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2009-05-06 平成日本、トルコ建国の父への敬意は

旧トルコ文化村内のムスタファ・ケマル像移設問題の早期解決を

トルコ建国の父」救え 銅像の寄贈先破綻…「友好危機」ネットで署名活動 (1/2ページ)

2009.5.6 01:53

 屈指の親日国、トルコ共和国親日感情が悪化しているのを憂慮し、インターネット上でつながった有志が立ち上がった。トルコから新潟県柏崎市のテーマパークに寄贈された建国の父、ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領(1881〜1938年)の銅像の行き先がテーマパーク破綻(はたん)をきっかけに決まらない問題が影響しているとみられ、ネット上で署名活動を始めたのだ。有志らは「1人1人が声に出して行動することで、解決に向けて前進する」と協力を訴えている。

 署名活動を始めた「ムスタファ・ケマル像を移転する会」の代表は、愛知県大口町の会社員、江口保さん(20)。ネット上で知り合った有志8人が中心となって運営している。

 江口さんは英BBC放送の調査で、世界有数の親日トルコの対日感情が年々悪化し、今年は「肯定的30%、否定的47%」と大きく逆転しているのを知った。その原因を調べるうちに、アタチュルク像問題に突き当たった。

 アタチュルク像は平成8年、柏崎市にテーマパーク「トルコ文化村」が開園したのを祝い、トルコが寄贈した。2度の閉園で再建を断念した市は18年、トルコとの友好関係に配慮するとの条件を付け、上越市のプラスチック製品製造業「ウェステックエナジー」に像も含めて売却。ウ社は19年6月、施設を改装して結婚式場を始めたが、1カ月半後に中越沖地震が発生。倒壊の恐れがあったとして像は台座から外され、当初は屋外に横倒しにされた(批判を浴びたため、現在は屋内で保管)。「建国の父」に対して非礼だとして、トルコ紙でも報道された。

1/2ページ(以下に続く)*

さらにウ社柏崎市、敷地内の民有地地権者の3者の間で訴訟合戦が勃発(ぼつぱつ)。訴訟と切り離して像の譲渡を求める市に対し、ウ社はその条件として市の謝罪を要求。会田洋市長は「市が引き取ってしかるべき場所に移設したいが、市の落ち度を認めると裁判で不利になる」と対応に苦慮している。

 柏崎市などに電話して問題の背景を知った江口さんらは「自分たちにできることから始めよう」とネット上に経緯をまとめたサイトを立ち上げ、4月11日からは署名活動に乗り出した。

 像の移転先に挙がっているのが和歌山県串本町だ。明治23年、遭難した軍艦エルトゥールル号の乗組員を住民総出で救助したのが縁で、串本町トルコと100年以上にわたり交流を続けている。来年は遭難から120周年を迎え、「トルコにおける日本年」も開かれる。昨年3月にはトルコ大使館が「像の移設費用は負担するので、土地を提供してほしい」と町に要請し、町議会は全会一致で賛成したが、「裁判の結果が出ないことには動けない」(町総務課)のが現状だ。

 事態打開に向け、江口さんらは訴える。「事は両国外交、友好にまで及んでおり、まず銅像を訴訟から切り離してほしい。一致団結してトルコとの友好を取り戻そう」と。

 会は目標の署名を集めて会田市長とウ社外務省に提出する予定。署名目標数は1万人で、5日現在で2200人を超えた。署名サイトのアドレスはhttp://www.shomei.tv/project-932.html(永岡栄治)

2/2ページ(msn産経)*

 日本とトルコとの友好関係は明治期のエルトゥールル号遭難事件以来続いてきた。かの事件にまつわるエピソードは、古き良き時代の日本人像をよく伝え、日本人に内在する本然の徳性の高さを証明し続けるはずであった。しかし、既にその雲行きが怪しくなってきている。その理由は上記の記事に明らかだ。

 

 国同士が真の友好関係を築くためには、相互に深く尊重し合うことが必要であり、そのために相手国の建国の歴史中の人物の事績を称揚し、敬意を払う旨を態度で示すことが必要になることもあろう。今回はまさにその逆のことを行った。信頼関係の証として送られてきたのは動物ではなく、建国の父の像である。どんなに大切に扱っても、大切に扱い過ぎということはなかったはず。かの国が日本という国をどのくらい信頼してくれていたかということを考えたときに胸が痛みはしないだろうか。民間施設の中にあった物とはいえ、物がモノなだけに外務省等も特別な注意を払うこと等、できはしなかったものか。

 高校の世界史の教科書にも登場するこの人物は、オスマントルコの軍人出身で、ケマル・パシャ(パシャは太守)とよく表記される。ムスタファ・ケマルは本名で、アタはトルコ語で父、テュルクはトルコのことだから、アタテュルクは「トルコの父」を表す尊称である。ローマ帝国でいえばアウグストゥスにあたる。西欧列強の侵略による亡国の危機からトルコを救った、いわずと知れた近代トルコ建国の父である。日本でいえば明治天皇に維新の元勲の功績まで合わさったような大人物である。むしろ神武天皇になぞらえた方が近い。だから、これだけはやっていけないことだった。

 日本には欧米よりの外交チャートしか描けない伝統があるのかもしれないが、近現代史のおいてトルコと日本は帝国主義諸国の侵略にも屈することなく自力で独立を勝ち取ったアジアでたった2つの国である。日本が東アジアの誇りなら、トルコ西アジアの雄である。アジア全域に広がる4億人ともいわれるトルコ系民族の中の代表ともいうべき国だ。トルコ語の「イイ」と日本語の「いい」は同じ意味、トルコ語の「テッペ」は日本語の「てっぺん」の意。同じアルタイ語族の仲間だ。アジアヨーロッパの二つの個性を併せ持つと言われるバイタリティ旺盛なこの国を大事にしておいて損はないだろう。隣国たる特定アジア諸国があのあり様であるだけに、西アジアにもいざというときに肩を持ってくれる国があってもいいだろう。信頼の恢復に全力を挙げるべきである。一刻も早く串本町ムスタファ・ケマル像が移設されることをここに願うものである。

旧トルコ文化村内のムスタファ・ケマル像を当事者間の裁判から切り離し、問題の早期解決を求める要望書

ケマル・アタテュルク(Wikipedia)

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