多少の差はあるが、当時はところてん式に順番に監督に昇進していたそうで、70名以上の先輩がいれば厳しい助監督生活をあと何年続ければ監督になれるのだろうかと気の遠くなるような思いをしたに違い無い。
しかし、将来の監督を嘱望される助監督として撮影所に採用された当時の社員は日活の幹部候補生として扱われ、新人歓迎会は赤坂の高級料亭「千代新」で開かれていたそうだ。
1日でも早く監督になりたい。 |
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あの天才アラーキーがロマポを監督してるんです!「女高生偽日記」 |
そんな思いを胸に秘めている彼らにとって撮影所以外からの監督を日活で起用されることはそれだけ自分のデビューが遅れることになるから一大事。古くは東映の石井輝男監督が日活でメガホンを撮る時、助監督部から猛反対があったそうだ。さすがにマキノ雅裕監督をお招きしたときに文句を言うものはいなかったそうだが…。
1971年から1000本以上のロマンポルノが製作されてきたが、その多くを占めるにっかつ撮影所製作の作品は殆どが撮影所の助監督出身者が監督したもので、にっかつ出身者でない監督によるものは本当に少ない。
作品の発注の仕方は大きく分けて3通りある。にっかつ撮影所発注作品、外部の会社に発注(外注)するが、にっかつ撮影所のスタッフ、機材、設備を使う作品、そして丸々外注する作品。
この1番目と2番目は殆どがにっかつ出身の監督によるもので、3番目は低予算作品が多く、にっかつ出身者が監督することは稀である。
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最初の外部招聘監督は東映出身の鈴木則文監督(「堕靡泥の星・美少女狩り」)。「トラック野郎」などのヒット作の監督であり、また池玲子、杉本美樹が主演した東映エロス映画でも実績のあった監督であったが、助監督部からはかなりの突き上げがあったと聞く。ではここで果敢にも(企画部かプロデューサーの依頼があってのことだが)にっかつ撮影所でロマンポルノを監督した外部招聘監督を挙げてみよう。
・鈴木則文監督「堕靡泥の星・美少女狩り」1979年波乃ひろみ主演 |
・荒木経惟監督「女高生偽日記1981年荒井理花/森村陽子/萩尾なおみ
・森田芳光監督「マル本・噂のストリッパー」1982年岡本かおり主演
「ピンクカット・太く愛して深く愛して」1983年 寺島まゆみ主演
・高林陽一監督「赤いスキャンダル・情事」1982年 水原ゆう紀主演
・北畑泰啓監督「あんねの子守唄」1982年西村昭五郎監督と共同
「あんねの日記」1983年 両作品とも小森みちこ主演
・関本郁夫監督「女帝」1983年 黛ジュン主演
「団鬼六・縄責め」1984年 高倉美貴主演
「団鬼六・緊縛卍責め」1985年 高倉美貴主演
・崔洋一監督「性的犯罪」1983年 風祭ゆき、三東ルシア主演
・中村幻児監督「団鬼六・美女縄地獄」1983年 高倉美貴主演
・柴田敏行監督「武蔵野心中」1983年 高瀬春奈主演
・山城新伍監督「女猫」1983年 早乙女愛主演
「双子座の女」1984年 五十嵐夕紀主演
・瀬川昌治監督「トルコ行進曲」1984年 奈美悦子主演
・北村武司監督「白バラ学院・わいせつな放課後」1986年麻生かおり
・滝田洋二郎監督「タイムアバンチュール・絶頂5秒前」1986年 田中こずえ主演
・浅尾政行監督「花と蛇・究極縄調教」1987年 長坂しほり主演
以上14人の監督による19作品がにっかつ助監督出身でない監督によって作られたものだ。
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上記以外に丸々外注したエロス大作作品としては東陽一監督の「ラブレター」(1981年)「ジェラシーゲーム」(1982年)と山本晋也監督の「愛染恭子の未亡人下宿」(1984年)「小松みどりの好きぼくろ」(1985年)そして相米慎二監督「ラブレター」(1985年 速水典子主演)、石井隆監督「天使のはらわた・赤い眩暈」(1988年 桂木麻也子)がある。
作品の横に封切された年を書いておいたが、1981年から1983年の間に11作品が集中している。
ロマンポルノが始まってから約10年して外部の血を積極的に導入し始めたにっかつだが、当時の企画部が新しい風を作品に吹きこみ、 |
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マンネリ化しつつあるロマンポルノ体質を変えようと思ったのであろうか。
それとも社外の監督でにっかつロマンポルノを是非撮らせて見たい監督が登場してきたのか。
