台湾南部に広がる穀倉地帯・嘉南平野は、かつては干ばつがひどい不毛の土地だった。転機となったのは、日本統治時代の1930年の烏山頭(うざんとう)ダム建設だ。当時、東洋一の規模を誇る巨大ダム事業を指揮したのは、総督府の技師、八田与一(はったよいち)氏である▲ダムの完成で緑の大地を手にした嘉南の人々は、湖畔に銅像を設置し、技師の功績をたたえた。42年にフィリピンに向かう船上で米軍の攻撃を受け56歳で戦死すると、銅像のそばに墓も建てて供養するようになる▲昨日は命日で、現地の水利組合による恒例の慰霊祭が墓前で営まれた。80年代からは遺族や出身地・金沢の関係者らも出席し、交流を重ねている。昨年に続いて今年も馬英九総統が参列した▲なぜ、これほど台湾で慕われているのか。農業への貢献など実利的な側面だけではない。八田氏は工事殉職者の慰霊碑に日本人・台湾人の区別なく死亡順に名前を刻んだ。「そんな分け隔てのない精神が、今も尊敬を集めているのです」と地元で聞いた▲植民地は台湾の人たちに過酷な運命をもたらした。親日派の統治時代経験者でも、差別があり嫌な思いもしたと言う。それでも懐かしむ人が多いのは、続く国民党政権との比較もあるが、八田氏が築いたような人と人のつながりが脈々と生きてきたからだろう▲命日に合わせて、ダム造りを描いたアニメ映画「パッテンライ!!(八田が来た)」が東京で封切られた。大阪、名古屋でも上映される。この機会に先人の足跡を知るのも悪くない。台湾では民主化に伴い、日本統治を是は是、非は非として論じるようになった。私たちも冷静に日本と台湾の過去と現在を見つめたい。
毎日新聞 2009年5月9日 0時11分
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