昔話-その18-
レザリオンの最終回を見直そうとディスクを探したら、同じディスクにレインボーマン#21も入っていたのでエンディングを確認してみましたが…
作画
スタジオNo.1
スタジオZ5
という表記だけだったんですね…
Aパートの頭の敵のアジト内とBパートのラストのパステルプチの死が本橋さん、前半の研究所内のシーンが伊藤さん、ミサイルの発射が田辺さん、パステルプチの変装した少女の銃を蹴り落とす辺りが長岡さん、ミサイルを追って破壊するレインボーセブンが鍋島さん、研究所にデビルロボが襲ってくるところが飯島さん、パステルプチと子供たちの別れのシーンが曽我部君、ラストの戦闘が僕…
たぶん、そんな感じだったと思います。
あれ? そういえば亀垣さんにはやってもらっていないのか…?
アニメ版レインボーマンは、映像のソフト化はおろか、確か主題歌もCD化されていませんよね?
CSでは、実写のレインボーマンやコンドールマンが放送されているので、いつか放送されると良いですね。
さて、レザリオンの続きです。
昨日は忘れていましたが、レーザーバトルギアの装着バンクと一緒に、ギャリオサバンの出陣バンクも描いたのを思い出しました。
確か#31では、作監作業が終わった後、海外との搬送中に原画が大量に紛失してしまって、作業を突貫でやりなおさなければならなかったりもしたこともありましたっけ…
今は海外とも、ネットで全部やりとりしてしまいますが、昔は大変でした…
それでも、紛失ならまだ諦めもつきますが、プラレスの頃は盗難も多く、本当に腹が立ちました…
人の出入りの多い撮影会社でセル画を盗難されることが多かったんですよね…
プラレスの#16でもセル画の盗難に遭い、ヤマサキ君や佐野君に手伝ってもらって描き直したりしました。
あと、考えたらレザリオンの途中でバースをやっているはずなんですが、この辺りの順序も良く覚えていないんですよ…
あれ? バースって、1984年の7月に発売されていますよね?
制作が開始されたのはプラレスが終わってからだから、実質の制作期間ってコンテ含めて4~5ヶ月くらい?
そりゃ大変だったわけですね…
で、レザリオン最終回です。
どうしてあのスタッフでやることになったのかという経緯は昨日書いた通りです。
決まってから、知り合いに手伝ってもらえるように頼んでまわりました。
演出は、有迫俊彦さん。
僕のコンテ回の演出も有迫さんに担当していただいたことが多く、また有迫さんのコンテ回も上手いなぁと思っていました。
作画の割り振りは下記のような感じだったと思います。
■Aパート
頭~ジャーク帝国のシーン…ヤマサキオサム(山崎理)
(※1)地球防衛軍司令室のシーン…佐野浩敏
敬とオリビアの別れのシーン~Aパートラスト…越智一裕
■Bパート
頭~ギャリオサバンの出陣…山下将仁
地球人の人質たちの暴動シーン…海外スタッフ
暴動を報告する兵士~レザリオンとギャリオサバンの戦闘シーンの"前"まで…山下将仁
レザリオンとギャリオサバンの一騎打ち(数カットはバンクも使用)~司令室のオリビアのアップ…金田伊功
群集のシーン…海外スタッフ
G1たちの敵基地への突入~一斉放射、敵の消滅…金田伊功
(※2)レザリオンとギャリオサバンの最後の死闘(ギャリオのゴーグルに猫の映るカットは金田さん)~ギャリオのヘルメットが砕けるまで…篠田章
コックピットでのギャリオと敬の別れ~ラスト…越智一裕
思ったよりも少人数でやっていますね。
僕も、こんなに原画の量をやっていたんだと我ながら驚きました。
やはり金田さんがやってくださることになったのは心強かったです。
山下君と佐野君は、この時期はスタジオワンパターンの時代でしたっけ?
