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アルバムと日章旗の持ち主を探して…

写真
アルバムに納められていた写真の1枚
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◇硫黄島で戦った元米海兵隊員、「持ち主の家族に会いたい」

 太平洋戦争末期、硫黄島で日本軍との激戦を経験した元米海兵隊員、コロラド州在住のジェームズ・ブレーンさん(84)が、サイパン島などで見つかった日本人のアルバムや日章旗の持ち主を探している。今月中にも来日し、硫黄島への慰霊も予定するブレーンさんは「憎しみはなく、持ち主の家族に会いたい」と話している。

 ブレーンさんは海兵隊員として18歳で出征し、南洋のサイパンやテニアン島に駐留。45年2月に上陸した硫黄島では、日本軍との戦闘で負傷した。

 戦後は石油掘削機の会社に務め、退職後、米空母の乗組員だった知人から「終戦後の45年11月、東京湾付近で入手した」と説明された日章旗を譲り受けた。「何とか日本人に返したい」と来日スケジュールを探っていたところ、同じ時期にサイパンにいた海兵隊員が44年7月に島内の洞窟で拾ったというアルバムも託された。

 アルバムの写真は40枚近く。日本人の幼児や女性、現地人家族が正装して写っているものがほとんどで、当時は日本の支配下にあった南洋諸島で、国策として進められた精糖事業の関係者ら民間人が持ち主である可能性が高い。「佐々木幸一」「柏谷七郎」の日本人名が裏書きされた写真もあった。

 こうした島のサトウキビ畑では、多くの沖縄県出身者が働いていた。幼少時をテニアン島で過ごした南洋群島帰還者会(那覇市)会長の宜野座朝憲さん(78)は「本土や沖縄と違って南洋は衣食住に恵まれていたので、一般人の生活も豊かだった。写っている人たちが、栄養状態がよく上等なものを着ているように見えるのも南洋ならでは」と話す。

 一方、同会の役員約30人に写真を回覧したが、手がかりはなく「戦後64年目。写っている大人もほとんどがこの世にいない。探すのは難しい」という。

 日章旗は、出征する「國府田朝男」さん当てで、家族や親族とみられる同姓6人や43年から1年間、目黒区長を務めた木村利夫氏ら50人近くの署名、「祈武運長久」の寄せ書きが記されている。ブレーンさんからの依頼を受けた厚生労働省社会・援護局も都道府県を通じて所有者調査を実施したが、該当者は不明だった。

 ブレーンさんは「遺品をぜひ返したいので、心当たりの方は連絡してほしい」と話す。【井崎憲、吉田哲子】

 写真についての情報提供は、tokyo@mbx.mainichi.co.jpまで。

 2009年3月13日

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