江戸後期に日本人として初めて米国に渡ったジョン万次郎(中浜万次郎)ゆかりの米国の住宅が、日本の浄財で修復されホイットフィールド・万次郎友好記念館として開館した。
土佐中ノ浜(高知県土佐清水市)の漁師だった万次郎は一八四一年、無人島に漂着していたところを捕鯨船のホイットフィールド船長に救われた。記念館は船長の旧宅で、マサチューセッツ州フェアへーブンにある。
百六十年以上がたち、住む人もなく荒れた状態で売りに出されていたのを知った聖路加国際病院の日野原重明理事長らが、買い取りと修復のため一億一千万円の募金を集めた。
少年だった万次郎は、船長にわが子のように愛され、この家から学校に通い、測量術や航海・造船学などを身につけた。鎖国下の日本に帰国しペリー来航時の通訳などとして活躍した。船長は日本近代化の恩人といえよう。
岡山とも無縁ではない。長男の中浜東一郎は父から英語を学んで医学を修め岡山県医学校教授を務めた。倉敷の医師が発見した肝臓ジストマの再確認などの業績を挙げた。
友好記念館は地元の役場に寄贈された。今度は米国への恩返しだ。日野原さんは記念式典で「日米友好のシンボルとなることを期待する」とあいさつした。草の根交流の拠点として役立ってほしい。