第76回 起きながら眠る方法
■今月の方針
きわめて一部が発作的
■小児喘息の発作
小学生のとき、病院で何かの検査を受けた。何だったかは、覚えてない。
そのとき、小児喘息で入院している患者のいる病棟を通った。
普段は元気そうなのに、発作が始まると苦しげで、ホントに死にそうだった姿が目に焼きついた。
自分と同年輩だったせいもあり、見ている自分も、その辛さを身近に感じた。
あれ以来、発作と言うと、この時のことが蘇る。
みんな健康を取り戻し、立派なおじさんとおばさんになっただろうか。
■不整脈と耳鳴り
ちなみに私は、不整脈だ。弁の開閉がうまく行かないときがあるらしいけど、見えないので良く分からん。
脈を取ると、たまに「ない」ことがある。間引き省エネ運転で、誰よりも長生きできそうな気がする。
漫画の表現に、静けさを表すために、「しーん」と文字で書くことがある。
子供の頃は、「どうしてそんな当たりなことをワザワザ書くのか」と思ってた。
だって、実際そう聞こえてるからね。
それがある日、現実にはそんな音などしていないことを知った。かなりの驚き。
普段は忘れてるけど、今も聞こえ続ける。
逆に、なんの音もしないって、怖くない?
■拝啓 ハートビートモータース様
私は初代ミラージュ1600GTに、10年間乗りました。
その間、ただの一度も「これだ」と云う運転姿勢をとることが出来ませんでした。ステアリング、シート、ペダル類の方向がバラバラだったからです。いつも、乗車30分でケツが痛くなり、数時間走ると背中も痛みました。
しかも、オプションで付けたクーラーは、冬の曇り取りには使えましたが、夏場には効果を発揮せず、同乗者からは「頼むから窓を開けさせてくれ」と懇願されたものです。
でも室内は広く、サンルーフのお蔭もあって、明るいものでした。
それに、副変速機は楽しかった。
しかし、その内不思議な報告を受けるようになりました。
点検に出すたびに、「左前輪のラバーブッシュを交換しました。部品代500円で結構で」と言われるようになったのです。
さほど走らない距離で点検に出しても、何故か毎回毎回言われるのです。いくらガスを入れ替えても改善しないクーラーより、気になります。
あれは一体なんだったんだろう……とか思う今日この頃です。
再建計画に基づく一年ぶりの新車第一弾が、「ek・ACTIVE」と言うのは、不安です。
これ、新車って言うんですか?
バリエーションが、増えただけじゃないんですか?
これを第一弾と位置づけること自体、正直情けなく思います。
今後の車種統合は、強引に積極的に急速に進めるべきでしょう。
難癖つけながらも、ミラージュは結局10年乗った車です。それなりの愛着もありました。
頭文字が、同じ「M」だった有名食品会社は、廃業してしまいました。
御社は、大丈夫なのかと気になります。
でもね。
あのクーラーには、懲りましたよ。
だから、「霧ヶ峰」も「ビーバー」も絶対買いません。
それにだな。
以前、ネットでカタログを発注してたら、
「発注回数が規定回数を超えた。だからやらない。自分で販売店に取りに行け」
と返信された。
近所の販売店を閉店させておきながら、なんだこの言い草は!
こんな対応してる会社なんぞ潰れてしまえと、本気で思った。あまりに腹が立ったので、同じ頭文字Mの販売会社の営業さんにも言っておいた。(言わる方は困るけど)
それがだな。
先日、ひさしぶりにネットでカタログ申し込んだら、翌日、販売店から届いたぞ。
なんだ、この態度は!
回数切れたんじゃないのか!
拒否すれば立派と思っていたのに、手のひら返した態度に腹が立つ。変に軟化するな。
それとも、規定回数そのものが、いい加減な決まりだったってことか。
こんなことだから、足元ぐらつくんじゃねーの!?
