2009-05-09
■[心理][科学]脳科学者ジル・テイラー博士の語ったこと:前編…言葉を持たない右脳の世界
【追記】私が、右脳に関心をもつきっかけとなった本は、1981年に出版されたものなのでもう絶版だろうと思って、そのことは書かなかった。しかし、その本は、1993年に文庫化されただけでなく、2003年に、改題・再編集されて出版されていたので、そのことを書いた。
[Brain with spinal cord <ここ>より]
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…25年間関心を持ってきたことがリアルにわかった
2.ジル・テイラー博士のプロフィール
…「2008年世界で最も影響力のある100人」
3.NHK番組:『復活した“脳の力”〜テイラー博士からのメッセージ』
…いい番組だったが、“スピリチュアル”な方向性は抑えられていた
4.76 万回再生された講演会
…右脳の世界を自由に語っています
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《後編…『奇跡の脳』書評と著者インタビューと『脳の中の幽霊』》←<明日アップする予定です>
…25年間関心を持ってきたことがリアルにわかった
私は、右脳の機能が左脳と違うことについて、25年ぐらい前から関心があった。
【追記】
私が右脳に関心を持つきっかけとなった本は、『右脳革命―創造力活性化の決め手 (1981年)』という本で、1993年に文庫化されていた(『右脳革命―創造力活性化の決め手 (新潮文庫)』)。それだけでなく、2003年に、改題・再編集されて出版されていた(『あなたの右脳が全開する!―左右「二つの脳」を最高度に発揮する画期的ノウハウ』)。
『右脳革命―創造力活性化の決め手 (1981年)』は、その「翻訳者あとがき」によると、当時、世界的コンサルタント企業、マッキンゼー社で話題になり、同社の研修テキストになったそうである。そして、【人の書いた本を単純に翻訳するなどという非生産的な仕事は一生しないつもりだった】大前研一氏(当時、時給500万円といわれたそうである)が、自ら翻訳を手がけてまでも、【わが国のできるだけ多くの人に知ってもらいたいと思った】というものである。大前氏は、【一読してその内容が私の従来持っていた知識と異なる分野であり、新鮮な驚きを感じた。同時に、そのなかに出てくる創造性に関する物理的な説明は私自身の体験とも全く付合するものであり、これは大変な本だと思った】そうである。また、<ここ>によると、【世界的に右脳教育の開発が始まったのは、1980年トーマス・R.ブレークスリーの書籍“Right Brain(右脳)”が突破口といわれています】ということである。
<【追記】おわり>
私は、右脳と左脳は別々の思考や感じ方を持っているといわれることに興味を持ち続けていた。特に、言葉を持たない右脳のイメージの世界が、創造力などにつながっているのではないかということに興味深いと思ってきたのである。
一昨日、NHKで、女性脳科学者ジル・ボルティ・テイラー博士の番組を見た。右脳と左脳の違いが、リアルにわかる番組であった。なにしろ、脳梗塞により、左脳が“シャットダウン”した状態になって、左脳の抑制を受けない右脳のみの意識となり、その後、左脳が“再起動”して、その時ことを語ってくれているのである。
左脳がいったん“死んだ”が、奇跡的にそれが復活したということなのである。臨死体験というのがあるがこれは、左脳の臨死体験とでもいえるのだろうか。左脳が、死んだままであったら、彼女の右脳が何を体験しても、それを言葉で表現することはできなかったのである。
このNHKの番組以外に、彼女の講演の記録や養老孟司氏による彼女の著作の書評、さらにはその翻訳者、竹内薫氏による著者へのインタビューも見つけたので、2回にわけて紹介したい。私にとっては、実に興味深く、そしておそらく意義深いことなのである。
2.ジル・テイラー博士のプロフィール
…「2008年世界で最も影響力のある100人」
彼女のプロフィールは、いろいろな所にあるが、次のものを紹介する(<ここ>より)。
Dr. Jill Bolte Taylor ジル・テイラー博士 神経解剖学者。ある朝、脳卒中の発作に襲われる。発作中自分が体験していることが、脳科学者として最高の研究材料であることを認識、脳機能が運動、スピーチ、記憶、自己認識...と、ひとつひとつシャット・ダウンしていく過程を観察した。その後無事生還し、リハビリを乗り越え、発作から8年後に社会復帰。以来、脳卒中や脳の損傷からの回復のためのスポークスマンとなる。脳卒中の発作は彼女の左脳を破損したが、同時に右脳からの創造的なエネルギーの激流を引き起こした。現在は、インディアナの自宅から、ハーバード・ブレイン・バンクを代表して全米を駆け回る。内部から自分の脳を研究するというチャンスを得た脳科学者。ウエブサイトは<ここ>。
