2009年5月9日

超綺麗、頂点の蝶

GWが終わってすぐの土曜日なので、行楽地へと向かう人は少ないかと思っていたら、、、まるでそんなことはなくて、朝から電車も混んでいました。
前回は、4月27日に出かけた足利の大小山ハイキングコースを再び歩いてきました。今日はこの前のときとは、上り下り逆のルートにしました。謎の岩窟は、今日も懐中電灯など持って行かなかったので、真っ暗なまま手探りで前回よりも倍くらい奥まで進みました。10メートルほど入り込んで、あと少しで最奥の行き止まりではないかという感じがしたのですが、ストロボを発光させて撮った写真には、なにやら白い霧状のものが写ったので、「ぎゃっ!!」と叫んで外へと逃げ出しました(笑)
妙義山(群馬県の赤城・榛名とともに上毛三山の妙義山ではありません)山頂は、とっても狭いのですが、何人かお弁当など食べていて、特に三角点の上に腰を下ろしている親爺が見苦しかったので、蝶の写真だけ撮って早々に立ち去ることにしました。
晴れていますが暑くなった分どんどん水蒸気も立ち上っているのか、東京の高層ビルは見えませんでした。もうトネリコの花はどこにも見あたらないので、どの木がトネリコなのかも分からなくなってしまいました。
最初は、さらに2時間ほどかかる「大坊山ハイキングコース」まで行くつもりでいましたが、身体がまだ暑さになじんでいないので、また次の機会に、、、。
森高千里が1993年発売のシングル「渡良瀬橋」の歌碑というのが、もう2年も前に建てられていたことを今日になって知りました。これを捜すのもまた後のお楽しみです(^^)/

2009年5月8日

そうだ八幡橋を渡りに行こう!!

雨上がりの富岡八幡宮を横へ通り抜けて、いつも来たときに通っている遊歩道へ、、、八幡橋の下あたりには、野良猫に餌を与えているお婆さんが常駐していたような感じでしたが、今日はおりませんでした。この八幡橋は、1878(明治11)年に初めて国産の鉄で造られた橋だそうで、日本最古の鉄橋らしいです。これまでずっと橋の下ばかり歩いていて、橋を渡ったことがなかったので、今日は最初から橋の上を歩くことを目的に来ました。
ほんの数秒で本日のお散歩のメインイベント(!?)終了してしまいましたので、残りはおまけのようなものです(笑)
清澄庭園では、いい感じにアオサギの写真がいっぱい撮れました。わりと最近何かで話題になったような気がするものの、それが何だったのか思い出せないまま尾車部屋の前を通って、萬年橋へ。この橋もなんとなく好きです(^^)
芭蕉庵史跡展望庭園と芭蕉庵跡を見た後は、たいてい隅田川沿いに両国まででてしまうのですが、今日は秋葉原でお買い物の予定もあるので、新大橋で対岸へと渡りました。神田川が隅田川へと合流する直前にある柳橋を見ておこうと思いました。
神田川沿いではあちこちでお祭り準備中でした。交通博物館だったところは内部を取り壊し中でした。
お茶の水の方へと淡路坂をのぼって、ニコライ堂へと行きました。300円でニコライ堂の内部を見学することができるというので、とっても期待してやってきたわけですが、入れる領域は、料金を支払ったところから10メートルくらいなものでした。ヴァンパイア体質のせいか、教会などに入ると頭痛がしたりするものですが、歩き回ることもできないので、今回は全然大丈夫でした(笑)
聖橋を渡って、神田明神の中まで行ったところで急に激しく雨が降ってきてしまいました。
秋葉原の電気街へと戻って、買いたい物をさがしていくつかの店を見ましたが、どこにも見あたりませんでした。アナログ音声をUSB経由でデジタル変換する機器は、いろいろ売っているのですが、ちゃんと稼働するカセットテーププレーヤーを持っていないので、先月発売になっているはずの製品を買うつもりでしたが、縁がなかったのかも???

2009年5月7日

目には青葉……

まるっきり金ぴかぴかでないままにGWが終了しました。朝夕の通勤電車が空いていたことくらいがメリットだっただけかも、、、。
今日から神田明神のお祭りが始まりますし、、、江戸っ子は、仕事しているヒマなどないっ!!という感じかもしれませんね。これからは、あちこちで夏祭りです。
各地のお祭りにも「縁」とか「相性」みたいなものがあるのか、、、偶然にも祭りの最高に盛り上がったところを目撃できたなんてこともあれば、意識的に見に出かけようとしても都合が合わないとか、行ってみたら終わった後だったとかで、なかなか見物すらできていないお祭りも多々あります(^^;)
昨年は、30を超える回数で日光・奥日光へとでかけていましたが、今年はちょっとその回数を減らして、まだ行ったことのない場所へと思っています。都内なら高尾山とか青梅の御嶽山、千葉は佐原や香取・鹿島神宮などなど、、、。でもなんだか昨年の紅葉時期にあったほどの体力が戻っていない気がするので、、、
まぁ、山ほどほどに初ガッツを!!てな感じでしょうか、、、。

