Episode 6

Art or Indecency; that is the question.

芸術か、猥褻か、それが問題だ
 


ロマンポルノの存続がかかった『ロマンX』ダブル対決顛末の後編。
作品完成の喜びもつかの間、あまりにもショッキングな映倫からの通告とはなんと「審査拒否!」
どうする、漫遊人。
ロマンポルノの歩みは規制との闘いの歩みでもあるのです。


新年あけましておめでとうございます。
今年も「ロマン漫遊記 from NY」とよろしくおつきあいください。
 
前回紹介した2作品(『いんこう』『瓶詰め地獄』)の製作、仕上げが行われている一方で、ビデオ撮影のロマンX作品、「ザ・本番―湘南のお嬢様」(高槻彰監督)「制服処女―ザ・えじき」(佐藤寿保監督)「ザ・絶頂感」(鬼闘光監督)の3作品も公開に向けて仕上げが進んでいた。

企画部員である僕はこれら作品の進行もチェックしなくてはいけない。


今回のテーマは重要な『規制』の問題。
(『ザ・本番 湘南のお嬢様』より)

にっかつ本社の地下にある試写室で、「ザ・本番―湘南のお嬢様―」の試写が終り、主演の有栖川景子さんの絶叫のような喘ぎ声に脳髄まで痺れ、興奮度としては撮影所作品がたちうちできるかなと思っていたところ、映倫の先生から厳しい意見が出た。

「この作品は男女の絡みを羅列しただけではないですか。ストーリーのようなものは全く見受けられない。このような作品を審査することはできません。まず、脚本を提出してください。
それから、先だってはにっかつ作品が裏ビデオに流れる事件がありましたが、こんな事が起きては映画会社としてまずいのではないですか」


『ザ・本番 湘南のお嬢様』より。お嬢様?

過激描写に浸っていた僕の身体は一気に醒めてしまうどころか、今後の対策をどうするか早急に協議しなければならないことでアドレナリンが滲み出してきた…。

映倫審査に関して簡単に説明しておこう。ロマンポルノ作品はオール・ラッシュ、0号試写の2回に渡って映倫の審査員に審査を受ける。
(註:編集作業が終わった段階でのラッシュがオールラッシュ、その後ダビング等の音仕上げ作業や、現像段階での作業を終えた完成品の試写が0号試写です。)

通常の映画だと0号試写の時に一度だけの審査で終わるのだが、性描写の多いロマンポルノは0号試写で大きな修正を余儀なくされた場合、ダビングのやり直し等、その後の作業が大変になるので、オールラッシュで審査員の意見をうかがうことをお願いしてあった。
試写の後、映倫の先生と話し合うのは監督、プロデューサー、企画部員、そして、仕上げに直接かかわる編集、記録にも立ち会ってもらう。
 


事件が起きた『ザ・破廉恥』とは…

そして審査員から出た意見をうかがって場合によっては短くしたり、カットしたり、ボカシを入れたりするのである。
映画作品の場合、スクリーンで試写されたものを審査員がチェックするのが原則。
となるとビデオ撮影ロマンX作品の場合、フィルムに転写してから試写しなければならない。フィルムに転写することは製作予算からみればかなりの費用がかかるので、転写した後に修正しなくて済む様にビデオ段階でモザイクをいれることになる。つまり、性描写の激しい部分や性器やヘアの現れた部分にあらかじめモザイクをかけ、その後の修正が無いように準備しておいて転写するのである。だから0号試写一発勝負。
ここでもし修正がでたら、その部分だけビデオに戻って修正し、フィルムに転写することになる。
そして今までのロマンXはシナリオがなく、コンセプトを書いた企画書のみで製作決定がされていた。先ほどの審査員の意見によれば、映倫側から審査を拒否されたわけだから根本的なロマンXの見なおしをしなくてはならない。


「裏ビデオ事件」の起こった『ザ・破廉恥』

この作品のプロデューサーの半沢さんは先生の意見を聞いた後、「作田、にっかつの不注意で裏ビデオが流れたことでこのような意見が出たのだから大問題だぞ」と怒りを露わにした。
 

裏ビデオ事件とは、実際の裏ビデオを作ったことのある瀬川栄一監督(仮名)を使ってロマンX「ザ・破廉恥」を製作、公開したのであるが、その作品のワーキングテープ(編集作業用のテープ)が裏に流れてしまった件である。
裏ビデオの監督を使った作品が裏に流れるとはとんでもない失態であった。

とにかく、重役に報告、今後の対応策を検討するため、3作品に関った監督、そして今までロマンXを発注している製作会社のプロデューサー、そしてにっかつ契約の4プロデューサーを集めて協議をすることになった。

その会議では様々な意見が飛び交った。
他社作品で同じような作品があるがそれらはどうなのか、脚本が無くては審査できないならドキュメンタリーはどうなるんだ、表現の自由を奪おうとする動きとは断固闘うべきだ、今後ロマンXの製作は続けていけるのかどうか、これら3作品はアダルトビデオに比べれば過激ではないので、時代の流れにそった審査をしてもらうように映倫を説得すべきだ等々

間違ってはいけないのは映倫(映倫管理委員会)は検閲機関ではないということ。映倫は映画界側の自主規制団体であり、この審査をパスしないと全興連加盟の劇場では公開できないのである。
この当時、にっかつは日本映画製作者連盟の会員会社であり、にっかつの劇場は全興連に加盟していたから、劇場公開の為には絶対に審査を通過しなければならないのである。当時の審査員の先生は4人。
金子、中野、吉野、渡辺先生で、脚本を書かれたこともある金子先生以外の3人の先生は大手映画会社の撮影所長、企画部長を経験されてきた方たちとうかがっていた。


