月島機械の研究所跡地をめぐる土地疑惑!

破格の安さ 十年払い 屈辱的契約
三和銀行、介在か…
取材:山本 俐、神山 一馬

 当「論談」に一通の投書が舞い込んできた。大手都市銀行の絡んだ用地買収劇の疑惑があるというのだ。それも、将来の副都心として注目の集まっているウォーターフロントと呼ばれる地域での話。まだまだすさまじいばかりの土地攻防戦が繰り広げられているようだ。

 疑惑の舞台は、月島機械株式会社(社長・黒板行二氏)が持っていた東京都中央区佃の研究所跡地。その広大な土地が不当に安く売却されているというのである。
 この売却劇は当時、新聞でも記事になっている。

『月島機械は東京都中央区の研究所跡地四千二百四十九平方メートルを売却したと発表した。売却額は百二十九億円で十年間、年間約十億円の延べ払い契約。売却先は東洋不動産(本社大阪市、社長田口達郎氏)と大同生命保険(同吹田市、社長福本栄治氏)で半分ずつの持ち分になる。』(日本経済新聞 昭和六十三年三月三十日付)

 この土地価格が高い安いかは後述するとして、月島機械から東洋不動産と大同生命がこの土地を買い取るに至った経過をたどってみよう。


突如、大株主を降りる

 そもそも月島機械の大株主は昭和六十年三月末まで、同じ機械メーカーである荏原製作所(社長・畠山清二氏)であった。同社は月島機械の発行済み株式総数の三十パーセントを所有していた。それが突如、「大株主としての責任が果たせないと。」、二十パーセント・七百万株の月島機械株を放出したのだ。
 事の始まりはここからだった。

 この「大株主の責任を果たせない。」という荏原製作所の理由も、株放出の理由としては奇怪だが、その時の三和銀行(月島機械のメインバンク)の対応が気になるのである。

 三和銀行はこのとき月島機械に対し、「三和で支援体制をとりたい。放出株は銀行、商社、損保にあてはめ、安定株として云々」と絶対支援の態度をほのめかしたのである。ところが、翌六十一年度有価証券報告書の大株主欄には、それまで一度として登場していなかった野村証券、和光証券、第一証券、東和証券の名があがってきたのである。

 それぞれの証券会社は、各五・七一、五・五一、三・六四、三・四六パーセントの月島機械株を持ち、これを合計すると、荏原製作所が放出した株とほぼ同数の二十パーセント強になるのだ。

 そもそも、証券会社名義の株式は、
  1. その証券会社の商品である。
  2. 証券内規により、決算期を迎える預かり証券は、証券会社に名義を移す。
  3. 名義貸し
  4. 自己融資
 この四つのうちのいずれかであるはずである。
 そこで、証券会社に取材してみると、すべて、2の規約にのっとって名義を書き換えたという答えが返ってきた。

 しかし、月島機械は、それまで無配だったのが、昭和六十一年度には三円の復配を果たしている。この三円の復配にも関わらず、約七百万株の名義が全く書き換えられないのも不思議な話なのだ。この点を突き詰めていくと、名義貸しが行なわれたのではないかという疑いが浮かび上がってくる。

 もちろん、この名義貸しは証券会社で厳しく規制されている。買い占めなどへの関与を防ぐために大蔵省の通達でも禁止されていることなのである。
 それにも関わらず、疑わしい株の操作が行なわれた形跡が見え隠れするのだ。しかも、ここに関わる証券会社のうち、東和証券は三和系の証券会社であり、放出株がうまく分散され、大株主の一員となっていることもできすぎといえよう。

 なぜこのような事態になったのか。
 おそらく、荏原製作所は、大株主としての株の放出にあたって、一般株主に名義を換えるのをよしとせず、とりあえずどこかの証券会社の名義とし、それから市場に放出することにしたのであろう。これは、大株主という社会的な立場、メンツを考え、体面を重んじた結果に違いない。

 問題はここからである。
 昭和六十二年三月三十日、一九・八四パーセントの株を持つ大株主として、突如『太平光洋氏』なる人物が浮上してきたのである。
 実は、太平氏は昭和六十一年九月あたりから、同社の株式を大量に取得していることがわかっていた。

