ロマンポルノの作り方 〜 MADE IN ROMANPORNO

 


白鳥あかね 
 in 記録・脚本・ヨコ師

 

 

その4 「あかね、何かないか?何かないか?」

  

砂丘で延々と馬跳びをする、3人。
女は着ているものを脱ぎ、全裸になり、馬跳びを続ける。『恋人たちは濡れた』で印象的な名シーンのテスト中、中川梨絵は芝居を止め、「なんでこんなことしなきゃいけないの?」とつぶやく。
その時、神代監督は…。

 

白鳥:クマさんは、ただ黙ってるの。

その時にね、この人は本当に凄い人だって思った。
普通の監督だったらね、とりあえずその場を収拾しようとするじゃない。進めようと。
だって陽は落ちてくるしね(笑)。ロケで来てるんだし。
でも、クマさんはシーンの説明するわけじゃなく、ただ黙ってるの。

あれはねえ、凄いと思った。
実は本当になすすべも無かったのかもしれないけどね(笑)。
腕組みしてね、じいっとしてるの。何にも言わないで。
そのクマさんの姿を見たときにね、これは私とか回りが何を言ってもムダだなって思ったの。

ロマンポルノは女優が現場で物凄くナーバスになるから、それまでも泣いて芝居が出来なくなったりすることはよくあったの。
片桐夕子がからみの芝居のときに泣いちゃったり、畑中葉子も泣いて芝居にならなかったし。
そんな時はやっぱり「女は女同士」みたいなことがあってね、私が一緒にちょっと別な所に行ってね、話をするの。
撮影を中止してね。そうすると話をしているうちに、彼たちも大丈夫になっていく。ロマンポルノではそんなことが何度もよくあったの。

でもあの時の中川梨絵はそれまでとちょっと違ったのね。無理だった、誰が何を言っても。
ホントに陽はどんどん落ちていくしね、あの時はもう情けなくって…。
中川梨絵は前バリのまんま、ぷらぷらぷーらぷーら砂浜歩いてるしね(笑)、

全裸の中川梨絵と見つめる猫背の神代監督(手前)

男優2人はもうなすすべも無くぼうっとしてるし、クマさんも何も言わない。
4人茫然としてる。誰も何にも言わない。じっと耐えていた。
その痛さ…。

その痛みが、梨絵に通じたの。
しばらくして、「やるわ」って。
確かにねそりゃそうよ。なんでこんな砂浜で真っ裸になって、3人で馬跳びしなきゃなんないの(笑)って、そりゃ思うわよね。


神代監督と中川梨絵

● 神代映画の芝居はどのように「発見」されるのでしょう。

白鳥:それはクマさんの頭の中よ。
初めから出来てて、それを現場でやるわけじゃないの。
ホンを自分で書いたって、初めから何をやればいいかは分かってないんだから。
それがクマさんの凄いところなのね。次から次に湧いてくるの。

例えば馬跳びするって台本に書いてあったとしたって、それは3回跳べばいいってことじゃないの。
3回跳んでみる、面白くねえなあっ、て思うのよあの人は。
面白くねえからどうしたらいいだろうって思うのよ。
面白くねえ、そしたらじゃあこのままずうっと跳んでいったらどうなるだろうって、そんな風に発想していくの。

神代組のスタッフは、クマさんが何か発想したら直ぐにそれをやるっていう体勢が常に出来てるのね。クマさんは最後まで、「面白くねえなあ、面白くねえなあ」って何か面白くなる手はないかってギリギリまで頑張って探すの。
撮影の現場だから時間の限りがどうしたってあるじゃない、だからある所で見切り発車して回さなきゃ(撮影しなきゃ)いけない。そのギリギリまで頑張る

● 「予定調和」ではない、ありきたりじゃない面白い事を探すわけですから、当然なかなか分からないわけですね。ギリギリまで神代監督が「面白くない」と粘っているときに隣から具体的に何か提案するわけですか

白鳥:私はクマさんが詰まって、どうしようもなくなるまでは言わないの。自分からはね。クマさんは困ってどうしようもなくなると「あかね、何かないか?」って言い出すから。

● 白鳥さんが提案するとすぐ、じゃあやってみようやってなるわけですか?

