2009-05-08
ぼくの名前
みなさん、こんにちは。初めまして、ぼくの名前は岩崎夏海と申します。今日は少し、ぼくのことについて書こうと思います。
ぼくは1968年(昭和43年)に生まれました。今年で41歳の、職業は会社員です。
ぼくは東京の新宿で生まれました。生まれてすぐ、親の仕事の関係でいくつかの場所を転々と移り住んだのですが、3歳の時に東京の日野市に落ち着きました。
日野市は、東京の西、新宿からは京王線の特急で30分ほどの距離にあります。立川と八王子という二つの大きな市に挟まれていて、存在自体はマイナーですが、それなりに多くの人が住んでいます。
日野市は多摩丘陵の一角に当たり、ぼくの住んでいた地区はとても坂が多いところでした。またその一帯は、昭和30年代に山林を伐り開いてできたベッドタウンで、多くの雑木林が点々と散在している、とても自然豊かなところでした。
ぼくはここで11歳までを過ごしました。ですので、ぼくにとってふるさとといえるのは、この日野市です。子供の頃に遊んだ、裏山にあった雑木林や、近くを流れていた多摩川の支流である浅川は、今でも強い憧憬と共に思い出されます。
11歳から13歳にかけて、ぼくは再び親の仕事の関係でいくつかの場所を転々と移り住みます。そして13歳の時に、今度は茨城県のつくば市に落ち着きました。
つくば市は、昭和50年代にそれまで田んぼと畑しかなかったところに政府の施策で新たな都市を計画的に建造した、とても人工的な街です。東京からの距離は、上野から常磐線の普通列車で1時間くらいと、そう離れているわけではありません。
筑波学園都市は、移り住んだ当時は、広大な更地を整然と舗装された真っ直ぐな道路だけが縦横に区画する、ある種の近未来的な風景が広がる場所でした。その中心には筑波大学がでんと居を構えていましたが、それ以外の施設がほとんどなく、とても寂しいところでした。
しかし1985年に科学万博が開かれたことなどもあって、ぼくが住んでいるあいだに大きな街へと変貌を遂げます。まるでシムシティのように、ほんの数年で、何もなかったところへいくつもの施設がぼこぼこと建立されていったのです。
このつくば市で、ぼくは18歳まで――つまり高校卒業までを過ごしました。ですので、つくば市はぼくにとっては青春の場所です。この土地で、ぼくは最も多感な時期を過ごしました。
高校を卒業したぼくは、東京藝術大学美術学部建築学科に進学します。つくば市にある高校から現役で合格しての進学でした。
しかしこの一見幸運に思えるできごとが、ぼくの人生にある主の挫折をもたらします。入学してすぐ、ぼくは、自分が美術も、そして建築も、特に好きではないということに気づかされたのです。そのことは、以前に書いた「才能がありすぎても美術はうまくいかない」というエントリーのもとともなっています。
そこでぼくは、生まれて初めて「自分が本当に好きなことは何か?」ということを考えました。その結果、「それは結局エンターテインメントなのではないか?」という疑問符付きながらも一応の結論に達し、その道を志そうと決めました。特に、当時は映画が好きでしたので、ぼくは映画監督になることに強い憧れを抱きました。そこで、大学を卒業すると同時に美術の世界からは離れ、エンターテインメントの世界へと足を踏み出したのです。
大学を出たぼくは、作詞家である秋元康さんの事務所に入社しました。当時は株式会社ソールドアウトという社名でした(その後いくつか社名が変わり、最終的には株式会社秋元康事務所という名前になりました)。
秋元さんの会社に入ったのは、当時のぼくにとって、秋元さんが強い憧れの存在だったからです。高校2年生の時、ぼくは「夕やけニャンニャン」という番組と出会いました。そして、当時の多くの高校生がそうであったように、ぼくはこの番組にすっかりやられました。この番組にすっかりハマったのです。番組にハマり、出演者だったとんねるずやおニャン子クラブにハマりました。そして、番組の企画者の一人で、とんねるずやおニャン子クラブの歌の作詞も手がけていた、秋元さんにもすっかりハマったのです。
ぼくは秋元さんを本当にすごい存在だと思いました。そして秋元さんのような存在に憧れました。秋元さんのように一大ムーブメントを作り出し、エンターテインメントで多くの人を楽しませる仕事をしたいと思ったのです。そうして、当時秋元さんが連載を持っていた週刊プレイボーイ誌に企画のハガキを投稿するようになり、それが何度か掲載されたこともあって、秋元さんとゆるいながらもつながりを持つに至りました。
