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【コラム】祝福の歴史と怨念の歴史(下)

 三笠公園から海岸線に沿って北上すると、米海軍第7艦隊の施設がある横須賀港がある。ここに同艦隊が駐留することになったのは、太平洋戦争で日本が降伏した直後、占領軍がここに上陸してからのことだ。日本の敗戦に伴う占領の始まりだった。だが、「閉ざされた国」だった日本を「開かれた国」に変え、経済大国へと導いたその結果は、ペリーの上陸と同じだった。

 「日本は歴史をどう受け止めているのるか」という疑問は、さらに海岸線を北上したところにある横浜の今の風景を見て、完全に解くことができる。横浜は1945年、米軍の空襲によって焼け野原になった後、日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が置かれたところだ。

 その横浜が今年、開港から150周年を迎えた。来月の記念式典を前に、記念行事が盛んに行われている。「開港」といえば「侵略」を思い浮かべるような暗いイメージはそこにはない。開港によるデメリットを改革によって克服し、対外的な開放をてこにして強国にのし上がった、歴史上の「勝ち組」が演じる爽快なイメージがそこにはあった。

 韓国はどんな気持ちで「開港」を受け止めているのか。6年前に仁川港の開港から120周年を迎えた際、開港記念塔を取り壊した。「苦痛の時代を終わらせる」という名目で、1世紀以上もの間克服できなかった被害者的な歴史認識を表した行動だった。こんな姿勢では、24年後に開港150周年を迎えるときは、開港当時の港をすべてぶち壊すのではないかと予想しない人がどこにいるだろうか。もちろん、こんな気持ちでは、開港を強要した日本に国力で追いつき、開港150周年を祝うことなどはできないだろう。

 「祝福の歴史」と「怨念の歴史」は祖先が作った過去ではなく、現代を生きるわれわれが作る現実なのだ。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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