不思議なことにこの時期がロマンポルノ興行収入ピーク時(1982年)と符合している。
言いかえればこのころから興行収入は下降し始めたのであるが、これに関しては他の要因も絡み合ってのことだから、特に撮影所外の監督を起用したことが関係しているとは思えないが…。でもこの時期に監督昇進を控えていた助監督はさぞいらついたことだろう。
上記作品を見てもらえば分かることだが、その殆どは有名女優を出演させることができたか、エロス大作である。高林監督の場合は、「天使のはらわた・赤い教室」の水原ゆう紀をもう1度引っ張り出す為に、東映の「ナオミ」で彼女と仕事をした監督にお願いしたのだろうし、北畑監督は小森みちこ、山城監督は早乙女愛に五十嵐夕紀、東監督は関根かおり、大信田礼子、といったように作品横に書いてある女優名を見れば一目瞭然である。
助監督にしてみれば、エロス大作であれ、丸々外注作品であれ、それだけ監督昇進が遅れるわけだから面白くないだろうが、有名女優を出演させるためという大義名分が立てば諦めムードも漂うことだろう。しかし、大きな不満が起きるのがそれ以外のケース。
「ライブイン・茅ヶ崎」「のようなもの」の2作品を監督した実績があったにもかかわらず、森田芳光監督を抜擢したときは、助監督部は相当不満に思ったようである。
「マル本・噂のストリッパー」のチーフ助監督を務めた那須監督(既に「ワイセツ家族・母と娘」を監督していた)にいたっては仕上げをほったらかして南の島に旅行に出かけたそうだ。ここまで徹底したらたいしたものである。自主映画出身の若手監督を撮影所作品に起用した事実は、撮影所助監督としては脅威であったろう。
ちょっと乱暴な言い方をさせてもらえば、女優というヒモがついたエロス大作用の監督ではなく、それこそ新風を吹きこんでもらうことを願っての監督起用にあたるのである。この企画がうまくいけば、本社プロデューサー、企画部は巷にいる若手監督にどんどんチャンスを与えていくかもしれないのである。
『マル本・噂のストリッパー』から三崎奈美の雄姿! |
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崔監督、北村監督、中村幻児監督の時はあまり不満は聞こえてこなかったが、崔監督はにっかつ撮影所が受けた「プロハンター」の助監督をずっとやって撮影所の面々とは馴染みが深かったし、北村監督は西村昭五郎監督の「色ざんげ」以来、時代劇をよく分かっている助監督ということで、フリーの立場でずっとにっかつロマンポルノの助監督を続けていたし、中村監督は何本ものピンク映画を監督してきた実績があった。それぞれ大義名分が立つ。
「とりたての輝き」「ブレイクタウン物語」の浅尾監督の時は翌年でロマンポルノが終わるという発表がされた時期で、まだロマンポルノデビューしてない助監督は相当焦りを見せても不思議ではなかったのだが、このころ撮影所発注作品が減ったことで、当時の助監督の多くは他社作品に出向していたことと、ロマンポルノ後がどうなるのかという点に皆の注意は集まっており、あまり大騒ぎされることはなかった。
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崔洋一監督作品『性的犯罪』
こうして書いてくると助監督部は外部から招聘した監督に反対してばかりいるように聞こえるが、実際はそうでもない。
森田組「ピンクカット・太く愛して深く愛して」のチーフについた金子修介当時助監督はその後も「家族ゲーム」「メインテーマ」で森田組のチーフを努めて自主映画出身監督の演出を学んだであろうし、同じく森田組にセカンド助監督でついた明石当時助監督はその後同監督のチーフを努め、ついには森田芳光脚本による「バカヤロー4」「免許が無い!」等を監督している。
上記の監督の中で、僕は滝田洋二郎監督と一緒に仕事をし、これは外注ではあったが石井隆監督とも仕事をしたのだが、その時に感じた単に助監督部の不満だけでなく、にっかつ自体が見せた問題を披露しながら、どのように外部の監督ににっかつロマンポルノを監督してもらったかを次回で述べてみたい。 |
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日活という社内製作から、日本中の優れた血を導入した結果ロマポは成長し、様々な問題も起こるのです。
漫遊人は、外部の監督に何を見たのか?
いよいよ終盤のロマンポルノは最終激動期へ入ります。
次回もお楽しみに。 |
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