2009年 05月 08日
囲碁棋士の藤沢秀行氏が死去されたという記事を見ました。 おれがいちばん、といってもあまり反論がでそうもない、天才肌の豪快な人物で囲碁棋士としてよりは才能豊かで破天荒な人生を送った男性としてながく記憶されるに違いありません。 かれが自伝として書いた本も読みましたが、実人生と実人物は数桁スケールアウトするような人物のようでした。 わたくしも藤沢氏の囲碁の本を何冊か読んで、雄大な気分になるのですが、強くなるよりはむしろ負けがこんでしまい、囲碁をより楽しむという方向に棋力が向かってしまうのでした。 きのうの続きですが、東工大ではさらに一段ととんでもない渡航禁止令がでていることを聞きました。まず渡航自体が原則禁止です。さらにどうにもやむを得ず出かけるものは、タミフルを持参し、帰国後は10日間は自宅謹慎とか。おふれが出る前に海外学会にいった人達は、帰国しても自宅軟禁状態が続いているとか。とんでもない大学です。これが学長名のお触れなので、羞恥心のかけらもない、強圧体制です。当面の海外研修禁止で、みなおしをこの秋にするとか、これはまさかで信じられません。 この大学の事務屋や大学当局のひどさは多数の人から聞いてますが、このお触れのトーンのきつさに驚きます。当局が大学の研究者を使用人のように思っていることがはっきりしています。 「脱北」のようにこの大学を脱出したがっている人たちもたくさん知っています。 でも中から蜂起しないと駄目でしょうね。 京大も似たり寄ったりですが、脱北希望者が少ないのは、京都のもつ魅力におっているのでしょう。いまの体制の京大が、東工大と同じキャンパスに移動したら一挙に色あせてしまうでしょう。わたくしも最初訪問したときに、小説「収容所列島」を思いだしたくらいです。 これで来週月曜からスイス一国の旅行です。 2009年 05月 07日
つよい雨です。ラボに出てきて、たまった仕事を一挙に対応しています。 来週からの英国、スイス行ききょうチケットが出てきます。 そこで、わかったことは、京大は5月1日付けで、この新型ウイルスへの「本学」の方針なるものを公表していたのでした。休暇をとれ、という奨励もあり、大学に来てないのですから、知りようがありません。 それによると、発生国への学生、教職員への渡航は「強く自粛を求めます」、とこうあります。 今回でいうと、英国が発生国です。発生の疑いのある国へは「延期、また自粛を求めます」とこうあります。 もしも強行すれば、帰国した後、帰国日も含め、7日間は自宅待機するものとします、とあります。教職員はこの間、就業禁止とあります。 ただ、ただ、呆れましたが、泣くこと地頭に勝てるはずがありません。 大学当局との議論などまったく無意味でしょう。通達がでたら、それまでなのでしょう。 わたくしも渡航予定通りにしたいのですが、とりあえず英国は諦めることにしました。Y君には大変に申し訳ないのですが、いまからいけないというメールを書きます。共同研究の詳細な相談も出来なくなりました。 帰国してからの1週間の就業禁止命令ですが、帰ってから、またそのとき考えましょう。 ここで自分の方針はさらけ出したくありません。 日本とスイスの研究者が何十人も集まって最高クラスのジョイント会議をやるのに、日本側参加者がまったくこなかったら、いったいどういうことになるのでしょう。 これほどの二国間の友情を高める機会はないのに、大学からのこういう「自粛のおどし」のいうことを聞いていたら、国の間の真の友情関係など作れるはずがありません。 スイスの関係者からは、絶対安全だから、大丈夫ぜひ来てほしいと言って生きています。 今回のインフルエンザは軽微、軽微と世界中の専門家は言っているのに、日本国内だけが突出して厳重警戒をしています。WHOは渡航禁止をしないように、と各国に言っているのに、国内の各事業所はこういう調子です。 検察庁の役人が捜査にのりこむのとほぼ同じ雰囲気で、完全防護服の係官が飛行機内に入りこむ画像を何度も見ましたが、いったいこれはどういうことなのだろうと思います。長い飛行のあとにさらにまた長時間待たされる乗客は可哀相です。 日本ではまっとうな常識がもう通用しない国になりつつあるようです。 麻生内閣になってから、官憲国家、統制国家という雰囲気が強力に醸し出されて来ている感があります。戦前とはこういうふうに政府、官憲とNHKなど大マスコミが先頭にたって、国民をある方向に連れていくようにしていたのだと、今の若い人には非常にいい教育体験とも思われますが、いったいどこまでこの調子でいくのでしょう。京都大学もこの風潮の片棒をかつぎたがっている体制のことはわたくしもよくわかります。 北朝鮮の圧政をわらう日本は、本当のところ笑えるのでしょうか。 2009年 05月 06日
この連休、出歩かないで家の周辺で時間を過ごす人たちが多いのではないでしょうか。いっぽうで、1000円とかいう高速道路をできるだけ使ってという外出人たちも多いのではないでしょうか。外出組は相対的に若くて、家周辺組は相対的に年齢が高い、とこう勝手に推測しました。わたくしの家族もそうです。 連休中に滋賀県以外に出ていませんが、不満もありません。 娘家族や、息子家族も申し訳ありませんが、来てくれますし。 連休が明けるとすぐ、ヨーロッパ行きで、講演がふたつあるので、準備しています。やはりこのあいだの中国とはかなり変えているというか、最新の未発表データもかなりいれて話して見たいと思います。 やはり未発表部分があると、反響がそこはかとなく、分かりますので、それでこれからの研究の進め方もかわるのです。