テレビ「タイム・トラベラー」のこと
NHK青少年部ディレクター(当時) 佐藤和哉氏著
※この文章は、鶴書房盛光社刊「続・時をかける少女」(石山透著・昭和48年)のあとがきより転載させていただきました。現時点においては鶴書房盛光社殿および佐藤和哉氏に連絡の手段を得ないため、無断の転載となっていますが、連絡がついた場合は、謝罪のうえ転載の了解を得る次第ですのでご了承ください。
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私(佐藤和哉氏)が筒井康隆さんの原作「時をかける少女」をテレビ化するという企画に出会ったのは、46年の夏の終わりでした。SFらしくない日常的なドラマの設定と、巧妙なサスペンスの構成をもったこの原作は、だれにでも親しみやすく、テレビ向けであると思いました。 テレビ化の許可をいただくために、当時渋谷の放送センターの近くに住んでおられた筒井さんのお宅に、ある夕方伺いますと、起きたばかりらしくまだ眠そうな様子の筒井さんは、「時をかける少女」には是非可愛い少女を配役してほしいということを強調していました。 さて、脚色をお願いした石山透さんという人(この続・時をかける少女の作者でもある)ですが、実は大変からだの大きな人なのです。背は1メートル80センチほどもあり、ジョン・ウェインのようにたくましく、いつもジーパンをはいているのです。何日も徹夜して仕事をしても平気なほど大変な体力の持ち主で、それもそのはず、食事をするのに一軒の店ではすまなくて、何軒もたべて歩くくらいです。しかし優しい目をしていつも低い声で話します。ちょうど象のような人です。この石山さんが「タイム・トラベラー」という題をつけて、脚本を書き上げました。それから配役をきめなければなりません。百人以上の中学生や高校生の人たちと面談しましたが、一番最初に会ったグループの中に大きな目をした可愛らしい中学三年の少女がいました。それが芳山和子を演ずることになった島田淳子さんでした。ところがケン・ソゴルの方は七百年後の未来人ということなのでなかなか未来人らしい少年が見つからず、とうとうリハーサルのはじまる一週間前になって、もうこれ以上は待てないというある日、冷ややかな風貌と現代的なスタイルの青年がやってきました。これが木下清さんで一目見たとたんにその場でOKになりました。こうして最初のタイム・トラベラーの制作にはいりました。 番組の冒頭で奇怪な物語が語られます。まずドアが開いて薄暗い空間の中に男が一人すわっている。老人なのか若者なのかどんな顔をしているのかもよく分からない。話が終わると幻想的な音楽が始まる。こうしてテレビをみている人たちを不思議な気持ちにさせ異常な世界へ引きずりこんでしまうという意図でした。この音楽を作曲した人は高井達雄さんという名前の通り背の高いのっぽの人ですが、電車に乗りながらこの曲を考えついたのだそうです。この特色のあるメロディは、ハープシコードというピアノの先祖にあたるヨーロッパの古い楽器と、インディアンが使うという口の中に入れてビュンビュンと鳴らす奇妙な楽器で演奏され、不思議な雰囲気をかもしだしていました。 この「タイムトラベラー」の中で特に苦労したのは、芳山和子がタイムリープ(時間を跳びこえること)する時の映像表現です。みている人がアッと驚くようでなければ、時間をとぶという不思議なおもしろさとはなりません。まず平常の和子の顔が突然溶けるように黒くなってゆき、それから暗黒の中へバラバラになって吸いこまれ消えてゆく。顔が溶けていったり、暗黒へ吸いこまれていくのは誰でも気味悪いものです。その気味悪さを利用してショッキングなタイムリープとなりました。テレビジョンの特殊効果で、画面の中のある特定の色だけを消して黒くしてしまうことが出来ます。この場合は赤の色を消すことにしました。赤の色が消えるように電気的なしかけをしておいて、和子がタイムリープする時に赤い照明を和子にあてると、赤の光に染まった部分(特に顔は赤に近いからよく染まる。服装は黒に近い紺なので赤に染まりにくい)が黒く消えてゆきます。これは簡単でしたが、暗黒の中へ小さくなって吸いこまれていくのをみせるには大変な苦労をしました。芳山和子をスタジオの天井からピアノ線で吊りスタジオの中をまっ暗にします。カメラが和子の近くの位置からずうっとスタジオの隅までさがっていきます。