私は高機能自閉症

高機能自閉症とは、対人関係の障害・コミュニケーションの障害・こだわりなどの自閉症の特徴の内、知的障害がないものです。

血便

2009-04-15 19:36:43 | 病気
ストレスや発作が度重なり、今日は朝からだるかった。
下痢も頻繁で、昨夜下剤を多めに飲んだわけでもないのにどうしてだろう?と思いつつ、4回目の下痢の時、用を足して、便器を見ると、便器内が真っ赤に染まっていた。
それを見て、血の気が引いた。
ここまでストレスたまってる?
血便出ちゃったよ・・・。
ママに言うと、K先生に手紙を書いてくれた。
明日はどうしても付き添えないので、「先の見えない不安に怯えています。どうか見通しを立ててあげて下さい」というまぁ、無理なお願いでもあるけど、我が家にとっては深刻だ。
夕食も余り食べられず、だるくてだるくて、呼吸もはぁはぁ言ってて、不整脈のため、お風呂にも安心して入れない。
長時間浸かれないので、シャワーだけにして、さっさと髪の毛を洗って出た。
部屋にいても、座っていることも大変なほど。
明日の準備しなくちゃ・・・と頭では思いつつも、息切れしてしまって、難しい。
それでも眠れない日々。
早い時間にベッドに入るのに、満足に寝てはいない。
仕方がないので、パパの出勤時間に合わせて、5:30に起き出す。
一日が長い。
早く・・・早く・・・!!!!
微熱も続いているため、いつも手が熱くて、ぽかぽかする。
更年期の前兆かしら?
明日は入院日を指定してくれる?
っていうか、病院まで一人で行けるだろうか?
ママは「待合室でもいいから、イスで寝てなさい」と言う。
お弁当はいらない。
明日は病院に行くという一大イベントだ。
今は寒気がする。
いつも恐怖の悪魔に怯えている。
もう冗談とか言う余裕は全くない。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

今まで動けなかった

2009-04-15 13:28:46 | 自分のこと
どうしてだろう?
力が入らない。
もう限界なのに、入院はまだ決まらない。
昨日ママが病院に電話してくれた。
外来の看護師さんは、とても丁寧に接してくれて、2回確認して、入院予約は入っています、でもベッドが空かないんです、との説明だったそうだ。
看護師さんから「ゆこたんを早く休ませてあげたいのだけど、ベッドが空かなくて・・・」と。
みんなしびれを切らして待っているのだから、私だけ早く!!という訳にはいかない。
それでも、なんでこんなに待たせるの?
もうこの際、月またぎとか、病棟とか、どうでもよくなってしまった。
とにかく一刻の猶予も許さない状態の患者をいつまで待たせるんだろう?
みんな緊迫して、入院をお願いしているに違いない。
前のほうがもうちょっと待てた気がする。
今回はもう疲れてしまった。
眠れないし、体力ないし、今日も起き上がれるようになったのが今この時間、13:30。
なんとかしてよ!!って思う。
辛くて泣きたくなる。
でも泣いてもベッドが空くわけじゃないから、耐える。
こんなに耐えてたら、ストレス性の胃潰瘍になってしまう。
そうでなくても、不整脈がひどくなってるのに。
今日はK先生は一日外来。
明日が診察日だから、なんとか明日まで耐えよう。
ママからも「お願いですから早くしてください」ということは言ってある。
でもどうしようもない。
言うだけ言ってあるから、あとは我慢するしかないという。
辛い・・・。
コメント (2) | トラックバック (0) | goo

今日は暑かった

2009-04-13 20:15:21 | その他
桜が咲いたら急に暑くなった。
着るものに困ってしまう。
ついこの間まで、セーターを着ていた気がするのに、なんでいきなり半袖レベルになるの?
だから入院準備をしていても、半袖と長袖、長ズボンと短パンの両方を詰め込むから、かなりの量になる。
「あなたは一体どこまでお出掛けですか?」ってくらい。
入院案内には、パジャマ、普段着、下着など、それぞれ5組くらいと書いてあるけど、5組ずつって結構な量だよ。
冬じゃないだけ良かった。
それに洗面用具に、化粧水とか、日用品、遊びグッズ、聴覚過敏対策グッズなどなど・・・。
おむつは、院内のものを使用しなければいけないから、おむつの量だけは減るけど、値段的には、おむつの占める割合は高い。
それに本当なら使用したいパンツタイプの方が、テープ式よりかなり高いから、自分で自由に脱ぎ着出来ないテープ式に頼るしかない。
これは私にとっては、生活レベルを下げる要因としかならない。
一時的におむつを使う人にはいいかもしれないけど。
でもこれだけ準備を進めているのに、「入院はやめましょう」と言われるのが怖い。
入院が中止になることはいいかもしれない。
だけど、もうここまで入院を意識してしまっているから予定変更に耐えられないのだ。
ケアKには、入院するかもしれないという話をしてないんだけど、20日までには、来月の予定を組まなければいけないので、20日までには最低限はっきりしていないと困る。
まぁ、20日までには判定が下るだろうけど。
土曜日に病院に電話した時、普通に声が出てる私に、きっとK先生は驚いていたのでは?
声も出なければ、身動きできない私を見て、入院を決断したから。
今は両方出来ちゃってる。
ご飯も普段の2/3くらいは食べれるようになった。
でもそれは、病院が守ってくれるという安心感から来たものだ。
だから入院中止になったら、なったでダメージは大きいだろう。
今も怯えて暮らしているから。
早く決まってよ!!って。
診察日の木曜日まで待てないよ〜〜!!
病院からは連絡ないし。
しかも病院のHPで、発達障害や児童にも力を入れると書いてあって、私はかなり期待をしていたのに、いつの間にかその文章は抹消されていた。
結局変わらないんじゃん。
それとも私がHPをコピーして、騒ぎすぎたから?
「そんなの院長の戯言だよ」と言った言葉が当たっていたの?
悲しいです・・・。
K先生は結構自閉症について学んでくれてる。
元々勉強好きだから。
S先生は、ウン十年前、自閉症児を相手にしていたとか。
ネットのキャッチフレーズにも、「発達」「教育」とあった。
ほほう・・・その割りに、食中毒よく起こしてますけどね・・・?
今回は「生卵」にあたり、嘔吐、下痢、微熱、脱力感、など全ての症状を起こしたそうだ。
でも同じものを食べたのに、家族の中で食中毒になったのはS先生だけ。
お疲れなんでしょうか?
「生卵には注意してね」と言われたけど、生卵は普通に冷蔵庫に入ってるし、期限切れのものは捨ててると思い込んでるので、ちょっと怖くなった。
テレビで「たまごかけごはん」を人生最後に食べたいと言っていると「人生最後に食中毒になるかもよ・・・」とか思ってしまった。
私は色んな料理に卵を入れるので。
例えば唯一、「なんでもあるものを食べなさい」と言われたときに食べるものが、ご飯に味噌汁をかけたもの。
その味噌汁を温める時に、卵を入れる。
S先生は「加熱していれば大丈夫」とか言ってたけど、体験談とか聞くと、ちょっと引いてしまう。
この卵は大丈夫だろうか?と一瞬だけ迷う。

