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【コラム】田中角栄と盧武鉉(下)

 田中元首相は貧農の出身で、高等小学校(現在の中学校)しか卒業していない。会社を設立して軌道に乗せ、政界に進出するまで、田中元首相にとって学歴はハンディキャップとなっていた。だが、卓越した手腕で与党・自民党の主流派に仲間入りしてからは、そのハンディキャップも政治的な資産となった。高度成長から疎外された人々が、口ばかりで行動しない野党・社会党ではなく、「庶民のリーダー」として田中元首相に期待したのだった。

 現在、田中元首相に対する政治的な評価は、「ばらまき政治で国の財政をダメにした元凶」という批判的なものが圧倒的多数を占める。だが一方で、「田中元首相の分配政策が、自民党支持層の裾野を広げ、同党の長期政権の基盤を固めた」という肯定的な評価もある。地方の人々や低所得層を自民党支持層に組み入れることに成功したというわけだ。

 田中元首相ははっきり言って、腐敗した政治家だった。「政治は数。数は力。力は金だ」という発言もしている。そのため、首相に就任する以前から退任後まで、常に「田中つぶし」に苦しめられた。特にその先頭に立ったのがメディアと検察だった。月刊誌『文芸春秋』は大胆にも、田中元首相の在任中に金脈問題を追及した。そして検察が、米ロッキード社からわいろを受け取っていた容疑で田中元首相を逮捕したのは、退陣から2年後のことだった。

 だが、政治家・田中角栄は死ななかった。逮捕されてから2審で有罪判決を受けるまでの11年間、衆議院議員の総選挙は5回行われたが、田中元首相は毎回全国トップの得票率で当選した。田中元首相の支持者たちは、田中元首相が逮捕されても、有罪判決を受けても、さらには亡くなった後も、田中元首相を支持し続けている。結局、田中元首相を殺したのは、国民でもメディアでも検察でもなく、田中元首相の力で政界での地位を築いた側近たちの裏切りと、自ら患った病気だった。

 先月30日、日本のテレビ局も、盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領が検察に出頭する場面を報じた。その際、支持者たちがばらまいた黄色いバラの花や、盧前大統領に向けて振り続けた黄色い風船には目を奪われた。とても容疑者が検察に出頭するときの光景とは思えない、恥ずかしいことだったがこれが現実だ。集まった支持者たちの心に、「盧武鉉」は生き続けることだろう。盧武鉉前大統領を誕生させたポピュリズムがもたらした傷は、メディアの暴露や検察の捜査で簡単に癒(い)えるものではない。韓国社会が、盧前大統領が掘った「階級の溝」を埋めるときまで、「黄色い風船」は亡霊のように韓国社会を漂い続けるのかもしれない。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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