実録・私はこんな文芸だった!・3'00/9〜12月

 日本で活躍する外国人野球選手が多くいる。
 しかし、その中には、国に残して来た家族が病魔に冒され、シーズン途中で「緊急帰宅」する選手も多くいる。
 日本の野球を甘く見て来日し、実際はまるで通用しないことに愕然として、理由を付けて逃げ帰る選手もいれば、実際に家人が病魔に冒され、付き添うために、帰ってしまう選手もいる。
 この国では、どちらの場合も賛同を得ることがない。前者が支持されないのは、当然としても、後者が非難されるのは、何故だろう。職場を放棄して、帰ってしまうからか。黙って帰ってしまった訳でもないだろうに、それでも許してはくれないようだ。それでは一体何が日本人の怒りのツボを押さえてしまうのだろうか。
 おそらく、理由が気に入らないのだろう。家の用のために帰ってしまう、その軟弱な根性が心底気に入らないのではなかろうか。まあ、仕事優先至上主義の多くの日本人にとって、一番大事なものは、間違いなく「仕事」なのだから、
「仕事より大事な家族なんてものがあるのなら、見せてみろ」
 的な気分になるのも分らなくはない。夏休みも満足に取れない日本人にとっては、今でも「月月火水木金金」なのだ。
 こんなことがあった。文芸と言っても、最初は名ばかりだった巨大ロボット物が始まった頃は、人手も少なく、自分も外注回りを手伝わざるを得ない状況だった。
 担当する話数を持たないパシリだから、本物のパシリだ。少し違うのは、立場上、全体の遅れがどれほどのものであるかを実感していたし、それが何を招くかも分っていることだった。
 しかし、いま自分に出来ることは、結局進行の真似事でしかなかった。放送開始まであと二ヶ月、忙しさも佳境に入りつつあった八月のある日、同居していた祖父が亡くなった。
 明け方、病院に詰めていた家族から連絡があり、家で待機していた私が、親戚筋にに電話を回した。遺体と家族が戻ってきた段階で、私は早めに出社した。制作のメンバーが集まったところで事情を説明し、その日は家に帰った。
 葬式が済んだその夜、会社から電話があった。
 二十時過ぎくらいだったろうか。ほっと一息ついて、晩飯を食していた時間であった。
 何事かと思えば、
もう、いいんじゃない。これから、来らんない?
 出社の要請であった。
 夏場の葬儀と云うこともあり、体力的にもかなり消耗していた。まだ、かたずけも残っていた。行こうと思えば、行けなくもなかったかもしれない。しかし、「もう、いいんじゃない」の一言に引っかかるものを感じた。
 気分的に沈んでいる他人の家庭に土足で踏み込んできた相手に腹が立った。これは、失礼ではないかと、珍しく感情的になっていた。自分と仕事との距離を明確にするために、努めて冷静を装い、丁重に断り、電話を切った。
 葬式のあった夜に、「もう、いいんじゃない」と出社を促されても、すんなり頷く訳には行かなかった。
 そんなことは、こちらが決めるべきことではないのか。
 現場の状況が、すでに常軌を逸脱しつつあることなど、百も二百も承知の上である。それでも動かないのは、本当に今自分が、必要とされているのか怪しいと感じたからだ。ただのパシリなら、別の制作班に頼むことも出来なくはない。この時間に一人いてもいなくても大差はないのだ。どう考えても納得し難く、出社を拒否した。
 翌日は、通常通りに出社した。
 電話を掛けてきた人間に対しては、それまでと変らない対応をした。特定の個人を怨んでも仕方がない。彼は、「仕事」が好きなのだ。そんな彼にとっては、同僚も「仕事」の好きな奴らの集まりに見えるのだろう。家族の「死」など、「仕事」に比べれば、取るに足りない出来事なのだろう。彼に罪はない。
 時は流れ、今年で十七回忌。職種も会社も違うのだが、今回は会社の移転に伴い、荷物搬出の立ち合いを命じられた。
 十七回忌は、欠席である。この先、自分が仕切って行くことになるであろう、親族にとっては大変重要なイベントだが、仕方がない。「仕事」だから。
 ただ、前回と違うのは、普段着ない礼服のクリーニング代、新たに購入したワイシャツ代、会食の食事キャンセルなどで、実質的な損益が個人的に発生したことだ。「ドラクエ」も買えない私にとって、この出費は大変痛い。
 ついでに言うと、ゲーム会社で北京出張の話が急に決まったことがあった。