2009年5月6日

おいしい風を召し上がれ

昨日の子供の日は、あいにくの雨となってしまいました。風にたなびく鯉のぼりは、やっぱり五月晴れの青空の下が似合ってます。
カレンダーを見たら、、、今日5月6日は振替休日となっていましたが、3日の憲法記念日が日曜日だったことのジャンプ振り替えってことでしょうか?
これまた歴史的経緯ってものがあるのかもしれませんが、国民全体がアッパラパー化している時期になんで憲法記念日などという重そうな記念日が割り込んでいるのでしょう???(笑)
ひな人形は早々に片付けないと嫁に行き遅れるなどという話がありますが、五月人形は片付けようが片付けまいが嫁を貰い損ねるのは必至の時代となっているようです。男子は、弱く産まれて強く育つということなのか、医学の発達で夭折を防ぐことができると女子より大幅に人数が多くなってしまいます。それでも子供が占める割合は、平成の時代になってから上向いたことはないようです。新聞には、28年間減り続けていると載ってますね。
各地に乱立する巨大ショッピングモールの日・祝日などは、子供たちが少なくなっているとは思えないような感じがしますが、昭和の時代とはもうまったく子供たちの居る場所が違うのかもしれません。
今年も加須市のジャンボ鯉のぼりと春日部市(旧・庄和町)の大凧揚げは、どちらも見に行けませんでした。

2009年5月5日

貫は付いても禄付かぬ、厄は除けても、かんかんかん!!

昨日は、築地から地下鉄に乗って、まずは西新井大師へと移動しました。「花まつり」の期間中ですが、藤も牡丹も終わってしまっていました。5つの牡丹園があるそうなのですが、咲いているのは、シャクヤクくらいでした。
門前で花より団子と草だんごを買いました。数種類のおだんご試食だけでもけっこうお腹いっぱいになります。
次に東武伊勢崎線・北越谷駅まで移動して久伊豆(ひさいず)神社へと向かいます。ここには国学者・平田篤胤が四十代で再婚したのちに仮住まいし、流山あたりから樹齢60年くらいの藤を植え替えたそうです。なので現在は、「樹齢二百余年」とされています。もう花がほとんど終わってしまっていました。
大野光政・著『江戸百景今昔』(本の泉社・刊)の出版にちなんで、パネル展示が5月10日まで行われています。本は、歌川広重『名所江戸百景』に描かれた全119点に、大正時代に刊行された写真集『古今対照江戸百景』を加え、さらに大野氏が撮影した現代の写真からなるとってもビジュアルな内容です。持ち歩くには大きな本ですが、ガイドブック代わりに江戸百景を歩いてみるというのも楽しそうです(^^)
「GW肉が輝く5日間マクドナルドへの旅」にもでかけてきました。ビッグマック(200円)とクォーターパウンダーチーズ(300円)の組み合わせで、ちょっとオーバーロード気味になりました。さらに大師前の厄除け草だんごの賞味期限は「本日限り」となってました(^^;)

2009年5月4日

レインボーブリッジを平行せよ!!

お台場からは、レインボーブリッジを経由して芝浦方面へと何度も歩いていますが、、、今日は有明やオリンピック選手村の建設予定地、そして築地市場の移転予定地、晴海を通って築地まで歩いてみました。
もっと距離もあって、果てしなく疲れるコースなのではないかと思っていましたが、ゆっくりと歩いて晴海までで約1時間、築地までさらに30分くらいしかかかりませんでした。
写真は、晴海大橋で撮ったものです。「橋長580m」と書いてありますので、レインボーブリッジの3分の1くらいですね。「とよすおおはし」は、まだ通行することができません。名前が○○大橋となるには、橋の長さが何百メートル以上とかいう基準があるのでしょうか???
築地場外市場周辺は、年末に見にでかけたときよりも凄い人の数でした。どのお寿司屋さんにも長蛇の列です。
東京ビッグサイトから東京駅へと向かう都バスは、わりと頻繁に走っているようですが、築地辺りまではあまり乗客が乗っていませんでした。いつもは、有明あたりまで歩いて来ると、ちょうどバスがやってきて、ついつい乗り込んでしまい、今日までなかなか歩き通す機会がなかったのでありました、、、。今日歩いたところは、東京マラソンのコースとは、少し違う道だったので、次はマラソンコースを逆に進んでみたいと思っております(^^)v

2009年5月3日

空に向かって、まめにはげめ!!