彼に女らしからぬ行為をしてしまった。
写メで、自分のお腹の脂肪を全部寄せ集めて、セルフタイマーで撮ったものを送り「これ、なんだと思う?」という題名で。
彼は戸惑ったように「お腹?」と言っていたけど、事実を話すと「そんなに丸くなったの?」と泣いてるマークがあった。
私はふざけて送ったんだけど、確かにこんな画像、彼女から送られてきたら、泣きたくなるなぁ。
私は「肉まん〜〜♪」と言って欲しかったのだけど。
でも体重的には減ってます、彼、安心して下さい。
う〜ん、彼からメタボなお腹の写メが送られてきたら、泣きたくなる。
笑いよりまず悲しくなる。
すぐに相手の立場に立てない。
自分本位で考えてしまう。
自分では、相手のことを考えての行動でも、ほとんどが逆の反応となって現れるから、ビックリする。
今これを書いてる姿も公表したら、えらいことになる。
暑いんだもん・・・。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

ネット遊び

2009-04-12 17:27:26 | その他
K先生やS先生のことをちょっとネットで検索してみたら、出身大学から専攻していることなど、全て情報が載ってた。
今の時代、怖いです・・・。
コメント (4) | トラックバック (0) | goo

なんか昨日より悪化?

2009-04-12 13:03:21 | 自分のこと
昨日はなんとかストレッチする体力や余裕があったのに、今日は座っているのもやっとです。
食欲もお腹が空いているのに、食べようと口に運ぶとオエッとなります。
今日は本当はアスペの会のバーベキューに行けてたはずなのに行けない事実。
入院日がはっきりしない不安。
色々あると思う。
そういう簡単な我慢は、私は力を込めていつも意識してしなければいけないし、体力も使う。
でもこのブログに向かっている時は、ちょっと安心で来てるので安心して下さい。
今まで不安定な時は、お笑いのテレビを見てきた。
でも起き上がってテレビを見る力もなくなっているので、今日は音楽を聴いて過ごしている。
毎日頭がしびれて痛い。
外はなんで晴れているんだろう?
こんないい天気、お出掛けしたいよ。
心は悲しい。
入院準備をしていたら、いつものごとく、どうしてこんなに大量になってしまうんだろう?という量になる。
パパやママに支度させたくないから、自分でやるのだけど、1階と2階を行ったり来たりは、かなーり疲れる。
しかも荷物を持っての上り下りは、体がふらついて危ない。
今週の木曜日の診察は、ママがどうしても用事があるので、一人で行かなければならない。
それだけの体力を今から作っておかなければ。
前回の心理は、やけに短いなと思ったら、ママとS先生で話し合って、面接自体疲れるので、短時間でという話をしていたとのこと。
いつも入院前には、美容院へ行くのだけど、今回はそれさえとても無理。
だから前髪だけ、ちょこちょこ自分で切ってみた。
一日のほとんどを寝て過ごす。
それでも元気に動けるまでの体力は発揮できない。
Kさんは、やっぱりK先生の言うように、今はお休みすることが一番と言っていた。
昨日の夜、せっかくバーベキューまで頑張ったのに、直前にして行けなくなってしまった自分が悔しくて、イライラしてパパに当たってしまった。
「ご飯だよ」と呼びに来たパパに「うん」と言ったのだけど、その声が聞こえなかったらしく、しつこく「ご飯」と言われた。
「もう聞こえてるよ」と言ったら「返事が聞こえないから、わざわざ部屋の前まで行ったのに」と言うので「そんなに声出ないよ」と言ったら「声出てるじゃないか」と言われて「結局みんなO里と同じような考えなんだよね」と捨て台詞を残して、自室にこもってしまった。
まぁ、今日になったら、お昼は何事もなかったかのように二人で過ごしたけど。
うまく言葉にならないし、発声も強くはないから、伝わらないと苛立ってしまう。
一見大人しくなったように見えるけど。

今一番不安なのは、本当に入院できるのか?
どの先生で、どの病棟なのか?
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

少し動けるようになった

2009-04-11 17:35:16 | 自分のこと
体が重く、おばあさんのようだけど、移動は自分で出来るようになった。
でも寝てばかりの日々。
この休養が大事なんだろうけど。
これだけ食べてないんだから、当然痩せてるだろうと、ワクワクしながら体重計に乗ったら・・・
何も変化なし!!
少しくらい減ってよ・・・。
きっと動いてないせいだろうね。

病院の予約表に心理が書かれてなかった。
診察のみになっている。
手続きはママがやったから、分からない。
ちょっと聞いてみようと思い、9時になってすぐに病院に電話した。
「何先生ですか?」と言われたので「先生はいいです。外来受付に回して下さい」と言うと、外来看護師が出て、私が名前を名乗ると、すぐに男の人に代わった。
外来看護師さんに、男性はいないはず・・・と思い「誰ですか?」と聞いたら「K(先生)です」という。
先生に代わるほどのことでもないのに!!
心理のことを話すと「あぁ、入れてなかっただけでしょう。僕が入れておくので、いつも通りに来ていいですよ。S先生には僕から話しておきます」と言うので、じゃあついでに、と思い「入院はいつ頃ですか?木曜日に行った頃には大体分かってるんですか?」と聞いたら「木曜日までに決まってるかは言えません。こちらに任せてください」と言われた。