そうすると、和子の方が遠く小さくなっていくようにみえるわけです。それだけではつまらないから、カメラを逆さにしたり(和子が逆さにうつる)斜めにしたり(和子が斜めにうつる)して、同じように近くから遠くへカメラが移動しながら撮影する。それを何度も繰り返して収録します。そのあとで逆さのものや斜めのものなどを0.3秒くらいずつの長さに分けて編集しました。すると和子は逆さになったり斜めになったりしながらずっと小さくなりつつ暗黒の中に吸いこまれてゆくようにみえます。これを収録するのにまる1日かかりましたので、芳山和子役の島田淳子さんは不幸にも一日中暗黒のスタジオの中でピアノ線に吊されていたわけです。このシーンをみた人がはがきで質問をしてきました。「芳山和子が逆さになって飛んでいくのにどうしてスカートは逆さにならないのですか?」それはカメラの方が逆さになっていたからです。 「タイムトラベラー」の放送は、1月1日からはじまり6回で終わりましたが、思いがけず強い反響があり、特に島田淳子、木下清のコンビは大変好評でしたので、同じキャストで続編を作ることになりました。それが「続タイム・トラベラー」です。あらすじは、芳山和子とケン・ソゴルが再会しいろいろな事件のあとケンは未来へ帰っていくというものです。「この二人が別れるのはかわいそうだから絶対に別れないようにしてほしい」という希望がたくさん寄せられてきましたが、やはり未来人と現代人がいっしょになるのは無理のようでした。 「続タイム・トラベラー」の演出のねらいは次のようなものです。 一.前回のタイム・トラベラーとは別のおもしろさを出すこと。 二.宇宙的なひろがりをもたせること。 三.多少現実ばなれしても、もっと未来へ眼を向けるようにすること。 四.ケンと和子はそれぞれの時代にもどらなければならない悲劇にすること。 まず前回の特徴であった導入部分(語りの部分)を変えることによって前回の印象とは異なったものにしたかったことと、宇宙的なイメージを強くするために、映像も広大な宇宙が生成し消滅していく姿、すなわち永遠の時間の流れを短縮してみた宇宙の姿を表現しました。音楽もそれに合った、神秘的な美しいメロディにしました。 科学者によると宇宙は膨張し、やがて縮んでいくことを繰り返すのだそうです。また消えていく宇宙もあれば新しく誕生する宇宙もある。それが無限の時間の中で繰り返されるといいます。 「時間のひずみ」というのが出てきますがみなさんはどう思いますか? 私の考えでは時間が不規則に早くなったりよどんだりする時間、ちょうど、川の流れの中にある渦巻きや滝のようなものではないかと思っています。ケン・ソゴルが27世紀の人間として27世紀の仲間たちと登場します。700年後の未来において、人間がどのような物の考え方をし、どのような文化をもっているのだろうかと想像するのは楽しいことです。恐らく我々の想像をはるかにこえたものなのでしょう。あるいはあんまり変わっていないのかもしれません。 番組では、未来人たちは一風変わった扮装をしています。未来人が額につけたマークはタイム・トラベラー(時間旅行者)の称号を与えられた人たちを意味し、ケンが眉をかくしているのはまだ成人ではなく学生であるという意味です。本当に27世紀にそのようになるかどうか、みなさんならどういう風に想像しますか? 芳山和子が最後にケンを追って時間のひずみにはいりこみ、そこでさまようインド人たちに会います。インド人たちは永遠にここから出られないのではないかと思います。時々まちがった出口をみつけて出てくるのですが(例えば島別荘にあらわれてひろみという女の子に会ってます)、自分たちが最初にはいりこんだ出口がみつからない、自分たちの時代へ脱けられないということだと思います。事実芳山和子も何度か時間のひずみにはいりこみますがなかなか自分の時間へは帰れなかった。もっとも和子はタイム・トラベラーとしての超能力をもっている間は帰れますが、ケンに記憶を消されたあとはインド人たちと同じように時間のひずみから脱け出せるかどうか分かりません。「続タイム・トラベラー」の場合は、こうしてみなさんに考えたり想像してもらう部分がたくさん残してあります。想像力の豊かなみなさんがそこから先どのように想像を進めていくか、それはあなた方次第なのです。 |
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Update: 1999/7/12