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満蒙開拓団の歴史を後世に 長野・阿智村に記念館建設

2009.5.13 02:37

 戦前戦中、旧満州に入植した満蒙(まんもう)開拓団の歴史を後世に伝えよう−と飯田日中友好協会(河原進会長、長野県飯田市)が進める「満蒙開拓平和記念館」の建設計画は先月、阿智村が建設用地を無償貸与することが決まり、実現に向けて大きな一歩を踏み出した。同協会などが作る事業準備会は平成23年春の開館を目指し、建設資金のための募金活動を本格化する。(高砂利章)

 昭和6年の満州事変以降、国策として本格的に進められた満州移民は広田弘毅内閣の「満州開拓移民推進計画」(昭和11年)で急増。終戦までに約27万人が旧満州へ渡った。長野県は、2番目の山形県(約1万7000人)を大きく引き離し、全国最多の約3万3000人が開拓団に参加。そのうち約4分の1にあたる8389人は県南部の飯田下伊那地方の出身者で、人口の2割近くが満州に渡った村もあった。

 開拓団参加者のうち戦後、無事に帰国したのは半数ほどとされ、多くは戦争終結直後の混乱やシベリア抑留で命を落としている。帰国できずそのまま中国に残った日本人は、「中国残留孤児」として今も大きな社会問題となっているが、一方で戦後すでに60年以上が経過して帰国した開拓団員の高齢化。当時の様子を今に伝える人たちはどんどん少なくなっている。

 しかし満蒙開拓団に絞った形の記念館は全国のどこにも設置されていないことから、同協会では、「多くの悲劇をもたらした開拓団の歴史を風化させず、後世に伝えたい」と建設計画を進めていた。

 記念館の建設地については、阿智村の長岳寺で住職を務めていた故・山本慈昭さんが中国残留孤児の肉親捜しに尽力したことなどから同村に協力を求め、村側も「多くの意味を持った記念館。村を挙げて協力したい」と了承。長岳寺の南東脇に位置する約1450平方メートルの村有地=同村駒場=を村が10年間無償貸与することが決まり、先月7日、事業準備会と土地貸借契約を結んだ。今秋にも建物の基本設計に着手し、来夏に着工する予定で、平成23年春の開館を目指す。

 展示内容は、満蒙開拓団を送り出した時代背景から、団員募集の様子▽現地での開拓や生活▽終戦時の悲劇と帰国▽シベリア抑留の実態▽現代の残留孤児の問題−まで満蒙開拓にかかわるすべての流れを写真や新聞などの資料、関係者の証言をもとに紹介する。

 同協会は「国内外に平和の尊さ、戦争の悲惨を発信する拠点、戦争を知らない若い世代へ語り継ぐ場としたい」としている。

 建設資金は主に募金でまかなう予定で、目標は2億5000万円。景気低迷のなか現時点でめどが立っているのは3000万円程度だが、県や国、全国の市町村のほか、政財界、教育界など幅広くその主旨や意義を伝え、協力を求める予定。準備会の寺沢秀文事務局長(55)は「大事なのは、目標額を集めることではなく記念館を建設すること。来春まで募金活動を行ったうえでその時点で集まった金額の範囲内でまず建設を進めて開館に全力を挙げる。その後も募金などを並行して進め、集まった部分で増築に取り組みたい」と話している。

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