O里にも電話をした。
仮予約をした7月までの分まで、予約取り消しになっているのか聞きたかったのと、自分から言いたかったことをまとめておいたから。
でも代表の人も、生活フロアの主任もいなくて、事情の分からない人に話してもムダだろうと思い、「じゃあ、いいです」と言ったら「また月曜日にかけてください」と言われた。
O里は「責任問題」という言葉をやたら口に出す。
何かしてしまう人に対しては、言っても分からないのだから、取られたくないもの、なくしたくないものは、持ってこなければいいという考え方。
そして傷付いた人へのフォローがない。
報告書には、いいことしか書いてない。
上辺だけの「謝罪」はしているけど。
そして何かと言うと、私は軽い人なんだから、我慢しないと、になる。
でも午後になって、考え方が変わって来た。
そういう方針の所に行こうと思ったのだから、自分も合わせるように努力しないと。
K先生は「利用を断られなかっただけマシだ」と言っている。
O里の方でも「高機能自閉症について、もっと勉強しておきます」
「ゆこたんは、ことごとく、精神と知的のグレーゾーンにいるんだと思います」
とママに言ったそうだ。
そして今までにない例なんだそうだ。
だから対応に困っている。
これから一緒にやっていくには、攻撃ばかりしていると、モンスターペアレントになってしまう。
相手の言っていることにも、耳を傾けないと。
私はこれ以上、話し合いをして、掘り返して、またあの痙攣地獄になるのが嫌だったから、今は話し合いはしたくないと言った。
仮予約も取り消しにされてるんだったら、もう従うしかない、と言った。
反発するほどの力がない。
元気になってから、自分のことをもっと知ってもらおう。
今は無理だ。
パパはその意見に不満そうだったけど、ゆこたんがそう思うならいいよ、と言ってくれた。
あのひどい痙攣を目の当たりにしているから、私の気持ちも分かるのだろう。
ママも「お互いうまくやっていくには、自分の意思ばかり言っていてはいけない場合もある」と言っている。
勿論悔しい気持ちはあるけれど。
今更いちいちあの2泊の出来事を掘り返すこともないだろう。
とりあえず、余り精神的に追い詰められると、あそこまでひどくなることは分かってもらえたんだから。
食欲も段々出てきました。
だけどK先生の言葉、気になる。
入院は難しそうだ。
任せてとは言われたけど・・・。
前より待たせないと言いつつ、木曜日にまだ決まってるとは限らないと言われたから。
それでは前回同様になってしまうではないか(2週間待ち)
コメント (2) | トラックバック (0) | goo

入院します

2009-04-10 12:31:23 | 病院
木曜日、いつもの診察日だったけど、動けない私をママ一人で抱えて、車に乗せるのは無理なので、パパの出勤時刻に合わせて車で向かった。
もう本当の本当に限界だった。
一晩中続いた痙攣発作は、体力をも奪い、自分で起き上がることも出来なかった。
60代2人の手にして、着替えさせてもらい、プリンを一口だけ食べさせてもらって、7:30頃には家を出た。
ママも寝ずに看病したので、体力の限界だった。
車の中でも発作は続き、今どこを走ってるんだろう?って思いながら、発作の合間に運転手であるママの方を見たら、私の知っているママではなくなっていた。
一晩で一気に白髪になってしまったのだ。
前々から白髪はあったけど、全体に渡るほどではなかった。
でもすごい老けてしまった。
それなのに、我が子のために運転して、車を猛スピードで走らせていた。
でも出勤時間でもあり、道路渋滞で、私も発作が続き、1秒も我慢できない状態だった。
やっと病院の駐車場に入った。
ママに「着いたよ。降りれる?」と言われたけど、反応すら出来ない。
後部座席でグンナリしていると、2週間会えずにいた看護師のIさんが来た。
「ゆこたん、ここは病院です。まず目を開けてみましょう。そうそう、いいよ」と励まされながら、2人に抱えられながら、というか引きずられながら、外来に入ると、もう診察時間が始まっているらしく、人が沢山いた。
また、さらし者だ。
「救急へ行って下さい」と言われた。
救急のベッドで寝かされると、すぐにK先生が来て「朝からこんな状態なんですか?」と言って、タオルケットを全身に被され、Iさんが「目を開けましょう」と言うと「開けなくていいよ、休みましょう。注射打ってあげようか?」とホリゾン筋注された。
いつもはすぐに効いて来るのに、なかなか効かず、しかも一端発作が収まってもすぐまた始まる。
K先生は、またいつもの発作だろうと簡単に思っていたらしい。
だからママが「話したいことがあります」と言って、O里のことや、入院のことを話しても、「公共の施設を利用するってことは、幾分こちらが我慢せざるを得なくなることがあります。入院はゆこたんの場合、特殊ですので、環境の変化を伴うのはよくないと思います」と反対派だった。
11時に心理があった。
心理のS先生が来るのに時間がかかった。
どうやらママと話していたらしい。
S先生は「こういう子どもを持つ母親の立場も分かるし、ゆこたんの立場も分かるのよね。でも入院については、医師が決めることだから」と言っていた。
宿題はお休みになった。
筆談だったし、ほとんど話したいことが話せないまま、ここの救急処置室は使うからと、待合室で待たされた。
S先生に抱えられながら、やっとの思いでイスに寝ることが出来たのに、無常にもK先生は「いつもの通り、13時に面接ね」と言ったきり。
ママは「こんなところで待たせるなんて・・・」と言っていて、私も筆談で「たすけて」と書いて、痙攣の起こしすぎで頭が痛くて、頭をもんでいた。
そこへIさんが来て「何か一口でも食べてみましょうか」と言われた。
ママがお茶を口に入れてくれた。
自分の力では、座っていることも出来ない。
入れられても口の端から流れてしまう。
「口に入っているのだけでも、飲み込んでみましょう」と言われるけど、一口飲むのに、5分位かかる。
お茶を3口飲んで、車椅子に移動したとき、急に腹痛が!!
ママが「どうしたの?」と慌てて聞いた。
「痛い・・・」と苦しんでいると、丁度K先生が通りかかった。
「先生、ゆこたんが何か痛がってるんです」とママが言うと、K先生は「どの辺ですか?ここ?ここ?お通じは出てますか?」と確認しながら聞いて「すぐにレントゲンを撮りましょう」と言われた。
緊急だったので、流れはすぐだった。
レントゲン技師さんの「お大事に・・・」という言葉をバックに、すぐにK先生に結果を見てもらった。
そんな中でも、K先生が主治医になるという患者さんもいたりして、K先生はとても忙しそうだった。
K先生は私の車椅子の高さまでしゃがんで「たまってます」と一言。
「ガスで胃が押し上げられていて、だから胃が痛くなっていると思われます。胃の上にも沢山ガスがたまっていて、便もすごくたまっているので、これから座薬を入れて、とにかく出してから面接しましょう」と言われて、私は処置室へ連れて行かれた。
座薬を入れられ、おむつだけになって、タオルケットを被され、カーテンを閉められた。
私は浣腸と勘違いしていた。
すぐに便意が来るのかと思っていた。
でもここで出すんですか?と戸惑いながらも、グロッキーだったので、もうどうでもいいやという感じだった。
便意が来たら鈴を鳴らしてくださいと鈴を握らされた。
でもいつまで経っても、そんなに緊迫感のある便意は来ないで、1時間以上軽く経ってしまった。
看護師さんが、お腹をマッサージしてくれるけど、反応なし。
K先生に来てもらって「もうやめようか。洋服着せてもらって、面接しましょう」と言われた。
動いてないし、食べてないので、腸も活動してないらしい。
「僕がレントゲンで見る限りは、かなり便とガスがたまっているふんづまり状態です。シンラックを多めに飲んでください」と言われた。
「筆談でいいから面接できる?」と言われて、頷くのだけど、起き上がれない。
しばらく重力に任せてうなだれている姿を観察してから「起こしてあげるから、頑張ろう」と2人がかりで起こされた。
でも座っていられない。
そこでK先生が「こんなことしてもいいのかな?」と言いながら、ベッドの上に丸イスを置いて、抱えてごらんと言われた。
ジャストフィット!!
ワクワクしている様子のK先生に、「ちょっと待って、まず紙を固定しようよ」とボードの上に紙を置いて、私はイスにしがみついていた。
このアイディアがK先生はすごくお気に入りだったらしく、看護師さんに「あれ、いいよね」と言って回っていたらしい。
「今の気持ちはどうですか?」と聞かれて「頑張れることは最大まで頑張った。でも体がついてこない。ずっと続く痙攣に、パパとママも疲れてしまっている。もう限界です」と書いた。
「よし!!僕は決めました。ゆこたんとお母さんの状態を見ていても限界ですね。今はO里がどうのこうのという問題ではないと僕も思っています。入院の方向で考えて見ましょう。だけどE−3は使えないんだ。E−4の経験はあるんだよね。色々考えてみるけど、先生も変わっちゃうし、看護師さんも知らない人ばかりだから、こちらとしても情報の交換とかで時間が欲しいんだ。前ほどは待たせないから、それまでは我慢してね」と言われた。
時々肩をポンポンと優しく叩いてくれた。
「ゆこたんの今の飲み込みが悪いのとかの症状は、器質的なものではないから、必ず治るからそれだけは安心してね」と言ってくれた。
私は「K先生、ありがとうございます」と言ったら、K先生は「お母さんにも話してきます」と言って、また肩を叩いてくれた。
Iさんが来て、「E−3はダメなんだって」と書いたら「それは例の先生がいるからじゃないの??」と言って、二人でうけてしまった。
そうやって筆談で笑い合ってる姿をママが見て「ゆこたんが笑ってる・・・」と言って、泣いて喜んでいた。
話せなくなってから、イライラしたり、無視したり、発作で苦しんでいたのに、笑っている姿を見て、すごく安心したようだ。
K先生は、O里にも電話をして、絶対にわざと自傷行為をしているのではないという説明もしてくれた。
K先生にも深刻さが伝わったのだ。
入院が決まってから、ほっとした。
もう毎晩、家族だけで寝ずに闘わなくても済む。
眠れるんだ。
ほっとしたら、飲めなかったお茶も5分まではかからず、短時間で一人で飲めるようになった。
でも移動には、人の手が必要だ。
帰ってから、体が熱くて、熱を計ったら、37.5度あった。
それからどんどん上がって行った。
脱水症状だろう。
幻覚も見た。
虫が飛んでいるのだ。
最初は「ごきぶり?」と思ったけど、ヒュンヒュン飛ぶから、やはりおかしい。
それにいつもサイレンが鳴っているような気がする。
脳みそがいつも振動している。
頭が痛い。
昨日はとにかく家族みんな睡眠が大切だってことで、早くに寝た。
今日もまだ体調は良くない。
でも一人で起き上がれるようにはなった。
お昼にヤクルトとサンドイッチ1つ食べれた。
声も出るようになってきた。
最初は1オクターブ上がったような声だったけど、風邪もあり、今朝になったら、元に戻っていた。
でも叫ぶことまでは出来ない。
当然、アスペの会のバーベキューも参加できる状態ではない。
それは自覚できるほどだ。
会費を払ってからの不参加は、去年もだった。
やっぱり時期的なものもあるのかな?
去年退院してから、半年は持った。
色々新しいことにもチャレンジして、ギリギリまで自分では頑張ったつもり。
でもここまで体に出てしまっては、もう手に負えなくなった。
主治医がK先生でなくなることや、環境の変化、新しいスタッフに慣れること、色々また課題はある。
でもお休みさせてもらう。
彼とゴールデンウィークに遊べなくなってしまった。
ごめんね、例年通りで。
ちなみに、S先生は、生卵に当たったそうです。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