初めて訪れたつもりなのに、、、「天保の締め切り跡」が既知の場所でしたが、一番利根川に近い部分がどうなっているのかは確認しませんでした(^^;)
久しぶりの自転車での遠出なので、お尻と言うか足の付け根が痛くて、自転車をころがしながら歩くか、立ちこぎで進むかしないと痛みを我慢できない状態になってました。それでも次は何年先のことになるかも分からないので、いくつかのお気に入りポイントに寄りながら帰ることにしました。
少し遠回りになってしまうのですが、まずはオニバスの自生地へ。種子が発芽するのが6月、花が咲くのは8月くらいらしいので、まだなにもない状態でした。
利根川に架かる埼玉大橋は、自転車での走行をまるで考慮していないのではないかという構造でした。道の駅・童謡のふる里おおとねでは、特にお買い得値段ではありませんでしたが、良質そうなのでソラ豆を1袋買いました。このところ毎晩のように塩ゆでにして食べています(^^)
庚申塔などをみつけては、写真を撮りつつ休憩しながら進みます。
玉敷神社には国学者の河野省三邸跡がありますが、建物はなくて門しか残っていません。やはり門だけで、建物があったところは荒れ放題(?)の公園となっているのが、洋画家・斎藤与里生家跡です。加須駅から歩いたら1時間では着かないでしょうし、近所の人が犬の散歩で通るくらいなのかもしれません。何度か来ていますが、今回はすぐ近くに墓をみつけました。このあたりの風習で、墓石は家の近くと菩提寺の両方にあったりします。(写真は斎藤与里生家跡にて。井戸跡か、単なる放置土管かは分かりません)
最後は、「浮野の里」というクヌギ遊歩道・水路・葦原・花菖蒲などなどのある場所で、、、お昼寝してゆきたい感じでした、、、。

2009年5月2日

いつの世も締め切りはちょっと辛い!?

先日、館林の田山花袋記念文学館にて、板倉町教育委員会・発行「みずば絵巻~川と道~」という無料の配布物を入手しました。折りたたみ地図のような体裁で、板倉町にある歴史的石造物や水にまつわる風景などが分かりやすく纏められている内容です。そのなかのひとつが「天保の締め切り跡」というもので、、、”天保12年に利根川の東遷事業によって締め切られますが、それ以前より本川ではなくなっていたようです。利根川流域で、締め切り跡や水路が残るのは、本地域のみで、とても貴重な国土遺産です”と書かれていました。
騎西の玉敷神社で1時間ほど藤の花を見た後で、そこへ行ってみることにしたのですが、、、肝心の利根川には、いくつも橋が架かっているわけではないので、騎西町からだと国道122号で北上して利根川を超えたら東へまわるか、先に大利根町にある埼玉大橋まで引き返すかするわけですが、地図も持っていなかったので、いつ目的地に着けるかどうかも分からない旅路となりました(笑)
ちょうど締め切り跡あたりを横切る道路が工事中だったせいもあって、知らずに通り過ぎてしまい、以前「群馬の水郷」をめざして歩いたあたりまで行ってしまってから、引き返しました。
旧利根川だった部分は、両岸に土手が残っていて、ほとんどは田畑と釣り堀くらいで、のどかな田園風景そのものです。行ってみて「なんだぁ、ここだったの?!」と、、、今までに何度か車では通ったことのある場所なのでした。片側の土手は車が通れますが、もう片方は、散歩やサイクリングに良さそうでした。
群馬と埼玉の県境は、この締め切り跡の真ん中あたりになっています。利根川より北側なのに北川辺町が埼玉県なのは、このような歴史的経緯(?)が関係しているのかもしれません。注意深く見れば、グーグルアースなどの写真や普通の地図でも、かつては川であったことが読み取れそうですが、知識より先に風景を見て「ここは普通とちょっと違う!!」という風にはなかなかなれそうにありません、、、。

2009年5月1日

今日も藤色玉簾

埼玉県内の三大ヒーリングスポットを勝手に決めてしまうと、、、さいたま市(大宮)・氷川神社、騎西町・玉敷神社、鷲宮町・鷲宮神社(順不同)ということになります。
今日は、自転車にて午前6時出発で騎西町の玉敷神社にある推定樹齢400年という藤の花を見にでかけることにしました。
通り道なので、先に鷲宮神社に寄りました。ここは近年、マンガ「らき☆すた」の聖地と化してしまったようなので、お久しぶりになってしまいました。出雲系・関東最古の大社です。絵馬掛けはもう9割以上「らき☆すた」関連のようでした。3羽ともオスのクジャクが飼われていましたが、オスだけでも羽根を広げたりするのでしょうかね?
鷲宮神社から1時間弱で玉敷神社へと着きました。こちらは703年と創建年がはっきりしていますが、現在の場所になったのは江戸時代の初め頃のようです。藤の花は、ちょうど見頃な感じでした(^^)
あと藤の古木があるのは、越谷の久伊豆神社ですが、見に行けるかどうか微妙になってきました。例年ですと、玉敷神社から菖蒲町(菖蒲神社に樹齢約300年の藤がある)へと回るのですが、今日は別件で、北へ……。