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イベント情報
堂島薬師堂節分 お水汲み祭り
趣意書  
  我々は、大阪北の曽根崎新地・堂島・中之島界隈に起居し、生活の場、仕事の場をこの地に求めて日々を生きている。21世紀を迎えた現在、今一度、大阪北の歴史を紐解いてみたい。

古代大阪は、広大な干潟が広がり、八十島と呼ばれた多くの洲から成っていた。遣唐使・遣隋使が出立し、大阪が古代のアジア交易・国際交流の玄関であった頃、堂島薬師堂は既にここにあったと思われ、堂島という地名も「お堂のある島」に由来している。

近世にあって、「天下の台所」大阪には多くの掘割が発達し、舟運が栄え、全国各地の産物が集まり「食」と「もてなし」の文化を生み出した。
江戸時代から明治末期まで、堂島一帯は曽根崎川(蜆川)と堂島川に挟まれた中州であった。
曽根崎川の北岸には曽根崎花街が発展した。夏になると、曽根崎川の川面には、芸妓の乗った涼船が往来し、まさに水都大阪の象徴たる光景であった。
また、元禄元年には、堂島に米穀取引所が開設され、大小さまざまな蔵屋敷が軒を連ねた。
「堂島の米相場」は世界の先物取引の先駆、日本近世経済の礎を築いたのである。

堂島薬師堂は、新地の花街や米相場師など多くの人びとの信仰を集め賑わったといわれている。
明治42年、「北の大火(天満焼け)」により堂島薬師堂は焼失したが、仏像は類焼を免れ、花街のきれいどころが、朝、夕お参りする姿が見られたという。節分の鬼追い、地蔵盆などの行事も盛大に営まれた。
第2次世界大戦の戦災を免れた堂島薬師堂は、昭和28年には、奈良薬師寺の管長を招いての盛大な復興祭が営まれた。

かつて堂島薬師堂には井戸がありがあり水が湧き出ていた。街の人びとはこの水を汲み身辺の清めに使ったという。平成16年3月19日に行なわれた第1回堂島薬師堂「お水汲み祭り」では、薬師堂の僧侶によって祈祷され、お香水で清められた竹筒護符が配られ、“春と福”を呼ぶ祭事が復活した。

この千数百年に及ぶ大阪北の歴史にのっとり、なにわの守護神とまで言われた「堂島薬師堂」のある曽根崎新地・堂島・中之島界隈をステージとして、“節分の祭事”“お水汲みの祭事”を大同団結し、大いに復活・復興させ、賑わいを取り戻し、水都・大阪の再生に向けたまちづくるの一翼を担いたいと思う。

   
  お水汲み祭お水汲み祭お水汲み祭
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発起人会  
 
代表発起人 塩川正十郎 前財務大臣
薬師寺信徒総代
     
副代表発起人 奥田  務 関西経済同友会 代表幹事
大丸 会長兼CEO
  松下 正幸 関西経済同友会 代表幹事
松下電器産業 副会長
   秋山 喜久 関西経済連合会 会長
関西電力 会長
  野村 明雄 大阪商工会議所 会頭
大阪ガス 会長
  寺田千代乃 アートコーポレーション 社長
  田代  和 近畿日本鉄道 相談役
  柴田  稔 東洋紡績 相談役
  熊谷 信昭 兵庫県立大学学長
元大阪大学総長
大阪21世紀協会 会長
  モーリス
  ハルテンバッハ
スイス総領事館 総領事
  アレキサンダー
  アルマゾフ
駐大阪・神戸米国総領事館 総領事
  安藤 忠雄 建築家
  林  裕章 吉本興業会長
  コシノヒロコ デザイナー
  竹本住大夫 人間国宝 文楽大夫
  中村雁治郎 人間国宝 歌舞伎俳優
  藤田 まこと 俳優
  桂  三枝 上方落語協会 会長
  浜村  淳 パーソナリティ
  喜多郎 ミュージシャン
  桑名 正博 ミュージシャン
     
顧  問 安田暎胤 堂島薬師堂 主幹
薬師寺 管主
   
  お水汲み祭お水汲み祭
     
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節分・鬼追い・お化け
 
 

2月4日の立春の日は旧暦で言う年初であり、その前日の大晦日には、その年の邪気を全て取り除くため、「鬼は邪気を全て取り除くため、「鬼は外、福は内」の節分の行事が行われる。これは、古代中国で生まれた学問である陰陽道によるものであり、年の変わり目が「鬼門」に当ることから、鬼を排除する追儺(ついな)の儀式を必要とすることに由来している。追儺は、「鬼追い」・「鬼やらい」等とも言われる。
「お化け」は江戸期より、花街の節分の行事であり、1960年代頃までは各地でお盛んに行われていた。常とは違う装いに身をやつす風習で、舞妓・芸妓は丸髪に結って町の奥さんの風を装ったり、歌舞伎の役どころに扮した男の格好などをしてお座敷をまわり、ご祝儀をもらう。また、町娘が舞妓や芸妓の格好をすることもある。「忙しくしている人々の隙に付け込み悪事を働く邪気や魑魅魍魎を惑わし、追い払う仮想」とも言われている。
また、その年の恵方を向いて、太巻き寿司を「一切口を利かず」に食べる風習は、阪神間では今でも盛んである。また、鰯の頭を焼いて柊の枝に刺し、家の入口に差す風習等も残っている。