 この動きに月島機械側としても、太平氏と必死にコンタクトをとって、その真意を確認しようとしていたのである。しかし、太平氏は「多忙」を理由にコンタクトに応じようとしなかった。太平氏が、はたしてどのようにして月島機械の株を増やしたのか、またその資金がどこから出たものなのかはわからない。しかし、とにかく彼は大株主になったにも関わらず月島機械に対して、何の要求もなくその真意がわからない状態が続いていた。

 そのため、様々な憶測もとんでいたのだが、月島機械側の再三の要請で、太平氏がやっと月島機械の黒板社長、寄木正敏副社長の前に姿を現わしたのは、昭和六十二年の三月中旬のことだった。

 この太平光洋氏なる人物は、それまで全く株の世界に登場したことはない。
 昭和三十三年、早稲田大学第一法学部を卒業。七、八年前にゼネラル石油を退職、現在は千葉県にある国際武道大学の理事をしている。株の買い占めなどと何の関連性も見出せない人物で、これまで証券界では名前すら知られていなかった。

 さて、ここで気をつけたいのは、太平氏が所有した株数である。十九・八四パーセントという数字は、荏原製作所が放出した株数にほぼ匹散する。また、同時にこの時期には、前述した証券会社四社が、月島機械の株主名簿から姿をけしているのだ。

 これらをあわせ見ても、太平氏が、その株を市場で買ったものであれ、どうであれ、荏原製作所の放出した月島機械株が、証券会社を経由して、そのまますっかり太平氏のもとに渡ったと考えられるのである。


「メインバンクに裏切られた!」

 つまり、メインバンクである三和銀行は、安定株主工作の約束をしながら、その言葉とは裏腹に何の手段も講じなかったわけである。
 そもそも、企業にとって大株主が変わることは、大問題である。月島機械にとっては、まさに青天の霹靂といっていい事態、メインバンクに裏切られたようなものである。

 さて、事態はさらに進行していった。今度は、それから約半年後の九月三十日、今度は、太平氏所有の月島機械株が、東洋不動産、大同生命に買い取られたのだ。いわば、株の肩代わりである。

 太平氏は、月島機械の経営陣と会って以来、大株主として、月島機械に「自分を含めて二人の役員をいれて欲しい。」「月島機械の研究所を売却して欲しい。」と申し入れていたが、会社側が「それはできない。」と断わると、スンナリ引き下がっていた。それが、突然の株の譲渡となったのだ。当然、月島機械側としても、買い占めによるゴタゴタを予想していただけに意外な展開だったといえよう。

 それがなんの混乱もなく、東洋不動産、大同生命が肩代わりしたのである。一株あたり、約千百円、総額七十億円という金が動いたにも関わらずである。

 買い占め屋に企業が迎合することが、多くの社会問題を生んでいる昨今、月島機械株の二十パーセント弱を持たれたからといって、それを東洋不動産、大同生命が肩代わりするというのもおかしな話である。過半数を占めるというのならまだしも、二十パーセント弱だ。なにゆえにあたふたと肩代わりする必要があったのか。

 そして、その時点で、三和銀行系で占める月島機械の株式は、遂に三十六パーセントになった。荏原製作所の大株主支配の体制から、三和銀行グループ支配の体制に切り替わったわけである。
 ここで忘れてならないのは、荏原製作所の株放出がなければ、三和グループの支配は、株数的には不可能であったということだ。そして、おもしろいことには、荏原製作所のメインバンクもまた、三和銀行なのである。


「破格の安さ」

 さて、問題の土地の買収が行なわれたのは、さらに半年後の昭和六十三年三月末のことである。登記簿謄本を調べても、三月二十八日に名義変更がなされていることが確認できる。

 これが、月島機械研究所跡地の土地売却の推移である。
 この土地売却劇の中で、三和銀行は果たして、どのような役割を果たしたのだろうか。
 中央区役所月島出張所で土地公示価格を調べてみた。その結果、問題の土地の公示価格は、昭和六十二年現在で、千三百五十万円であることがわかった。

「いまでは、千五百万円ぐらいでしょうね。」と、これは、職員の証言である。
 そのほか、大手不動産会社二社にも、問題の土地の鑑定依頼をした。その結果、「国土法の指導価格でも、申請すれば坪二千万円以上でしょう。少なくとも、実勢価格は、坪千五百万円は下らない。あれだけまとまれば、二千万円を下らない。」 ということであった。

