犯罪捜査上のDNA検査の歴史とドラマがぎゅっと詰まっている一冊。
もっと気の効いた邦題なり副題なりをつけて欲しかった。
「DNAは知っていた」
サマンサ・ワインバーグ
文春文庫 文芸春秋 2004/08
(原書2003 Pointing from the Grave )
バイオインフォマティクス職のヘレナ・グリーンウッドが連続強姦犯に襲われた。
ほどなくして連続強姦犯の容疑者が逮捕される。
DNA解析の最前線で活躍していた彼女は、気丈にも公判での証言を引き受ける。
が。
裁判の進行中に、彼女は無惨にも何者かによって殺害されてしまう。
死人に口なし。
保釈中の連続強姦犯の容疑者が当然最有力の殺人犯容疑者であるのに、事件の当時、まだ遺伝子解析技術は発展途上であり、犯罪捜査に遺伝子検査も用いられることなく真犯人は明らかにならぬまま捜査は頓挫してしまう。
これは実話だ。
イギリスのジャーナリストが、アメリカで起きたヘレナ・グリーンウッド殺人事件と遺伝子捜査の歴史を追ったドキュメンタリーである。
冒頭のヘレナ・グリーンウッド強姦〜殺人事件は、1980年代から2002年までの遺伝子解析技術発達の期間を通じて展開する。この本の中で、二つの物語は切っても切り離せぬ密接な二重らせんのように、先鋭な時代の物語を織りあやなす。
事件の顛末、捜査の展開の折々に、当時の遺伝子解析とその技術の応用状況や研究者の動向が描かれる。
... 以下つづき...
遺伝子捜査技術開発20周年@英国
2004/09 ★ BBC News Two decades of DNA fingerprints
Scientists in Leicester are marking the 20th anniversary of the invention of genetic fingerprinting.
2004/09 ★ Guardian DNA fingerprinting 'no longer foolproof'
生体の痕跡を調べても血液型程度しかわからなかった時代、それはわずか20年前。
ジェフリーズが提案した「DNAプロファイリング」が登場して。
ほどなく話題になった「DNA指紋鑑識を使って犯人が見つかった世界最初の事件」の顛末が比較的詳しく描かれている。
この顛末については別の本では下記のように記されている。比較併読すると面白いだろう。
「遺伝子万能神話をぶっとばせ:科学者・医者・雇用主・保険会社・教育者及び警察や検察は、遺伝がらみの情報をどのように生産し、操作しているか」
ルース・ハッバード/イライジャ・ウォールド
佐藤雅彦訳
東京書籍 2000/09
(原書 1997,1999/Exploding The Gene Myth)
p.389-390 大意
犯人は”DNA指紋”で特定されたのではなかった。
近隣の男性住民全員を”DNA指紋鑑識”するという警察発表を聞いて、犯人が、ばれちゃかなわないぞと「採血の身代わり」を友人に頼んだ、たまたまこの”身代わり”の話を警察がかぎつけたために御用となった。
p.389-390 抜粋
つまり、ピッチフォークが村内の口が軽い友だちに”身代わり採血”を頼んでいなかったら、彼が犯人だとわかったかどうか、まことに怪しいのが実態なのである。
ところがマスコミは”偏向報道”をした。DNA指紋鑑識の勝利であるかのような書き方をし、犯人達捕にいたる本当の犯人の杷憂と偽装工作が裏目に出たという経緯をほとんど伝えなかった。それどころか、この捜査の手続きに重大な人権侵害の事実があったことも、ほとんど黙殺された。なんと警察は、五千数百人の男性たち全員に脅しをかけて、そのあげくに「自発的意思によって提供します」という言質を取りつけたうえで、これら住民から血液標本をかき集めていたのだ。結局、報道機関は「DNAテクノロジー」なるものに幻惑されて、洞喝まがいのやり方でテクノロジーの発動が行なわれた事実を見落としてしまったのである。
ほか、DNA鑑定で血縁が確認された例、PCR法の普及、ナチの戦犯ヨーゼフ・メンゲレの遺体を確定した件・・・。
そして、投獄されている人々の無実の可能性を、DNA検査で今再び調べなおしてみようという
「イノセンス(無実)・プロジェクト」
の登場。
過去の事件を調べなおすにしても、すでに証拠を損失していることが多く、DNA鑑定を適用できる例は少なかった。
それでも、無実を訴える投獄者の事件をDNA鑑定で洗いなおすことができたもののうち、
「DNAは知っていた」