 現在、堂島薬師堂では、2月3日(立春の日の前日)に節分祭を行っている。
町内会役員・薬師寺僧侶・鬼・福男など、8人1組となり、法螺貝を吹き、ドラを鳴らしながら町内を回り歩く。お店の中では、入ってきた鬼をめがけて、お客や従業員が福豆を投げつけ、厄払いをしている。また、護摩木に願いを書き入れ、堂島薬師堂にて護摩焚きを行う「護摩苦厳修(ごまくげんしゅう)」も行っている。当日は、堂島薬師堂の横にて、新地女性会メンバーによるぜんざいの配布も行われている。
  また、新地内のお店では、少数ではあるものの「お化け」も行われており、店の従業員・ホステスが仮装をしてお客を迎え、節分祭に花を添えている。

   
  節分祭節分祭
   
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・竹筒護符・水かけ弁財天
 
   かつての堂島薬師堂には井戸があり(現在は井戸の遺構のみが残っている)、こんこんと水が湧き出ていた。街の人々や芸者衆は、この水を汲んで身辺の清めに使ったという。
  平成16年3月19日に復活された第1回堂島薬師堂お水汲みまつりで(社)関西経済同友会より堂島薬師堂へ「堂島薬師堂弁財天」像が奉納され開眼法要が行われた。
七福神の内、弁財天は古代インドの水の神様で学問・知恵・技芸・財宝を授けてくれる女神として有名です。参拝者が願いを込めてお水をかける「水かけ弁天さま」として大阪キタの新しい名所になり、堂島薬師堂お水汲み祭りを21世紀の今、春と福を呼ぶ祭事として再興・復活させようという。
また、明治期に賑わった「大師詣で」など(堂島薬師堂は一番の霊場)、堂島薬師堂の門前の賑わいを取り戻すことによって、堂島・北新地の発展の一助としたい。
          「お水汲み竹筒護符」のお祀りの仕方
このお祭りは、水に感謝する大阪・堂島薬師堂の年大祭です。
かって、堂島薬師堂には井戸があり、この井戸水を薬師如来に供えて身体健全、開運招福、家運隆盛等の信仰を集めて参りました。
この古事に見習い、この度の「お水汲み」の水は奈良薬師寺金堂の
千三百年に亘り渾渾と湧き出る井戸水を薬師如来にお供えした
「お香水」と堂島薬師堂の上水をあわせ、その浄水を竹筒護符に
神官がそそいたもので、神棚や仏壇、会社の事務所やお店の
神聖な一角に飾り、日々、身体健全、開運招福、千客万来、家内安全等祈願下さい。

行事と時間と場所 (竹筒と地図拡大画面をご覧になるにはここをクリック下さい )
動画配信 (社)関西経済同友会が作成したホームページの中で、この事業の動画リンクを許可して頂きましたので、
ご覧下さい。


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「ようこそ北新地へ」パーティ
 
目的  
  日頃のご愛顧に感謝する各店の周年記念を会員店全店で開催し、その後、会員店へお客様を誘致する事で、協会店の活性化に役立つ協会事業として定着させ、春は関西経済同友会、薬師寺とともに堂島薬師堂節分“お水汲み”祭り、秋は協会主催の北新地周年記念謝恩パーティで、この地域でしか出来ない「おもてなし」をお客様に協会員一人一人が力を合わせて行なう事業にしたい。
企画  
  我々北新地で業を営む会員の手づくりで、北新地でしか出来ない会員参加の大パーティを行う。会場の雰囲気は、バブル以前の「おもてなし」の原点に立ち返り、北新地ならではの華やかさで、会場を「クラブ北新地」として、参加店のママ、ホステスが「北新地ならではのおもてなし」をし、協賛会員各社の洋酒、ワイン、ビール、清酒を提供して頂き、地元のエンターテナーによるジャズやボーカル、BGMの流れる中での語らい、又、洋酒コーナーを設け、バーテンダーの腕をお借りし、北新地カクテルのサービスで、日ごろのご愛顧に感謝して、会員、賛助会員がご奉仕する。
その後、お客様のお気に入りのお店の方々が自店へご案内し、この日は「北新地不夜城」を楽しんで頂く。
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参加費  
  10,000円
時期  
  毎年11月の第二または第三金曜日に開催予定
場所  
  ANAクラウンプラザホテル大阪(3F)の万葉の間(収容人員約600名)
形式  
  立食ビュッフェ
主催  
  北新地社交料飲協会
共催  
  北新地商店会、北新地環境浄化推進協議会
後援  
   サントリー(株) アサヒビール(株) キリンビール(株)
サッポロビール(株) 白鶴酒造(株)  ANAクラウンプラザホテル大阪
   
 






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