ロマンポルノの作り方 〜 MADE IN ROMANPORNO


白鳥あかね 
 in 記録・脚本・ヨコ師

『恋文』セットにて。看護婦役の白鳥氏(1975年)

 

その5  かおりの弔辞はキスマーク


神代映画は、音、特に俳優の声が印象的です。
『青春の蹉跌』でショーケンが「えんやっと、えんやとっと、前はうーみ、えんやととっと、えんやとっと」と繰り返すのが不思議に魅力的です。
神代監督の「つぶやき」はどこからきているのでしょう?
これも明快にあかねさんは語ります。


●神代監督はアフレコで俳優に現場とは違うセリフを言わせたりしていますね。 普通口パクが合わないと見苦しいとされますが、神代作品では会わない部分が奇妙な魅力となっています。

白鳥:そうなの。
セリフを足すとか差し替えるとかじゃなくって、クマさんまったく違うセリフでアフレコしたりする。

最初はケンカしたわよ(笑)。当たり前じゃない。

そりゃそうよ、現場であれだけ苦労してOKしたセリフと全然違うことドンドン言わせるんだもの、
スクリプターはリップシンクロ(口パク)を合わせるのが仕事なんだから、役者さんに合わせろってチェックしなきゃならないんだけど、そもそも全然違うこと言ってるんだもん口パクが合うわけがない(笑)。
合わせろって言われたって役者さんだって無理よね。

完成品見たら全然シンクロしてないから記録の能力が疑われちゃう。

私の仕事無くす気なのか、ってクマさんに言ってさんざん戦ったこともあるの。
でもあきらめちゃった(笑)。

●あの神代映画の「つぶやき」はどんなところから生まれたんでしょう。

白鳥:「つぶやき」ね。ショーケンの「つぶやき」(『青春の蹉跌』)が印象的だったから後々にみんな「つぶやき」がいいって言うんだけど、あれはごくごく初期、はじめの頃からやってた。

『恋人たちは濡れた』は73年くらいでクマさん3本目か4本目でしょ。そこでもうやってたから。『青春の蹉跌』のショーケンでつぶやきの完成というか白眉じゃないかと思うけど。

あの「えんやとっと、えんやとっと」ね。

あの「つぶやき」は私は神代さん自身の投影だと思う。

岡田裕(プロデューサー)は自分がファナティックな人間じゃないから映画は撮れないっていったけれど、クマさん自身は実は物凄く冷静な人なのね。

批評家精神とかそんな部分を沢山持っていた人だった。

(手を目の横につけて)こういう(回りが見えないで前しか見えないような)風になるタイプの人じゃなかった。


名キャメラマン、姫田真左久と共に

現場で映画を熱中して撮りながら、その一方ではいつも醒めた目で見てるのね。
その醒めて目で見ていることが、あの「つぶやき」の表現になっているんだと思うの。

だから「つぶやき」はそんなクマさんの自己投影だと思う。

●神代作品の常連の絵沢萠子さんは、「神代監督は怖い人だった」と語っています。
女優さんにとても好かれて、とにかく優しいと殆どの女優さんが語っている一方で、「冷たい」「怖い」とごく一部の女優さんが語っているのもそのためでしょうか。
(註:「季刊・映画芸術」NO.376・1995夏号では『追悼・神代辰巳』特集を組んでいます。
白鳥さんの司会により常連女優が座談会を行っていて、神代監督の現場を知る上で大変有益な資料となっていますので興味のあるかたは参照ください)


『四畳半襖の裏張り』宮下順子と。闘いの笑顔。

白鳥:クマさんは本当に優しい人だったけど、クマさんと現場で本気で向き合っていた女優は絶対に怖いと思う。

特に、例えば宮下順子。

彼女なんかは精神的にクマさんと張り合っていた。
もうクマさんにベタ惚れでクマさんのおっしゃる通りにいたします、ってタイプじゃないから。
私は役者よって自負を持っていたから、クマさんを信頼しながらその一方では張り合っているのね。
おっしゃるとおりにします、じゃクマさんの映画で女優は出来ないから。