 北京原人のふるさと、中国の北京である。季節は冬。聞けば、昼でも零下20度を下回るそうだ。夏暑く、冬寒いのが、北京らしい。遊びに行くには、季節が悪いが、「仕事」だから仕方がない。
 それでも当地の人は、律義にも万里の長城などへの観光も手配してくれていた。しかし、寒いのは平気な方の私も、Tシャツ一枚と云う訳にはいかない。かつて、水産会社の冷凍庫、零下30度の低温世界で在庫チェックをした身にすれば、零下20度なんかなんでもない・・・・訳にはいかないことを知っている。
 当然、防寒具が必要になる。今まで一度も氷河期を体験しておらず、また、ペギラの来襲も受けていない私としては、そんなものの用意はなかったのだ。
 ところが、準備万端整ったところで、北京行きは急遽中止となった。結果的に、防寒具は、まったくの無駄になってしまった。関東地方では、こんなものが必要なほど気温は下がらないのだ。スキーもやらないのだから、無駄どころか、損した。
 それを会社の人間に言うと、「そんなの知らない」と返された。多少なりともゆとりのある生活を送っているならともかく、私にとっては、非常に辛い出費であった。
 会社で働いて、「仕事」で損するのは、我慢できん。腹立つわい。だから会社なんて、仕事なんてと思うのだ。
 まあ。別に、看板だけの文芸だったら、進行の真似事でもしていた方が気が紛れるから、それはそれで構わない。
 しかし、いつまでもそれでいいと云う訳でもない。
 とにかく私は、第四話を書かなければならなかった。先の葬式から溯ること二、三ヶ月前のことだ。

 30分ものの脚本を書くのは、初めての経験であった。
 採用されるか否かではなく、放送を前提にスケジュールが組まれている以上、なにがなんでも決定稿を出さなくてはならない。それが早ければ早いほど、現場の窮状を救うことになるのだ。
 会社に用意してあった200字詰めの原稿用紙(俗に言うペラ)を100枚手に取った。65枚から75枚くらいの間で書かなくてはならない。そんなに書くことがあるのだろうか。絵コンテには、会社のロゴが入っているが、原稿用紙は、市販のものだった。殆ど社外のライターが書くものだから、用意していないのだろう。味気ない気もするが。
 それまでに通信教育で、「シナリオライター講座」を受講したくらいの経験、しかも、まだ始めたばかりの全くの初心者である。手本になるものは、なんでも真似ることにした。
 「柱」と呼ばれる場所の説明の上には、「○」を付けることにした。この中に、あとでシーンナンバーを書き込むらしい。人によっては、「□」と云うのもあったけれど、見栄えの点で「○」を採用した。
 「ト書き」と言う状況の説明文は、上から3文字開けて書き出すことにした。これは、参考例が、皆そうなっていたからだ。
 文字通りの見よう見まねである。こんな初心者が、ローテーションに入ってしまって良いのだろうか。などと思いつつ、会社で書き始めた。なかなか進まない。途中で鉛筆を放り出して、外注に出たりしていたからだ。
 連続して作業が続けられないから、自宅作業とした。もともと契約社員だから、休みなど取り放題なのだが、そんな経験だけは、ついに一度もなかったが。
 翌日は、朝から家で書き始めた。
 シリーズ構成が話の骨格を作ってあるとは言え、取っ掛かりのアイデアレベルのものだから、どの場面から、どう始めてどう盛り上げるかなどは、一切書き手に任されている。
 シナリオを書くにあたっては、最初に「箱」なるものを作って、物語の展開を決めておくのだが、私にはそれだけは真似が出来なかった。いくら考えても、物語が思い浮かばないのだ。何故だか、ぜんぜん出来ない。これ以上努力しても無駄だと分っていたので、とにかく書き出してしまう。その先のことは、自分にも分らない。登場人物が、勝手に動き出して、物語を展開してくれることを祈るだけだ。
 ところが、午後に入って思いもよらぬ破綻が生じた。

 アニメに限らず、脚本は、原稿用紙に書く。
 今は、ワープロソフトを使って書くのが主流となっているが、当時は手書きが常識だった。
 原稿用紙は、小学校の頃の作文などに使った400時詰めのそれではない。半分の大きさの200字詰めを使う。これを通称ペラと言うのだが、その理由は、不勉強なので知らない。きっと発明した人がペラと言うのだろう(100%ウソである)。機会を作って調べておく。
