2009年 04月 24日
日本料理店のワインリスト
パリに「タイユヴァン」という料亭とも呼んでよいような高級レストランがある。1980年にこの店を初めて訪れたとき、シックな内装、エレガントなサービスに目を瞠ったのだが、フランスの各産地を網羅したワインリストにも圧倒された。ただ年代もののグランヴァンをずらりとこれ見よがしに揃えてあるのではなく、飲み頃がはじまったワインから並んでいて、それも銘醸ワインばかりでなく、目立たぬシャトー、ドメーヌのワインにまで目配りが十分に利いている。ワインに対する知識と経験が乏しかったわたしでも、それははっきりとわかった。
「タイユヴァン」のワインリストは、それ自体で一冊になっているものではなく、料理のメニューと一体になっているユニークなものだった。席に着くと、すべての客にメニューが渡される。それは、大きな二つ折りになった長方形の茶色の洋紙で、表紙には前菜、魚料理、肉料理が書き記されている。二つ折りになった見開きがワインリストになっていて、最後のページには多種多様のデザートが勢ぞろいしているといった具合。
わたしがなにより感心したのは、メニューとワインリストが一枚の大きな紙に時間軸に沿って見事に収められていることであった。客は、まずはじめに表紙の面に書かれたなかから、食べたい料理を選ぶ。前菜と魚料理でもよいし、前菜と肉料理を組み合わせるのでもいい、魚も肉も両方いただくのでも、もちろん構わない。そこまでをオーダーし、デザートはというと、フランス料理では、主菜やチーズを食べ終えてから、改めてテーブルの上を片付け、いま一度メニューを開き、あれこれと迷いながらデザートを決めるのである。
つまり、「タイユヴァン」のワインリストつきのメニューは、リストを倹約しているのではなく、料理を選んだところで飲み物のワインを決め、料理を食べ終えたところでさてデザートはなにを注文しようかと考える、食事の流れにそのまま従っているのである。なんと理に適っていることだろう。
もうひとつワインリストで感心した例を挙げようか。これもパリにあるレストランなのだが、フランス料理店ではなくヴェトナム料理店の「タン・ディン」のワインリストである。「タン・ディン」はパリにあってはワイン通に知られたレストランだった。エスニック料理の店にもかかわらず、ワインの品揃えに関しては フランス有数の1軒との呼び声が高かった。とりわけ、ボルドーのポムロールのワインは愛好家たちの垂涎の的で、分厚いワインリストを開くと、いきなりシャトー・ぺトリュスのヴィンテージ物が2ページにわたって続く壮観な代物である。そもそも、「タン・ディン」のオーナー兼料理人のヴィフィアン兄弟が、それまで一部の人にしかその本領を知られていなかった「シャトー・ぺトリュス」を世に知らしめた張本人といわれていたのである。
ところが、レストランに出かけ、席に案内され、メニューを開くと、料理の終わりに申し訳程度にワインがリストアップされていて、ワインで有名な店とは知らない客だと、なんとワインに無関心な店と思うに違いない。もしくは、ヴェトナム料理なのだから、ワインは最小限のものを置いておきさえすればいいのだなくらいにしか考えないかもしれない。
だが、そこに並んだワインを見るとバランスよく、料理を引き立てるリーズナブルなワインが簡潔に揃えられているのだった。そして、料理とは別に、銘醸ワインを飲みたければ、あらためてワインリストを持ってきてもらえばよいようになっている。これなら、客に余計な負担をかけなくて済む。これまた、なんと合理的なことよ。
さてそこで、日本料理店のワインリストについてである。日頃、不思議に思うことがいくつかある。まず、果たして、世界の銘醸ワインを揃えた壮観なリストは必要だろうかということ。
現在、東京の名のある日本料理店で、ワインを置いてない店は1軒もないといってよいだろう。そのうちの何軒かは、フランス料理店も羨むほど豪勢なワインリストである。一昔前も、主人のワイン好きが嵩じて、料理のことなど考えずに、高級ワインを並べた店は少なからずあった。それから、瞬く間のうちの変わりようである。
ワインリストを開くと、いきなりシャンパンが20種以上もリストアップされていて、それはそれで圧巻だが、でも、ふと我に返ると、日本料理にこれほどのシャンパンの種類が必須なのだろうかと首を傾げてしまう。