白鳥:それはすぐそうなることもあるし、「なんだつまんねえ。予定調和じゃないか」って一蹴されることもある。
『恋人たちは濡れた』で仁義を切るところがあるでしょう。
 


『四畳半襖の裏張り・しのび肌』現場の神代監督と宮下順子

問題の砂丘で馬跳びしてから、ラストシーンにいくまでに何かひとつ欲しいってクマさんが言い出したの。それはずうっと悩んでたの。
「何かないか、何かないかってね。

●砂丘で3人が馬跳びして、主人公の前で中川梨絵が恋人とからみながら、「助けてよ」と泣く。映画ではその後中川梨絵が2人に仁義を切る遊びのようなシークエンスがあって、ラストの主人公と中川が自転車に2人載りで旋廻しながら「俺だってあんたを抱きたい」と言って海へ…というあのラストシーンへ繋がって行きます。

白鳥:台本では砂丘のシーンからすぐラストの海に突っ込むシーンに繋がってるの。
クマさんとしてはラストに行くまでにどうしてももう1クッション欲しい、何かが足りないって言ってずうっと悩んでた。「何かないか、何かないか」って言われ続けてて、確かにクマさん言うとおり何かが足りないって、私自身思ってた。
一緒になって私も悩んでた。でも当たり前のこと言うとまた怒られるしね(笑)。

それで仁義を切るっていうのを提案したの。そしたら、うんいいじゃないか、じゃあ今晩書けって言われて。それでしょうがないから(笑)皆が宴会やってるのを横目にして夜、あの仁義を切るシーンを書いたのね。もっとシークエンスとしては永いシーンだったんだけど、本編ではカットされて今の完成になったんだけど。


『四畳半襖の裏張り・しのび肌』より。これも「何かないか?」から出た?

●台本の通り、砂丘から海へ繋がっても勿論話は通るし自然なのですが、そのまま流れていってしまうような気がします。
 

白鳥:そう。やっぱり足りないのよ。気持ちがつながらない。
そこに気がつくところがクマさんの凄さなのね。撮りながらそれを感じるのが。普通の人は見過ごしちゃう。
クマさんが亡くなってからね、クマさんの部屋を整理したの。かみさん(奥さん)に言われて。そしたらクマさんが撮影で使った台本が全冊残ってたの。
ここに置いておいてもいずれカビが生えてダメになっちゃう。これは貴重なものだからどこかに寄贈しましょうってクマさんのかみさんに提案したの。かみさんも賛成して川崎市の市民ミュージアムに寄贈したの。
綺麗に消毒して今保管してくれてるんだけど、『恋人たちは濡れた』の台本にあの夜、クマさんに書けっていわれて夜書いたあの仁義切るシーンが差し込みで挟んであったのね。夜書いて、朝はいってクマさんに渡して、クマさんその通りに撮ってくれた。
その差込みがそのまま台本に挟んであったのね。
それ見たら流石に泣けてきちゃってねえ…。

●神代監督は仕上げの編集でも、編集者(大抵は鈴木晄氏)に「なんかない?なんか入れるものない?」とやっていたと聞きます。自分で撮っておいて「なんかない?」というのも凄い(笑)のですが、

白鳥:そうなのよ(笑)…

そのやりとりから例えば『四条半襖の裏張り・しのび肌』のラスト、エンドマークの後に芹明香の「男と女はあれしかないんよ、バンザーイ」を繋ぐという(しかも 予算ががかる焼きまわしをしないでキープのカットを使用)編集が生まれます。
編集が次から次へあれよあれよと縦横無尽に展開していく『濡れた欲情 特出し21人』の冒頭などは台本からどの程度変わっているのでしょう。あんなある意味でとんでもない構成の台本の訳はないと思うのですが、しかし綿密に構成して出来あがっていないとあのように見事にはならないとも思います。

白鳥:台本とは相当変わってる。
クマさんは一応台本の通りには撮るは撮るの。でも編集がこれまた凄くて、芝居なんかでもばっさり切っちゃう。
もう編集の鈴木晄さんと私が、そんなとこまで切っちゃうの?、これじゃ話が訳わかんなくなるからやめてくださいって言うくらいに切っちゃう。

面白いのはクマさんの切る基準なの。
まず、役者の芝居がつまんないと思ったらどんなにそれが重要なシーンだろうと、それで話が繋がらなくなっても切っちゃう。
だからこっちはそれを止めるのに必死よね(笑)。
まあ聞くときもあるし、聞かないときはダメ。もう何言っても切っちゃう。
そこから始まって時間と空間を自由自在に行き交うクマさん特有の繋ぎをするんだけど、まだ『恋人たちは濡れた』くらいまではちゃんと映画の流れに従って繋いでいた。
濡れた欲情・特出し21人』くらいからあの自由自在な編集になるのね。
面白いのよクマさんの編集は。
私は神代組では尺が長くなっても全然気にしないの。普通記録はどうしても時間内に収めなきゃならないから監督に切れ切れって言う立場なんだけど、クマさん はあたしたちがダメっていうくらい自分で切っちゃうから。


本編では残っていない重要な役の人もいた。『濡れた欲情・特出し21人』より。

だから可愛そうなのは役者さんよ。
ちょっと出てる役の人なんか切られていなくなっちゃう(笑)。

(続く)

次回は神代映画「つぶやき」の秘密とお葬式の時の「神代学校」卒業俳優さんたちのお話です。