どこまでしゃべるか、間違ったことはしゃべりたくないし、いっぽうでつまらないとも思われたくないし、さらに発表が何年も先になってしまうような未熟状態のデータはたとえ面白そうでもはた迷惑かもしれませんので、バランスが難しいのです。 エピというのはギリシア語源で上(upon)、そば(near to)、外(in addition to)とかいう意味のようでして、epigeneticsという言葉、最近の流行語は、遺伝学の上、そば、外というような意味で日本語訳は無いと思います。かたかなでエピジェネティックスとか書く人が多いでしょう。 おおざっぱにいえば、メンデル遺伝学では一見説明できない、DNAの配列の変化がないのに、遺伝現象として観察される、こんなことをひとまとめにしていう言葉です。 いまの生物学の最前線の一つであることは間違いありません。 このあいだ聞いた、理研の石井さんの大変興味深い成果もまさにエピジェネティックスな分野の研究でした。 下等な生物よりは高等な生物で多数見いだされていたのですが、だんだん下等なものでも見つかって、モデル系で精密な研究が出来ますので、その仕組みが徐々にわかりつつあります。 今回はそういうはなしを沢山聞けるものと思います。訪問する、研究所のひとつのスローガン自体がエピジェネティックスということのようです。 後天的に刷り込まれたものが、ほとんど遺伝子状態になってしまう。DNAの配列には変化が無いので、クロマチンと呼ばれるタンパク質の部分の変化が「後天的刷り込み」の原因となり、その刷り込みは一生続く。さらには子どもにまで遺伝する、何代も続いてしまう。 獲得形質の遺伝とか、かつて悪の権化とかいわれたルイセンコ学説なども、このような研究の流れの発展で、説明出来るようになるのかもしれません。 あまり専門的なことを書くとわたくしも時間がとられて疲れるのでやめておきますが、生物学にとってはとても挑戦的な時代を迎えつつあると思います。 しかし、いっぽうで世の中の森羅万象をみていると、エピジェネティックなことが多すぎて疲れます。幼児の原体験なんていうのは可愛らしいのですが、70才過ぎの政治家が固定観念だけでしゃべっているのをきいていると、やはり聞きたくない、と感じます。 エピジェネティックスは身につまされる遺伝学になるでしょう。 2009年 05月 03日
やはり新ウイルスを日本にいれたら大変、たとえ入れても徹底的に感染拡散を防ぐ、国をあげての努力です。 こういう点での法令遵守についての日本国家の真面目さは世界最高クラスであることはまちがいありません。消毒国家、保健所国家というと叱られそうです。でも、なんでそうあっさりと海外旅行を自粛してしまうのか。せっかく楽しみにいしていたのに。高校生にとっては人生における素晴らしい体験であったに違いいないのに。わたくしが自分の国に違和感を感じるのはこのあたりの、自粛体質なのです。たぶん出かけようとすると、一部に強い反対があって、もし強行してなんかあれば、辞職などの羽目になるので、学校側は危ない橋は渡らないのでしょう。感染者発見にやっきになることと、すべての社会活動を自粛してなにもしないことは、ひとつのことの裏と表なのでかもしれません。いつの頃から、こんな国柄になったのか。 記念日ですが、憲法については今年はなにもかきたくありません。 日本か隣国のどれかに本気になって武力で介入しようとするようなどこかの国が出現して、極めて危険な出来事でもおきないと、憲法を触ろう変えようという意慾をもつ国民が2/3になる時代は、わたくしが生きているうちはもうない、とまでの気分です。 いちど刷り込まれた固定観念は変えられない。いまの団塊の世代がみな死んで消えるまでは駄目でしょう。わたくしはかれらよるずっと年上ですから、改正される頃はあの世でしょう。外部の政治情勢が変わらない限り、日本国内から憲法を変える試みはすべて失敗するだろう、という悲観的予測です。 外部の出来事でいちばんありそうなのは、米国に愛想を尽かされることですが、でもそれよりもっとありそうなのは、中国と米国の蜜月時代です。そうなると、疎外感から日本はどうしていいのかわからないような混迷期がやってくるかもしれません。もしかしたら憲法でも変えようかという気運が出てくるかもしれませんが、でもそういうときは何をやっても国を誤りがちです。 後天的に刷り込まれたものから逃れられない、という現象はさいきんの流行の研究テーマです。クロマチンレベルでの遺伝子発現が親から子にまで「遺伝」するという発見がなされてきているのですから、憲法9条についての固定観の刷り込みなどは、親子で「遺伝」しても不思議でないでしょう。 2009年 05月 01日
きょうは休みました。休暇届が遅れていますが、家でスイスの学会での発表準備をする方が効率的と思われました。今回は、S. Gasserさんたちがオーガナイズしてくれて、きょうメールで送ってこられてプログラムを見たら、ほんんとに豪華版な会合で、これは楽しみです。 わたくしもかつてジュネーブで留学していましたので、機会があればスイスに行きたいという気持があります。一種のセンチメンタルジャーニー志願なのですね。バーゼルにも3か月ほど、長男が生まれた頃に、行きましたので、いちおうドイツ語圏でも住んだ経験があることになります。 いつのまにか、バーゼルにはかつてローザンヌで活躍していたGasserさんやNiggさんが有力研究所の所長さんですから、時の経過を強く感じます。あと、Hallさんのようにむかし顔見知りだった人がある分野の大家となり、わたくし自身がその近傍で研究することになるというように、研究者として長くやっていると、不思議というか人の縁を強く感じることが多いのです。 