彼女は、タイム誌の「2008年世界で最も影響力のある100人」に選ばれたといい、アメリカでカリスマ的人気を誇るテレビ番組司会者オプラ・ウィンフリーに感嘆の声をあげさせたという。
3.NHK:『復活した"脳の力"〜テイラー博士からのメッセージ』
…いい番組だったが"スピリチュアル”な方向性は抑えられていた
一昨日、偶然この番組を見た。NHKによる紹介は、以下のとおり。
女性脳科学者ジル・ボルティ・テイラー博士。脳卒中に倒れ、言語や思考を司る機能を失いながらリハビリを経て復活を果たした。その軌跡と脳の知られざる力に迫る。
新進気鋭の女性脳科学者として活躍していたジル・ボルティ・テイラー博士。37歳で脳卒中に倒れ、一時、言語や思考をつかさどる左側の脳機能が停止した。8年間のリハビリを経て完全復活を果たした彼女の手記は、脳卒中の実態や脳の未知の力を示す貴重な記録として、人々の共感を呼んでいる。闘病中には不思議な幸福感を感じたと彼女は語る。復活までの軌跡を追い、生命科学者中村桂子さんとの対談を交えて人間の脳の神秘に迫る。
番組の内用は、<ここ>に記録されている(3月25日にすでに、『ハイビジョン特集』で放送していたようだ)。なかなか的確に要約されていると思う。下の内容とダブらないように、一部を引用させていただく。
ジルの母親の(通称)ジジは、数学者だった。ジジは、病院に駆けつけると、医者や看護婦を遮り、一目散でジルのベッドに歩み寄り、布団をはぐってジルに 添い寝し、ジルの身体を抱いて揺らし始めた。「何にもできない赤ん坊のような娘に母親がするのは、抱いて揺すってやるこ とだけよ。」 そうやって、何日も過ごしたそうだ。
このことは、下の講演では語られていないが、この母の献身は彼女の回復を助ける大きな力となったという気がする(このことは、『後編』で紹介する『著者に聞く』でジルさん自身がはっきりと認めている) 。
[<ここ>より]
ジルとジジは、リハビリを続け、算数ができるようになったのは、4年か6 年後のことだった。一般に、脳外科医は、リハビリは、6ヵ月が限度だと言うが、ジルは、努力をし続ければ、間違いなく、ほんの少しでも成果は得られるのだということを8年後の今、執筆した。 病気をしてから変化したこと。それは、以前から習っていたステンドグラスの芸術性の大きな高まり。自然と一体になり、穏やかでノンビリとした自分でいることは心地よい。左脳はスピードを求めるが、すぐに穏やかな自分に戻りたくなるのだという。 右脳の感覚を研ぎ澄ませれば、前向きな思考になり、平和的で穏やかな気持ちになる。そうすれば、戦争も防げるのではないかということだ。ジル・ボルティ・テイラー 博士の著書は、30カ国語に翻訳。脳の疾病者だけでなく、多くの人々から反響が寄せられている。
この番組は、当然NHKの持つ「枠」の中で編集されている。いい番組だったと思うが、いわゆる“スピリチュアル”な方向性を感じさせることは、かなり抑えられていた気がする。
4.76 万回再生された講演会
…右脳の世界を自由に語っています
ジル・テイラー博士の講演会のビデオがウェブ上にあって、<ここ>で紹介されている。このビデオは76 万回の再生を記録したという。
その内容の日本語訳が<ここ>で読める。その記事は、
だんだんと科学や医学の世界でも、常識では理解できないことを表現する人が増えてきました。
という前書きで始まる。この常識では理解しにくい部分がNHKの番組では抑えられていたので、そこに興味のある方は、この本人が自由に語った講演のほうが参考になる。もちろん、私もそこに一番興味がある。
ある日の朝、1996年の12月10日、私自身の脳に障害が起こりました。左脳の脳血管が破裂し、脳内出血が起こったのです。4時間の間、私の脳は正常にプロセスする脳力を完全に失いました。歩けない、話せない、読めない、書けない、何も思い出せない、大人の体をもった赤ちゃんのような状態になりました。