O里、結局私は損をする

2009-04-10 10:09:40 | 発達障害支援
O里の2泊3日は色々あった。
連絡帳に「今回は具合が余り良くないので、のんびり過ごしたいです」と書いておいた。
薬も変更があったばっかりだし。
工房は、新しいスタッフになっていて、私の最も苦手とする、強い女たちの集まりだった。
前回同様、私にだけ専属スタッフが常についていた。
その人も初顔合わせの人。
まず、工房であったこと。
いつもはキャーキャー騒ぎながら、多動で過ごしている私が、大人しく何もしゃべらず黙々と折り紙を折っているので、スタッフは驚いていた。
「いつもと180度違うんだもん」と言っていた。
予定表もちゃんと前もって表にして、私の机に貼ってくれた。
2日目に3B体操というおもちゃを使って、おかあさんと一緒という番組のようなことをする。
おゆうぎみたい。
でもみんなは、もうこのおゆうぎをマスターしているから、楽しく踊っている。
でも私には何もかも初めて。
踊りもついていけないし、輪の中に入れただけすごいのに、大勢の中、大きな音楽に合わせて踊るのは苦痛だった。
透明のループみたいなのを渡され、それを蛍光灯に透かしてずっと眺めていた。
そのときからスイッチが入ってしまったらしい。
段々無理だ・・・と思い始めて、フラフラ〜と部屋を抜け出した。
勿論慌ててスタッフもついてくる。
しばらく外を眺めていたら、外に3B体操に出ていた人がいた。
あ!私も外に出たい!!と思い、出入り口にダッシュしていった。
外へ出るドアをこじ開けようとしたら、力で押し倒された。
私は言葉が出ない。
筆談など出来る状態じゃなかった。
沢山人が集まってきて、私の行動を抑制する。
私はその時、ドアに頭を打ち付ける自傷をしていたらしいが、覚えていない。
痙攣が始まり、頭から意識が遠のき、気付いたら自室でほぼ全裸になって寝かされていた。
ボーっとしていると、看護師さんが来て「あ、大丈夫ね」と言って、去っていった。

他にも3日目、3日間かけて仕上がったクス玉の大作を飾っておいたら、利用者さんにガシっとつかまれて、一気に壊されてしまった。
私は何も感じてない素振りを見せながらも、とても傷付いていた。
でもトイレから帰ってくると、私の机の上には、グシャグシャになったクス玉が無残に置かれていて「やられると思ったのよね〜、直して」と平然と言われた。
それでも黙って、直そうとしたけど、もう無理だった。
壊されたものを私の机の上に置くこと自体、考えられない行動。
午後はその工房のスタッフに耐えられなくて、生活フロアの主任に話したら、生活フロアから専属にAさんをつけるからと言ってくれた。
Aさんと一緒に散歩に行きたいと言って、約束事まで決めたけど、一応頓服をもらっておこうと医務室に寄ったら、看護師さんに「今回はゆっくり過ごすことが目的なので、外出は禁止です」と言われた。
これにも耐えて、「じゃあ、セラピールームで、バランスボールで遊んでいい?」と聞いたらOKが出て、セラピールームで遊んだ。
工房でのひたすら耐える場所より、開放感があって、楽しかった。
いい汗かいた。