ミラージュのオーナーで有名な人と言えば………………………………あ。
今をときめくアニメ監督、O井氏が、初代の3ドアに乗ってたっけ。運転してる姿を見た者は、殆どいないらしい。私も見なかった。
■ラスト・チャンス
その雄姿を映画で見ることが出来る、内田裕也とザ・フラワーズの歌ではない。
本題へ。
1964年の第二回日本グランプリに必勝を期して投入されたスカイライン勢が、たった一台の、それもプライベート参戦のポルシェ904に敗れ去った。
一度はトップに立つものの、マシン自体の性能差で、スカイラインは敗れはしたものの、日本のファンに対しては大いなるアピールをすることになった。
これが世に言うスカイライン神話の始まりなのだが、それは見る側の思い入れに過ぎない。
プリンスと言う自動車会社にすれば、「敗北」がロマンチックな思い出になる訳がない。
この会社、記念すべき第一回グランプリの時には、大会規則を几帳面に守り、大負けしているのだ。捲土重来を期した筈の第二回でも、この有様。
戦時中は戦闘機を作っていた人間が、技術陣の核となっている会社(当時は何処でも同じようなものだが)として、その優秀性をアピールし、なんとしても勝ちたかっただろう。
もともと、ポルシェ904とスカイラインでは、生まれた背景が異なり、同じ条件で戦うには、スカイラインが初めから不利だった。
しかし、モーターリゼーション芽生えし頃のユーザーに、そんな事情は届かない。勝ちは勝ちだし、負けは負けだ。
一念発起した同社は、レース専用車輛の開発に乗り出し、翌1965年に「プリンスR380」を完成させた。
このマシンこそ、自動車メーカーが造りあげた、我が国最初の純粋なレーシングマシンであった。(戦前からあるだろとか言わないように)
しかし、この年は大人の都合でグランプリは中止。
やむなくプリンスは、高速連続走行記録に挑戦。いくつかの記録を更新し、その存在を示した。(この車には、速度計が付いていた記憶があるんだが)
そして、待ちに待った1966年がやって来た。
初めて富士スピードウェイで行われるグランプリには、四台が出走することになり、必勝を期した。
真っ向勝負するライバルは、ただ一台。
プライベート参戦のポルシェ906。前回の904より遥かに進化したレーシングマシンである。相手にとって不足はない。いや、このマシンを破って見せることで、天下にプリンス自動車ありと胸を張れるのだ。
しかも、メーカーチームならではの資金力で、出来立てホヤホヤの富士のコースを徹底的に分析し(電子計算機で、限界タイムを想定したとか)、練習走行に励む一方で、燃料補給を十数秒で終わらせる新兵器も用意、着々と本番に備えたのである。
5月2日の予選は大雨だったが、3日の決勝は、快晴となった。
プリンス勢は、さらに奥の手を用意していた。チームプレイである。
とにかく一台を先行させ、逃がす。他は、ポルシェを押さえ込む役割に徹したのだ。
そこへ持ってきて、新兵器が功を奏し、燃料給油作業時間の圧倒的な差でポルシェを突き放した。宿敵ポルシェは、焦りからか自損事故で大きく後退し、姿を消した。
プリンスには、このレースに、どうしても勝たねばならぬ理由があった。
同社は、大人の事情で日産自動車との合併(実質、吸収合併)が待ち受けており、純粋に「プリンス自動車」として参加できる日本グランプリは、これが最後だったのだ。
しかし、レースは最後まで何が起こるか分からない。スタッフの誰もが、祈るような気持ちであっただろう。
やがて願いは天に通じたか、その後もプリンスの描くシナリオどおりに事は進み、見事1-2フィニッシュを決めたのであった。
写真は、優勝した11号車をモデル化したもの。(エブロ社製)
このマシンを駆って、第三回日本グランプリに優勝した砂子義一選手は、砂子塾長こと現役レーシングドライバー砂子智彦氏の実父であることは、言うまでもない。
R380は、翌67年には空力的に洗練された進化型へと姿を変えた。
しかし一番の変更点は、名称が「ニッサン R380-II」と、されたことだ。
1966年5月3日火曜日こそ、プリンス自動車の社名を歴史に刻み込む、ラスト・チャンスだったのだ。
■モデル解説(偉そう)
モデルそのものは、数年前の製品と言うこともあり、今のエブロの水準からすると、いささか物足りない部分もある。
中心を走る二本の白線は印刷で、下地の赤が透けている(タンポ印刷の宿命か?)。
タイヤと車体の隙間が、かなり狭い。タイヤは当時の雰囲気として、もっと細くて良い気もする。
それでも、ワイパー部品がエッチングパーツであったりと、心意気は十分に感じることが出来る。
現存する実車(近年製作されたレプリカ版もあるが)とは、ワイパーの向きが逆な気もするんだが、気のせいか。
同社の「ダットサン240Z」のサファリラリー仕様が、京商のものとは解釈が異なるように、同じテキストを使っても、決して答えが同じにならない所が、ミニカーの面白いところだ。
4センチ3ミリの突起は、実際には、かなり大きなもだが、ミニカーサイズでは、わずか1ミリの 膨らみに過ぎない。
これを正確に再現しても、ただの不具合、不良品に見えてしまう。
だから、ポイントとして強調するときは、大袈裟に表現せざるを得ない。
この「大袈裟」のサジ加減が、メーカーの腕の見せ所となるのだ。
各メーカーさんも、たまにはユーザーからのリクエストってのも、受け付けて欲しいものです。何票か集まり、採算が取れそうだったら造るとか。(やってるところもあるけど)
■飛び石連休
前項の1966年の連休は、4月29日の天皇誕生日(当時)が、金曜日。
5月1日が日曜日、3日憲法記念日が火曜日、5日子供の日が木曜日と、見事に飛び石連休となっていた。(当時、土曜日は出勤登校が常識)
飛び石連休・・・・。
最近は、聞かなくなったけど。
学校行って、休んで、又行って休んでを繰り返していたんだなあ。
だいたい、飛び石で「連休」とは、これ如何に?
