2009年5月9日17時2分
忌野清志郎さんの遺影を前に弔辞を読む竹中直人さん=9日午後、東京都港区の青山葬儀所、代表撮影
「清志郎さん、またね!」と手を振る竹中直人さん=9日午後、東京都港区の青山葬儀所、代表撮影
忌野清志郎さんに弔辞を送る大竹しのぶさん=9日午後、東京都港区の青山葬儀所、代表撮影
忌野清志郎さんに弔辞を送る甲本ヒロトさん=9日午後、東京都港区の青山葬儀所、代表撮影
忌野清志郎さん愛用の楽器・機材が飾られた葬儀会場=9日午後、東京都港区の青山葬儀所、代表撮影
清志郎さんの髪が抗がん剤で抜け落ちて、また生えて来た時、清志郎さんは僕に言ってくれましたよね。「竹中、竹中には絶対勧められないんだけどさ。抗がん剤ってさ、髪が全部抜けちゃうんだけど、その後に生えてくる髪が剛毛なんだぜ」って。でも僕は清志郎さんに「頑張ってください」なんて、ありきたりな言葉しか言えなかった。
清志郎さん。清志郎さんが残してくれた言葉、声、歌は、ずっとずっと僕の中に生きています。忌野清志郎は死んでない。ずっとずっと僕たちの中に生きています。ものすごくさびしいけど、僕たちはそう確信しています。
清志郎さん。僕の母は、僕が高校3年生の時に亡くなりました。母の死はそのころの僕にとっては深い悲しみでした。3年前、母の33回忌の時、母のお墓のあるお寺の住職さんが、こんな言葉を僕に伝えてくれました。「直人君のお母さんが33年間、ずっと直人君のそばにいて、直人君を見守っていたんだよ。33年たってお母さんがやっと直人君から離れて月に帰っていったんだ」。だから清志郎さんはこれから33年間、ずっと僕たちのそばにいてくれるんだと思いました。そして、月に帰っていくんですよね。だから清志郎さん、これからも33年間、僕たちのことを見守っていてくださいね。見て欲しくない時は、目をつぶって見て見ぬふりをしていてください。でも、ここだって時は、僕たちに岩をも砕くエネルギーと勇気を与えてください。
清志郎さん、ボス、キング、ゴッド。ずっとずっと僕たちは、清志郎さんが大好きです。ずっとずっとずっと! 清志郎さーん、またね!(大きく手を振って、一礼)