生活フロアでは、3日間とも、筆談で過ごした。
寝ぼけもなく、吐き出しもなく、うまくいくと思っていたら、1日目の夜かな?私が水分も余り採れないから、非常食のように持っていったジュースのペットボトルを狙われた。
誰かが部屋に突然入ってきたのだ。
1回目は自分で取り返した。
でもそこにおいしそうなものがあるとわかってしまった利用者さんは、また現れた。
うなりながら奪い返そうとする私を見て、スタッフも間に入り、部屋を閉めておくね、と言ってくれた。
だが!また来たのだ!!
ペットボトルを歯で開けようとしている。
また奪いに行ったら、今度はなかなか相手も放さない。
そこで感情的になってしまった私は、相手の人をボコボコに殴った。
手が真っ赤にはれ上がるほど。
相手の頭や背中を殴った。
自制が利かなかった。
スタッフも殴らせてくれてた。
ひとしきり殴ると、スタッフが相手の人をかくまった。
私は自室に戻り、カギをかけてもらい、ヘッドホンで音楽を聴きながら泣いた。
殴ってしまうほど、耐えたけど、殴るのはいけないと思いつつ、そうしなければ気が済まなかった自分に、なんか訳分からなくなって。
この事件は、他害事件として、ママにも通報された。
でも3回我慢した末でのことは伝えられず、私が人を殴ったという事実を告げられた。

そして帰りの時刻が近付いても、なかなかママは来ない。
なんか嫌な予感がしてきた。
お迎えの30分遅れで、主任のWさんが来て「これから話し合いをするからね」と言われた。
まず「今回のショートはどうでしたか?」と言われて、筆談で「あともう少しだったな〜と思います」と書いた。
「何がもう少しなの?」と聞かれて「あともう少しでお話できそうになってた」と書いた。
向こうの伝えたいことは、窓ガラスに頭を打ち付けるような自傷行為や、利用者さんを殴るような暴力行為があるのでは、こちらも面倒見切れません。
14人の重症者の方を抱えているので、目が行き届かないんです。
もう少し我慢することを覚えてくれませんか?
それが出来るまで、1泊でお願いします。という内容。
ママも同席していたけど、お話が出来て、意思疎通の出来る私は「本当は出来るのに、わざと人をひきつけるような行為をしている」というようなことを言われた。
「短大も出てることだし」と言われる。
壮絶な短大時代も知らずに。
「我慢ってなんですか?私は我慢して来ました。お話できればいい人なんですか?お話が出来ないと利用できないんですか?」と書いても「実際、こういう問題が起こると困るんですよね〜」と。
「受け入れ時にきちんと話してくれてれば・・・」とか言う。
プチンと来て、段々発作が起きだした。
痙攣が始まり、体が傾いてくる。
それでもまだ向こうは要求ばかり言ってきて、私を責める。
しまいには、看護師さんが「こうなると思ったんですよね。具合が悪い中、来たんですから」と平然としている。
私の痙攣はどんどんひどくなり、チアノーゼが出てきた。
車椅子で車まで運ばれ、主任のWさんはママと話していた。
その日の夜は、大きな発作が立て続き、家族みんなが眠れず、当直に電話しても「様子観察」と言われて、私は意識が朦朧とする中、悪夢のようなものにうなされていた。
体は全く動かなくなっていた。
泡を吹いて、体全体が激しく波を打つ。
その度に、頭の中がショートする。
一回収まったと思ったら、O里で筆談した時のボールペンがない!!と騒ぎ出し、今から電話して!!と言った。
でももう夜中の0時。
パパが体をつかむと、ものすごい嫌悪感で、睨みつけ逆らう。
そして紙に「触るな!!絶対に体に触るな!!」と書いた。
言葉が出ない苛立ちもあり、イライラが爆発すると、ガクンとまた発作状態にはまり、朝まで続いた。
自分の頭を叩いてしまったり、床を激しく打ち付ける行為もずっと続き、自分では止められなかった。
苦しかった。
こういう時、やっぱり母親は助けてくれる。
泡を拭き取ってくれながら、「明日、病院に連れて行ってあげるから」となぐさめてくれる。
自然とママの胸の中に入っていって、泣いてしまった。
ママは「辛いね」と言いながら、髪をなでてくれた。
薬を飲めなくなっていたので、更に悪化していった。
軽度発達障害とか、高機能自閉症という名前が、変な誤解を招く。
軽いんでしょ?と。
でもこんなになってしまう。
そして病院へ行った。
コメント (6) | トラックバック (0) | goo

これから短期入所です

2009-04-06 08:32:15 | 自分のこと
昨日も寝逃げした。
でも強い睡眠薬を飲んでいるにも関わらず、眠りが浅いみたいで、夜中に何度も起きた。
彼から寝る前に「おやすみ」のデコメが送られてきた。
男の人って、そういうデコメとかって余りしないじゃない?
なんだかものすごく感動してしまって・・・。
でも朝になっても、やはり自室でしか朝食を取れず、短期入所に行く9時までを過ごしている。
自分から出来る努力はしているつもりだ。
気持ちを明るく持とうとか。
落ち込んできたら、お笑いを見ようとか。
でも鬱状態の悪魔がどんどん心の中に入って来る。
外はいい天気で、桜も満開なのに、どうして私の心は封印されてしまうんだろう?
家から離れれば、少しは解決できるかな。
それとも「具合が悪いので」と言って、帰らされるのかな?
自分では行く気でいるのだから、拒否しないで欲しいな。
迷惑はかけないから。
本を沢山持って、O里の自室でゆっくり過ごせる準備も万端だ。
それでは2泊行って来ます。
コメント (6) | トラックバック (0) | goo