かと言って、「一休さん」ってこともないし。どうでもいいか。はい。
■季節がら
本当なら、ルマンの話題でも出すところなんだが、ここでは出ない。
あ。
あるある。今年から地上波での中継がなくなったんだね。もう、見られないのか。
テレビ朝日は、パリダカにつづくレース番組からの撤退だ。
つまらないなあ。
最近、1979年型の「童夢零RL」がミニカ−で登場したねえ。なかなかいいんだけど、高いなあ。ちょっと買えないなあ。(安くしろと言っている)半額だったらなあ。
で、来月のルマンねた予定の出し物は、日本車として初めて優勝を飾った「MAZDA787B」の模型を公開。ただし、作ってない。だから正確に言えば、パーツを公開(なんだかなあ)。
せっかくだから、予告代わりに実車とミニカーの写真でお茶を濁しておこう。
実車の撮影場所は、北海道は小樽交通記念館。
詳細は、次号。
(つづく)
■アニメ界を目指す人へ(ただし、制作進行希望者限定)
と、云うネタを思いつくままに書いてみる。
きっと読みにくい。発作だから、諦めろ。
作画なり、彩色なり、撮影なり、編集なり、なんなりと、技術のある人は、アニメ制作会社に採用されやすい。これは、分かりやすい理屈。
ここでは、それ以外に「何の技術もないけど、とにかくアニメの仕事にかかわりたい」と夢想する希望者が対象だ。
たとえアニメの知識がなくても、日商簿記2級で経理が出来るのは、強みだ。
これは制作会社にもぐりこむ手ではあるが、本が好きで出版社に入って経理するのと同じで、なんか違うんじゃないかって気がする。
また、エクセル、ワード、パワーポイント、フォトショップ、イラストレーター、ページメーカー、クォークなどが扱えるのも結構。しかし、現場ではあまり役に立ちませんな。
全くということはないけど、あまり出番はない。特に編集ソフトが使えるなら出版社、デザイン会社がお薦めです。
さらに外国語に堪能であっても、それはまた別の道で生きる方が、賢明です。
また、損害保険業務資格があって、日本道路公団管理員測量士とか言われてもなあ。
そういう人は、その道で生きてくださいよ。
だから、ここで言うのは−−−(中略)−−−なんの技術もないのなら、目指すは「制作進行」だ。
かく申す私も経験した「制作進行(通称、進行)」こそ、なんの技術、知識も必要とせず、明日からでもアニメの業界人になれる、手っ取り早い職種である。
一体、どんなことをするのかと言えば、、、、、、、、何だろうか。いまでも良く分からない。
ちょっと、ネットで検索してみよう。進行が運営するHPとかないのだろうか。
間
ない。
そんな暇はない、大変に忙しい仕事なのだ。
とにかく、一本の作品を仕上げるために、、、、、あんなことやこんなことや、はたまたそんなことまでしなければならず、精神的にも肉体的にもきついとされている。
しかし、これは一般論。当然、個人差がある。
色んな業種を転々とした私には、この仕事が一番「楽」だった。
精神的にも肉体的にも強靭だったのではなく、単に、「鈍い」からだ。
これを「重要な適性」と思う人はいないし、勧める人もいない。
それでも私には、一番の武器だったと思う。
現場ではスケジュールなど、あってないようなもの。仕事に追いまくられ、苛立ったスタッフから、全人格を否定される心無い言葉を浴びるときもある。
これで、落ち込む人もいるが、そんなもの真に受けてどうする?
