2009年5月12日8時0分
11日夜、東京都内のホテルにある中華料理店。辞任表明の記者会見を終えた小沢代表は親しい議員らと会食した。
議員 「(国民にアピールする)せっかくのチャンスなんだから、代表選(の運動期間)を引っ張ったらどうか」
小沢氏 「いや、幹事長と話したんだ。すぐに1週間で決める」
辞任を決断するに至るまでの相談相手は、鳩山由紀夫幹事長だった。
大型連休まっただ中の5月初め、2人はひそかに会談を重ねた。まず2日。酒を酌み交わしながらだった。
「党首討論とか、車座集会とか、説明責任が足りないと国民が言っているから、そこをぜひクリアしてほしい」
そう求めた鳩山氏への小沢氏の返事は「よしわかった。やろうじゃないか」。続投意欲をまだ見せていた。
続けるべきか、身を引くべきか――。小沢氏は揺れ動いていた。6月には、西松建設側の被告の初公判が開かれる見通しだ。大型連休に入っても捜査終結の見通しが立たない。総選挙は刻々と近づき、党内からの辞任を求める声が足元を揺さぶっていた。
小沢氏は3日、再び鳩山氏を呼び出し、思い直したようにこう告げた。
「やはりここは、身を引く方が国のためになるのではないか。党の結束をつくるために、自分としてはやはり引いた方がいい」
6日、鳩山氏が率いる党内グループの懇親会が長野県軽井沢町で行われた。しかし、出席予定だった小沢氏の姿はなかった。鳩山氏はその場で進退問題について、自信ありげにこう言い切った。
「執行部に任せてほしい」
鳩山氏は3日の段階で、小沢氏を慰留していた。だが、10日に改めて小沢氏から辞意を伝えられると、もう引き留めようとはしなかった。