ヤマサキ君が、量を多く引き受けてくれたのも助かりました。
実は金田さんには最初、Aパートのコンテが上がった時点で、少しでもスケジュールを取れた方が良いだろうと思い、Aパート後半のギャリオが親玉の首を刎ねるシーンをお願いしていたのですが、どうもそのシーンにはあまり乗り気ではないご様子でしたので、Bパートのコンテが上がってから、あらためてレザリオンとギャリオサバンの一騎打ちのシーンをお願いし直しています。
元々お願いしてあったAパート後半のシーンは、代わりに僕が原画を担当しました。
大変なモブシーンのパートをこれまでレザリオンを支えていらっしゃった海外班のスタッフの方に担当していただけたのも本当に助かりました。
このモブシーンの原画は、とても丁寧に力をいれて描いてくださったので、修正はほとんど入れていないと思います。
この最終回の放送は1985年2月5日でしたが、スケジュール的に作画のラストは、ギリギリで1984年の年末までに終わらせる必要がありました。
僕は年末は実家に帰省する予定でしたので、自分の担当原画を終わらせた後、残りの作監分は実家に持ち帰って作業をして、年内に送り返すという段取りを組んでいただきました。
当時は、まだ宅急便も普及していなかったんでしょうか…
確か鉄道便(当時はまだ国鉄時代ですよ…)の東京駅留め最終便で送った記憶があります。
そんな状況でしたので、僕の帰省する日までに原画の上がっていなかった佐野君の担当分だけは、急遽本橋さんに修正をいれていただくお願いをして帰省したんですね。
ですから(*1)のシーンの一部は、本橋さんに作画監督を手伝っていただいています。
Bパートの(*2)のシーンも、実は当初は佐野君の担当だったのですが…
どうやら間に合わなくて制作が引き上げて篠田さんにお願いしたということらしいです。
ですから、このシーンには修正が入っていません…
僕は後から聞いたのですが、ちょっとショックでした…
ご覧になった方は分かると思いますが、この最終回の金田さんの原画には、キャラクター含めて一切修正は入れていません。
キャラクターのアップに関しては、流石にどうしようか悩んだのですが…
最終的には一旦入れた修正を抜いて提出しています。
自分の原画としては、ラストのエピローグの作画をする頃には、もう体力を使い果たしてボロボロだったので、かなり辛い作業だったのを覚えています。。。
敬とオリビアが手をつないで飛ぶイメージシーンは、正直あまり乗り気ではなかった(どうしてもイデオンとかアクロバンチの最終回を連想してしまうじゃないですか…)のもあって、出来も辛い感じになっちゃいました…
個人的には、できたら最後は#1の状態に戻って、敬とオリビアがアメリカの友人とネットゲームをしているような感じで終わって欲しかったなぁと…思っていたんですが。。。
レザリオンは途中の路線変更で脚本スタッフが入れ替わってしまっているので、そういう設定は忘れられてしまっていたのかもしれませんね。
この回はアニメ誌でも特集を組んでくださったのですが、金田さんのインタビューの内容は、非常にネガティブでロボット物に批判的なニュアンスのものでした。
金田さんとしては多くのロボットものをやってこられて、色々と思われるところもあったのでしょうが、正直そこを切り取って載せてしまう編集部もどうなのよと思いました。
ネットもそうなんですが、文章って気をつけないと微妙なニュアンスを削り落としてストレートに伝えてしまうじゃないですか。
それまで色々な制約もある中で、一生懸命に作品を作ってきたレザリオンのスタッフにも申し訳なく、肩身が狭かったです。
なんにせよ、僕がどっぷりと関わったロボットものは、このレザリオンが最後になりました。
ロボットものをやりたいですね。
アニメーターとしての引退作をやるとしたらロボットものをやりたいです。
ただ…僕がやりたいような"王道の"ロボットものは、もう作られることはないんでしょうね。
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