誰だって苛立つときはあるし、それで憂さ晴らしが出来て、スタッフも自分の仕事に励むことが出来るのなら、それでいいんじゃないの? 私は、そう思ってきたし、今でも、そう思っている。
「あ、それって、俺のこと言ったの?」くらい鈍ければ、スケジュール悪くても平気。
なんとかなる。と、思い続ければいい。ずっと思っていれば、いつの間にか「なんとかしよう」と云う行動に繋がっていくからだ。もちろん、何もしないのは論外だが、それをするのが、「仕事」なのだ。
肉体的には、きついかもしれない。
眠る時間が取れない。これに尽きる。一日50キロ泳げとか、腕立て600回やれとか云うものではないが、出来る体力があったとしても、辛いだろう。眠れないことは。拷問に使うくらいだからね。
横になれないまま起き続けていると、足がむくんで、靴が脱ぎづらくなる。臭くなるのは当然だ。
いくら忙しいからと言って、普通、会社に宿泊施設などは用意されない。そんなもの作るスペースはないし、あればあったで、常連客が出来てしまう。そっちの方が問題だ。
私は、会社に三日以上泊まったことがない。必ずどこかで一瞬気を抜いていた。「深刻」であることが、私には似合わないからだ。
そこで、起きながら眠る技術を体得した。
以前も、ここに書いたが、当HP管理人のK原氏には冗談と受け止められたようだ。
要は、何も考えずに行動すること。外注回りに車を運転していても、道順なんか気にしない。運転した感覚ナシ。何処をどう通ったか覚えてない。体だけ起こしておき、頭を眠らせてしまうのだ。この間、脳と体の時間軸がズレるので、頭的には「休んだ」感覚になれるのだ。でないと、一日400キロも走れない。(武蔵小金井←→成田空港 で200キロ、武蔵小金井←→羽田空港で100キロ、武蔵小金井←→練馬、大泉、池袋、大塚方面で100キロ)走ることが仕事なら、それでもいいが、これは単に移動しているに過ぎない 。
一日何キロ走ろうが、関係ない。会社に戻ってからが、本当の仕事なのだ。
新人にとって辛いのは、何処の会社も似たようなものだろうが、よほどスケジュールに余裕がなければ、仕事の詳細など誰も教えてはくれないことだ。
見て真似するしかない。あとは、言われたことを完璧にこなすことだ。教えてくれたっていいじゃないかってのは、正論だが、通らない理屈でもある。
愚痴っている暇があったら、体を動かすべきだ。その方が、早く終わる。
過去に何度か、アニメ制作会社で「制作進行」の採用面接に立ち会ったことがある。
みなに共通するのは、すでにこれだけ悲惨さばかりが世の中に喧伝されている業界の割には、現実的な知識が薄いことだ。
「泊まりになるよ」と言えば、それだけで辞退する者もいる。
おそらく、会社に寝泊りは「ネタ」だと思っているのだろうが、これは真実だ。眠れるだけでも有難いと思うべきで、その意味では「寝」はない。「泊まり」だけだ。
逆に、専門学校等で自主制作を経験した分、「自分はアニメを知っている」と公言する者もいる。しかし、会社は同好の士が集まる場ではない。みんなが前向きと云う訳でもなければ、足を引っ張る奴だっているかもしれない。
しかも、自分の好きな作品にめぐり合う可能性は殆どない。嫌いな作品であっても、仕事として割り切らなければならない。
まして、自分のオリジナルなんて、夢の夢のまた夢の中のウワサ話に過ぎない。そんな環境の中で、同好会的経験が、どんな役に立つと言うのか。私には、疑問だ。仕事は趣味とは違うのだ。
「制作進行」には、将来への希望、期待なんかなくていい。
何事にも、理想と現実のギャップがある。
何日も徹夜している者が、「この先、自分は本当に演出になれるのだろうか」などと考えては、仕事に身が入らない。
ここは、ひとつ「鈍く」なって、そのうち何とかなるだろうと、植木等のように思っていれば良い。アニメ制作の全体像が把握できるのは、この職種しかないことを幸せに思うべきだ。一日中机に向かって絵を描く仕事では、決して味わえない出会いが毎日用意されていることに感動すべきだ(交通事故を除く)。
それでも進行を仕事のスキルアップの手段と考えるなら、「時間がない」と言うなかれ。
ない時間の中で、絵を描くなり、コンテを切るなりする根性のある奴は、いつかは物になるはずだ。周りだって、そう見てる。「やりたい、なりたい」と、何億回唱えるより、一回の行動で示した方が、遥かに効果的だ。
ただし、後は運任せの部分もあるから、過度な期待は禁物だ。
演出は、外の人間にも頼める仕事。会社としては、現場主体の進行の方が、必要なのだ。