歴史的な「日活ポルノ裁判」で起訴された『ラブハンター・恋の狩人』
貴重な本編から抜き焼きしました。


この先生方に僕は幾度となく相当激しく食い下がった。
全裸の男女が性行為をしているのをフルショットで撮ってはならないという了解事項のようなものはあったものの、はっきりと明文化された規定は無く、わいせつ図画の陳列であるかどうかは多分に主観的なものであるわけで、個々人のとって受け取り方は違って当然だから、修正を必要とされるのであれば、僕にも理解できるように説明してくださらないと納得がいかない。だから納得できないと話が長くなるのである。
にっかつは当時、オール・ラッシュ後に会社の重役たちの意見をうかがう「合評」という会議があったので、役員達を待たせることもしばしばあった。先生方にとってはかなりうるさい存在だったと思う。
なんだかんだと先生方に食い下がってきた僕だが、「何かが起きた場合は一緒に闘いましょう」などともちかけたことは1度も無い。映画会社からの圧力や馴れ合いで審査がされてはならないことは勿論だが、その何かが起きたロマンポルノ裁判に少し触れたいと思う。
 


『ラブハンター・恋の狩人』より


1972年1月、日活の劇場で公開されていた3作品、「ラブハンター・恋の狩人」(山口清一郎監督)「OL日記・牝猫の匂い」(藤井克彦監督)「女高生芸者」(梅沢薫監督)の3作品がわいせつ映画として警視庁保安課が摘発、日活本社、調布撮影所、映倫の事務所等が一斉に家宅捜索を受け、4月には「愛のぬくもり」(近藤幸彦監督)もわいせつ映画とされ、取締役本部長、3名の監督、3名の映倫審査員を含む計9名が起訴された事件、「日活ロマンポルノ裁判」である。

日活ロマンポルノが始まったのは1971年11月であるから、わずか3ヶ月で大きな壁にぶつかったわけである。どう考えても3作品が同時に主観的判断の強いわいせつ図画陳列罪に問われると言うのはおかしなもので、スタートして間も無いロマンポルノに検察側の圧力がかけられたという印象は否めない。
 

「官能のプログラム・ピクチュア」によれば、警視庁保安一課は「ポルノがエスカレートする一方の映画界に対しての警告」として押収したとある。それが本当で、警告であるならば、それは別の形で行われるべきで、3作品を見せしめとしてつるし上げた行為は表現の自由を冒涜するもの意外の何物でもない。

主演の田中真理は反体制のヒロインとして学生運動でピンナップが張られたそう。

1980年になっての第二審判決でようやく、無罪を勝ち取ったわけだけど8年間に渡る裁判の間9名は被告であったわけで、その上「検証日本ビデオソフト史」によると「表現の自由」の論点は争われることなく終り、その点を山口清一郎監督は「これは小さな勝利だが、大きな負けだ」と言ったそうである。

その後も1973年5月に「女地獄・森は濡れた」(神代辰巳監督)も警視庁から映倫再審査の申し入れがあって上映が打ち切られたことがある。残念ながら「ロマンポルノ裁判」にかけられた4作品は見たことが無いので本当にわいせつ図画に当たるのかどうかは何とも言えない。
 


数日しか上映されなかった『女地獄・森は濡れた』はDVD化されました。

話を元に戻そう。話し合いの後、ロマンX3作品とも最小限のストーリー性のある構成台本のようなシナリオを作り映倫に提出すること、そして追加撮影無しで今ある素材を使ってナレーション等を加えることで作品にストーリー性を持たせること、その後映倫に連絡をして再審査を申請することとなった。
結局のところ映倫側の要請通りにしたわけだが、僕の中に何とか食い下がろうとする意欲は湧き上がらなかった。正直言って以前にも書いたようにビデオ撮影のストーリー性の欠如した作品をキネコ(フイルムに転写すること)したものを上映することは抵抗があり、審査員の意見も尤もだと言う気持ちがどこかにあったのだと思う。映倫の審査員から指摘される前に、製作している我々サイドで製作され上映されているものに対して問いなおす必要があったのではないか。

表現の自由、芸術かわいせつかを語る以前に映画として納得できるものを製作し上映していくことが映画に関るものとしてのあたりまえの姿勢であり、当時のロマンX作品には自分のムスコが濡れるかどうか以前の自分の中のスタンダードから見ると映画として認めたくない作品が存在していた。
 


ロマンX第一作の『箱の中の女』はビデオ撮りを逆手にとり、新たな映画の可能性を獲得した。
だからこそ、この年の夏興行作品がストーリー性のあるフィルム撮影ロマンXとビデオ撮影ロマンXのバトルであり、ある意味ではロマンポルノの存在意義を懸けた勝負だったと思う。
これがもし自分が担当した二作品だったら間違い無く闘っただろうし、「箱の中の女」だったらひょっとしたら「一緒に
闘いましょう」という言葉も出たかもしれない。

何度かの修正の後、再審査は無事に通過し、3作品とも無事に封切りされる運びになり、上映中に警視庁からお咎めを受けるようなことも無く公開を終えた。そしてこれ以降、ロマンX作品もシナリオを提出して作品製作を始めることになる。フイルム撮影作品とビデオ撮り作品のロマンXバトルに水をさされたような形になってしまったが、興行的にはほぼ互角であった。
でも『いんこう』『瓶詰め地獄』の両作品ともビデオ化されていないのはインパクトが弱かったからかなあ。いろんなことを考えさせられた1986年の夏であった。

 

あたし、も今回の漫遊記ではいろんなことを考えさせられました。
是非『いんこう』と『瓶詰め地獄』の再発売を実現させるまで頑張りたいと思います。

(続く)