だからあれだけのいい芝居が出来たんでしょうね。
その点では絵沢萠子にしても同じよね。

中川梨絵なんかクマさんのお葬式でね、彼女遅れて最後の方にやってきたのよ。
お焼香してそばに来たから、「あんた、クマさんに何て言ってきたの」って訊いたら、


『恋人たちは濡れた』より。中川梨絵と。

 

「私は生まれ変わっても2度と神代さんの映画には出ません!」て言ってきたって(笑)。

わざわざそれ言いに来たって。梨絵らしくて思わず笑っちゃったけど、でもよく分かるわ梨絵の気持ちが。
闘いだから。現場ではね。

クマさんがモテるとか女優に優しいってみんな言うのはちょっと別のことでね、それは(桃井)かおりにしてもそう。

かおりの弔辞はキスマーク。

ショーケンはショーケンでまた長―い弔辞を書いてきてね、お葬式の朝、私に見せに来るの。どうかなって、いいじゃないっていったんだけど。そのショーケンのと、皆が書いた寄せ書きの弔辞を贈ったんだけど、かおりはキスマークだった。

ロッポニカ第一作、『噛む女』より

私はクマさんとはいつか別れなきゃならないって思ってたけど、もうずうっと、だってクマさん助監督の時から一緒にいて一種の兄貴みたいなもんだったから、
親もそうでしょいつかは別れなきゃならないけどその日は出来るだけ来ない方がいいって、クマさんにもずうっとそう思ってた。

病院でね、クマさんの亡くなった顔を見て、「クマさん良かったね、楽になったね」って最後に声をかけた。
お葬式のことで忙しかったからその後はもうしみじみする機会も無くってね。
少し何ヶ月か経ってから奥田瑛二が何かの賞をもらってそのパーティをやったのね。神代監督を偲ぶ会みたいに一緒にしてやったんだけど、皆帰って最後に いつの間にかクマさんの所縁の会になって、その時にはじめてしみじみとして不覚にも泣いてしまった…。

でもね、亡くなってからこれだけ評価されるとは思わなかった。

それは凄い人だとはずっと思ってたけど、ロマンポルノは成人映画っていうこともあったし、蔵原(惟繕)さん(註:松竹京都に神代辰巳と同期入社する。後、日活に移籍。『執炎』では神代がチーフ助監督を務める。先日亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。)が紫綬褒章だかの賞を貰ったときに、
「俺には来ねえだろうなあ」って自分でもそんな風に言ってた。


蔵原惟繕

どこかでやっぱり賞は欲しい気があっただろうし。
でも晩年『棒の哀しみ』で沢山賞を貰ってたでしょ。本当に良かったなあって思った。
相当体も悪くなってたから。
それなのにその後で伊藤秀裕(註:制作会社「エクセレント」代表。73年日活入社。『やくざ観音・情女仁義』等で神代の助監督を務める。『女教師縄地獄』等監督。『ベッドタイム・アイズ』『棒の哀しみ』を製作。神代の遺稿『男たちのかいた絵』を監督する。)のところでVシネ撮るって言い出したから、

「もういいじゃない、あれだけ賞も貰ったんだから体を直して、それからもう1回挑戦すればいいじゃない」って止めたの。
そしたら、
「なんだ、俺を粗大ゴミにするのか」って怒っちゃった。
だからもういいや、この人はもう死ぬ気なんだって思って、
「好きなようにしたら」って言ったんだけど、案の定遺作になっちゃってね。

伊藤秀裕が私に会うと、「あかねちゃんが俺を責めてるような気がする。クマさんをお前が殺したんだって責められてるような気になる」って言うんだけど、そうじゃなくってね、本人が希望してやったんだし、
その結果『インモラル』はあれだけの作品になった。
だからそれでいいのよ。私はそう思うの。


『女地獄・森は濡れた』現場より

(続く)

殺陣師(たてし)はアクションの演出をつける人、ではヨコ師とは?ロマンポルノならではの「からみ」についてのお話などなど、白鳥さんのロングトークはまだまだ続きます。