演出やるなら他でやれと言われても、当局は一切関知しない。
「制作進行」は、やってみないと分からない職種。
会社が求める能力は、他人とのコミュニケーション(説得)力であったり、時間管理能力であったり、安全運転技術であったり、体力であったり、大胆さであったり、繊細さであったり、機転であったりする。
これは実際に仕事に就いて、初めて分かることばかりで、面接だけでは見抜けない「総合的人間力」とでも言うべきものだ。
面接のときに、「きつい仕事だけど、やれる自信はある?」と聞かれた、「たぶん出来ると思います」くらいのことは答えて欲しい。
こんな時に、「ありません」などと言うのは、いくら正直な気持ちであっても、面接してる相手にとって失礼だ。
互いに、時間の無駄と思うような態度は、厳禁なのだ。
誰だって、「進行」のやるべき仕事など初めから把握してはいない。分からないことは面接の時に、どんどん相手に聞くべき。
履歴書も、学歴、職歴だけでなく、自己アピール出来そうなことは、とにかく書き込むこと。白紙に近い履歴書では、本人のやる気を疑ってしまう。
それに、「帰れないよ。眠れないよ」などと云う脅しは、踏み絵なのだら、ガンガン踏み潰すべし。
面接の常識として当たり前のことを書いているが、そこに達しない者がいることを実感して、しつこく書いているのだ。
これが何かの参考になるとは思わないが、なんか発作的に書いたまで。
良く分かんなかったでしょ。
■最近のアフレコ(なんと前回からのつづき)
前回のあらすじ・・・(略)
何故、線撮りのアフレコでも画面の構成が分かるのかと言えば、それは、デジタル化の波を被ったおかげです。
紙の上に紙を重ねては、下の紙が見えなくなってしまう。これが、アナログの原則。
従って、Aセルの顔にBセルの口パクを重ねては、顔が見えなくなっていました。
撮影スタジオによっては、スケジュールに余裕があれば、下から強い透過光を当て、透けて見えるように便宜を図ってくれることもありました。
しかし、見づらいことに変わりはありません。
これがデジタル処理だと、線画のデータの上に、別のデータを載せて表示するだけだから、何枚でもセルを重ねていけるのです。
ですから、原撮になっていれば、音を入れる作業、つまりダビングでも(あまり)困らなかったりするらしい。
さらに、動画さえあがっていれば、そのカットを紛失しても困りません。
動画以降の処理は、データ上でのやり取りになるので、現物の必要性がなくなるのです。
もちろん、シートは、必要ですが。
昔みたいに撮影→現像の手順を経ていたら、決して間に合わなかったスケジュールも、今は余裕です。逆に間に合ってしまうから、良くない側面もありますが、それは別途説明します。
以前は、線撮りなど制作会社の「恥」だったので、スタジオ取材の時も決して画面を撮らせなかったものですが、線撮りが常識になってしまったのか、平気ですな。
お蔭で、今やアフレコの時に色のついた絵では逆に戸惑ってしまい、声をあてられない声優さんもいるとか。
いやはや時代も変わったものです………などと、心にもないこと言ってみる。
■ダビデ像復活
なにぃ、ダビデ像の片足が、重量に耐え切れずにヒビが入っているだと!
ふん! 言わんこっちゃない! あいつは元々ただの彫刻屋だからな。仕方ないと言えばそれまでだが、そこが私との一番の違いだな。私なら、綿密に重量配分を計算してから仕事に取り掛かったはずだから、決してこんなことにはならなかったと断言するね。なにい、計算だけで仕事に入らないんじゃないかって? 誰に向かって言ってるんだ! だいたい奴は、生意気なんだよ。天井に絵を描くのが、そんなに偉いのか(以下略)
以上、ビンチ村のレオナルド氏のインタビューでした。
■ある日
またも休載か!
休載を救済せよ!
■とくに関連するわけでもないが
脱走兵が、本国への送還を恐れ、穴から出てこない。
こちらとしては、「元脱走兵」だが、本国では「脱走兵に元はない」ようだ。
しかし、何故出てこない?
それ以前に、何故脱走した?
主義に合わない、不条理なことが沢山あったからではないのか?
いま本国は、I国の扱いで国際的に非難を浴びている。
だからこそ、穴から出てきて堂々と主張すればいいと思う。
国家、軍に対する思いを洗いざらい述べる、絶好のチャンスではないのか。
普段なら脱走兵の話しなど、誰も聞いてはくれないだろう。
でも、今なら。
ラスト・チャンスに、次はない。
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