人間の脳は、右脳と左脳がきれいさっぱり二つに分かれています。約3億の繊維を通してお互いにコミュニケーションをとる以外、右脳と左脳はまったく違うことを考え、違うことに興味を持ち、違う性格を持っています。 右脳は、すべて今、この瞬間にフォーカスをしています。身体感覚を通して、今、この瞬間に感じていることだけを捉えます。この瞬間に感じる感覚、音、におい、味、をエネルギーのレベルで捉え、自分自身もエネルギーの存在であり、つねに周りとつながっている存在であることを感じています。 私たちすべてがエネルギーの存在であり、人間という大きな家族としてひとつにつながっていることを、右脳は感じています。今、この瞬間、私たちはひとつであり、この惑星をよりよい場所にしていくために生きていて、今、この瞬間に、私たちは完全であり、かけているところは何もなく、美しい存在だと、右脳の意識では感じられるのです。 その一方、左脳はまったく別の捉え方をします。直線的、理論的に物事を考え、つねに過去と未来にフォーカスをし、起こっている物事をできるだけ詳細に捉え、そのすべてを過去のデータと照らし合わせてから、未来に向けての可能性を考えます。 左脳は、すべてを言語で捉えます。今日は帰りにバナナを買って帰らなくちゃ・・・とか、 今日は洗濯を忘れないようにしなくちゃ・・・とか、頭の中でありとあらゆることを計算し、いつもおしゃべりをしています。 一番の左脳の特徴は、左脳が「私」言うとき、その「私」というのは、周りのすべてから切り離された「私」、すべてのエネルギーの流れから断絶された「私」なのです。私が脳内出血をした朝に失ったのは、この左脳が捉える「私」でした。
[The Singin' Scientist<ここ>より]
次に、脳溢血を起こした当日の詳しい話になるのだが、その前半部分は、NHKの番組ではあまり出てこなかったが、右脳のみの世界へ入ることの不思議な感覚が語られる。
・・・・ 壁にもたれかかり、ふと自分の腕を見ると、どこまでが自分の腕で、どこまでが自分以外のものなのか、境界線がわからなくなっていることに気がつきました。私の腕の分子と原子は、壁の分子と原子とすっかりブレンドしていて、どこまでが自分だかわからないのです。どれが自分なのか、見分けることが出来るのは、自分が感じるエネルギーの感覚、それだけでした。 「私は、一体、どうなってしまったのだろう?」そう思った次の瞬間、私の左脳がぱったりと機能しなくなったのです。完全な静寂が私の中に訪れました。それはまるで、テレビのリモコンで音を静止させたときの瞬間のようでした。私は、こんな静寂が存在するなんて・・・・ショックさえ感じました。 そして次の瞬間、私は大きな、大きなエネルギーに包まれました。自分と周りとの境界線がない状態は、すべてが私であり、その大きく深いエネルギーは無限なエネルギーでした。すべてとひとつになり、それは、それは、豊かな場所でした。 するとまた次の瞬間、左脳が機能し始め、「ちょっと、ちょっと、大変なことになってるよ!早く助けを呼ばなくちゃ!」という声が聞こえました。
わかった、わかった、と左脳に応えながらも、また私はすべてとひとつになった楽園の世界へと移ろいで行きました。完全な静寂、日常のすべてのストレスから完全に解放された場所・・・。 身体の感覚はどんどん軽くなり、私は深い心の平和を感じました。37年間、ため込んだ感情の山から開放された体験を想像して見てください!もう、天国にいる気分です! あぁ〜なんて素晴らしい・・・・と思っていると、また声がして 「早く、早く、助けをよばないと〜!!」 「あ、そうか、そうか、助けを呼ばなくちゃ・・・。」
このあとは、言葉が理解できない、使えない状態で、いかに助けを呼ぶかという話になる。一刻を争う状態で、それはなかなかスリリングなところもある。NHKの番組では、助けに駆けつけた同僚の話や、それが起こった部屋を撮して、リアルに描いていた。ジルは、救急車の中で次のように感じていたようである。
私は、すべてを手放していく準備ができているのを感じていました。もしかしたら、病院で助けられるかもしれないけど、このまま去っていくのかもしれない・・・ どちらにしても、もう私が決められることじゃない・・・。
以下は、午後に病院で目覚めた時以降の話である。残りすべてを引用させていただく。