p.288
約三分の二が無罪だと証明された。2002年4月はじめの時点で、この人数は百四人となった。百四人が犯してもいない罪のために平均で十年間を獄中で過ごしていたのである。
これは恐い。
単純に考えると、無実を訴える罪人の半数以上は本当に無実なわけだ。
無実の罪で死刑になってしまった人は人知れずどのくらいの数いたのだろうか。
DNA鑑定の普及は、米国各州の死刑制度是非論争に少なからず影響をおよぼすことになる。
今現在も、DNA鑑定による洗い直しで無実の罪人たちが解放され続けている。
DNA鑑定によって冤罪が晴れた事例、すでに328件
無実の罪による服役はまだまだあるはず
2004/04 EurekAlert ★Not guilty! Evidence exonerates 328, but many still falsely imprisoned
追記:
2006/09 【日本語記事】JanJan 米国:DNAテストで司法システムの欠陥が明らかに
70年代中期以降、無実の疑いがあるにも拘らず処刑された者は少なくとも38人
73年以降、123人の死刑囚が無実の罪をはらし釈放されている
その一方で、「ほんとうにDNA鑑定の結果は信用できるのか」という議論も、看過されがちではあるが確固として存在する。
いったん結果が出てしまうと、技術を持たない者はそれを反証できない。
DNA鑑定で出た結果は、結論ではない。結論はDNA鑑定の結果をどう解釈するか、そこ如何でどうにでもなりうるのだという点が見過ごされがちになる。結論を疑う余地があるのだということが、見過ごされがちになる。
一部で「DNA神話」とも沙汰される遺伝子信仰、遺伝子だぞ遺伝子がこうなっているのだと言われるとあらがいようもなく諦めなければダメなのか、みたいな、素人に対して絶対不可侵めいたオーラをまとうDNAという記号。
DNA検査で犯行時間も割り出せる
2004/11 ★ EurekAlert Forensic clock calls time on crime
データベースにあなたの遺伝子情報がなくてもあなたを割り出してみせる
DNA検査で該当する家系血筋を絞り込める@犯罪捜査
2004/11 ★ Guardian DNA test may name names
遺伝子鑑定が犯人識別の決め手にならないとき:一卵性双生児
2004/06 ★ USA TODAY Identical twins complicate use of DNA testing
遺伝情報のプライバシー?
あなたのDNAがなくてもなんとかなります 兄弟の遺伝子情報から逮捕された殺人犯
2004/04 ★ New Scientist Killer convicted thanks to brother's DNA
強姦犯人を見つけます
精子がいなくても、日にちが経っていても、男が残したY遺伝子を見つけられます
2002/02 ★ Ananova Study claims worth of new rape test advance
「ほんとうにDNA鑑定の結果は信用できるのか」。
DNA鑑定の結果をどう解釈するか如何で結論はどうにでもなりうる。
DNA鑑定で「真犯人だ!」と目された容疑者が、どう考えても犯罪実行不可能な重病人だった例。(検査の不備による人違い)
DNA鑑定で「おまえの血だ!」と名指されても、辣腕弁護士の手練手管で証拠がうやむやにされ、みごとに無罪放免となった殺人容疑者OJシンプソン。
DNA鑑定の材料は、採取や運搬の過程で他者のDNAによってコンタミ(混じりもの汚染)してはいなかったか。
DNA鑑定の技術は、本当に基準を満たす形で実行されていたのか。
DNA鑑定の結果は、妥当な論理で正当に解釈なされているのか。
「確率」の解釈マジックにメクラマシされていないか。
そして。
数多くの事例と捜査の二転三転を重ねたすえに、この本の骨子であるヘレナ・グリーンウッド殺人事件の捜査は、十数年前の証拠品をDNA鑑定した結果が真犯人を指し示し、終結を向かえる。
”犯人”側の弁護士は、OJシンプソンの事例に倣ってもっと強く遺伝子検査の不確実さを突いておけば、判決は異なっていたかもしれない、と考える。
「DNAは知っていた」
p.317-318
イギリス政府はDNAデータベースによる犯罪解決の可能性にはきわめて熱心で、容疑者が無実であるとわかったときでも、採取したサンプルはすべてデータベースに保管することを合法化する新たな法律などを通じて、今後十年間に、国内のデータベースの規模を五倍に拡大したいとしている。
