白鳥:それまでは制限とか決まりとかがあったのを、会社側もロマンポルノだから、750万やるから11日やるから好きにしなさい、ってところがあったの。
それは極めて自由だったの。スタッフにあずけるって。
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企画だとかで役者を誰にするとかは会社がやるけど、いったん立ち上がっちゃうともう自由にやれって。それが本当に楽しかったの。
楽しいだけじゃなくって、当然ある種厳しさも伴うんだけどね。
神代組は特にそうなんだけど、スタッフがクリエイターの一員として参加するっていうことで、そこで何かを生んでいかなきゃいけないの。 |
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その生んでいくのは監督1人の仕事じゃなくって、そこに立ち会った人間全員の仕事なの。
特に記録で私なんか監督のそばにいるわけだから、監督が苦しんでるのと一緒にいて見てるでしょ。クマさんは、「なんかないか、なんかないか」って言うから一緒になって苦しむのね。
ロマンポルノは全体的にそんな風だった。スタッフが若いってこともあってね。クマさんだけじゃなくって、小沼組も加藤彰組もそう。
●ロマンポルノ」の「ロマン」の部分が重要だったんではないでしょうか。
白鳥:そう、そうなのよ。
●今はごく当たり前に「ロマンポルノ」と言いますが、いまだに「ロマン」というのは分かるような分からないような、人によってとらえ方が異なる言葉です。この言葉が「ポルノ」とは違った映画をつくる原動力になったのではないでしょうか。
白鳥:若松孝二さんに、「君たちが『ロマンポルノ』を始めたからピンクは潰れそうになったんだ」ってからまれたことがあるの。でも逆に私たちにとって救いだったのは、その「ロマン」の部分なの。
『団地妻』で白川和子のHシーンを観て凄い衝撃を受けた。けれどもこれから自分たちが作っていこうとしているものは、その「ロマン」の部分に賭けるんだ!って、
作り手がみんなそこに救いを見出してたのよ。だから「ロマン」の部分がとっても重要だったの。
会社の10分に1回ポルノシーンを入れてくれっていうのがあって、それさえやれば後は自由に作っていいよって、その自由な部分に我々は賭けることが出来たの。

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それが「ロマンポルノ」だった。
だからって、セックスシーンをないがしろにするってことじゃないのね。セックスシーンが作品と遊離すればするほど作品としての完成度は低くなっちゃう。
加藤作品の『百恵の唇 愛獣』ではさりげない人がロマンに取り組んでます。左のサングラスの方分かります?小林稔侍さんです。
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ストーリーにいかに必然性をもってからみを組み入れるかってことで、逆に男と女の成り行きでセックスがないってこと自体がおかしいわけでね、そうするとセックスシーンを映さないことのほうがおかしいってことがいっぱいあるわけでしょ。
そこで「逆転」したのね。映画をつくるときの捉え方が。
●「ロマンポルノ」と命名したのは諸説あるようですが、誰だか聞いたことがありますか?
白鳥:秋津ニンペイって日活入社が私と同期の男がいたの。
当時製作部のデスクにいて、後に製作部長までやってたと思うけど、若い頃は日活稲門会なんていって一緒によく飲んでたんだけど、彼がつけたはず。自分でも「ロマンポルノは俺が名づけたんだ」って言ってた。

白鳥さんは脚本も手がけられています。とりわけ曽根中生監督
『私のセックス白書・絶頂度』は傑作の誉れ高い作品です。
●白鳥さんは「ロマンポルノ」の「ロマン」はどんなものだと思われますか?
クマさんの『恋人たちは濡れた』は私が大好きな作品でクマさん自身も特に愛していた作品だったけど、例えばあの作品で言うと、大江徹のあのさすらいの男、彼が自分のアイデンティティを求める旅、あの映画で言えばそこが「ロマン」でしょう。そこで出会う女や男たち。
作品をひとつ作っていく上での、コンセプトの捉まえ方、それが「ロマン」だと思う。
私の(脚本作品)『私のSEX白書 絶頂度』で言えば、女が1人で生きていく。その女がもし吸血鬼だったら…、みたいな。その女が美しくって美しい姉に愛されてしまう弟がいたら…、っていうその部分が「ロマン」でしょう。
そこをなんとかひとつひとつ作品として紡ぎ出していくというのが「ロマン」を紡ぐ作業だったんじゃないかしら。

ロマンはどこにある?『私のセックス白書・絶頂度』より
それは脚本が出来たから話は出来ているというものじゃなくって、脚本から撮影をして仕上げまでしかもオールアフレコで、最後まで作っていくということ。
オールアフレコだから大変で、クマさんなんかはアフレコのときに全然違うセリフを言わせたりね。
●『恋人たちは濡れた』は主人公の男の過去も、女との関係もすべてがはっきり提示されないまま映画は唐突に終わります。ニューシネマがすでに映画の1ジャンルとして過去のものとなった今では寧ろ全く違和感がない映画なのですが、当時スタッフの受けとめ方はどうだったのでしょう。
神代さんは日活アクションの助監督をしていて、白鳥さんはマキノさんの見習いで記録を始めています。その中で映画の作り方や、物語の起承転結を学んだ人間たちが『恋人たちは濡れた』を会社の商品として作り上げたことが画期的であり驚きを禁じえません。
白鳥:我々自身がもう変化してたのね。「ロマンポルノ」っていう特殊な現場の中でね。
で、正直な話ものすっごい差別観は受けたの。周りからの。
誰かから「お前ポルノなんか作ってるんだろう」って直接名指しされたわけじゃないけど、やっぱりメジャーで映画を作っていた人間のプライドとして、これからはポルノをやっていかなきゃならないってときにそれをはねかえすプレッシャーがあって、これはもちろんクマさんももってただろうし姫田さんももってただろうし私ももってた。
1人1人が、それをはねかえすにはどうしたらいいかっていう、ある種悔しさよね、それは何か新しいことをやるしかないわけでしょう。
いままで作ってた『渡り鳥』シリーズみたいなプログラムピクチャーじゃなくって、いわゆるピンク映画でもない、全く新しい何かを生み出していくしかないっていう、ある意味ではもう必死に模索したそんな時だったの。

『恋人たちは濡れた』胸を打つラストシーンの撮影風景 |
だから一見投げやりに見える主人公の姿や生き方っていうのは、かなり自分たちの気持ちにもフィットしてた部分はあるのね。
だから『恋人たち…』のあのラストにしてもどうしてここで完結するの、だとか誰も言わなかった。最長老の姫田さんにしても。
クマさんはスタッフに恵まれたのね。
クマさんの作品は確かに突出してるけれど、そのころ会社に残ってロマンポルノをやろうって人たちは、みんな何か新しいものを生まんと必死に思ってたのね。
●自分で懐疑的になったら終わりだっていう気持ちだったんでしょうか。
白鳥:そう、もう1回懐疑的になったら終わりよ。やるしかないの。前向きに。
『恋人たちは濡れた』の
終局、砂丘で男2人と中川梨絵の3人が馬跳びをするシーンがある。
馬跳びをしながら、中川梨絵が脱いでいき、全裸のままで馬跳びは遊戯のように延々と続いていく。
この芝居の途中で突然、中川梨絵が立ち尽くし芝居をやめてしまう。

「なんでこんなことしなきゃいけないの?」
立ち尽くした中川はそう言った。 |
白鳥:あの時は、夕景で時間も無い。もう撮らなきゃいけないって状況で、その時に
「なんでこんなことしなきゃいけないの?」でしょ。その時、クマさんはどうしたか?
次回、「恋人たちは濡れた」の現場制作秘話が明かされます。
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