つづく白ワインも同様、ブルゴーニュからロワール、ラングドックまで網羅され、目移りがして、とても読みきれないほど。赤ワインに至っては、料理のことなど一切考えずに、ボルドー、ブルゴーニュの銘醸ワインが目白押し。一体、この最高級ワインをどの料理と一緒に味わうのだろうかと首をひねってしまう。日本料理に欠かせない清酒は、日本酒と書かれて、ようやく最後のページに顔を出す始末である。どう考えてもおかしい。
そもそも、日本料理店には、フランス料理のメニューに当たる献立表がない。店が高級になればなるほど、まず見かけない。献立表がなく、これからどんな料理が出てくるかわからないのに、どうしてワインを決められようか。少なくとも、ワインリストを整備してある店は、当日の献立を前もって作って客に差し出すべきではなかろうか。豪勢なワインリストは、単なる主人の自慢、ないしは自己満足に過ぎないのではないかと勘ぐりたくなってしまう。
それから、ワインを注文したところで、ソムリエールがいる店は別として、サービスの女性が満足にワインの栓を開けられない。客の前で抜栓せずに、調理場あたりで栓をあけ、グラスに注いでしまってから、テーブルに運んでくる店まである始末。こんなことは、フランスのレストランでは絶対にありえない。
一昨年「ミシュラン」の東京篇が出版され、日本料理店にも最高ランクの3つ星がついた。たまたまかもしれないが、その3つ星に輝いた店のワインリストが、フランス料理店並みのものであったところから、日本料理店といえどもワインリストが整備されていないと高い評価が得られないのではなかろうかという憶測を生んでしまった。
そのことがあってだろうか、このところ豪華版のワインリストが、日本料理店で目につくようになった。なんとかこれに歯止めがかからないものだろうか。ワインの在庫が増えれば、客の負担が増すばかりである。
わたしが考えるに、日本料理なら、リストのはじめには、まず清酒が来るべきだろう。それも、大吟醸ばかりでなく、純米酒、本醸造も。それから、フランスをはじめとする世界のワインと一緒に日本のワインのセレクションがあってしかるべきである。食材もワインも同じ土壌からでたものであれば、相性は間違いなくいいはずである。
実際、例えば、日本独自の品種である甲州種で作られたワインは、魚介の料理に合わせても生臭さは一切立たない。日本の牡蠣なら、シャブリより甲州のほうが後味がよいように思うほどである。
リストも、「タン・ディン」にならって、例えば小さな紙片に書き連ねたものを客に示し、もしお望みであれば、グランヴァンのリストをお渡しいたしますと告げてくれる、そんな日本料理店が現れてくれないものだろうか。
「タイユヴァン」のワインリストは、それ自体で一冊になっているものではなく、料理のメニューと一体になっているユニークなものだった。席に着くと、すべての客にメニューが渡される。それは、大きな二つ折りになった長方形の茶色の洋紙で、表紙には前菜、魚料理、肉料理が書き記されている。二つ折りになった見開きがワインリストになっていて、最後のページには多種多様のデザートが勢ぞろいしているといった具合。
わたしがなにより感心したのは、メニューとワインリストが一枚の大きな紙に時間軸に沿って見事に収められていることであった。客は、まずはじめに表紙の面に書かれたなかから、食べたい料理を選ぶ。前菜と魚料理でもよいし、前菜と肉料理を組み合わせるのでもいい、魚も肉も両方いただくのでも、もちろん構わない。そこまでをオーダーし、デザートはというと、フランス料理では、主菜やチーズを食べ終えてから、改めてテーブルの上を片付け、いま一度メニューを開き、あれこれと迷いながらデザートを決めるのである。
つまり、「タイユヴァン」のワインリストつきのメニューは、リストを倹約しているのではなく、料理を選んだところで飲み物のワインを決め、料理を食べ終えたところでさてデザートはなにを注文しようかと考える、食事の流れにそのまま従っているのである。なんと理に適っていることだろう。
もうひとつワインリストで感心した例を挙げようか。これもパリにあるレストランなのだが、フランス料理店ではなくヴェトナム料理店の「タン・ディン」のワインリストである。「タン・ディン」はパリにあってはワイン通に知られたレストランだった。エスニック料理の店にもかかわらず、ワインの品揃えに関しては フランス有数の1軒との呼び声が高かった。とりわけ、ボルドーのポムロールのワインは愛好家たちの垂涎の的で、分厚いワインリストを開くと、いきなりシャトー・ぺトリュスのヴィンテージ物が2ページにわたって続く壮観な代物である。そもそも、「タン・ディン」のオーナー兼料理人のヴィフィアン兄弟が、それまで一部の人にしかその本領を知られていなかった「シャトー・ぺトリュス」を世に知らしめた張本人といわれていたのである。
