上司と指導者
聞くところによると、人事部というところは、仕事の上で頭を下げることが少ないというより、滅多なことでは頭を下げることはないそうだ。そんなところで長年過ごした人が上司で来た場合は、部下が苦労して築き上げてきた取引先との人間関係を片っ端からぶちこわしてしまう。部下が苦労してその尻ぬぐいをして、仕事が何とかうまくいっているのに自分はそのことに気付いていない。
取引先との応対で、本来はこちらが頭を下げて頼まねばならぬ場面で、ついそれまで身に染みついた横柄な態度が出て、相手を怒らせてしまう。仕事の契約が出来なければ困るのはこちらであるから、部下は何度も頭をさげて取りなすことをしなければならない。
これは、ストレスによって頭部に円形脱毛症が出来ている中年の会社員から聞いた話である。
三菱自動車のリコール隠しでも、社長が責任を問われているが、じつはその本当の責任者はOBだと言っていた。社長はOBの顔色を伺って、重大な決断が出来ないのだ。それが今回のリコール隠しの真相ではないかと彼は言う。
会社に入って、その社員の将来を決める一番決定的な要因は、その社員の能力ではなく、その社員の上司の善し悪しであると聞いたことがある。これが本当かどうかは知らないが、このような話を聞いているとそれも本当のように思えてくる。
医者の社会でも、医者になって良い指導者に巡り会うかどうかが、有能な医者になれるかどうかの分かれ道になることもある。
最近は、医療事故の頻発で研修医の指導のあり方が問われている。私の頃は、研修医制度はなく、医師免許を取得すると地方病院に赴任し、そこである程度の臨床経験を積んで大学病院に復帰して研究室に入る。数年後研究論文を書いて博士号を貰って一人前の医者としてまた病院に赴任するのである。大学病院の研究室に居る間は、無給医局員として昼間は病院の臨床をやり、夜は実験室で研究をする。無給であるから生活のためのアルバイトもしなければならなかった。今と比べれば大変な時代だったのだ。
新入局者をドイツ語でノイヘレンという。私がノイヘレンのころ、内科医局で当直医の決め方が問題になったことがある。それまで、大学病院の当直はほとんどノイヘレンがやっていたのだ。
私は医局会で、当直は助手以上の臨床経験の豊富な医師がやるべきだと主張した。もちろん、この提案は否決された。さらに私は食い下がった。
「アルバイト先でやっている民間病院の当直と大学病院の当直とは違う。民間病院の当直医が、自分の能力を超えた技量が必要だと考えるからこそ大学病院に送ってくるのだ。その患者を診るのが、民間病院の当直医よりはるかに臨床経験の乏しいノイヘレンだとしたら、大学病院としておかしいと思わないか。大学病院は最終でかつ最高の病院のはずではないか」
私のこの意見が通って、ノイヘレンが当直するときにはベテラン医師を付けることになったのである。
私がノイヘレンの時に指導してくれた医師が言った。
「レントゲン写真、心電図は忠実にスケッチしろ」
忠実に、血管陰影などの細かいことまでもスケッチすることによって、レントゲン写真や心電図の読影は精緻となる。私は赴任先の病院で、呼吸器と循環器は特別にしごかれた経験があるから、このスケッチは当然の習慣として身に付いているが、多くの医師にはこの習慣はないようだ。
所見を忠実にスケッチしない医師は、読影力がないと考えて間違いはない。