DNA鑑定は関わらないけれど、DNA鑑定の結果から、再審をすべきだとみなされる事件
についての本を拝読する機会があったのでご紹介。
『なぜ無実の人が自白するのか DNA鑑定は告発する』
スティーヴン・A.ドリズィン、リチャード・A.レオ著
日本評論社 (2008/12)
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ふつーに「海外の自白研究本の翻訳」かなと思って読みはじめたのだが、実際はかなり特筆すべき経緯を持って翻訳されまとめられた、日本の有志による特別編集本だった。
【名張毒ぶどう酒事件】
●無罪を訴え続けて獄中生活半世紀!!の「名張毒ぶどう酒事件」死刑囚
p.187 伊藤和子:解題
●事件の概要
名張毒ぶどう酒事件は、1961年3月28日に三重県名張市葛生という小集落で発生した殺人事件である。村の親睦会(三奈の会という)の懇親会で女性用に出された白ぶどう酒に毒物が混入され、これを飲んだ女性たち5人が死亡、12人が重軽傷を負うという痛ましい事件であった。
[〜中略〜]
逮捕当時、36歳であった奥西勝氏は現在、82歳になった。
この事件の弁護にたずさわる弁護士が、インターネットで資料を探す中、たまたま刮目すべき海外の論文に巡り会った。アメリカの著者に連絡を取ったところ、「名張毒ぶどう酒事件」の判決に対して、それはおかしいではないかと、わざわざ「奥西勝氏の自白に関する法廷意見書」まで作製してくださったという。
その元論文の全訳、そして「法廷意見書」を、すべて収録した本が、これだ。
編者のうち、伊藤和子氏のサイト
編者のうち、高野隆氏のサイト
【ポストヒトゲノム時代の虚偽自白問題】
●本書の前半は、論文の翻訳が収録されています。
論文「DNA時代の虚偽自白の問題」
英語原文:THE PROBLEM OF FALSE CONFESSIONS IN THE POST-DNA WORLD
【PDF】【アブストラクト】
North Carolina Law Review Vol.82, 2004
STEVEN A. DRIZlN & RICHARD A. LEO
Copyright 2004, North Carolina Law Review
強姦強盗から殺人事件まで、重罪を「自白」し収監された人々には、多数の「無実の罪」の人々が含まれていた事実が、DNA鑑定によって、たくさん明らかになった。その数々の実例と経緯が列挙される。
結論は、無罪であってもヒトは「やりました」と自供してしまうのだ。
自供第一主義では、簡単に冤罪が量産されてしまうのだ。
民間団体イノセンス・プロジェクトのウェブサイト
DNA鑑定によって無実が判明し、死刑囚監房から釈放された人々のリスト
「単純に考えると、無実を訴える罪人の半数以上は、本当に無実だということになる」
この論文「DNA時代の虚偽自白の問題」は、DNA鑑定で無罪が判明した数々の「無実の罪」事例を検証し、
●従前の裁判では誤審によって、こ・ん・な・に たくさんの無実の人々を投獄していた!
●無実であっても犯行の自白をし、投獄されることが少なくない!
という事実を、統計数字とともに、きっちり示している。
で、今般DNA鑑定で再審請求を出し、話題になっている足利事件ならともかく、当該書で取り上げられ、しかも論文の筆者が日本の司法に対して「法廷意見書」をしたためるまでに至った『名張毒ぶどう酒事件』のほうは、50年近くも昔の事件であり、DNA鑑定が使える事件じゃない。鑑定する資料がない。
50年間、死刑囚が無実を訴え続けている『名張毒ぶどう酒事件』は、DNA鑑定が使えない事件なのに、なぜ海外の研究者が判決に対して意見書を書こうと申し出てくれたのか。
『名張毒ぶどう酒事件』の死刑判決が、「本人がいったん自白しているんだから有罪に違いない」という根拠に寄っていたからだ。
... 以下つづき...
p.154
名古屋高等裁判所刑事第2部は、奥西勝氏のような通常の人が、死刑によって処罰される可能性がある重大犯罪に関して自発的に虚偽自白をすることはあり得ないと確信している。しかし、アメリカ合衆国においても日本においても、その逆のことを示す圧倒的な証拠が存在する。
p.156
名古屋高等裁判所刑事第2部の見解とは反対に、日本でもアメリカ合衆国でも、たとえ自白をすれば有罪判決を受けて刑を執行されることになると分かっている場合であっても、無実の被疑者は虚偽自白をしてきた。 [〜中略〜] 再審開始の当否を判断する決定にあたって、「正常な」人は凶悪な犯罪について虚偽自白をしないという確信を前提とすべきではない。
今や、DNA鑑定の登場によって、無実の人が「やりました」と自白してしまっていた事例がこんなにたくさんたくさん明らかになっているんだよと。「やってない人が、やりましたと自白するはずがない」なんて、ありえない想定なんだよと。
p.51
虚偽自白がもっとも重要でかつ重い刑に処される事例に集中する傾向があるのは驚くべきことではない。このことは、重大事件は事件解決に向けた警察に対する圧力が大きいために、虚偽自白 −− 虚偽自白に基づいた誤判も −− が生じやすいことを裏づけるものである。
重大な犯罪ほど、被告はウソの「やりました」自白をしがちなのだと。
殺人がらみのような大きな事件ほど、「やりました」と言わざるを得ないようなヒドイ取り調べをされるのだと。
「本人がいったん自白しているんだから有罪に違いない」という根拠で下された判決で、「名張毒ぶどう酒事件」では50年の死刑囚生活に。
_少なくとも_「本人がいったん自白しているんだから有罪に違いない」という論拠は撤回すべきであろうと。
アメリカでは、無罪でありながら、死刑に処された人々が少なくないという。
システム上のある程度の瑕疵は、やむを得ないものとして、そのくらいは我慢するべきか。
こういう諸処の事情を、裁判員に選ばれた人は、選ばれてから、あわてて調べるんだろうか。それとも、予習は後回しにして、裁判員としてなんらかの結論を出したあとに、おっつけ調べたりするんだろうか。
裁判員のおつとめを果たしたあとに、後悔するんだろうか。
裁判に関わった裁判員の名は、どこかから公にされるハメになったりしないだろうか。
誤判だった場合、誰からも責任を問われないのだろうか。
問われない場合、匿名でいられる場合、事件に対する判断のレベルはネット上の匿名言動に近い奔放なものにならないだろうか。
ネットにアクセスなどしない環境の人はまだまだ世の中に多い。彼らは、将来自分がなしたことの意味を、なんらかの思わぬ形で噛みしめさせられることになりはしないか。
『自白の研究:取調べる者と取調べられる者の心的構図』 浜田寿美男 三一書房 1992
『自白の心理学』 浜田寿美男著 岩波新書 岩波書店 2001/03
『心はなぜ不自由なのか』 PHP新書 浜田 寿美男著 PHP研究所 (2009/1/16)