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「官能のプログラム・ピクチュア」によれば、警視庁保安一課は「ポルノがエスカレートする一方の映画界に対しての警告」として押収したとある。それが本当で、警告であるならば、それは別の形で行われるべきで、3作品を見せしめとしてつるし上げた行為は表現の自由を冒涜するもの意外の何物でもない。
主演の田中真理は反体制のヒロインとして学生運動でピンナップが張られたそう。 |
1980年になっての第二審判決でようやく、無罪を勝ち取ったわけだけど8年間に渡る裁判の間9名は被告であったわけで、その上「検証日本ビデオソフト史」によると「表現の自由」の論点は争われることなく終り、その点を山口清一郎監督は「これは小さな勝利だが、大きな負けだ」と言ったそうである。
その後も1973年5月に「女地獄・森は濡れた」(神代辰巳監督)も警視庁から映倫再審査の申し入れがあって上映が打ち切られたことがある。残念ながら「ロマンポルノ裁判」にかけられた4作品は見たことが無いので本当にわいせつ図画に当たるのかどうかは何とも言えない。
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数日しか上映されなかった『女地獄・森は濡れた』はDVD化されました。 |
話を元に戻そう。話し合いの後、ロマンX3作品とも最小限のストーリー性のある構成台本のようなシナリオを作り映倫に提出すること、そして追加撮影無しで今ある素材を使ってナレーション等を加えることで作品にストーリー性を持たせること、その後映倫に連絡をして再審査を申請することとなった。
結局のところ映倫側の要請通りにしたわけだが、僕の中に何とか食い下がろうとする意欲は湧き上がらなかった。正直言って以前にも書いたようにビデオ撮影のストーリー性の欠如した作品をキネコ(フイルムに転写すること)したものを上映することは抵抗があり、審査員の意見も尤もだと言う気持ちがどこかにあったのだと思う。映倫の審査員から指摘される前に、製作している我々サイドで製作され上映されているものに対して問いなおす必要があったのではないか。
表現の自由、芸術かわいせつかを語る以前に映画として納得できるものを製作し上映していくことが映画に関るものとしてのあたりまえの姿勢であり、当時のロマンX作品には自分のムスコが濡れるかどうか以前の自分の中のスタンダードから見ると映画として認めたくない作品が存在していた。
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ロマンX第一作の『箱の中の女』はビデオ撮りを逆手にとり、新たな映画の可能性を獲得した。 |
だからこそ、この年の夏興行作品がストーリー性のあるフィルム撮影ロマンXとビデオ撮影ロマンXのバトルであり、ある意味ではロマンポルノの存在意義を懸けた勝負だったと思う。
これがもし自分が担当した二作品だったら間違い無く闘っただろうし、「箱の中の女」だったらひょっとしたら「一緒に
闘いましょう」という言葉も出たかもしれない。 |
何度かの修正の後、再審査は無事に通過し、3作品とも無事に封切りされる運びになり、上映中に警視庁からお咎めを受けるようなことも無く公開を終えた。そしてこれ以降、ロマンX作品もシナリオを提出して作品製作を始めることになる。フイルム撮影作品とビデオ撮り作品のロマンXバトルに水をさされたような形になってしまったが、興行的にはほぼ互角であった。
でも『いんこう』『瓶詰め地獄』の両作品ともビデオ化されていないのはインパクトが弱かったからかなあ。いろんなことを考えさせられた1986年の夏であった。 |