それがきっかけの一つとなって、ぼくは秋元さんの会社に入ることとなったのです。それは1991年のことでした。入った当初は、当時映画監督に憧れていたためアシスタント・ディレクターから始めましたが、すぐに放送作家の方が面白いと思うようになり、放送作家として働くようになりました。
放送作家として働き始めたぼくは、その間に色んなテレビ番組の構成を担当しました。その中でも特に思い出深く残っているのが、「とんねるずのみなさんのおかげです」「殿様のフェロモン」「ダウンタウンのごっつええ感じ」「クイズ赤恥青恥」「ドラゴンズ倶楽部」などです。ぼくはそこで、色々な人々と会うことができ、色々な経験をすることができました。ぼくはそこで、エンターテインメントとは何かということを、本当に色々と学ぶことができたのです。
例えば、「とんねるずのみなさんのおかげです」という番組では、とんねるずの制作の現場とは、そしてとんねるずというのはこんなにも凄いのだというのを、知ることができました。中でも特に印象に残っているのは、当時とんねるずが苗場でやっていたコントのリハーサルで、とんねるずの二人がその場で即興でコントを始めた時のことです。
それはゴルフのコントだったのですが、お偉いさん(憲武さん)とそれを接待する営業マン(貴明さん)という設定だけ決めると、あとは二人が、台本もなしに、また事前の打合せもなしで、即興でコントを始めたのです。
そこで展開されたコントは、いわゆる「お約束」をたたみかける内容のものでした。貴明さん扮するサラリーマンが、憲武さん扮する取引先のお偉いさんと接待ゴルフをするのですが、貴明さんがボケボケで、憲武さんに失礼なことばかりするのです。それで憲武さんが「君、失礼じゃないか!」と突っ込むのですが、そのたびに貴明さんは「あ、いえこれはですね――」と言い逃れ、何とかその場を取り繕う……そんなふうにして、どんどんその即興コントを展開させていったのです。
その即興コントの面白さが、ぼくは今でも忘れられません。そこでは、当時のお笑い界に君臨していたとんねるずという二つの不世出の才能の、魂の交歓がありました。才能と感性とが火花を散らしぶつかり合う、真剣勝負の迫力と醍醐味がありました。この二人の丁々発止は、ぼくだけではなくその場にいた十数人のスタッフ全てを、爆笑の渦へと巻き込みました。こう言っては何ですが、この時のリハーサルは、後に本番でやることになったコント(それは憲武さんの祭二郎というキャラクターに結実しました)よりも、ずっとずっと面白く感じられました。
そんなふうに、さまざまな体験をできた放送作家ではありましたが、30歳を越えたところで、ぼくは新たな職種に挑戦することにしました。今度はプロデューサーとして、秋元さんのアシスタントとして働くようになったのです。
それは2001年くらいのことでしたが、そこでもぼくは、本当に多くのことを学ぶことができました。今度はそこで、社会というものの有り様や、人間というものの実相を、つぶさに見聞きすることができたのです。
その間、特にAKB48との出会いが大きなものとしてありました。そこでぼくは、女性アイドルや、それを取り巻くクリエイター、そしてファンたちという、これまでとは違った世界の人々を、間近で見ることができたのです。またそれ以外にも、プロデューサー時代には本当に多くの人に会い、また多くの経験をさせてもらいました。そうして結局、ぼくは7年間その仕事をしていました。
しかし、2007年の12月31日、不惑を翌年に控えた39歳の時に、ぼくは秋元さんの会社を辞めることを決心します。理由は色々あるのですが、一番は、自分の力を試してみたいということでした。ぼく自身が、ぼく自身の力で、何かしてみたいと考えるようになったのです。
そこでぼくは、株式会社インディソフトウェアという、ゲームやWebコンテンツを制作する会社に転職しました。その会社では、これまでとは全く違うITの世界を体験することになりました。そこでぼくは、Webやモバイルで遊ぶ簡単なゲームを制作したり、「さるサルDS」というニンテンドーDSのソフトをプロデュースしたりしました。また、2008年の4月17日には、このブログ「ハックルベリーに会いに行く」を書き始めました。