理由は単純

2009-04-05 18:26:18 | 自分のこと
薬の飲み忘れが影響大きかったんだと思う。
それと生理前。
昼の薬を飲んで、本を読んでいた。
午前中、地デジの取り付け作業で、係りの人が家の中を出たり入ったりしてて、パパとママも家の中を掃除したりして、そういうバタバタが混乱させてた。
そんな中、勿論敏感になっている私は、食事が取れる状態ではない。
携帯の電源を切り、耳栓をして、ヘッドホンで音楽を聴きながら、読書をしていた。
「僕の妻はエイリアン」という高機能自閉症の人の自伝。
やっぱり仲間を感じた安心感からか、後で分かったけど、パパとママがわざと出かけて、家の中を静かにしてくれたことが、私に落ち着きを取り戻させ、いつの間にか本をパタンと閉じて眠ってしまった。
眠りながら痙攣起こして、舌を噛んだりしてたけど(あれは、てんかんじゃないのかなぁ??)。
1時間半位寝たと思う。
妙にお目覚め爽やかだった。
それに空腹感を感じなくなっていたのに、なんか食べたくなってきた。
下に降りて行ったら「買い物に行って来ます」というメモがあり、時間は14時だった。
眠りに入った頃だ。
耳栓にヘッドホンは、すごくいいアイデア。
しかも耳栓は、100均で売ってるので充分。
うどんが、汁が染みて煮込みうどんみたいになったのが、鍋にあった。
むさぼるように、温めもしないで、菜ばしで食べた。
コーヒー牛乳を一気飲みして、部屋に戻ったら、まるで見られていたかのように、ママたちが帰ってきた。
約束の時間の16時ぴったりにお風呂を沸かしていた。
予定通り16:40にお風呂に入った。
半身浴などをして、体を丁寧に洗うと、心も落ち着いてきた。
お風呂から上がると、ちゃんと美顔をして、テレビを見ていたら、ちょっと笑っている自分がいた。
「珍獣ハンターいもと」に。
そしていいタイミングに彼からメールが来て、「コンサートの時間、1時間間違ってて、職場のお通夜に間に合わない」とかいう私には信じられない呑気なメールに「どうして前日にコンサートの時間くらい確認しないの」と思わずため息。
でもそのため息や、いもとのテレビを見て、かすかに声が出てるんだよね。
今しゃべってと言われると声にはならないのだけど、自然に出てるんだ。
ふぅ・・・とか言う時も声が。
今まではそれさえも、喉元でつまってたんだよ。
やっぱりシリアスな本やテレビはやめて、笑えるテレビを見たり、間抜けな彼に呆れたり(怒られる〜〜!!)するのが大事で、今まで自分からはまっていっていたところもあるかも。
薬は大切だって感じたし、夜にどうしようもない不安に襲われた時は、寝逃げすることにしている。
考え出すと、とことんフカミにはまるから。
学校シリーズのDVDは、今は封印しておこう。
その代わり、いいもんがあります。
じゃじゃーん!!
「ドリフのDVD!!」
弟が家を出て行くときに私にくれたものです。
何を思って、そのドリフのDVDをくれたのかは分かりませんが、今になって弟の存在をかみ締めています。
姉弟だけで、語り明かしたいものです。
大人ちっくな会話を。
障害のある姉をどう思って生きてきたのか、聞いてみたいものです。
私のせいで、弟も不登校になった時期とかあるから。
もうすぐ19時。
夕食です。
この定期的な生き方が、私には大切なんです。
コメント (6) | トラックバック (0) | goo

限界です

2009-04-05 11:55:00 | 自分のこと
朝起きても、いつものような清々しさはなく、また一日始まるのか・・・とため息。
ご飯は誰もいない所でないと食べれません。
家でママがかけているであろう掃除機の音さえも嫌で、ヘッドホンをして耐え忍んだ。
家にいたくない。
でも家から出られない。
何に対しても涙もろくなってしまった。
また急に高校時代の友達にメールしてしまったり、突飛なことをしている。
テレビを見ていても笑えない。
全く声を失ってしまって、人と会うのが怖い。
彼にもこんな姿を見られるのが苦痛なのに、会って彼の胸の中で思い切り泣きたい。
明日から短期入所。
ママは「しゃべれなくても大丈夫か」と言っていた。
差別しているように感じた。
あそこはしゃべれない人たちばかりだから平気ね、みたいな。
朝からネガティブ。
いつ死んでもいいように、部屋の整理をし始めてしまったり。
でも余り動けないから、文字にして、いるものといらないものを書き出してみたり。
もう世界も終わるんではないか、でも私は別世界に生きているように感じ、しゃぼんだまの中にいるようなフアフア感、バリアを張っている感じがする。
自分の家なのに、違う世界にいる気がする。
あ、朝の薬忘れてた。
薬の飲み忘れも激しくなった。
トイレの宿題も集中できなくなった。
毎日修行のような感じだ。
食べてないのに、お腹がゴロゴロ言って、下痢をしている。
吐き気がないだけマシだ。
親とも同じ家の中にいながら、メールで言葉を交わしている。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

ご飯が食べられない

2009-04-04 20:17:12 | 病気
お腹は空いている。
だからテーブルには着いた。
だけど、ご飯を目の前に持ってくると、飲み込み方とかが分からなくなる。
もういいや・・・と諦めてしまう。
そんな感じで、どんどん悪化していく私を見て、パパとママはもめる。
その喧嘩の声に耐えるのに、また手を噛む。
私はどこにいれば楽になれるのか?
K先生は多分入院を勧めないと思う。
これまでピンチはあったけど「外来で頑張りましょう」となんとかやってきた。
だけど、電池切れみたいです。
頑張る力がなくなったら、どうすればいいのか?
毎分で襲ってくる痙攣。
いつ起こるか分からない痙攣。
夜が怖い。
発作が多くて、頭が振動する。
コメント (2) | トラックバック (0) | goo

