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2009年3月8日(日)「フジテレビ30年史」制作秘話B〜素材探しの旅〜

「フジテレビ30年史」の素材探しは、失われた宝物を探す発掘調査のようなものでした。会社の編成資料部には、宝物がほとんど残っていなかったのです。僕はインディ・ジョーンズになったような感じで、失われた古き素材探しの旅を続けたのです。

ADにとって「ありませんでした」という言葉は言ってはならない言葉でしたが、僕は横澤彪ゼネラルプロデューサーや小畑芳和ディレクターにリクエストされた開局から10年ぐらいの番組の映像は「ありませんでした」と報告するしかなかったのです。すると横澤さんは、「個人的にキネコで録画しているものを持っている人がいるはずだ」とおっしゃいました。それで僕はキネコで録画されたものを探すことにしました。

キネコとは、ブラウン管に映った映像を16ミリフィルムで撮影するという録画方法です。テレビ本放送が始まった頃の唯一の録画手段です。したがって、映写機を持っている人にしか再生できなかったわけです。開局当時はキネコを欲しがる出演者にあげていたとも聞きました。僕は横澤さんから映写機を持っていたらしき人の名前を何人か挙げてもらい、聞き込み調査をしました。その結果、開局当時から生放送で時事ネタをコントにしてクレイジーキャッツが演じていた「おとなの漫画」というミニ番組が何本か見つかりました。確かハナ肇さんが個人的に持っていたキネコを借りたという記憶があります。また、どこで見つけたか忘れましたが、あの長寿番組「素人民謡名人戦」のモノクロ放送の同録がキネコで一本だけ残っていました。ホント貴重な映像を発見しました!

さらに僕の古い素材探しの旅は続きました。開局から数年経つと家庭用のオープンリール式モノクロVTRが発売されたそうです。1/2インチとも呼ばれていましたが、かなり高価な超贅沢品でした。横澤さん人脈の中で、それを持っていたらしき人にやはり電話して聞きました。そしてオープンリールビデオを持っている人の家におじゃまして番組の映像が残っていないか探しました。

フジテレビOBの千秋與四夫さんと結婚した畠山みどりさんの家にもその機械はあったのですが、割りと御自分の出演シーンを中心に録られていてなかなか番組丸ごとを録画しているものはありませんでした。「ちびっこのどじまん」「歌のスターパレード」などです。ごく短い時間でしたが「お昼のゴールデンショー」らしきものが映っているのを見つけた時は、砂金の中から金を見つけ出したような気分になりました。また、我々が欲しかった「ピンポンパン体操」をやっていた頃の「ママとあそぼう!ピンポンパン」は、出演者でもあり保護司をやっていた新兵ちゃんこと坂本新兵さんが録画していました。それでも長い時間の放送に耐え得る録画状況ではありませんでした。僕は行っていませんが、塚田茂さんのお宅からは「拝啓チャップリン様コント55号只今参上」(昭和46年2月18日放送)という番組のテープが見つかりました。これらのテープはイマジカに1台だけ残っていたオープンリールビデオデッキから1インチテープにダビングしました。

「失われた10年」以降でも生放送のオンエア同録は、編成資料部にほとんど保存されていませんでした。昭和40年5月1日から放送されて長く続いたワイドショーの「小川宏ショー」は、スタッフルームの片隅に放置されていた通称弁当箱と呼ばれていた3/4インチテープの中に偶然オンエア同録されているのを見つけました。そんなに古くない「笑ってる場合ですよ」ですら記念回ぐらいしか1インチのオンエア同録を残していませんでした。バラエティでも生放送の同録は家庭用のβテープにしか残していなかったのです。ただ、「笑っていいとも!」のディレクターで、横澤班で長くADをやっていた星野淳一郎さんの昔の資料を入れたダンボールから「笑ってる場合ですよ」「お笑い君こそスターだ」をまとめた1インチテープがどっさり出て来ました。これには売れる前のダウンタウン山田邦子さんなどが出演していましたし、今はバラエティ制作センター室長の水口昌彦さんも出て勝ち抜いていました。これも星野さんが残しておいてくれた貴重な映像でした。

八木治郎さん司会の「万国びっくりショー」は、河田町の本社ビルの近くにあったフジサンケイリビングの地下の倉庫に埃をかぶっていた2インチテープの中に見つけました。今思えば、脳天やしの実割り男(インドネシア)・火を喰う女(香港)などの世界のびっくり人間が毎週出演できたことはすごいことだと思います。僕ならキャスティングできませんとサジを投げそうです。

ここにはもう一つ宝物が眠っていました。露木茂アナウンサーの若い頃の姿が映っている「モーレツ欲張りゲーム」というモノクロ映像の番組を1本だけ偶然にも発見したのです! 昭和44年7月20日放送で、どこかのホールから公開放送していました。♪欲張ることはすばらしい〜という歌に乗ってスタートしていました。僕の中では思いがけなく発掘した最大の掘り出し物でした。収録の時に本人に内緒でビデオを見せた時の露木さんの驚いた顔は、今でも鮮明に覚えています。こんな時に素材探しの辛さがいっぺんに吹っ飛ぶのです。(つづく)

コメント

はじめまして(^_^)初めて書き込みさせて頂きます。清水様のお書きになる文章はいつも楽しく癒されますね(*^_^*)、同時に製作者の皆様方の御苦労や努力も伺え大変勉強になります!先日のフジテレビ開局50周年の特番もとても楽しく充実していましたね(^_^)改めてフジテレビ様の開局50周年を心よりお祝い申し上げます!(^O^)私は゛昭和のフジテレビ゛様が大好きで「三匹の侍」「若者たち」等の名作が昨年よりDVD化されとても嬉しく思っております!そこで改めてお伺いしたいのですが、私は「小川宏ショー」の大ファンなのですが、映像はどれくらい保存されているのでしょうか?昭和40年〜57年まで確か4451回も放送された名番組ですし、色々な感動的名場面が思い出されます!石原裕次郎さんや田中角栄総理等、素晴らしい豪華なゲストの方々が毎朝のように御出演されていましたし、政治や社会問題の優れたスクープ、「初恋談義」等の楽しいコーナー、障害や病気で苦しむ方々の実態を取り上げた良質なリポート等、小川さんや露木茂さんの暖かい司会ぶりが大好きでした!(^O^)近年、美空ひばりさんがゲスト出演された回がDVD化されたり、横田めぐみさんの御両親が「家出人公開捜査コーナー」に御出演された回の一部映像がドキュメンタリー映画に使用されたりしており、とても気になっております!清水様が先日お書きになった、かつての「30周年特番」の製作に当たり色々な映像発掘に御苦労されたお話に感動したのですが、画質の悪いβ等、家庭用ビデオやキネコ等も含めて保存されている物の情報について、恐れ入りますが清水様が御存知じの範囲で御教示頂ければ幸いです(*^_^*)因みに私は「小川宏ショー」の一部台本も所有しております!では、これからも、楽しいページを続けて下さい! フジテレビファン・巽より
まさに宝探しですね!
やっぱり苦労した分だけイイ番組できるんですね〜

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プロフィール

       清水 淳司
1984年4月1日、フジテレビジョン入社。以来第二制作部12年、FCC7年と主にバラエティ畑を歩む。「いただきます」「笑っていいとも!」「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」「うれしたのし大好き」「ポンキッキーズ〜爆チュー問題」などを担当。現在は美術制作局美術センター勤務で「ミュージックフェア21」「あっぱれさんま大教授」などの美術プロデューサー。大分県出身

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