わたくしも誰かの手のひらの上で一生を送っているような、錯覚を感じることがあります。つまり、こういうことになるのは、昔からそういうお話しが既に有ったのかもしれないと。 妻が美容院にいくとかで、静まりかえった家の中で、仕事も順調にすすんで、会合のほうのはなしの骨子も見えてきました。バーゼルでの講演は、北京大学での講演と類似ののものをする予定です。 昼から買い物にでて、いろいろ畑に植え付けをするものを買いました。 里芋のタネはほとんど売れ切れていて最後の残りを買えました。サツマイモも買いました。 ケージで栽培予定の、キューリとナスの苗を買いました。トマトはタネから発芽させてやっています。 午後4時くらいに比良の家に着いて、それから下の畑の畝をふたつ整備しました。結構はげしい肉体労働で疲れました。でもきれいになって、スッキリしました。サラダ用のゴボウと沖縄の葉菜のタネをまく畝と、里芋、長いもの畝にするものです。 新型ウイルスの患者さんは結局出なかったので、良かったでした。騒ぎ過ぎと批判するのは簡単なのでそういうことは言いません。ただ、日本はなんでも合議合議なのでデシジョンが遅め遅めになりがちですね。WHOのトップの女性が、フェーズ5にわたくしが決めた、と記者会見で言ってました。あれが西欧風のデシジョンの発表のしかたなのですが、日本はなにか、空気が決めたのかな、というような決定が多いので、そこに行くまでの時間がかかりすぎて大変です。 今回は厚生労働大臣がえらくカッカして横浜市と連絡が出来ない、けしからんと怒っていましたが、発表があったあとに横浜市には電話が殺到して、単につながらなくなったらしいですね。つまり、緊急用の電話線がないし、しらない、そのあたりが政府と地方の間の距離感なのでしょう。大臣の居丈だかな態度は誤解とはいえこういう時、よろしくないですね。地方と中央の距離はやはり遠いな、と思えました。中央の危機感は現場抜きのもので、上滑りがちだし、地方では現実感が希薄でも、ルールに沿って実際にやることの重圧感で疲れてしまうという面がありそうです。 2009年 04月 30日
さわやかな朝、快晴でした。緑がかがやいています。ウイークデーに比良の家で起きるのはあまりありませんでしたが、昨日の片づけ残したこととかしながら、いつもの時間に大学に向かいました。 水田の半分くらいは水が張ってありました。 連休の合間ですが、山科駅や京都の地下鉄の混み具合はいつもと同じくらいでした。 気になっていたH君の研究、昼時に詳しく話しあいました。その間、臨席の若者京大生か、男女が絶え間なくタバコを吸うので閉口しました。昼食後に、理髪へ。ラボに戻って、いわゆる「雑用」の、しかし大学人としては最重要の仕事を急いでやり続けました。こういうことになると、わたくしは、われながら仕事が早い。なんとかいう会社のコマーシャルと同じです。でも、それはやりたくない雑用なので、一刻も早く仕事を終えたいからですが。 フェーズ5という深刻なレベルとなった豚インフルエンザです。世界流行が起きるのでしょうか。起きないように祈りましょう。 インフルエンザの略に使われているインフルはどうもあまり好きになれません。 英語にはしっかりFLUという略語があるのですからフルでいいと思うのですが。なぜか日本独自の略語に固執しているように見えました。 このブログを書く直前にネットのニュースを見ると、あれ、スイスでも感染者が一人出たとか。12日にはバーゼルから入るのですがどうなりますか。 今回は、列車でロンドン、パリ、バーゼルと行くことにしたのでした。飛行機は早朝か夕方しかないということなので、それなら前から乗りたかったユーロスタープラスTGVでいこうと思いました。列車のなかでも仕事はできますし。 マックエアーは軽いからいいのですが、バッテリーの予備は無いので、電源がとれないと、アウトではありますが。 2009年 04月 29日
比良の家で朝起きたら、快晴さわやかな日であること、昼過ぎには温度も相当あがるのではないか、と予想しました。 京都ラボの面々が久々にやってきます。昨日おとといの二日間の研究報告の余韻もあるし、食べたり、自然に親しんだりしながら、研究のこれからを話題にするのにまさに最適な日和です。 妻にはもうしわけありませんが、休みですが大車輪で働いて貰っています。もちろんわたくしも。 あさ畑をみまわると、まだ種類は少ないですが、どれも朝露の中でピンと葉をのばして、姿勢良かったです。気分のいいことです。 朝日に光る比良や蓬莱のやまも穏やかそうな山容をみせています。 木々も思い切り葉をつけましたので、あまりにも混んでいる木はすこし間引かないと。 朝10時半には手伝ってくれる数人が来るので、それまでにすこし別な仕事もしておきましょう。ケージの外に出てしまったブドウの幹を切ったりです。 敬愛する五木寛之氏は日本の戦後は無魂洋才だったといっています。 そうだったのでしょう。ほぼ同感です。 氏はだから駄目、といってるのではありません。それでいいところは沢山あった、戦後の発展も無魂だったからよかったのかもしれない、と思ってるかもしれません。でも平成の20年にまでなって、無魂洋才の限界がとうとう社会のありとあらゆるところで現れだした。 そういうことを言いたいのではないでしょうか。 わたくしにはそう感じます。 いま日本では、だれもが知っている社会のリーダーが本当に枯渇しています。 五木寛之氏は稀少な、社会的リーダーのひとりです。わかいころから長い時代を、いつも社会の注目をあびながら社会にとっての意義のある発言をしています。 