躍している。さらに上を見れば41歳のホフマン(ブルワーズ)、39歳のリベラ(ヤンキース)が健在だ。酒は1滴も飲めず、トレーニングを欠かさない節制の塊が、ピークを過ぎたとは思わない。250で名球会、287で日本新。「1つ、1つの積み重ねなんで…。できるだけ頑張ります」。特別に用意された試合後のヒーローインタビューでさえ“岩瀬節”を崩さず。そんな鉄腕に残した200の足跡から、1個だけ選べという無理を聞いてもらった。

 「やっぱり、46個目ですかね…」。05年の10月1日(広島戦、ナゴヤドーム)。シーズンセーブの日本記録を更新した試合だ。記者は覚えている。実に控えめではあったが、岩瀬仁紀が唯一、チームの勝利ではなく自分自身のためにガッツポーズをした試合である。

◆容易じゃない体調管理「おめでとう」 与田 剛

 最後の打者・ガイエルは外にストレートとスライダーを4球続けて追い込み、5球目にインコースのストレートで空振り三振。岩瀬のプロ人生を凝縮したかのような投球で、見事な通算200セーブだった。

 彼の投球の根幹を成すのはストレートとスライダーの2種類だけ。これを絶妙なコースにちりばめ、ぎりぎりのゾーンに出し入れし、数字を積み上げてきた。フォークのような落ちるタマ、あるいはスライダーとは逆に曲がるシュートやシンカーを投げればもっと楽に打者を打ち取れると考える人もいるだろう。確かに岩瀬も一時期、右打者の外へのシンカーを投げていたことがあった。しかし、新たな球種をマスターすると、肝心のスライダーのキレ味に影響が出てくる危険性がある。彼もそう考えて、スライダーだけでプロ生活を貫く覚悟を固めた。正しい決断だったと思う。事実、これだけの数字を残したのだから。

 佐々木主浩はフォーク、ヤンキースのリベラはカットボールと、超一流のクローザーは総じて球種が少ない。だが、彼らの変化球は分かっていても打てないのである。岩瀬もそう。ここまでスライダーを極めたからこそ、今があるのではないか。私もストッパーの経験があるが、毎日の体調管理は容易ではない。心から「おめでとう」と祝福したい。(本紙評論家)

 【岩瀬仁紀(いわせ・ひとき)】 1974(昭和49)年11月10日、愛知県西尾市生まれの34歳。180センチ、81キロ、左投げ左打ち。西尾東高−愛大−NTT東海を経てドラフト2位で99年に中日入団。1年目に最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得し、00、03年にも同タイトル獲得。05、06年と2年連続セーブ王。昨年は史上初の10年連続50試合登板と4年連続30セーブ。今季推定年俸は4億3000万円で、4年契約を結んでいる。

 

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