連休最終日、今日は憲法記念日の振替日だそうです。娘に教えてもらうまで知りませんでした。
東京は小雨・・・私の心が晴れる日は果たしてやってくるのでしょうか。
「最後のパレード」に掲載されたエピソードを一つ紹介します。今後は、このエピソードの趣旨をOS(基本ソフト)にこの本の各論を論じてください。
こんなにきれいな光
季節はお盆です。私は夜のパークをパトロールしていました。
盛大なファンファーレが鳴り響くと、東京ディズニーランド・エレクトリカルパレードがはじまります。
光輝くディズニーのスターたちを乗せたフロートの一団が近づいていくと、パレードルート周辺にぱあっと活気と笑顔があふれました。それは私にとってはいつもの光景でした。
ふと見ると、80歳くらいのご婦人が前屈みになっていました。その背中をご主人がさすっています。
トラブルか緊急事態か、と緊張してそばに駆け寄り「どうかなさいましたか? なにか困りですか?」とたずねると、ご婦人は涙をすすりながら「ごめんなさい」とおっしゃいました。
「戦争でひとり息子をなくした私たちは、いつもこの時期になると東京のお墓に会いにくるんです。その帰りに今日はじめてこちらにきて……わけもわからずみなさんと一緒に座っていたら、このパレードがはじまって。こんなにきれいな光のパレードを見られて感激したんです。戦争中は毎晩、毎晩、電気を消して、じーっと息をひそめていたんですもの。日本は平和になったんだなって思ったら急に涙が止まらなくなって」
息子と一緒に見たかった、と最後にぽつりと言いました。
平和なのが普通だと思っていた私にとっては衝撃の言葉でした。
その夜、ふたたびこのご夫婦を見かけました。
笑顔で、お城を仲良く見上げるお二人のシルエットが花火に浮かび上がっていました。
<著者解説>
このエピソードは何回読んでも泣いてしまいます。この日、ご夫婦はイッツ・ア・スモール・ワールドもご利用になられたのかもしれません。イッツ・ア・スモール・ワールドは国際機関ユニセフの要請で1964年のニューヨーク博覧会に出展されたもので、世界中の子どもたちの人形が「人類の調和と世界の平和の歌」を歌っています。私が大好きなアトラクションの一つです。
「最後のパレード」においてこのエピソードは「紅白歌合戦」でいう白組の「トリ」に当たります。
年末から年頭にかけてのイスラエルによるガザ侵攻時は、まさにこの本の執筆中でした。日本社会が祝賀一色の頃、私はひとり、このエピソードをすべてのユダヤ人やパレスチナ人、そして全世界の人々に届けたい、そう願っていました。
報道によりますと、イスラエルの高官はパレスチナ側に対し、「日本のように全面降伏せよ」という趣旨の発言をしたそうです。
私は許せませんでした。
なぜならば「毎晩、毎晩、電気を消して、じーっと息をひそめていた」日本人と、「毎晩、毎晩、電気を消して、じーっと息をひそめている」パレスチナ人の姿が重なって思えたからにほかならないからです。
以前に記したように、私の父は中国で戦いました。父の兄は母の待つ生家から遠く離れた中国の地で戦死しました。弱冠20歳でした。今静かに、靖国に眠っています。
父の長兄は天皇陛下を守る近衛(このえ)兵でした。伯父の棺に「近衛の軍服」が添えられていたのが忘れられません。
戦争は決してしてはいけないのです。
私は、パレスチナ問題を解決するには、軍事力ではなく「パラダイム(理論的枠組み、ものの見方考え方)に訴えるしかないと考えます。
紹介したこのエピソードで語られるパラダイムは日本人の「総意」であると私は確信しています。
この日本人の「総意」を世界中に届けたい、その「思い」をこのコメントに込めました。 このエピソードは何回読んでも泣いてしまいます。と書いた理由をご理解いただけると思います。
サンクチュアリ出版様も同じ気持ちでした。中国語や英語に翻訳し、このエピソードが載っている「最後のパレード」を全世界の人々に読んで欲しい、そう願っています。
私は、このエピソードと出会う前は全体としては改憲論者でした。憲法九条に関しては公明党が主張する加憲論に近い考え方を持っています。
私はこのエピソードに出会い、憲法九条は絶対に守らなくてはいけないと確信しました。この国を戦争ができる国にしてはいけない、改めてそう思いました。
殺された私の伯父も、人を殺したのかもしれません。中東での殺し合いも同じです。人には人を殺す権利など無いのです。
このエピソードは著作権フリーにします。九条を守りたい方は、責任はすべて私が取りまので、どんどんコピーし「戦争が個人をどの様な思いにさせるか」を分かってもらえるよう、自由に活用してください。
政治という「鳥の目」ではなく、個人という「虫の目」で九条を考える「教材」にして欲しいのです。
人間は、まず感情で意思決定し、後にその選択を理論的(言い訳的)に正当化します。
ユダヤ人のパラダイムを転換させるには、ミサイル攻撃ではなく、一人ひとりの心の「はーとディスク」への「感情ロケット攻撃」しかない、私はそう考えます。
私たちは、この「最後のパレード」を出版するに当たり、本当に「人類の平和」を考えてきました。サンクチュアリ出版はアメリカにも支社がありますが、この本が世界のベストセラーになり、ユニセフへの寄付行為など、社会貢献に大きく役立つ書籍になると、固く信じて来ました。
一部書店では、店頭からこの本が消えたそうです。悲しすぎます。あまりにも心ないと言わざるを得ません。
「最後のパレード」の著者や出版社をバッシングしている人たちに告げたいと思います。
「小異を捨てて大同に就く」という言葉もあります。小さな法律解釈行為はやめて、ディズニー精神や憲法前文の精神に則した大きな心でこの騒動をジャッジしてほしい、そう願ってやみません。