ところが、レストランに出かけ、席に案内され、メニューを開くと、料理の終わりに申し訳程度にワインがリストアップされていて、ワインで有名な店とは知らない客だと、なんとワインに無関心な店と思うに違いない。もしくは、ヴェトナム料理なのだから、ワインは最小限のものを置いておきさえすればいいのだなくらいにしか考えないかもしれない。
だが、そこに並んだワインを見るとバランスよく、料理を引き立てるリーズナブルなワインが簡潔に揃えられているのだった。そして、料理とは別に、銘醸ワインを飲みたければ、あらためてワインリストを持ってきてもらえばよいようになっている。これなら、客に余計な負担をかけなくて済む。これまた、なんと合理的なことよ。
さてそこで、日本料理店のワインリストについてである。日頃、不思議に思うことがいくつかある。まず、果たして、世界の銘醸ワインを揃えた壮観なリストは必要だろうかということ。
現在、東京の名のある日本料理店で、ワインを置いてない店は1軒もないといってよいだろう。そのうちの何軒かは、フランス料理店も羨むほど豪勢なワインリストである。一昔前も、主人のワイン好きが嵩じて、料理のことなど考えずに、高級ワインを並べた店は少なからずあった。それから、瞬く間のうちの変わりようである。
ワインリストを開くと、いきなりシャンパンが20種以上もリストアップされていて、それはそれで圧巻だが、でも、ふと我に返ると、日本料理にこれほどのシャンパンの種類が必須なのだろうかと首を傾げてしまう。
つづく白ワインも同様、ブルゴーニュからロワール、ラングドックまで網羅され、目移りがして、とても読みきれないほど。赤ワインに至っては、料理のことなど一切考えずに、ボルドー、ブルゴーニュの銘醸ワインが目白押し。一体、この最高級ワインをどの料理と一緒に味わうのだろうかと首をひねってしまう。日本料理に欠かせない清酒は、日本酒と書かれて、ようやく最後のページに顔を出す始末である。どう考えてもおかしい。
そもそも、日本料理店には、フランス料理のメニューに当たる献立表がない。店が高級になればなるほど、まず見かけない。献立表がなく、これからどんな料理が出てくるかわからないのに、どうしてワインを決められようか。少なくとも、ワインリストを整備してある店は、当日の献立を前もって作って客に差し出すべきではなかろうか。豪勢なワインリストは、単なる主人の自慢、ないしは自己満足に過ぎないのではないかと勘ぐりたくなってしまう。
それから、ワインを注文したところで、ソムリエールがいる店は別として、サービスの女性が満足にワインの栓を開けられない。客の前で抜栓せずに、調理場あたりで栓をあけ、グラスに注いでしまってから、テーブルに運んでくる店まである始末。こんなことは、フランスのレストランでは絶対にありえない。
一昨年「ミシュラン」の東京篇が出版され、日本料理店にも最高ランクの3つ星がついた。たまたまかもしれないが、その3つ星に輝いた店のワインリストが、フランス料理店並みのものであったところから、日本料理店といえどもワインリストが整備されていないと高い評価が得られないのではなかろうかという憶測を生んでしまった。
そのことがあってだろうか、このところ豪華版のワインリストが、日本料理店で目につくようになった。なんとかこれに歯止めがかからないものだろうか。ワインの在庫が増えれば、客の負担が増すばかりである。
わたしが考えるに、日本料理なら、リストのはじめには、まず清酒が来るべきだろう。それも、大吟醸ばかりでなく、純米酒、本醸造も。それから、フランスをはじめとする世界のワインと一緒に日本のワインのセレクションがあってしかるべきである。食材もワインも同じ土壌からでたものであれば、相性は間違いなくいいはずである。
実際、例えば、日本独自の品種である甲州種で作られたワインは、魚介の料理に合わせても生臭さは一切立たない。日本の牡蠣なら、シャブリより甲州のほうが後味がよいように思うほどである。
リストも、「タン・ディン」にならって、例えば小さな紙片に書き連ねたものを客に示し、もしお望みであれば、グランヴァンのリストをお渡しいたしますと告げてくれる、そんな日本料理店が現れてくれないものだろうか。
by masuhirojp | 2009-04-24 15:00 | 料理羅針盤