〜 中略 〜
さて、アメリカとなると、FBIのデータベースCODIS(複合DNAインデックスシステム)はイギリスのものより何倍も大きな規模を計画しており、 〜 中略 〜 現在、サンプルの保有数は百万件を超え、データベースは日に何千という単位で増大しつづけている。
この本、年表が付いていたら、よりわかりやすかったろうに。
以下、手元の記事メモを年代順に並べてみた。
国別に見ても面白いだろう。
2004/12 読売新聞 現場の遺留物「DNAデータベース」17日から運用
2004/11 日本語記事 ★加州「犯罪者DNAデータベース」、容疑者も対象 ワイアードジャパン
危険だらけのDNAの使い道 犯罪遺伝子データベース
2004/10 ★Los Angeles Times A Risk-Filled Use of DNA
2004/06 ★犯罪捜査におけるDNAデータベース −イギリス、アメリカ、カナダとの日本の比較研究 科学技術文明研究所
悪い科学と人種主義@日本
外国人犯罪を遺伝子鑑定で峻別しようとする警察の試み 日本なゲノムの独自性という幻想
2004/01 ★The Japan Times Forensic science fiction
Bad science and racism underpin police policy
疑わしき輩は遺伝子を採取@カナダ
2003/10 ★CBC News DNA warrants OK, says Supreme Court
2003/09 日本語記事 ★英警察「全国民のDNA登録を推進」 中央日報@韓国
2003/08 【日本語記事】 ★テロの「疑い」だけでDNAサンプルを取られる、米司法省提案の新法 ワイアードジャパン
英国の犯罪者データベースに個人のDNA情報200万人ぶん集積 オーウェル生誕100周年
2003/06 ★Guardian Police DNA log now has 2m profiles
無罪であっても逮捕されたらDNAと指紋を取られてしまう 英国警察権の拡大と論争
2003/03 ★BBC News Police DNA powers 'to be extended'
2002/11 日本語記事 中央日報@韓国 「性犯罪者の遺伝子情報銀行の新設」で議論@韓国
非犯罪者のDNA情報保存する権利、警察獲得@イギリス
2002/03 ★ Ananova Judges uphold right of police to keep DNA samples
犯罪捜査を楽にするために新生児のDNAをどんどん登録しよう
2002/03 ★Ananova MP demands compulsory DNA register to combat crime
使いようによっては、暴力に近い効果をもたらす遺伝子検査。
近年の日本の司法は「疑わしきを罰する」と見える例が少なくないと聞くが・・・。
DNA鑑定と遺伝子診断の違いについてはこちらを参照。
以下、その後の追記:
DNA捜査を強力にして迷宮入り事件を解決するんだ
2006/10 BBC News PM champions new DNA technology
ブレア首相、新しいDNA技術を擁護する
DNA捜査、DNA鑑定、そして「陪審員に確率をどう伝えるか」という問題
「非常に少ない確率」を「一致しない」と表現しうるのか
2006/04 EurekAlert DNA conclusive yet still controversial, Carnegie Mellon professor says
2008/04 【日本語記事】時事通信 DNA鑑定でまたも冤罪晴れる=全米で200件以上、死刑囚も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080430-00000101-jij-int
2008/07 【日本語記事】JanJan
「科学の名による冤罪 足利事件」再審無罪を求める東京集会参加報告
常温で1年3ヵ月間も捜査本部のロッカーに保管されていたという保存状況の悪さ。
付着した体液も川の中で流されたであろうし「DNA鑑定一致」と出すのは無理。
おまけに最新技術でDNA鑑定をすると異なる結果が出るしまつ。
『増補改訂版 DNA鑑定 科学の名による冤罪』
天笠 啓祐 (著), 三浦 英明 (著)
緑風出版 (2006/02)
この記事は