ぼくがこのブログを書き始めたきっかけは、Webの世界を勉強するためでした。Webの仕事をする以上、もっとWebのこと知らなければならない――そう考えたぼくは、自分で実際にWebコンテンツの一つであるブログを作ってみて、そこで色々試してみることによって、Webに関する知識や経験を得て、自分の仕事に生かそうと考えたのです。
そうして、はてなでブログを書き始めたのです。はてなで書き始めた理由は二つあって、一つは広告がうるさくなかったことと、もう一つはデザインが洗練されていたことでした。そして、それ以外の理由はありませんでした。ぼくは、はてなの特徴であるはてなキーワードのことも、あるいははてなブックマークのことも知らないまま、ただ広告がうるさくない、デザインが洗練されているという理由だけで、このブログを書き始めたのです。
しかしながら、ぼくはすぐにはてなブックマークのことを知るようになります。それは、アクセス数を増やすためには、はてなブックマークは避けては通れない存在だったからです。
ブログを書き始めたぼくは、一人でも多くの人に読んでもらうことを目標にしていました。それは、Webの世界で人気を獲得したり、多くのアクセスを集めるためにはどうすればいいか、さまざまなことを実験して、データを蓄積するためでした。それこそが、ぼくが一番やりたいことだったのです。
だからぼくは、はてなブックマークを獲得するため、引いては多くのアクセス数を獲得するため、さまざまな施策に取り組みました。その過程で、上手くいくこともあれば、失敗をすることもありました。そんな中で、次第にぼくは、ある種の難しさに突き当たるようになったのです。それは「匿名」の難しさでした。名前を伏せたままにしておくと、書きたくても書けないこと、やりたくてもやれないことが、色々と出てきたのです。
もちろん、匿名には匿名の良さがあります。しかしながら、書き続けるに従って、あるいはアクセス数が増えるに従って、ぼくにとってはデメリットの方が段々と多くなっていったのです。そうしていつからか、名前を明かしてみても面白いのではないかと考えるようになりました。
そんな折り、ふとしたきっかけから再び転職することになりました。今年の4月、ぼくは、今度は株式会社吉田正樹事務所という、エンターテインメントの企画などを請け負う会社に転職しました。
吉田正樹事務所という会社は、フジテレビのプロデューサーだった吉田正樹さんが、会社を辞められ新しく作った会社です。ぼくは、吉田さんがフジテレビのプロデューサーだった時、「殿様のフェロモン」という番組で初めてお会いし、そこで大変お世話になりました。それ以来、長年に渡って色々とお仕事をご一緒させて頂いていたのですが、今回の転職も、そうした流れの中で決まったことでした。
さて、そうして新たな会社に入り、ブログを書き始めてからちょうど1年が経過した今年の4月17日に、ぼくはあることを試みました。それは、そのエントリーが417users行ったら名前などの個人情報を明らかにするということでした。
この時も、ぼくはまだ、名前を明かそうかどうか迷っていました。しかしながら、ちょうど1年という節目の時を迎えたことや、転職したばかりだったこと、また4月17日をもじって決めた「417」という数字が何だか面白そうに感じたことなどもあって、上記のような試みをすることを決心したのでした。
その結果は、アップした直後から非常に多くのブックマークを頂きはしたのですが、目標の数字には遠く及ばない状態で、一旦は収束してしまいました。それで、「ああ、これはまだ公表するなということなのか」と考えたのですが、しかしその後すぐにまた数字が伸び、結局2週間ほどで417usersに到達しました。そのため、今こうして名前を明らかにするエントリーを書いているというわけです。
以上が、ぼくの自己紹介にまつわるエントリーです。上記のような紆余曲折があって、ぼくは、ぼくの名前を明らかにすることとなりました。ですので、このブログは今日からぼく岩崎夏海が書いている、匿名ではないブログとして、新たなスタートを切ることとなります。
ちなみにメールアドレスは、
aureliano2008@gmail.com
です。
また、前述した件のエントリーでは、質問を受け付ける旨を書いたのですが、それについてはエントリーを別にしてお答えしていきたいと考えています。
それでは、今後ともよろしくお願いします。
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