多摩障害者スポーツセンター

2009-04-04 11:28:38 | 発達障害支援
ケアKのUさんと行った。
バス停でバスを待つのが、20分近く。
「いつもこんなに待つ?」と聞かれて、ブンブン首を振る。
言葉が出ないことは言ってあった、というか、連絡帳に書いた。
バス停も混雑している。
やっと来たバスも込み合っていて、私は筋力も弱くなっているので、立っているのももどかしい。
しかも密集したバスの中は、酸素濃度が低く、苦しくて気持ち悪かった。
バスを降りて、外の空気を吸って、生き返った。
でもそこからの電車も混んでいて、スポーツセンターまで晴れていたから良かったけど、有名スポットである一ツ橋通りは、桜の花見の人が沢山いて、歩くのも困難だった。
桜は綺麗だったけど。
花は嘘をつかない。
久しぶりのUさんのガイドに緊張していたけど、センターに着く頃には、馴染んできて、一緒にご飯を食べるときも、メニューを指差して伝えた。
つけ麺を頼んだら、予想外に冷麺でビックリ。
レクに参加した。
風船バレー(バスケットと言っていたが)をやった。
常連のおじさんやおばさんが仕切っていて、「お姉ちゃんは、こうすればいいんだよ」とコーチじゃないおじさんに指摘される。
試合前の練習では、風船を押す力がなく、私には特別ルールを加えてくれたり、準備体操で手足の共同運動が出来ない私に、手取り足取り指導してくれた。
でも試合になると燃える。
点が入るとやっぱり嬉しい。
レクが終わって、自転車こぎとかしてみたくなった。
でも使い方が分からなくて、そのフロアーのスタッフの人も何も言ってくれないので、ヘルパーさんが設置したのでは、私は足の力が弱く、常に「回転数が弱いです」と掲示され、つまらなくなって、バランスボールをやろうとした。
いつものO里でのように、バランスボールの上にドン!!と乗っかってたら、スタッフの人が来て「使い方が違います」と言われた。
一回り小さなバランスボールに座らされたけど、重心が不安定な私はすぐにゴロンと転がってしまい「ダメみたいですね」と言われた。
そしてヘルパーさんが質問攻めにあっていた。
「ゆこたんの状況を聞かせてください。お薬とか飲んでるんですか?・・・・・」
その間、私は、特殊な形のバランスボールの上に臥せって、ユラユラ揺れていた。
痙攣が起き始めた。
大きくはならなかったけど、ビクッ!ビクッ!と何度か。
でも揺れながら耐えた。
20分位そうしていた。
看護師の所に行くように言われた。
脈を測られ「ヘルパーさんからでもいいので、その日の体調とか伝えるようにして下さい」と言われた。
その時も、手を噛んで我慢していた。
スタッフの人がいなくなってから「色々言われて辛かったね」と手を握ってくれて、さり気なく口から手を離してくれた。
そこで、私は、ケアKのMさんに言われた言葉がどんなに辛かったかとか、入院するかもしれないとか、色々わだかまりを筆談した。
泣きながら書いている姿は痛々しかったと連絡帳に書いてあった。
この情報をMさんにも共有してもらいたい、だからメモ帳をくれないかなぁ、と言うのでその部分をちぎって渡した。
後から「Mさん、傷付かないよね?私はMさんが好きなんだよ」と書いたら「大丈夫だよ。Mさんはよく分かってるから。ただ3月の事務手続きとかで追われてて、疲れてたのもあって、きつい言い方になっちゃったんじゃないかな」と言ってくれた。
ひとしきり筆談をしてから、ソフトクリームの看板に突進してって、指差した。
「そうね、甘いものでも食べて、心を入れ替えましょう」と言ってくれた。
帰りは一段と混んでいた。
でも電車に乗らなければ帰れない。
「辛かったら降りてもいいからね」と言ってくれたけど、いちいち降りていたら、いつ家にたどり着くか分からないので、我慢して耐えた。
クラクラしていた。
なんとか家に帰っても、お腹は空いているのに、食べると吐き気がしたり、血便のようなものが出たり、心臓もバクバクし、クラクラしていた。
お風呂も入る力がなく、ただイスに座って、ボーっとして、彼とメールをしていた。
付き合ってくれた彼、ありがとう。
私は彼にさかんに「北朝鮮が午前11時にミサイルを発射するから、日本は滅亡するんだよ」と訴えた。
テレビで「もう日本は手遅れです」と言っていたし。
そんな話題もするりと交わしてくれて、話題転換してくれるなど、彼ならではの愛情表現には感謝だった。
でも今、11時を過ぎてるけど、日本に異変はありませんね。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

ずれている家族関係

2009-04-04 10:36:45 | 自分のこと
4/2はパパの誕生日だった。
でも私はその時、片言しか話せなくなっていて、両親は心配していた。
そして持ち上がったのが、入院の話。
私も「休息したい」とは言っていた。
これから語るけど、うちの家庭はちょっと変だから。

夕食時までは片言は話せていた。
なんとか会話も出来ていた。
パパの誕生日だし、私は前々からプレゼントを用意していた。
パパはよく鍋ややかんを空焚きするので、調理器具は真っ黒コゲだ。
だから少し高めだけど、奮発して、「高いものを買えば、注意して空焚きをやめるだろう」と思って”私が”買った。
ずっと出番が来るのを待っていた。
あと、写真集みたいなのも作っていた。
自分の中では、サプライズ計画だった。
それらを渡すチャンスを待っていたら、ママが「ちょっとこれからのことをお話しよう」と言いだした。
ママはお出掛けが多い。
ママのいない日を中心に入院してみる?と言われた。
疲れていた私はうなずいた。
急に勝手に計画を練り始めるパパとママ。
この日はママがいないから入院日はダメだ、とか、月をまたぐのは良くないとか、勝手に「休息のためだから2週間でいいだろ」と言い、入院予定日を決めている。
私は入院してもいいよとは言ったけど、全部が親の都合だ。
しかも今が一番辛い時なのに、ママが北海道に旅行に行く日に入院してて欲しいと言い、5月の中旬だと言う。
入院のことでも、今までと入院体勢が変わって、病棟も選べなければ、K先生が主治医になることは100%ない。
それを筆談で伝えても「見えない」とか「ゆこたんが入院したいって言うから、譲歩してやってるのに」とか言う。
私はそれから、言葉が全く出なくなった。
髪の毛をかきむしり、早くこの話し合いが終わってくれることを待っていた。
どうやら金曜日にK先生に電話してみるということで決まったらしい。

さぁ、そこでプレゼントだ。
まずママと私で、多摩センターで買ったシャツを渡した。
パパは「今までにない感じだなぁ」と言って喜んでいた。
おもむろに席を外し、2階の自室から大きな包み紙を抱えて持ってきた。
パパは普通に喜んだ。
私から渡した鍋とやかん。
そして「空焚きは絶対にしないでください」という文字を差して笑って見せた。
ところが!!
KYな奴がいた!!
「こんな高級なものが、ゆこたんに買えるわけがないじゃん」とママ。
「あ、そうか、彼に買ってもらったのね」
と言っている。
私は筆談で必死に訴えるけど、「何もわざわざこんな高いものまで買わなくても」と言われた。
パパが「ケーキを食べよう」と場の空気を変えようとして、私もケーキの用意を始めたら、ママが「なんで○○ちゃん(弟です!!)からは、一言も連絡がないのかねぇ」と泣き始めた。
更に「パパはいつ会社を辞めるの」と聞いていて、パパは辞める時期をダラダラ延ばしていて、しかも理由が「定期券が切れるのが6ヶ月先だから、それまでは働く」と言う。
なんかもう、私の蓄えていた全てのサプライズは消えてしまい、言葉が出ないことにママは腹立ってるし「なんでしゃべらないの!!」とか言うし、「昨日まではちゃんとしてたじゃない!!」と追い討ちを立てる。
昨日まで出来てたのは一部で、もう前からフラッシュバックやパニックの連続で疲れていた。
「彼と会って、楽しかったんじゃないの?ママのどこがいけないの?」とまくし立てる。
どす黒いものが心の中をさ迷っている。
パニックになりかけても、力もなく、声も出ないので、手をかみ締めたり、髪をかきむしるしかなかった。
そして出来た噛みだこ(写真)
周りが我慢しろって言うから、私は我慢したよ。
お陰でパニックも減った。
その代償が、体に表れた。
家から離れたい。
K先生が担当でなくなること、彼としばらく会えなくなること、色々負担もあるけど、このままこの家にいたら、私はどうなってしまうだろう?
彼にメールで苦しさを伝えたら「俺からゆこたん母に電話して、ゆこたんが自分で買いましたって言ってやろうか?」と言ってくれた。
彼からママにかけることは、本当の非常事態だ。
それを言ってくれると言ってくれた気持ちだけで充分だった。
家族がひねくれてても、理解者はいるんだ。
家族はこうして何十年ってやってきたんだもん、もう修正利かないことは分かっている。
だって、K先生や、前の主治医のY先生からも、家族には警告がされているけど、直らないんだもん、K先生は最近家族には諦めている。
だから地域の支援を大切にしている。