俗なことばでいえば、こころざしが高くて、根性が座っていて、千年以上の長い時代のスパンでいつも自分の発言をみずから検証している。そんな風に感じます。 なんでこんなに尊敬できる社会的リーダーが減ってきたのか。分かりません。 実際にはかなりおられるのかもしれません。 ただ、現状のマスコミを利用することにウンザリしているのかもしれません。 中国から帰ってきたあと、テレビで聞く厳しめの辛口発言をする何人ものコメンテーターの発言などをきくと、まるでたいこ持ちの意見かというように聞こえるのです。だれかに阿っているとしか聞こえないのです。これはどうしたことでしょう。 素晴らしい人物は沢山いるようですが、でも入試における一芸の才人のような人たちが多くて、人生での一芸に優れた人という印象です。 身を捨てても平気なひとなどマスコミには出ないのでしょう。 国民レベルでの、真の意味での指導的リーダーなどいまの日本では生まれる環境がしょせんないのかもしれません。しかたがないので、野球のイチロー選手のようなかたに代行して貰っている、というのが現状なのでしょうか。芸能のほうでは、SMAPだったのかもしれません。 無魂洋才、奥の深い言葉です。 2009年 04月 28日
きのうほどではありませんが、今日も肌寒い日です。 昨日、今日と京都でのラボの進捗状況を報告議論する日です。一人の持ち時間がかなりあるので、わたくしもかなり時間をかけて一人ずつやるので、かなり充実感があります。 さっき終わりました。 あしたは、皆さんを比良の家のほうに招いていますので、今日の夜は特に行事もなく会が終わったら簡単にお茶、お菓子でも食べますか、というふうになっているとのコンパ担当のAさんのはなし。 そういえば妻にはきょうは外で食べるといって出てきてしまいました。まあなんか外で食べていきましょう。あしたの準備もあって大変でしょうから。 豚インフルエンザですが、なぜメキシコでこれだけの沢山の死者が出たのか分かりません。 WHOはフェーズ4に指定したというのですから、世界的にはおおがかりな状況になってきたのはじじつでしょうか。わたくしの欧州行きに影響あるかですが、まあないものと勝手に決めています。 日本のマスコミが騒ぎすぎにならないようにはすべきですが、とりあえず当局が言われているような注意をする必要があるのでしょう。ただまだ国内に一例もないのでフェーズ4の実感はもちにくいですが。 日本の感染症の研究は長きにわたって、冷遇されたので、研究レベルや体制どちらをとっても弱いようです。 ヒトを感染症として襲うものには沢山のものがあります。 インフルエンザやがんをひきおこす動物ウイルス、感染症の原因である膨大な種類の細菌群、それにカンジダのような真菌症の酵母カビ、マラリアのような原虫、ツツガムシのような寄生虫、色々あるのです。 しかし、日本はかなり長期にわたった教育、研究上の軽視、冷遇がいまだに尾をひいているのではないでしょうか。 わたくしは、研究投資や研究費分配における「重点」ということばが、研究にとっての非常にわるい環境作りを助長してきたとおもっています。わたくしの研究などはその恩恵を受けたような面があることは事実ですが、単に激しい研究費獲得の生存競争で生きぬいてきた。その時の、選択が重点かそうでないか、ということだったのです。荒廃するのは当然でしょうか。 いま3000億円とか言うお金がまたまた超重点的に研究費として正規予算で配られるようですが、どうでしょうか。栄養の集中的やり過ぎは、樹木を枯れさせるのにたいへん役立つし、その周辺で放置された他の樹木は立ち枯れて行くのかもしれません。 若者たちも、重点研究領域に吸い寄せられて、そこで過剰栄養になるので、そこが重点を終わっても、どこにいっても通用しない心身になってしまうのかもしれません。 教育では最近、ゆとりというのが目の敵にされてていますが、研究面では「重点」という言葉で、たくさんのかけがえのない研究分野が死滅に向かっているような気がします。 2009年 04月 27日
寒気がつよくて4月末としては非常に寒いかんじの一日です。 きょうは京都のラボの年間三度の恒例の仕事の話しです。明日もあります。でも全部で9人ですから、いっときの半分以下の人数になりました。三月には5人去りましたから。 そのあいまをぬってこれもわたくしにとっての恒例の血糖値HbA1cの測定で、大学病院で検査。 A先生からとても良かったですよ、と数値をいわれておもわずニコニコ。40才始めに血糖値というかHbA1cを測定し始めて以来の最低値でしょうか。ただ薬は飲んでいますけど。中国での、あるけあるけの観光が良かったのかもしれません。 民主党についてのひとつの仮説を書いてみます。 きのう名古屋市長選挙があって、河村たかし民主党国会議員が当選しました。圧勝のようでした。彼の独得の個人的な魅力による票でしょうか。たしかに若いけれども代表経験者の前原、岡田氏などよりはずっとおもしろそうな人柄でしょう。昨年以来のトヨタの大不調で閉塞感はげしい名古屋にとっては大きな気分転換になるかもしれません。 小沢代表、まだ辞める気配がありません。 ここからが、仮説ですが、やはり彼は選挙前に辞めるのでしょう。 辞めるタイミングを見計らってるのでしょうか。検察捜査に対する不信もあり、また麻生首相の解散の決断とからんで、小沢代表が知恵を絞っているのは、辞めるタイミングなのでしょうか。 解散よりずっと前に辞めたら、誰が次の代表になるかでごちゃごちゃとなるのは自明ですから、麻生首相の解散決断が明確になった時点で、小沢代表は自分も辞めて、どういうプロセスかはわかりませんが、後継者が急遽決まる、こう考えます。 後継者は岡田でもなくもちろん前原などではありえなく、鳩山、菅でもなく、あっと驚く、選挙直前ならなるほどすごいと受けとめられ、「清新さ」「潔白」が売り物の人にする。これで一新ムードで民主党は総選挙に臨む、こういうことではないか、と思うのです。 しかし、候補は選挙期日が決まった瞬間に決めるくらいでないと、マスコミや自民党の猛烈なあら探しにやられてしまうので、秘中の秘にするのではないか、こんな風にわたくしは考えてみました。 具体的な、候補それはわかりませんしかし消去法では上のような人たちではないのでしょう。 政界の練達者はうすうすその路線がわかりだしているようです。 そんな感じがします。 2009年 04月 24日