午後、目を覚ましたとき、自分がまだ生きているのにとてもびっくりしました。自分がすべてを手放したとき、私は自分の人生に別れを告げていましたから・・・。 私は二つの両極端な現実を感じていました。私の感覚を通して伝わってくる刺激は、激しい痛みに感じられました。外側の光は私の脳を焼き尽くすように強く感じられ、外側の音は激しい騒音のようにうるさく混沌としていて、私は何一つ理解することができず、逃げ出したい気分でした。 だって、私はまだ、あの無限の自分を感じていたのです。私の存在は、広く、深く、それはまるで大きな静寂の海で自由に泳ぎまわる、喜びに満ち溢れた大きな鯨のようです。私は、ニルバーナ、悟りの場所を見つけたのです。 そんな私が、こんな窮屈な小さな身体に収まらなくちゃいけないなんて・・・。でも、私はこうして、まだ生きている・・・。この身体をもって生きていながら、こんな無限の私を感じている・・・。・・・ってことは、誰もが、生きている誰もが、無限の自分を感じられるんじゃないか・・・! 私は、平和で、愛と思いやりに満ち溢れている人々であふれている世界を想像しました。自分の中の楽園を見つけたいと思えば、いつでも見つけられる人々、左脳から右脳の世界へと、好きなときに選択できる人々・・・。 なんて豊かな贈りものを、私は体験しているのだろう・・・。この体験は、これからの私の人生を変えていくだろう・・・。そう思ったとき、私はもう一度、生きようと思いました。 2週間半後に手術をして、左脳の言語をつかさどる部分に圧迫していたゴルフボールくらいの大きさの血栓を取り出しました。完全に回復するのに、8年かかりました。
[One of Dr. Jill's stained glass brains <ここ>より]
さぁ、私たちは、誰でしょう? 私たちは、無限の宇宙とつながった、二つの巧妙なマインドを持つ、力強い生命力そのものです。そして、この二つのマインドを自分で操縦することができるのです。あなたが、毎瞬、選ぶことができるのです。どんな風に、この世界で生きていくか・・・。 今、この瞬間に、この場所で、私は右脳の領域とつながり、私が、私たちが、宇宙の無限の力として存在し、宇宙が50兆のすばらしい分子を使って私という存在を、すべての存在を表現しているのを感じられます。 または、左脳とつながった意識で、すべての流れから断絶され、ただひとりの個人として、あなたと別の人間として、知的な神経科学者、ジル・テイラーとして生きることもできます。両方とも、私の中に存在しているのです。 どちらを選ぶべきでしょう? あなたなら、どちらを選びますか? そして、いつ? 私たちが、自分の中で右脳の平和な意識でいることを選べば選ぶほど、外側の世界にも平和をつくっていくと私は信じています。私たちの惑星は平和な場所になっていくでしょう。 このことを、みんなと分かち合っていくことが、大切だと思っています。 ありがとう。 ジル・テイラー
- 16 http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4ADBF_jaJP292JP292&q=脳科学 ジル NHK
- 6 http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=ジル・テイラー+脳&lr=&aq=1&oq=ジル・テイラー
- 4 http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=脳科学者 ジル・テイラー&btnG=Google+検索&lr=&aq=f&oq=
- 3 http://cgi.search.biglobe.ne.jp/cgi-bin/search2-b?search=検索&q=脳科学者ジル ボルティ テイラー&bt01.x=65&bt01.y=12
- 3 http://search.goo.ne.jp/blogreader.jsp?url=http://d.hatena.ne.jp/SeaMount/20090509/1241849742&MT=テイラー博士&snum=1&DC=10&RD=&IU=
- 3 http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=ジル+脳科学&lr=&aq=1r&oq=ジル+のう
- 3 http://www.google.com/reader/view/
- 2 http://blogsearch.google.co.jp/blogsearch?hl=ja&q=テーラー博士 脳&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wb
- 2 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1162294466&owner_id=28206
- 2 http://search.goo.ne.jp/web.jsp?MT=ジル 脳科学者&STYPE=web&IE=UTF-8&from=gootop