各地で集落が統合され、規模が大きくなってくると、人々の間で分業が始まる。
一人の人間や家族が、必要なあらゆるものを自ら耕作し、制作するのは困難である。それよりも一つの物を作り続けて、余った分を必要なものと交換した方が効率がいい。そこで農民や職人といいった分業がはじまるのである。
また、他の地域の集落も大きくなってくると、いつ大規模な部隊で襲撃してくるかわからないので、それにそなえて、常に戦争の準備をしておかなければ対抗することができず、そのための専従の兵士が必要になる。兵士という一種の分業職種が発生する。
兵士は生産をしないから、その分は社会全体でまかなうほかない。そのためには、年貢や税金を集めて、兵士に配分したり、武器をつくったりしなければならず、その手配のために多くの事務作業が必要になる。そのための公務員・官僚という分業も必要になる。
兵士や官僚を束ねて、農民や職人の生産活動ができるように、全体を指揮するリーダーも分業の一種である。
武器をもっている兵士や、社会を維持する官僚、それを監督するリーダーは、生産をせず、農民・職人からの年貢・税金で生活している。年貢・税金を強制できる武力や権限を持っているので、農民・職人よりも豊かな生活ができる可能性が高い。 富を奪われる側よりは、奪う側のほうが楽に生活ができるのであれば、自分の家族・子孫もできるだけ楽な環境に置きたいとおもうのは自然な発想である。すでに権力を持っている者は、その権力を使って、自分の子供に地位と権力を譲渡したことだろう。
一方で権力を持たない領民は、そのようなことはできないから、領民の子に生まれたものは、そのまま領民として一生を暮すほかないだろう。すなわち社会の中に「階層」が発生したことになる。古代社会で権力と武力をもち、地域を支配した人々を日本の場合は「豪族」と呼ぶ。中世日本なら「殿様・武士」、中世ヨーロッパであれば「王様・貴族」といったところである。
豪族や、各地の王が、引き続き近隣の地域と合従連衡を繰り返し、規模が大きくなり王の権限が大きくなってくると、「専制君主」が発生する。支配するのも、もはや集落や地域でなく、領土と領民と軍と官僚と貴族を完備した「国家」である。
専制君主の権限は強大で、国家を管理するためのすべての法は、王の命令として発令された、法を作るのも、適用するかどうかも、廃止するのも、人を裁くのも、裁判をするしないも、刑罰の内容も、すべて王様の気分次第である。「我は国家なり」と宣言したのはフランスのルイ14世だが、まさに君主が国家の全てで、君主が法の全てだった。