もうすぐ、空港に向かいます。それまでの時間にこのブログを書いてしまいます。 中国から帰ったあとに、おりおりに今日のタイトルのような言葉が頭の中を去来します。 しばらくは、ふたつの国をついつい比較したくなるのが続くのでしょうか。 わたくしなどはライジングジャパンの時期に、青年期を過ごしたのでどうしても今の中国人の生活にいっぱいいっぱいの様子にシンパシーを感じてしまいます。欠点はまだまだ沢山ある中国の欠点をあげつらうよりは、思いのほか、きちんとキャッチアップしてきているという、そして勢いを持って隆盛化に向かっている、そっちのほうに考えがむいてしまいます。 いざとなったら、強権国家の姿は見せるでしょうし、どんなに庶民があくせくしても、政治行政機構が大失敗をしてしまうという可能性があるかもしれませんが、民主国家の日本のほうがずっと閉塞感が強いとう印象を持ちました。 印象は多岐にわたるのですが、なぜ日本を衰退的と感じているか、ちょっと一つ話題をあげてみましょうか。 それは、やはり日本が消毒国家というか保健所国家的色彩を帯びてきているのですね。 ばい菌はみな殺せ、そういう感じが国全体を覆っているような気がするのです。 罪に対する、罰が過剰だなとおもうことが多すぎます。 若い人がおとなしい、おとなしい、といいますが、いまのような社会的なpunishmentがここまで強いと若い人はおとなしくなるのは当然でしょう。この草なぎさんという若者に対する、悪代官の極致のような大臣が、最低の人間、絶対許さない、と宣う、本当にいやな国です。だれも周辺が批判しないのでしょうか。このような過剰な、罰を与える風潮はまもなく最高裁で判断がおりる堀江氏の経済活動に対する懲罰も社会の元気を無くならせる一つの原因でしょう。医療の分野でもとくに少数派の医療をする医師にはげしいバッシングが起こります。並の神経ではこの消毒、保健所国家を生きていくのはたいへんです。消し去るのでなく、残していって、毒も薬である、という長年人類の知恵を再認識すべきなのに。 特に問題なのが、一生人に罰を与えることを生業とするような人々がいま日本でいちばん羽振りがいいと言うことです。 わたくしは人々に懲罰をあたえて生きていく人々は社会にとって不必要とはおもませんが、社会の隆盛化にはもっとまったく別な人々が必要だと思うのです。 そういうわけで、過剰な懲罰国家ジャパンは衰退に向かわざるをえない、と思うのです。 中国でも懲罰はあらあらしいかたちでは起きているようですが、日本のような一見ぬるま湯社会なのに、この草なぎ青年に対するはげしいまでの社会的懲罰をみると社会の硬直化を強く感じざるを得ません。どうしてもっとゆるやかに対応してまた簡単に許してあげないのでしょう。わたくしなんかは許すどころか、よくやったな、あっぱれと肩を叩きたい位です。しょせん、コマーシャルも降りるし、番組もおりるし、ほっといても本人にはつらいことが沢山起きるでしょうし。しかし、いい青年ではないですか。 普通のひとがたまに狂ったようなことをしてしまう、それが人生だし、そこが人生の面白さでしょうが。ドラッグも飲んでないし、家宅捜索されてもなにもなにも出てこない、やはりテレビにでてくるあのなんともいえない好青年の顔つきが、彼の平素の姿なのでしょう。それが酒を飲み過ぎると、ああなる傾向があったのでしょう。大声を出さなければこうはならなかったでしょうから、やはり何かよほど、鬱屈していたものがあったのでしょう。 2009年 04月 23日
今日の沖縄、またまた寒いくらいです。 別なことを書こうと思ったら、人気者のSMAPの草なぎ剛さん、公園で大騒ぎ素っ裸で騒いでいて、わいせつ物公然陳列ですか、現行犯逮捕とか、これに触れずにはいられません。 人気者はつらい、それになんだかいつもいつも温厚ににこにこ笑って、善意の大使とかそんな役割をやってるのですが、たぶんそんな役割に疲れて地が出ざるをえない瞬間があるのでしょう。 深夜の公園一人で大騒ぎ、孤独だったのかもしれません。新聞のネット記事では業界では酒癖が悪いので有名だったとか。さっそく沢山のCMがテレビから消えたとか。素っ裸になる癖があったのかな。家の中ならいいのですが、公園で長いこと絶叫して騒げばだれか警察を呼ぶのもあたりまです。 でもわたくしいいじゃないですか、これくらいいいじゃないですか、といいたいです。酒癖が悪いのは好きになれませんが、こういうストレスの発散を複数でなく、一人でやったとは、あっぱれとしかいいようがありません。芸能人のひとりでやったパフォーマンス、逮捕されたことも含めて、快挙として記憶にとどめたいです。 警察も逮捕したのは当然、人気者に容赦しない、フェアーでたいへん結構でした。マスコミも大きな話題ができて、よかったね。草なぎさんにも大きな「みけんの傷」ができてこれでかなりの貫禄もこれからはでて、三方得(毒?)の事件でした。 