さっき、S先生から電話が来た。
電話の音がずっと鳴っているので、どうせ話せないから出ないつもりだったんだけど、気になって受話器を上げたらS先生だった。
その前に簡単な事情をFAXしたばっかりだった。
「臨床心理士室のSですけど、ゆこたんだと思って話していいですか?」と言うので、私は受話器をコンコンと叩いた。
「あぁ、ゆこたんなのね」とS先生。
風邪だと思っていたら、食中毒だったらしい。
S先生の食中毒ネタは、以前にも聞いたことあるけど、食中毒なんて滅多になるものではないのに、S先生は一体何を食べているんだろう?
手を噛むことを、辛いでしょうね、と言っていた。
最近手を噛むようになって気にしていたんだけど、タコになってしまいましたか・・・と。
手首に輪ゴムをはめてそれをピンとはじくといいよとか言ってくれたけど、私はその程度の刺激では収まらない。
「私は今日から職場復帰していて、お仕事もしているので大丈夫ですよ。木曜日には来て下さいね。こちらから電話を切るのはしのばれるので、出切ればゆこたんから電話を切って欲しいです」と言われて切った。
色々話したいことがあるんだよ!!
苦しい。
お話が出来ないのは苦しい。
涙も手もかみ締めた。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

我慢、我慢

2009-04-02 17:09:30 | 病院
病院に行く時、ずっとヘッドホンをしていた。
生活に疲れる。
病院に着いた時、やっぱり看護師のIさんはいなくて、一人静かにイスに座っていたら涙が出てしまった。
看護師さんが、隣りに座って見守ってくれた。
5分前になっても、いつもの確認行為がない。
自分から「5分前」と言いに行った。
昨日から、お話が困難になっている。
片言しか言えない。
看護師さんが、メモ帳に文字を書き出した。
何故か看護師さんが、勢ぞろいして、固唾を飲んでいる。
「S先生は風邪でお休みです。だから今日は心理はありません。その代わり、もうすぐK先生が来ます」という内容。
自然にポロポロ涙が出てしまった。
まさしく「急な変更」じゃん。
総勢の看護師さんは、私がパニックになることを予想して、スタンバッていたんだ。
自分の中で受け入れようと頑張る。
ずっと噛んでいた手を、更にかみ締める。
するとK先生現れ「30分からね!!」と言っている。
看護師さんに、「イスに座りましょう」と言われて、座った。
フリーズしてしまった。
涙も鼻水も流れ「拭きましょう」と言われるけど、全く動けない。
K先生に呼ばれた。
ベットに座ってボーっとしていたら、トントンとされて、イスを指される。
イスにちょこんと座った。
K先生はさっきの看護師さんと同じような内容の文章を書いて見せた。
私は話したいことがたくさんあるのに、言葉にならず、とにかく体に起きた異変を伝えた。
そして上限額が5月いっぱいで上がるので、検査や頓服は今のうちにやって欲しいと頼んだ。
K先生は全てに関して否定はせず、「今はいっぱいいっぱいだから、来週頭部CTを撮りましょう。来週、血中濃度の検査もします」と言った。
私は片言で、夕ご飯から寝る前にかけて、フラッシュバックやパニックが多くて、辛いことを話すと、「ちょっとボーっとしちゃうけど」と言って、薬を増やされた。
あとで薬の袋を見てビックリした。
夕食後の薬だけで、粒10錠を越え、更に粉も。
お風呂は夕食前に済ますように言われるほど、強くしたみたい。
「一応検査はするけど、多分精神的なもので、色々我慢してるのが体に表れてるだけだと思う。不整脈も不安感から来るものだと思う」と話してくれた。
フラッシュバックの紙を読んでもらって「なんでこんなに昔のことまで遡っちゃうんだろう?」と聞いたら「分からないなぁ」と言っていた。
診察が終わる時「もっと大変になるかと思ったけど、頑張ったね」と言われた。
でも「私はいつまで我慢し続けなくちゃいけないの」という言葉を出したら、また泣けてしまった。
K先生は「S先生には、風邪が良くなったら、ゆこたんの家に電話してもらうようにするから」と言ってくれた。
手は噛みすぎて、水ぶくれみたいになっている。
湿疹も出始めた。
かなりストレスがたまってるんだと思う。
でもお弁当を食べて、薬を待っている間に本を読んでいたら、知らない男性が段々接近してきた。
徐々に間隔を狭めてきたと思ったら、隣に来て「診察終わったの?僕も終わったんだ。この後、お茶とかしない?メルアド交換とかしようよ。キティちゃんのバックかわいいね。音楽は何聴くの?」とか質問攻めに遭った。
職員が通った途端、逃げるように「じゃ!!」と言って、去って行った。
様子を見に来た看護師さんに、そのことを伝えると「メルアド教えてないよね?着いて行っちゃダメだよ!!もう、ろくなのいないんだから!!ここは、死角だから、看護師の見える所に座ってて」と言われた。
帰る時に、看護師さんに聞いた。
「私、頑張れたかなぁ」と。
「すっごい頑張ったよ。偉いよ」と言われた。
帰り道で、自分にご褒美のスカートを買って帰った。

帰ったらママが驚いていた。
この話し方に。
そして私のせいで旅行をキャンセルしなきゃとか言ってるから「もう部屋に行く!!」と言ったら、「待って!!それじゃあ、ママの気持ちが・・・!!」とか言って腕を掴むので「放して!!」と叫んで逃げてきた。
ママはこの1週間何があったか、回想していた。
K先生は明日のケアKの支援で行くスポーツセンターも、4/6〜8の短期入所もOKだし、彼との宿泊もあっさりOKしてくれた。
ママは「こんなんじゃ、ケアKの人にご迷惑じゃ・・・」とか言っている。
でも私はスポーツをして発散したい。
何より、親の手から開放されたい。
あいにく今日はパパの誕生日。
コメント (2) | トラックバック (0) | goo