底上げと引き摺り
近頃、余り時間がありませんので、かなりの短文記事で申し訳御座いませんが。。。
自分で努力したくない時に、それでも自分の評価を上げたり操作する方法というものは、
通常2つのパターンがある。
タイトルの通り「底上げ」と「引き摺り(降ろし)」
要は自分よりも上の人間を意図的に下へと引き摺り降ろして自分の優位性を確保するか、
下の人間を上に見せかけて自分も仲間に入ってしまうという方法がある。
よく、大して可愛くもない女の子に対して、
明らかに自分よりも劣ると分かりきっているレベルの女性の容姿に対して、 「カワイイ〜〜〜www」とか、わざとらしく言っている女性というのは目に映る。
最初は「角を立てないため」・「まさか本音を本人の前で言えるわけもない」
つまりは仲良しゴッコを継続する為にそういう風に言っているのだとばかり思っていたのだが、 どうやらそれは違うようで。。。こういう細かいところにも、打算や計算というものが。。。
言ってしまえば「カワイイ女の子」というグループ全体の価値・基準を引き下げる、
許容範囲を出来るだけ甘くすることによって、自分も「カワイイ」の部類の中に入るという仕組みらしいです。
もっとハッキリ言えば、自分よりも明らかにブサイクな子が「カワイイ」のなら、
【自分は間違いなく「もっとカワイイ・かなりカワイイ女の子」ということになる】 ですから、そういう【お得な基準】はできるだけ甘く甘くしていくのが女性の手法。。。
別に「女の世界のみ」でこういう方法を使っているだけなのならば、
大して問題にしなくても良いのだけど、実質「周りのレベルを引き下げる・基準を自分に合わせさせる」 というのはアファーマティブアクションや女性枠も結果としては同じような考え方。
弱いフリをすれば相対的に男性の方が強く見える→だから女性には優しくしろ、、、とか、
その割に強者の顔した方が都合が良ければ今度は強者の顔になる。要は使い分けが上手なんですね。 少なくとも、信用も信頼もないですが。。。結局はその時々で白にも黒にもなるって、お前らはオセロかと。
つまりは「自分の立場が劣勢である」ということは、絶対に認めたくないわけですね。
これは逆説として考えれば、女性が「自分が損する時」じゃないと決して謝らないのと同じです。
あくまで周りとの調和を取る為の礼儀として「あ、すみません」程度なら女性も普段から言いますが、
そうではなく、本気で責められている時に女性が謝ることがあるとすれば、ほとんど「自分のために」です。 「自分が間違っていたから素直に謝る」のではなく【自分の立場が劣勢にならないために謝る】 【謝らないと自分が損をする】と分かってから謝る。そうでない場合は・・・いつも通りの態度を続ける。
この件が、もっとさらに酷くなれば「みんな一緒」とか「みんなでゴール」という思想になる。
現に「みんなシンデレラ」・「みんな桃太郎」とかも女性や男女共同参画が考えたこと。
要は、これは女性にとって究極の理想の形。「優劣なんて有り得ない」ということ。
確かに、そうなれば優位性とか駆け引きで悩む事もなくなる。
楽と言えば楽かもしれないが、何の進歩も、何の気付きもない世界。。。それが女性の世界。
(だから、いずれ【当たり前の事】すらも、わからなくなっていく・・・)
これらの言動には「擦れていない女性」・「まともな人間」というものの欠片も見当たりませんよねぇ。。。
一体どうなってるんだか。。。 |
努力と批判を人から取ったら進歩なんてありえないのですが。
別に自分の進歩なんて望んでないのでしょうね。。。
2009/5/11(月) 午後 10:08 [ wmn*012 ]
自身の少年時代を振り返っても容姿の可愛い子というのは
必ずと言っていい程、女子の中で仲間外れにされていました。
それも明らかないじめと違い、周囲から分からない形でさり気なくね。
カワイイという言葉は曖昧でどこでも何にでも使え、便利で都合が良い。
いつの時代から「可愛い」は「カワイイ」になったのか・・。
こうやって言葉や文化が侵食されていくんだなとしみじみ思いました。
女がコンプレックスに支配され易いという構造はあるかと思います。
故に一連の自由化・ジェンフリは
返って女性を卑屈な人間に至らしめるだけなのでしょう。
女性には女性の役割があるとした昔の人は上手いですね。
現代で言えば性差を科学的に理解・分析し
それに基づいて男女を生かし合っていくとか。
肯定感情を長所進展に発展・繋げていく教育とか
この記事読んで色々考えてみたり。
2009/5/12(火) 午前 2:26 [ 白井潤 ]