 土地が公示価格どおりに売買されるはずがないことは常識だ。当然、売買の際の取引価格は、それを上回るはずである。
 少なく千五百万円と見積もっても、千二百坪で百八十億円。三和グループは、六十億円も安く買っているのだ。

 この疑問点を月島機械にぶつけてみた。すると、こんな答えが返ってきた。
「適正価格であろうと信じています」(岡本総務部長)

 会社の資産運用には、大きな責任が伴うことは当然である。この六十億円という額は、価値基準の多少の違いを考えても大きすぎるものである。少なくとも、東洋不動産、大同生命は、破格の安値で土地を手に入れたことは間違いない。

 三和銀行は都市銀行の中で最も東京における支店の数が少なく、東京での支店拡充が、大きな願望になっている。そして、今後、ウォーターフロントの拠点入口ともいえるこの土地は喉から手が出るほど欲しいのである。

 今年、六月には、有楽町線の「月島」駅が問題の土地のすぐ目の前に開通。さらに、背後には大川端リバーシティがひかえている。まさしく、銀行の立地条件が揃っているのだ。

 当然、各銀行もウォーターフロント開発を予期して、用地の確保に躍起になっている。すでに大手都市銀行のうち数行は、用地の確保を済ましているという話もある。三和銀行としても、こうした動きにおくれをとるわけにはいかないのだ。

 現在問題の土地に足を運ぶと、研究所跡地に隣接して、すでに三和銀行の出張所が建てられている。この三十坪の土地は、月島機械の所有する土地である。
 平屋のバラックながら、土地買収と並行して建てられたもので、いずれはこの土地に、支店を建てようという三和銀行の思惑を如実に現わすものであるといえるのだ。

 こう考えていくと、この一連土地買収劇は、まさしく三和銀行の東京拠点確立という一つの目的に向かって動いていることが浮かび上がってくる。
 荏原製作所の月島機械株の放出から、用地確保までが、すべて一本の筋が通ってくるのだ。まさに、出来レースと疑われてもやむを得ない構図が出来上がっているのである。

 判り易く図式してみると、別掲の図のようになるのである。
 ここで現われてくる東和証券は、三和系の証券会社であり、東洋不動産も、三和の不動産部門を取り扱う関連会社である。(現社長は元三和銀行副頭取である)また、大同生命も三和系の生命保険会社なのである。すなわち、土地買収劇において、最終的に顔を揃えたのは、総て三和銀行グループという結果になっているわけである。

 ふりかえってみると、昭和六十二年に太平光洋氏が突然姿を現わしたときに、彼は、「月島機械が所有する不動産には興味を持っている。」
「月島機械には不動産を売却する考えはないのか。」
 当時は、今ひとつ目的のはっきりしない月島機械株の買い占めが、今になってみると、太平氏自身、非常に正直に発言していたことになる。

 しかしそれにしても、この件に見られる三和銀行のなりふりかまわぬ土地買収は、まさに地上げ屋も顔負けの用意周到ぶりである。
 この件を直接、三和銀行に問いただしたが、

「確かに5、6年前から、その土地の売却を申し入れていたことは確かである。」
と認めたうえで、
「しかしながら、いわれているような一連の関連性に関しては、三和銀行は一切関知していない。」
という返事が返ってきたのである。

 もとより、関知していると答えるはずもないのだが、少なくとも問題の土地にすくなからぬ関心を示していたことはわかる。

 しかし、「私どもは関係ない」とかたくなな姿勢を保ちながらも、すでに隣接した土地に出張所を開設していることを指摘しつつ、
「それでは、将来、月島機械研究所の跡地に三和銀行の支店を作ることはありえないのか」と質問すると、次のような言葉が返ってきた。

「今から、三年間はありえない。将来は、付近の開発状況を見ながら答えたい。」

 つまり、全く関与していないにも関わらず、その土地の将来性に関してはある程度の見極めもつけており、今後も関知しないと明言することはあくまでも避けるのである。
 こうした三和銀行の言動をみて、“まず、土地ありき。土地さえ確保すればあとはなんとでもなる。”という姿勢を感じるのは、うがちすぎであろうか。

 ところで、三和銀行ばかりではなく、月島機械側にも問題があろう。
 これまで述べてきたような形での土地売却を余儀なくされ、しかも十年間の延べ払いという屈辱的な契約をしなければならなかったことに関して、月島機械はなんと答えるのであろうか。
 土地の価格から推定しても、この売却で六十億円の損害があったといってもいいはずである。


(月島)取締役背任行為の疑い!!