 アニメは実写と比べ、ト書きが多くなると言われている。どんなものでも絵で書く必要があるからだ。
 出来るだけ詳細に書いた方が、後の作業に支障をきたさないで済むのは確かだ。今回の場合、枚数は、65から多くて75枚以下とされた。
 アニメ界に入った頃は、良くぞこんなに書く事があるものだと、実に的外れな感心の仕方をしていたのではあるが、いざ自分で書くことになると、どうやっても「そんな少ない枚数に収まりそうもない」ことに気が付き、愕然とした。
 愕然は大袈裟としても、いささか慌てたのは確かだ。これでは何枚書いても終わらない。いきなり劇場公開規模の超大作になりそうだ。こんなことになろうとは、思っていなかった。計算がないまま書き始めたことが原因で、破綻を来したのだ。
 では普通、どうやって枚数の計算をしているのか。
 それを解決するのが、前回書いた「」と云うものだ。脚本の書き方を解説する本になら、必ず出てくるアイテムだ。
 作り方は、至って簡単。ペラを大まかに6等分する。と言って、いきなり「☆」とかで仕切るようでは、あまりにもひねくれている。数学の問題ではないのだ。素直に、横二つ、縦三つに等分する。
 そのひとつづつに1〜6まで番号を記す。順番は、お好きなように。
 これで、箱は完成だ。ああ、終わった。やれやれ。
 失礼、箱の枠組みの完成である。枠組みが完成したら、今度は番号順に物語を書き込んで行く。全部で60枚とすれば、ひとつの箱にペラ10枚分の物語の展開を箇条書きして行く。これを6回繰り返せば、すべての箱が埋まり、物語も頭から最後まで完成する。しかも、全体のバランスも一目瞭然。何処でどう伏線を敷いておくか、ここで主人公が登場とか、脚本の仕様書であり、設計図である。
 あとは、これを元に清書していけば良い。
 ライターさんによっては、ここまでが一番楽しい仕事、とおっしゃる方も多い。
 頭を使うのはここまでで、あとは「清書する」と云う作業でしかないらしい。
 私も、最初は挑戦してみた。ところが恐ろしいことに、いつまで経っても白紙のまま。箱は一向に埋まらない。せいぜい、6番目の箱に、激しい戦闘、ぎりぎりの勝利くらいのことしか書けない。一体どうなっているのか。
 大筋は、すでにあるのだから、これに肉付けして、書き込んで行けば良いのではないのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・とは思えども、空欄のままである。
 ファーストシーンすら思いつかない。
 イタズラに時間だけが過ぎていく。改めて己の才能のなさに慌てても、心のどこかで、なんとかなるさなんて平気で思っていた。
 それなら、いきなり書いてしまおうと、見切り発車したのである。ファーストシーンも思いつかなかったくせに、これが何故か何の苦労もなく書き始める事ができたのだ。
 俺って、本番に強いんだよなってな調子で、書き進み、結局破綻した。セオリー無視のバチが当たったのか。書ききれない。とんでもない枚数が必要になりそうだ。やはり箱から書かないとダメなのか・・・。
 完全に追いつめられた状況であったが、逆に気が楽になってしまった。
 書ききれないと云うのは、書く事が多いのだから、切ればいいじゃん。そう思った。書くことがナイのは、大問題だろうが、多いのだから、悩むことなどない。饒舌な部分をどんどん端折って、テンポアップすれば良いではないか。
 なんと前向きな考えだろう。いや、何も考えていないからこそ、こんなことが平気で出来るのだろう。
 我ながら破綻した性格である。そうか、計画が破綻した訳じゃない。性格が破綻していたのだ。なら、これは必然の結果だ。
 私は、安心して最初から書き直し始めることが出来た。
 自慢じゃないけど字は下手だ。しかも筆圧が高い。力んで書くタイプだ。
 字の下手な奴が力んで書いたら、それは汚い原稿になってしまう。それに、手も痛くなって長い文章を書くのは辛くなる。
 そこで、最初は硬度がFの鉛筆を使った(後に4B)。字の上手な人は、サラサラと軽く書くのを見習ったのだ。下手な字も、サラサラと太く書けば、それなりに見えるものだし、力を入れなくても済む。
