2009年05月10日

おふくろ

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この度の母の日に当たって俺がゲームラボという雑誌で連載している田代まさしの人生航路の中で母の事について語っているので是非皆さんにも見ていただきたくアップしました。

「おふくろ」

事件を起こし拘置所に居たとき俺は自殺を考えた。その日の夜おふくろが夢に出てきた、おふくろは浴衣を着て日傘をさして優しく微笑んで俺を見つめていた次の日おふくろのためにも生きようと自殺を思い止まった。

おふくろは佐賀県の出身である、当時親が決めていた許嫁がいたがその人の事が好きになれず単身、東京へ飛び出した。そこでおやじとめぐりあい俺が産まれるのだがその時おやじの浮気が発覚、その事が許せなかったおふくろはまだ産まれてまもない俺を連れて家を出た、気丈な女である。おふくろは九州から両親を呼び寄せ夜の仕事をしながら俺を女手ひとつで養った。普段は夜の仕事をしていたのでお弁当など作ってもらえなかったが運動会や遠足の時などはお重の三段重ねの豪華なお弁当を作ってくれて隣のクラスの先生までもがその弁当を見に来たのを今でも覚えている。またおふくろは芸事が大好きな人だった日本舞踊も習っていた映画も大好きだったよく好きな女優さんと同じ服を作って着たりしていた、絵も上手だった。またユーモアのセンスも抜群だった、子供の頃クリスマスでサンタさんからプレゼントが欲しかった俺は枕元に靴下を置き寝た次の日プレゼントが入っていた中を覗くと消臭剤のキムコだった。(笑)その遺伝子を俺は全部、受け継いだ。

大人になりトラックの運転手をしてる頃よくおふくろの家に寄ったすると必ず俺の大好物の料理をテーブルに乗りきれないほど作って出迎えてくれた。

デビューして人気が出た時おふくろは割烹料理屋をしていたファンが店に来ると一銭も金をとらないそんな母親だった妹が二人いるが全部父親が違う恋多き女でもあった。しかし若い頃の苦労が祟ったのか子宮癌という病に倒れ入退院を繰り返す様になった。俺は仕事の合間を見つけてはおふくろの病院に見舞いに行った。そんなある日俺は病室でおふくろの背中をマッサージしてあげていた、すると腸の調子が良くなったのか俺の前でおならをした、おふくろは何度もごめんねと謝った、俺は親子なんだから気にするなよと言うとおふくろは「だって、わたしお前の前で一度もおならした事ないから・・・」と恥ずかしそうにそう言った。そういえば今までおふくろのおならを一度も聞いた事がなかった。俺は思ったどんな年になってもどんな状況にあってもたとえそれが親子の間柄であっても女としての恥じらいを忘れないおふくろの生き方に俺は感銘を受けた。それから自分も女性の前ではおならしない男になろうと努力した、かみさんの前でもおならをしないように我慢し続けた、しかしある日俺は腸の調子を壊してしまい腸閉塞なり救急車で病院に搬送されてしまった。(笑)改めておふくろの凄さを思い知らされた。

この後49歳の若さで癌で無くなるが俺の救いは成功した姿と孫の顔を見せてあげられた事ぐらいでまだしてあげられる事が一杯あったと今でも後悔している。死ぬ間際はおふくろは「私の人生は幸せだった、ありがとう兄妹三人仲良くね」と言って死んで逝った、その頃忙しかった俺は冷たくなったおふくろの首に自分のマフラーを掛けて仕事に向かったのを昨日の事のように覚えている。このコラムではおふくろの事は書き尽くせない、ただ美しく優しい自慢の母親だった。おふくろが生きていれば多分事件は起こしていなかっただろうこの間の2月21日おふくろの命日に妹達と三人でお墓参りに行った、俺は墓石の前で手を合わしこれから頑張るから見守っていてねと心の中で呟いた・・・
posted by 田代まさし at 18:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする