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2009.05.04〜05.10

国会議員24人の謝罪状手渡す、平頂山虐殺事件の生存者に相原参院議員

 

 (中国通信=東京)瀋陽5日発新華社電によると、日本の相原久美子参院議員は5日朝、88歳の王質梅さんと抱き合いながら涙を流し、申し訳なかったと繰り返していた。一人は加害国の議員、一人は被害国の生存者で、事件は中国東北の石炭の町、撫順市で77年前に起きた。

 相原氏は民主党の参院議員で、遼寧省撫順市には初めて来た。ここは70年余り前、日本の占領地で、3000人余りの中国の一般市民が日本軍によって殺害された「平頂山虐殺事件」(1932年)が起きた。王さんは死体の山からはい出した生存者で、当時11歳だった。虐殺で両親と弟を失った。

 相原氏は次のように語った。母が生きていれば年齢は王さんぐらいのはずだ。母は中国の済南で5年間生活し、多くの中国人から助けられた。母はいつも私に戦争は人を変えるもので、最大の罪悪と言っていた。私たちは歴史を鑑とし、新しい日中友好関係を築かなければならない。

 相原氏は東京から来て、わずか30時間余りの滞在だった。目的は書状を手渡すことだった。書状は衆院議員10人と参院議員14人が署名した、「平頂山虐殺事件」の生存者に対して謝罪するものだった。書状には、個人として、日本国民から選ばれた国会議員として、心から謝罪すると書かれていた。

 相原氏は撫順に来たのも、平頂山事件の真の現場に触れるのも初めてで、最初に感じたのは「ショック」だったと、撫順で最初に見学した平頂山虐殺事件跡記念館で語った。

 1932年9月16日、中国では一家が団らんして中秋を過ごしていた。中国侵略日本軍は老人や女性、子供を含む、手に寸鉄も帯びない市民3000人余りを平頂山のふもとに追い詰め、集団大虐殺を行い、証拠を残さないよう死体を焼き、内外を震撼させた「平頂山虐殺事件」を起こした。1970年代に撫順市は虐殺事件跡から遺骨を掘り出し、記念館を建てて安置し、追悼できるようにした。

 相原氏は事件の生存者一人ひとりに謝罪状を手渡し、王さんの手を取りながら謝り、苦しかったでしょうと語りかけていた。

 現在、「平頂山虐殺事件」の生存者は5人だけで、平均年齢は90歳近い。

 記念館を離れる前に相原氏は中国側の関係者と一緒に二本の松を植えた。相原氏は日中友好が永遠に続き、平頂山の犠牲者の魂が安らかであるよう希望した。

 

 

 


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