 問題は、中身なのだが、見ただけで嫌悪感を感じさせる文字は、書きたくない。これは、脚本と云う商品なのだ。仕上りには気を付けたい。などと、いきなりプロみたいなことを考えつつ、私は鉛筆をガリガリ削り、消しゴムのカスで山を作って行った。
 全体の構成も何も考えず、なんとなく行き当たりばったりで、書いている本人にも、どうなるのか予想できない。それでも、平気な顔して「中C・M」を入れ、予定枚数には収まってしまった。
 不思議だ。実に不思議なことだ。奇跡と云うには次元が低いが。
 読み直してみると、物語そのもに破綻は感じられない。特に良い出来でもないが、目を覆うような出来とも思わなかった。
 それでも、気になる所は書き直し、ほぼ丸一日かけて、生まれて初めて書いた30分物の脚本は完成した。それまでは、4〜5枚のものしか書いたことがなかったのだ。修業もなく習作もなく、こんなことで良いのだろうか。まあ、駄目なら全部書き直せば済むことだ。その判定を下すのは、自分ではない。
 深く考えても仕方がない。
 最後の最後に、表紙にサブタイトルと自分の名前を書き込んだ。
 本当なら、プロとしてデビューが決まっている最初の作品なのだから、もっと感激しても良いのだが、とても喜べる心境には至らなかった。
 自分が社会人として、今迄にどれだけダメ振りを発揮してきたかを考えれば、アニメの脚本書きましたと言った所で、
「あんな奴に出来るくらいなのだから、誰にでも出来る」
 と思われるのが関の山。そんなことは100も1000も10000も承知している。
 この先、何をやっても、そう思われるのだから、喜んでなどいられないのだ。
 翌朝、原稿のコピーを取るために早めに出社すると、徹夜明けの進行が、ソファで眠っていた。起こさないようにして、必要部数を揃え、改めて読み直した。
 思わず笑ってしまった。
 内容が面白いからではない。作画枚数のかかりそうなアクションを冒頭から書き込んでいたからだ。
 その結果がどうなるか。ソファで眠る進行をまた一人生み出してしまうのだ。皮肉めいた光景に、思わず笑ってしまったのだ。
 原稿を自分にデビュウのきっかけを作ってくれた演出の大家、T氏の所にも持って行った。氏は、うる*やつらのチーフディレクターだったO氏の師匠でもある。
 駄目なら、この段階でやり直しが来る。やっと緊張感を取り戻し、反応を待った。

 演出の巨匠に脚本を渡して、じっと結果を待っている暇はない。その間にも設定進行としての役目があったからだ。
 設定進行とは、自分が思うに「あってもなくてもいいかも知れないけれど、あればあったで便利」と云う仕事である。
 主たる仕事は、原画、動画を描くにあたって必要とされる絵資料をその筋の専門家に発注し、回収後、関係スタッフに配布すると云うものだ。
 大抵の場合、B4サイズの用紙に、こちらの発注した文字情報を絵に変換してくれる。
 今回は、そのメインを「背景屋」に発注した。背景とは、俗に言うBG(バックグラウンド)のことで、メインキャラの後ろに見える景色などを描いてくれる専門スタッフのことだ。何故背景屋に頼むのかと言えば、それはたまた設定を起こせる人材が、背景屋の中にいたからである。
 かと言って、すべてを背景屋に頼む訳でもない。
 キャラクターのコスチューム替えは、キャラクターデザインの仕事。
 手に持つくらいの大きさの小道具で、前後数カットでしか使わない物は、原画さんにお任せとする。
 メカのデザインは、専門のメカデザイナーに依頼する。(今回は、二人を起用。その内の一人は、別の背景屋に在職していた)
 こうして集まった設定が、アニメ雑誌に載っているような「設定資料集」となるのだ。
 銀座のソニープラザで、「勇者ライディーン」のそれを偶然見かけてから10年近く経っていた。まさか自分がそんなものを作ることになろうとは・・・。夢にも思わなかったとは、正にこのことだ。
 普段は、絵コンテが上がってから必要になるものを選定して行くのだが、なにしろスケジュールが押しているので、それを待ってはいられない。しかたなく、危険を承知で脚本から発注することもあった。
 脚本の中で、主人公が「柔道の稽古をしている」なんてのがあった。読めば、いちいち細かい設定は必要なさそうだったので、「柔道場の内部・全体図」を発注した。床は畳で、板張りの壁。その一角には、神棚があったりして。そんな極めて当り前のものを。