最近沖縄の大学院に暗雲という類の記事が沖縄の新聞に踊っています。 というのは、民主党が現在の国会に出されている、私立大学として建学するという案はどうか、賛成できないという意見をまとめて、現法案が国会で通る可能性が低くなったらしいのです。ただ大学院に反対なのではない、ということです。国立大学のほうがいいという考えは当然ありうるのです。わたくしは意見を聴取されれば正々堂々開陳しますが、このブログで私見を述べるのは、立場上やめておきます。ただ、ここの組織は大事件として扱っています。しかし世の中には色々意見があるのですから。 それと関係があるのか、ないのか分かりませんが、午前中に沖縄県議会の民主党の議員さんが三人来られたので、15分ほど、研究内容を説明しました。さすが議員さん、政治家ですから、反応もあり、はなしが往復しました。ちょっと研究以外のことにも話題が拡がりました。それは沖縄がやるべきこと、努力すべきことは、世界の一線の研究者などが訪問して、喜んで長期滞在したがるような環境を作ることだと思うのですが。最後に、新聞に出ていることについて、本気なのですか、と聞きました。返事がなんであったかは、ここで書かないことにしましょう。 2009年 04月 22日
わたくしの研究生活もながいのですが、最近は自分の推進する研究が途上状態、つまり上り坂にいることを痛感します。 こんな感覚は、40才の頃に戻るような気がします。しかし、体はもう立派に前期高齢者ですから、あたまのボケ加減で、現役のみなさんと真っ向勝負することになります。 ふたつのラボを現役でない老ポスドクのわたくしが経営しているという、図式なのですが、なぜふたつもラボを経営しているのだ、けしからんという声は聞こえないわけでもありません。しかし、そんなものアホやと陰でうそぶいています。 山紫水明の京都に拠点があるからこそ、沖縄の研究が二皮も三皮も向けているのだ、ということにわたくしの周囲、とくに沖縄側の行政側では理解してくれないようです。いなかのおねえさんが、京都に三ヶ月もいたらたいへんなぺっぴんさんで帰ったなんて言う、たとえを言ったら誰かにとんでもなく怒られそうですが、しかしわたくしの実感はそんなものです。沖縄のあの環境だけで世界トップの研究するなど、至難のことです。京都と言ったり来たりしてくれる、沖縄研究室のメンバーたちは本当に幸せだし、色んな刺激をうけてそれで京都に一度来ていろいろ話したりするだけでも、数ヶ月はいい影響が残るのです。京都にいながらのんべんだらり成果もあげられない連中などは本当にタカラの持ち腐れなのです。 わたくしなんか、20代で英国ケンブリッジで、全部で3か月しか研究しなかったのに、40年後のいまもその影響で現役の最前線をはっていられるのです。 そんなときに、あなたの京都と沖縄の勤労の時間割はどうなっているのだ、前もってパーセントをきちんとせえ、さもないと絶対許さない、などと言われると、わたくしの研究をあんたらは妨害しようとするのか、といいたくなります。 だいたい、一週間に40時間働く人と、一週間に70時間働くひとの、勤労時間%などを提出させてそれでどう比較しようとするのだ、といいたくなります。 いわんやこの時代、わたくしが比良の家で朝から晩まで、沖縄で出たデータをああでもない、こうでもない、とやってる時間をどう割合に入れるのだでしょう。京都や沖縄でやっている仕事はいまや渾然一体、一日最低12時間働くとして、内訳など考えてやるはずがないでしょう。自然に働いているもので、それで朝が明け、夜がくれるのです。 外国に行って今日は、京都の研究の発表、あしたは沖縄の研究の発表、明後日はごっちゃの発表、こういう時はどう割り振るのでしょうかね。そんなことをやっていたら、立派な人事担当役人か社員にはなれとも、いい研究など出来るはずもありません。 世の中、衰退に向かうと、こういうものがはびこりますね。沖縄の研究はまだ始まったばかりで、衰退するにはまだ早いのですが、公務員叩き、税金の無駄遣い叩きの風潮が高まると、内閣府あたりの組織末端ではこのようになってしまって、わたくしのようなへんな人種は目のかたきにだんだんされていく、という実感をもつこの頃です。 目のかたきにされても別にいいのですが。今を生きているわたくしとしては。 2009年 04月 21日
朝9時20分発の那覇行きに乗るには、やはり早起きしないといけません。比叡山坂本6時20分くらいの電車にのらないと「はるか」にうまく乗り継げません。これで関空ではだいぶ長い待ちあわせになるのですが、次のはるかでは、ギリギリというわけです。 乗ったJAL機は満席で修学旅行団体が二組もありました。 朝の関空はそこそこ乗客はあってもみな国際線に向かっていて、国内線は閑散としていて、ほんとに可哀相な感じです。23番ゲートの那覇行きには乗客は沢山(とはいっても300人くらい)待ち合わせてはいるものの、その先はずっと先までがらんとしていてまったくの無人状態です。 かつての大阪人は東京に対抗心を強く持っていたものの、もういまや無いのでしょう。ほとんどの大阪発の大企業が東京に本社をもつようになってしまってますし。東京に負けるか、などというのはなんとかいう女性歌手くらいですか。 伊丹空港を抱えて、さらに神戸空港まであって、東京に空港で勝てるはずがありません。 大阪人の矮小なエゴを見るようです。知事がどんなに頑張って関西空港を浮揚しようとしても大阪人がみずから、墓穴をほっているのです。伊丹が無くなったら絶対駄目、これが大阪人の正直な気持ちのようです。 こんな国内線の状況では、国際線もそのうちもうどうしようもなくなるのでしょう。 