2009年05月09日
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今から考えるとなお不十分な点がある弁護でしたが、私は1996年5月9日に東京高裁の判決が言い渡されるとき、菅家さんは無罪とされるものと信じて疑いませんでした。
しかし結果は「控訴棄却」。菅家さんも落胆しましたが、私もそうでした。その日、帰宅する道すがら、泣きながら「菅家さん、ごめんなさい」と言い続けたことを思い出します。
控訴審の裁判長は、退官後に中央大学法科大学院の教授を務められ、昨年亡くなられた高木俊夫さんでした。私は高木さんとは親しく口をきく仲でしたが、控訴審の判決後、高木さんに菅家さんのDNA型が犯人のものと異なる可能性があることをお話ししたところ、「それだったら駄目ですね」と率直にお認めになりました。もちろん最終的には菅家さんと犯人のDNA型が一致するのかしないのか確認する必要があります。また、だからこそ、控訴審の段階で押田鑑定を提出したら、高木さんのもとでDNA再鑑定が実施され、菅家さんは、今から13年前に無罪の判決を受けていたに違いありません。
本当に菅家さんには申し訳ないことをしたと思います。
Q 最高裁に上告したのち、押田鑑定を得たわけですが、最高裁判所にDNA再鑑定を求めたのですか。
もちろんです。求めました。押田鑑定書を添付して、1997年10月28日、菅家さんのDNA型と犯人のDNA型は異なる可能性があるので、DNA鑑定の再鑑定を命じてほしいと申し立てました。
しかし、最高裁は最終的にこれを無視しました。この事件の調査官だったG裁判官との何回かの面接で、「最高裁は事実審ではありませんので…」と言われたのがわずかに聞けた理由らしきものです。私たちは「最高裁が事実を取調べる必要はない。最高裁がなすべきことは、DNA再鑑定を命じることだけで、鑑定するのは鑑定人です」と訴えましたが、無駄でした。
ところで、私たちは、DNA再鑑定を求めるのと同時に、犯人の遺留精液が付着した半袖下着を保管替えしてほしいと最高裁判所に上申しました。警察庁が本件のDNA鑑定後に定めたDNA鑑定のガイドラインでも、DNA鑑定資料はマイナス80℃という超低温で保管することになっていますが、当時本件の半袖下着は東京高裁の証拠品保管庫で常温で保管されていたからです。しかし、DNA鑑定資料の半袖下着は、常温のままでは日々劣化してゆくいわば生モノです。証拠品の証拠価値をそのまま維持する責任が裁判所にはありますが、犯人の精液を付着させた半袖下着が常温で保管され続けるということは、DNA再鑑定が時々刻々不可能になってゆくことを意味します。そこで、裁判所には、最低限、半袖下着をマイナス80℃で保管替えするように命じる義務があると私たちは訴えました。しかし最高裁は、それも無視したのです。
G調査官から最高裁はDNA再鑑定を命じる考えはないことを知らされたとき、「もはや最高裁には期待できない。再審を考えるしかない」と考え、最高裁にこれ以上上告趣意を補充することはないので、最高裁の判断を示してほしいと伝えました。
Q 最高裁が足利事件の上告を棄却したのは2000年7月17日ですが、佐藤弁護士は最高裁決定を受け取ってどうしたのですか。
最高裁の判決や決定は郵送されますので、裁判所で判決を聞くような厳粛な雰囲気はまったくありません。G調査官との面談を通じて、最高裁には期待できないとう感触を得ていましたので、上告棄却の決定を受け取っても控訴審のときのように落胆はしませんでした。
再審でDNA鑑定の再鑑定をすれば菅家さんの無実は明らかになる、こうなったら再審請求しかないと覚悟を決めていたからです。
私たちが宇都宮地裁に再審請求したのは、それから1年半後の2002年12月25日のことですが、上告棄却決定後、日弁連の人権擁護委員会に再審請求を支援してほしいという申立を行い、その支援決定を得て、再審請求弁護団を結成し、新証拠として、押田鑑定のほか、法医学鑑定を新たに得て、再審申立書を書き上げ、申し立てたのです。
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<「足利事件」とDNA鑑定>佐藤博史・・・ | |
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