A《スゴ凄/DNA鑑定/園児殺害、捜査の決め手/100万人から1人絞り込む能力》
B《足利「DNA不一致」/「立証」崩した最新鑑定/精度向上 現在は「4.7兆人に1人」識別》
★栃木県足利市で90年に4歳の女児を殺害したとして、無期懲役刑が確定していた菅谷利和さん(支援組織にならって、ここでは実名とした)の再審請求で、女児の衣服に残された体液のDNAを改めて鑑定したところ、菅谷さんのものと一致しなかったことが明らかになり、再審開始の公算が大きくなったと、マスコミ各紙が大きく報じている。
★多くのマスコミの論調は、DNA鑑定の精度が、事件当時とは格段にあがったことで、冤罪の疑いが濃厚となり、最新の道が開けたと、すべては、DNA鑑定の進歩のおかげといったものだ。例えば、「朝日」(5月9日付朝刊)では、次のように述べている。
DNA鑑定の進歩は、真犯人をより高い確度で特定すると同時に冤罪を防ぐことを可能にした。米国では04年にすべての死刑囚や懲役囚にDNA鑑定を受ける権利を認める法律が成立。08年までに計237人が最新で無罪となった」という。日本でも法制化すべきだと指摘する専門家もいる。
ただ、鑑定のもととなる試料の取扱いや保存方法などによっては絶対のものではない。精度が格段に上がったとはいえ、DNA鑑定だけに依拠する「犯人特定」は許されない。
★さて、ここで、冒頭のふたつの記述の種明かしをしておこう。Aが、菅谷さんが逮捕された当時の「朝日」の「ニュース三面鏡」の見出し。Bが、今回のDNAの不一致が明らかになったとの「朝日」(5月9日付)の社会面の見出し。
Aでは、「100万人に1人」とDNA鑑定の精度を持ち上げ、Bでは、「4.7兆人に1人」を識別と精度向上をさらに持ち上げる。でもいくらなんでも、ちょっと、無責任ではないのか「朝日」さん。「DNA鑑定だけに依拠する『犯人特定』は許されない」って言うけど、その警察のお先棒を担いで、菅谷さんに対して、『犯人視報道』を繰り広げた、「朝日」その他のマスコミの責任はどうなるのだろうか。
★もともと、この足利事件は、ちゃんとそのいきさつを追いかけていれば、当初から冤罪が濃厚な事件であったのだ。何の証拠もないままの見込み捜査、そして、「未解決事件3事件/隣接の場所で発見/状況や目撃にも類似点」(『読売』91年12月3日付け)などの記事に見られるような関連事件の押し付け報道。プライバシーの侵害報道、DNA鑑定絶対視と、犯罪報道の弊害のオンパレードといった様相であったのだ。そのことについては、支援組織である『菅谷さんを支える会』http://www.watv.ne.jp/~askgjkn/に詳しいので、ぜひそちらを見てほしい。
また、2001年には、この事件の矛盾点を地道に調べ上げた『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか』(小林篤著 草思者)という書物も出ている。
★当時、このDNA鑑定について、人権と報道・連絡会の事務局長の山際永三氏は、「先端技術による証拠物の鑑定は、その科学的正確性が多分に試料の採取・保存の過程に依存せざるをえない。つまり採取し保存した警察官がどれだけ科学的な誠実さを持って自分を律したかが問題なのに、それはほとんど明らかにならない構造になっているのだ。(略)DNA鑑定は問題山積みで、とても厳密な法律手続きになじまない。まして、微細な証拠物の採取保管が鑑定人以外のものの責任に依存するところが多いのである。DNA鑑定を絶対視して人間が裁かれてはたまらない」と語っている。
★仮にDNA鑑定がいかに優れた科学的なものであったとしても、山際氏が言うように、その試料の保存方法、さらに言えば、試料、例えば、髪の毛一本が、犯行現場に残されていたかのようにすりかえられたら、もうそれは闇の中で、「科学的に一致した」という事実だけが一人歩きしてしまうのだ。
米国で、DNA鑑定で、237人もの無実が明らかになったことは、無実が明らかになったことだけで言えば、めでたいことには違いないが、そもそも、それだけずさんな捜査が行われ、冤罪が多いことに問題があるのだ。
ひるがえって、足利事件についても、DNA鑑定の精度が上がり、再審請求の道が開けたことだけに目を奪われるのではなく、逮捕当時、いかにずさんな捜査が行われていたかをチェックすることなく、警察の意のままにDNA鑑定絶対視を繰り広げ、菅谷さんの自由を20年近くも奪った、マスコミの犯罪性こそ問われるべきである。その反省がなければ、また、「4.7兆人に1人を識別」と、DNA鑑定を絶対視した冤罪を生むことだろう。