アメリカでは脚本が書けないと監督にはなれないと言われていたが、クリント・イーストウッド、メル・ギブソンのように俳優から監督になった人、ミュージック・ビデオ、テレビの監督を経て監督になった人などこちらも多種多様である。
日本ではかつては映画会社に就職し、助監督から経験を積んでステップアップして監督になるのが通常の方法であった。
(ただし、アメリカの場合、助監督は監督になるための手段ではなく、将来は、現場のコントロールする助監督のチーフ、ラインプロデューサーになることを目指す人が多い)
今回のテーマ作『芦屋令嬢・いけにえ』の雨見夕紀。 |
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僕のいた当時のにっかつには、将来監督になることを目指す十数名の社員が激務である助監督として日夜額に汗をかいて頑張っていた。
多くの助監督はチーフ助監督無しで監督になりたいなあと言っていた。
何故かと尋ねたら、サードは小道具、セカンドは衣装と映像に直接関る部分が多いのだが、チーフはスケジュールのコントロールという頭の痛い仕事が任されているからだそうだ。
勿論、現場の指揮官としてスタッフ、エキストラを動かすことは監督になる準備として大切なことだ。しかしその一方で、俳優のスケジュールと撮影現場のスケジュールをうまくあわせ、その上、シナリオに書かれた昼夜、天気等も配慮しながら、現場にいる皆に渡す総合スケジュール、日々のスケジュールを出していくのは、難解なパズルを解くようなもので、映像を作り上げていくことからは程遠いことと思われるのだろう。
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根岸監督デビュー作、『オリオンの殺意より・情事の方程式』は上垣保朗チーフ助監督作。 |
若干27才で「オリオンの殺意より・情事の方程式」を監督した根岸吉太郎さんは助監督のチーフを数本しかしていないと聞く。
28才で「宇野鴻一郎の濡れて打つ」を監督した金子修介さんはその前に数本のロマンポルノのシナリオ(「聖子の太股 ザ・チアガール」「ファイナル・スキャンダル 奥様はお固いのがお好き」)を書いている。
いったい誰がどのようにして監督をデビューさせるのだろうか。 |
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今回は僕が目の当たりにしたにっかつ助監督の監督デビューを紹介してみたい。
前回までに紹介した夏のXX興行作品製作に向けて準備をしていたころ、「なんだこれは!言いたいことを言いやがって」といきなり樋口企画担当重役から怒声が響き渡った。
なんのことかと思ったら、手にしていた雑誌を机に叩きつけた後、「おい、これを読んで見ろ」と渡されたのはキネマ旬報。
その中の新作映画評論のコーナーで映画評論家の松田政男氏が確かロマンXの作品を観て、最近のにっかつはビデオ撮影の安易な映画製作が多く、新人監督が登場する様子も全く見受けられないというようなことが辛辣な調子で書かれていた。
そう言えば、昨年の秋に新人監督の瀬川正仁さんと仕事をしたが、それ以降は新人監督は出ていなかったっけと思い出しながら、その記事を読んでいると、「作田、次に監督になるのは誰がいるんだ」の質問が飛んだ。
思いついたのはその瀬川監督の作品とその前の黒沢直輔監督の「夢犯」で現場を一緒にした池田賢一さん。早速名前を出すと「あいつはやっていけるか、どう思う」と言われ現場時代の記憶を探った。
石井隆さんが書いた脚本の世界を忠実に表現しようとする黒沢監督の現場でも、埼玉、静岡まで足を伸ばして撮影した瀬川監督の作品でも、監督の意向を汲み入れながら現場をうまく仕切っていた池田さんの姿が思い起こされたが、それのみでなく、一緒に何度か酒を飲んでいる時に聞いた話を思い描いていた。
飄々とした話方ではあるが、出てくる言葉はシャープで厳しく、酒を呑んでは馬鹿話ばかりしている僕は何が面白いのかをちゃんと考えて伝えなければいけない事をよく言われた。
特に覚えているのは黒沢組のロケハンの時のこと。
この時デザイナーの斎藤岩男さんと3人で渋谷の街を歩いている時、斎藤さんがある現場に行きたいのだがどうしても場所が思い出せないと言う。
なんでも斎藤さんが怒ったおかまに追っかけられて迷路のような裏道を懸命に逃げた時、迷って入りこんだ空間らしい。迷い込んだ時に写真まで撮ってあったその場所はかつての建物が壊されてしまって瓦礫の破片以外は何もないのだが、その周りはコンクリート剥き出しの低いビルに囲まれていて、その向こうに遠く渋谷の夜景がくっきりと見えるのだ。 |
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斎藤岩男デザイナー作『夢犯』 |
別に作品内容と直接関りの無い場所なのだが、斎藤さんは何故かそこに拘っていて、そのことを池田さんはとても気にいっていた。
「斎藤は面白いよ。絵というもののイメージを常に頭の中に持っているんだ。だから話を聞いてても引き込まれる。映画を作る人間に必要なことだよ。」
斎藤さんの話も面白かったがそれに関心している池田さんの方が印象的だった。また池田さんは阪神タイガースとロックンロールとプロレスの大ファン。瀬川組の撮影中に阪神は日本一になったが、撮影諸準備の日でも動き回っていたから気の毒に1試合も見れなかったはずだ。
日本未発売のロッカーのビデオを何本かいただいたが、そう言えば竹中労編の「ザ・ビートルズレポート」をいまだに借りっぱなしだ。
「池田さんは面白いものを作ると思いますよ」と意見をいうと、すぐに連絡を取って本社に来てもらうことになった。
なんかあっという間の出来事で、あっけにとられてしまった。
てっきり新人監督を決める際は、誰が監督デビューしてもいいところまで来ているか、今まで作った予告篇はどうだったか、監督からの評価はどうかなどの細かい吟味がされた後に決められるものだと思っていたから、まさか映画評論家の意見を読んで、衝動的にほんの10分あまりで決められるものだとは考えてもみなかった。
勿論、本社に顔を出した池田さんに対して重役の方からいろいろな質問があったのは当然のことだが。同期の植木さんが企画担当をすることになり、企画内容はそのころ芦屋のご令嬢が誘拐されて無事に帰ってきた事件があったのだが、そのネタを使った「芦屋令嬢・いけにえ」に決まり、脚本はベテランの桂千穂さんにお願いすることになった。
池田組誕生の瞬間である。
ストーリーは実際の芦屋事件の形だけいただいて,中身は「籠の鳥事件」をもっとデフォルメしたもの。
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『芦屋令嬢いけにえ』
木築沙絵子は可愛い! |
「籠の鳥事件」とは、誘拐された女子高生が心理的倒錯から誘拐犯人に共感を持ってしまったのかも知れないと言われる随分前に起きた実際の事件。
ストックホルム症候群と言われるもので、一言でいえば、追い詰められ、恐怖のどん底に追いやられた被害者が加害者に共感し、時には愛情までを抱いてしまう異常心理のことをいうのだが、この映画はさらに突っ込んで誘拐犯が誘拐した令嬢に振り回されてしまうさまを多少コミカルなテイストを交えて描いたものになった。 |
主演はこの作品がデビュー作品となる雨野夕紀さん。豊満な体に、大きな瞳、そしてどこかあどけなさが残る表情がなんとも男心をくすぐりそう。当時大阪に住んでいた彼女を東京に呼び寄せ、旅館に泊まっていただき、そこから撮影所に通ってもらうことになった。
新人監督に新人女優の組みあわせは瀬川組の「団鬼六・美教師地獄責め」のときもそうだったが、そんなことを心配するような様子はロマンポルノを作る人の誰にも感じられなかった。
誘拐された彼女がボール状の猿轡をはめられてレイプされるインパクトの強い出だしから最後まで力のこもった演出で、SEXシーンも逃げることなく描写されていた。
オールラッシュの後の合評が終り、調布駅に向かうタクシーの中で重役は「伊達に撮影所の飯を何年も食っているわけじゃあないな。力のある作品になったじゃないか」と満足そうだった。
今回はにっかつ撮影所で助監督を経験した後に監督になった一例を紹介した。
撮影所はサード、セカンド、ファーストと1歩1歩ステップを踏んだ多くの監督を輩出してきたが、時折り、にっかつ撮影所出身以外の監督を起用することがある。
それがどのような影響を撮影所に与えるか。次回はそれについて話してみたい。
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木築さん可愛いから追加! |
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