実際もう国際線も駄目という感じは、関空からロンドンへの直行便がないことからあきらかです。 来月スイスに行くのですが、計画段階でロンドンに直行でいく可能性がまったくないのはつらいものです。 米国やカナダへの直行便などもほとんどありません。 もう末期状態なのかもしれません。これだけの大きな人口と有名観光地も抱えているのにです。 だいたい沖縄のラボでも神戸空港のほうが便利とか言ってます。 わたくしも今回帰りは神戸になっているのも、適当な便が関空向け便が減っているのです。 大阪人を責めてもしかたないのですが、みずから血を流さないと、関空は浮揚しないでしょう。よく言われているように関空発の便ではビジネスクラス客が日本人ですくないとかで儲けがうすいのだそうです。 橋下知事は問題の所在をよく分かっているようです。頑張って欲しいものです。 わたくしも関空愛好派なのですが、これだけどんどん便が減ってくると、どうしたものだろうと考えてしまいます。はるかが30分おきから1時間おきにでもなったら、わたくしも成田までいくことを真面目に考えるようになるとおもいます。 2009年 04月 20日
先週AMBOのことを書きましたら、トロント在住のFさんという若い研究者のかたからぜひそういうものを作るべきという、力強いメールを頂きました。 こういうものは大勢でやるというより、ごく少数の情熱家がだんだんと沢山のひとびとの賛同を集めて、最初は小さくてもしっかりした「芯」になるような組織を作りはじめるといいのだと思います。 大ボスがやれ、といってもそう若者は動かないでしょう。 若者中心でやれたら最高でしょう。 人々の往来は沢山あるのですが、そのなかの一部の非常に良質な人々の往来に、往来のための資金提供ができるとだんだん情熱家が増えてくるでしょう。つまりAMBOのための「奔走者」がでてくるといいのです。たとえ5人でも10人でもでてくればいいのです。 「奔走者」はやはり「無私」であることが一番の資格でしょう。 それと同時に無国籍的な思想の持ち主だとさらにいいのでしょう。 こういうものは自分の国の利益などを議論にもちだされたらうまくいきません。 現在、東アジアにとっては好機到来でしょう。 しかし、インドとオーストラリアを無視したらうまくいかないでしょう。 韓国、台湾、中国、日本にインドとオーストラリアを加えられれば、AMBOの原型はできるでしょう。でもなんのために作るのか。 前回書いたとおり、地域内の発展とくに経済的発展のための通貨統一がある現実味を帯びているのですから、研究者が域内で一緒に域内のために働いてみよう、なんらかの統一性が生まれるのなら、まずAMBOというようなもので共通的な活動を一緒にしてみよう、こんなところでしょう。もちろん研究者のボランティア精神が不可欠でしょう。わたくしも、シンガポールやインドの若者研究者とつきあってきて、ボランティア精神はかなり持っています。しかし、無私でもないし、また大年寄りですから、老兵、つまり一兵卒的な任務が一番いいのですね。 ひょんなことからひょんなことになる可能性もありますので、書き留めておきました。 あしたから沖縄です。 次世代の配列決定機からの情報が出てくるようになってから、わたくしの生活はまたまた一段と忙しくなってきました。しかし、楽しいです。この装置からの情報がこんなに楽しいものとはまったく思っていませんでした。 それとメタボロームも面白いです。ただ議論をする人たちがあまりいないのが残念です。でもまあそれでいいのかもしれません。色んな思惑でやっている人の多い中で、なんの思惑もなく純粋な好奇心でやってるわれわれにしか見えないものがあるはずです。 週末は畑仕事を頑張りました。ずいぶん進行してこちらもほんとに楽しいです。 2009年 04月 17日
イチロー選手が日米で打ったヒット数が張本氏が作った大記録を抜いたとのニュースです。 日本のマスコミがこれを大きく取り上げるのはいいのでしょう。誰もが張本氏の記録は抜けないと思っていた時期があったでしょうから。今日は張本氏の目の前で3086本目を打ったとか。タイにならんだ昨日は満塁ホームランとか。天才、千両役者的な選手としての振るまいはもちろん、いまや日本国民の好感度ナンバーワンとなりました。あのWBCでの「独得の耐える」態度と「最後の決定的打点」によってウエットな日本人にもとうとう完全に認められたのでした。わたくしもこのブログでイチローを取り上げたのは25回目になったようです。 時代を自分のものにたぐいよせた経過はこれからも何度も何度も語り継がれるのでしょう。 人気と実力がかならずしも一致しない日本では久しぶり、相撲の大鵬以来なのでしょうか、完全に一致したのは。 そういえば、理学研究科の森和俊さんがカナダの大きな賞を山中さんと一緒に取られたとの嬉しい報道がありました。 森さん、わたくしの娘夫婦の剣道部時代の先生でお世話になったとのことでした。そういう、私的なことは別として、森さんのひたむきな学風と人柄、これからもますますご研究が発展していただきたいものです。いちど背水の陣となって頑張った人はみなさん違いますね。 理学部からの弘報をみていたら最後に訃報があって、小関治男先生のほかに藤沢久雄さんと原田英司さんの名前をみてびっくりしました。かつての同僚で長年にわたって理学部大会議室で月々に会っていました。 藤沢さんは研究分野も非常に近い時期がありごくしたしくつきあっていただいた時代がありました。 ご冥福を祈りました。 2009年 04月 16日