 とにかく、極力早く進めることを優先し、流れの中で、一個所に仕事が集中しないように発注していった。他の作品からも使えそうなものは、ありがたく拝借した。自ら筆を取り、線を足したり引いたりして、100%流用することだけは避けた。
 ゼロからスタートする作品は、立ち上がりの段階で、その世界観をスタッフ全員が把握出来てはいない。
 時代劇の背景に、電信柱や高層ビルを描かないことは、改めて打ち合わせする必要もないが、誰も見たことのない異世界を構築するにあたっては、ひとつの設定を起こすのも、試行錯誤の繰り返し。実に手間のかかる作業なのだ。
 制作進行が最前線の兵士なら、設定進行は、補給部隊とも言える。連携が上手く行けば、その後の作業が澱むことなく進んで行く。
 しかし、ベテランの進行ともなれば、そんな手順などとっくに知っていることなので、勝手に設定を発注していることがあった。好きにしてくれと云う気分だった。仕事の進め方は、人それぞれだから。
 ただ、みんなで作り上げようとしている作品世界をそんな簡単に考えて欲しくはなかった。自分たちがやろうとしていることは、全く架空の世界を舞台にした冒険物語なのだ。もっと拘りがあっても良いのではないか。たとえこの作品が、会社の方針でやるだけの与えられた「仕事」であっても、その中に自分を表現する余地など、いくらでもある筈だ。スケジュールに間に合わせることだけが優先する仕事のやり方は、正直悲しいものがあった。
 そんなことしている内に、例の柔道場の場面は、脚本の「直し」の段階でカットされ、結局使わなくなってしまった。設定は、すでに上がっていたが、全くの無駄である。それどころか、経費の無駄遣いである。でも、なにかの時に役に立つかもしれないと、資料袋にしまっておいた。(伏線ではない)
 巨匠から脚本が戻ってきた。ニコニコしていた。内心ホッとした。
 勿論、絶賛された訳ではないが、この段階で「没」にならなかったのだから、上出来だ。会社の外の人に見せても大丈夫と云うレベルではあるらしい。一応、会社の看板を背負ってるから、ヘンなもの書いてはいけないのだ。
 続いて、脚本の打ち合わせをセッティングした。 出席者は、本作品チーフディレクター、サブディレクター、社内P(プロデューサー)、シリーズ構成、(TV)局P、ライター、そして私。
 社内はともかく、社外の人間のスケジュールも、都合を付けなければならない。あちらを立てれば、こちらが立たずの繰り返しの中で、なんとか日取りを決め、打ち合わせ場所の確保に移る。最初の内は、社内Pが、日取りと場所を設定してくれた。自分に、ゆとりがなかったものだから、大変に助かった。
 会社の所在地は、国鉄(当時)中央線の武蔵小金井だが、これは少々不便と云うこともあり、吉祥寺の喫茶店(気分的に都心寄り。渋谷からは井の頭線でも来られる)で行うことになった。
 当日は、社内スタッフを「自家用車」に乗せて、打ち合わせ場所に向かった。進行でないと、会社から車が与えられない。脚本、設定等の回収で移動が多いので、自分の車を使っていたのだ。だから、必要経費は、会社負担としてもらった。
 そして、いよいよ自分の書いた脚本が、まな板の上に乗る時が来た。
 全部書き直しってことになっても、別にいいや。また書けばいいだけのはなしだし。
 努めて軽い気分を装った。
*      *      *
 まずは世間話から。
 世の中の打ち合わせは、こうやって始まるものだ。
 私の書いた脚本の打ち合わせの時もそうだった。
 ところが、普段は極めて当り前の時候の挨拶ですら、きょうに限って気に障る。
 実際は、ほんの数分程度のものなのだろうけれど、やけに長く感じる。緊張しているつもりはないのに、指先は細かく震えていた。紛らわすように、何度も深呼吸をした。
 どんな意見が飛び出すか、まな板の鯉状態ではあっただけに、
早くしてくれませんかねえ
 ってな気分になっていた。世間話が、馬鹿話に聞こえる。
 本来、この場を仕切るのも自分の役目ではあるが、まったく声が出なかった。出たとしても、
てめーら、早く始めろよ
 ぐらいのものだったろう。緊張が苛立ちに変化しつつあった。