 商法二百六十条では『重要ナル財産ノ処分及譲渡』に関しては、取締役会の専決事項であると決められている。当然、月島機械の総ての役員が周知していたはずである。それにも関わらず六十億円もの損害を出しているのは、会社財産に著しい損害を与えているとはいえないだろうか。

 さらに、もう少し厳しい言い方をすれば、取締役の職務執行における背任行為ととられかねない事態なのであるまいか。  なぜ、売却にあたり、より高く、少なくとも、実勢価格に近い金額での売却を模索しなかったのだろうか。

 事実、取材の中で、
「私どももあの土地に対しては、土地売却の話を持ちかけたことがあるんですよ。その時は、百二十九億円という今回の取引額より、遙かに高い額を提示したんですがねぇ。」
という証言も飛び出しているのだ。

 この一連の土地買収劇の裏に凄まじいばかりの銀行の進出願望があったのではないかということは前述したとおりであるが、いわゆる大株主から放出された株式について、なにゆえ証券会社が名義人として登場してきたのか、あらためて考えてみたい。

 月島機械の代表取締役副社長である寄木氏は、三和銀行の元常務である。そして、この件で登場してくる東洋不動産、荏原製作所、大同生命などすべて三和銀行と深い繋がりを持っている。ただひとり太平光洋氏だけが、三和銀行との関係が解明されていないのだ。

 ここで次のような推論が成り立ってくるのではなかろうか。
 もともと荏原製作所が月島機械を放出しないかぎり、今回の三和銀行グループの月島機械支配はありえなかった。

 そこでまず、三和銀行から荏原製作所に対して、なんとか月島機械の二十パーセントの株を放出してくれないかという相談があったのではあるまいか。当然、荏原製作所はこのときを月島機械に報告したはずである。そして、三和銀行の安定株主工作のこともきかされ、月島機械としても、それならばと納得したのではなかろうか。

 ところがここに、太平氏が登場してくるのである。彼が買い占め屋として名を連ねたのは、今回が初めてのことであるが、この一回限りで消えてしまうのではないかと思われる。……それはさておき、安定株主工作を信じていた月島機械にとって、太平氏の出現は非常に当惑する事態だったことは間違いない。

 ところが、その困った事態を三和銀行系の不動産会社、生保会社がスンナリと肩代わりしてくれたわけである。これが、今回の不可解な土地買収劇の原因なのではあるまいか。

 しかし、ここで考えたいのは、もし、突然現われて株を買い占めた太平氏が三和銀行と組んでいる存在だったら……ということである。
 もし、この仮説が成り立つならば、買収劇のすべてのシナリオが三和銀行の土地買収、ウォーターフロントの拠点確保という一点のうえに描かれていたということになるのである。

 ちなみに、この土地の売却にかかった坪一千万円・合計百二十九億円と太平氏の買い占めた株を三和グループの東洋不動産を大同生命が肩代わりした費用の七十億円をプラスすると、大手の不動産会社が当会の取材に対して鑑定した問題の土地の実勢価格に匹散する額になるというおもしろい数字の一致が見られるのだ。

 この流れの中に、三和銀行はただの一度も表立ってその名を登場させていない。あくまでも、知らぬ間に事態が、現在の状況に推移していったと言い逃れられる状況にあることは確かである。

 そこで、これまで述べてきたような“状況証拠”に対して、三和銀行は何といって反論してくるのであろうか。

 又、月島機械役員は会社財産を著しく侵害せしめた行為にどの様な反論をするのか!
 それとも隠された何かがあるのだろうか。(裏金工作?)今は亡き政財界のお目付役今里広記氏が月島機械の役員として六十年五月まで在籍していた。(現社長黒板氏の縁籍関係にあたる。)
 一連の動きが今里氏没後に始まったのもこれも偶然の一致であろうか。……。(山本)