 内容に関しては、複数の人間が意見を出し合う訳で、全会一致、初稿OKが出ることなど希だ。直しが出ることなど、「覚悟の上」と言うより、それは単なる次の作業段階でしかない。
 ならばもっと気楽に構えていれば良いのだが、私が気にしていたのは、直しの内容だ。
 表現上の修正なのか。設定を誤っていたのか。冗漫な部分を削るのか。尺合わせのためワンエピソード足すのか。いろいろあり得る。
 一番気にしていたのは、
これ、何処が面白いの
 と疑問を持たれることだ。
 設定の使い方に問題はないとしても、物語の見所がまったくない、「ツマラナイ」脚本は、「没」にするしかない。
 それは当然なのだが、自分に関わってくるとなると、呑気に構えてもいられない。
 もう一度書き直す機会を与えられるかも問題だ。
 それも、己の考え方そのものを修正し、自分にとっては面白くない方向性で書かなければならないとすれば、やり遂げる自信もない。
 たとえ、ワンポイントのリリーフであっても、押さえるべきツボを確実に押さえ、確実に合格点を取るのがプロと云うものだ。合格点をクリアして、なお次作に期待を抱かせるものでなければ、職業としては成立しない。そこには、ルーキーもベテランも存在しない。面白ければ、次に繋がり、つまらなければ切られてしまう。実に分かり易い。
 さて、私の書いたものは、どうだったか。
 ことの詳細を延べようにも、記憶が飛んでしまっている。
 覚えているのは、オーダーしたレモンスカッシュの氷が溶けて、カチンと乾いた音がしたことくらいだ。その場で読み返す、空白の時間帯の居心地の悪さだけは、はっきり覚えている。
 皆の共通した意見を察するに、おそらくこうだったろう。
「まとめることだけに拘り、積極的な新しいアイディアの提示のない、可もなく不可もない平凡な仕上り」
 全ボツにはならなかった。書き直しを命じられた。
 下ろされなかった・・・。
 最悪の事態は、回避された。ほっとした途端、急に喉が渇いた。まったく手を付けていなかったレスカは、ほとんど水になっていた。
 会社に戻ると、さっそく直しの作業を始めた。初稿の直しは二稿となり、その直しが三稿となる。この辺までは、そう珍しい話ではない。
 しかし、五稿を越すようだと、これは問題だ。
 そんなペースでは、後の話数の方が先に決定稿になってしまう。この作品は、一回ずつの見切りだから、話数が多少入れ替わったとしても、特に問題はない。ないのではあるが、それではシリーズ構成を作った意味がない。

 脱線するが、ついでなので「シリーズ構成」とはなにかを説明しておこう。
 簡単に言えば、その作品全体を構成する全話数の流れを作ることである。

例)主人公を取り巻く仲間たちが、皆そろう。敵の正体を垣間見る。仲間割れを起こす。手痛い敗退。信じて良いのか、敵の寝返り。思いも掛けなかった味方のパワーアップ。殉教的な仲間の死。そして感動の最終回へ

 ・・・などの流れを組み、それを何話あたりに配置するのが、一番効果的であるかを検討し、決定するのだ。
 ゆとりがあれば、各話数の梗概を用意しておけば、内容がより具体的に理解出来ると言うものだ。
 もちろん、すべてをキッチリ決める必要のない場合もあるので、その辺は、ライターさんにお任せの自由課題となったりする。
 そんな流れの中でも、話数を入れ替えてしまうと、伏線が敷けなくなる場合もある。
 ABCDEと並べるべき所をABDCEと並べてしまうと、一瞬気付かなくても、後になってから誰でも分る。「辻褄あわない」から。
 見ている側にとって、こんなに迷惑なはなしもあるまい。作品名は忘れたが、正月を迎えた次の回で、なんとクリスマスパーティをやっていた。一視聴者として、なんとも納得の行かない展開であった。
 そんなことにならぬよう、出来るだけ早く脚本は決定稿にしておき、絵コンテ以降の作業に少しでも余裕を持たせておかなければならない。

 さて、私の場合は、その後も何度か書き直し、形の上では決定稿となった。ここで初めて一本書き上げた訳だ。
 会社に対しても、脚本料の請求書が書ける。
 私は、制作現場の混乱をよそに、かなり上機嫌であった。
 が、しかし、そんな気分も決して長くは続かなかった。
(つづく)
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