戻りました。 早朝からいままで、バタバタと息もつけないくらい忙しく働きました。一休みです。 わたくしが始めてヨーロッパについた1967年当時、たまに車のステッカーにEurope Unitedの類のものがありまして、夢物語の一つとして、統合ヨーロッパがあることは知りました。しかし、あの犬猿の関係のドイツとフランスが一緒にやるなど想像できないものと思っていました。日本でよくノーベル賞受賞者が集まって高尚に世界連邦などと提唱する類のものと思っていました。 しかし、当時EMBO(European Molecular Biology Organization)なるものがあり、こちらには多大な関心を持っていました。Appleyardというかたが秘書役をやっていて、たしかJohn Kendrewだったかがトップだったような気がします。 つまり研究者、特に基礎の研究者は国境を越えてなんでも話しあって、一緒に行動出来る、だからEMBOという組織ができて、各国政府も少額ながらも拠出金を出そうじゃないか、ということだったようです。 自分がまさ一年後に、このEMBOの短期奨学金をもらって、スイスから英国に実験をしに出かけられるなど夢にも思いませんでした。わたくしは、アジア人ですが、こっちと向こう側のボスがヨーロッパなのでOKということで、あっさりいけることになって有頂天になったことを思いだします。それがあって、わたくしの今日の研究スタイルができたので、EMBOあってこその自分の研究経歴と思っています。EMBOの外国人会員になれたときには本当に嬉しく思ったものでした。 それでAMBOなるものをどう思うかです。Asian Molecular Biology Organizationなるものを作ろうという動きはすくなくとも三回はあるようです。わたくしは、その最初の時、米国のJames Watson博士,日本の赤堀四郎、渡辺格先生が主唱したときに下働きをしました。いろいろな事情でどれも成功しておりません。最初のはずいぶん続いてわたくしも一度講習会をお世話したことがあります。 なぜうまくいかなかったのか。EMBOはハイデルベルグに素晴らしい研究所もでき、夢物語と思っていた統合ヨーロッパは出来てしまい、東ヨーロッパなどはいまや生命科学の人材の宝庫とすらなっています。 こんかい中国科学院のある上海ではAMBOについて話題になったことがありました。 いまのわたくしだったら、AMBOやろうじゃないですか。 アジアの統合は国家としてはまだ難しくても、通貨を一種類にして経済の共通基盤をひろげることはもう十分視野に入ってきているので、AMBOもそのような時代の前駆活動として捉えればいいじゃないですか。 研究者は国家の違いを越えて共に働けるので、共通経済圏となるませに、まず共通研究圏を作ろうじゃないか、そんな風にいいたいもので、実際そんな風に返事もしました。 しかし、日本の研究者は一人大物がいるとすぐその周辺に一党が出来てしまう傾向があるので、日本が表にでるとろくなことにならないかもしれません。しかし、アジア共通通貨への道が開かれる前に、アジア研究者のための組織を作れたらいいとおもうのです。 はなしは違うようですが、中国でもなんかいか山中伸弥教授はいつノーベル賞をとるのだ、と聞かれたものでした。そういう人物がアジア共通話題になるだけでも、「機は熟した」と思うのです。 シンガポールには伊藤教授もおられるし、共通感覚、共通話題にはもう事欠かないはずです。 2009年 04月 15日
[1] 上海空港はふたつあって、国際空港はPudongというらしいですが、新しく、大きな飛行場で出発ゲートに向かって歩くだけでもなかなかの距離です。 やはり空港でもわたくしのブログは読めませんでしたので、このエキサイトという会社のブログはすべて中国では通常はよめない、そういうファイアウオールがあるようです。 別にどうでもいいのですが。 お土産を買うのはなかなか難しいですね。 なんべんか中国にくるようになればなにが格好なお土産になるか分かるとおもいます 今回は、上海でひとつアンティークのお皿を買いました。140年前のとか言ってましたが、ホンモノとかどうかよりも、なかなか描いてある絵が面白かったのでした。 飛行に乗れば、2時間で関空に着いてしまいますから、沖縄に行き来するのと同じような時間感覚で往来が出来るのだと思います。 ネットで東京新聞の記事に中国の物価が日本より高い、とか刺激的なタイトルがありましたが、これは北京の豪華ホテルかなにかの例外的なはなしで、要するにお金を沢山使う気があれば使えるという程度の記事として使うべきでしょう。 実際感覚では都市で半分から三分の一、地方ではグンと安くなって、お昼にたんにお腹をくちくするだけでいいのなら、10円程度の食べ物もあるようでした。 外国人が日本の物価は高い、とかよくいいますが、中国の物価はいろいろなので、そんな豪華ホテルの中に出入りしているよりも、やはり庶民がどれくらい払って生活しているかを書くのが記者の役目でしょうに。 [2] 自宅に戻ってまた同じ日ですが、書いています。時差が一時間ありますので、上海空港を現地時間1時半に出たわけで、JR比叡山坂本に着いたのが午後6時半なので、なんと4時間で着いたことになります。近い、のは分かっていても体感するまでは本当の知識にならないわけです。 行きは全日空と中華航空のコードシエア便で、帰りは日航と中華東方空港のコードシエア便で、あまりのサービスの差に驚き。この場合は行きの便が劣悪で、帰りは良すぎるというか過剰なくらいでしたが、でもまあ全日空はいちど覆面でサービスのひどさを調査するといいと思います。コードシエアは相手任せなので、知らぬうちに評判を落とすわけで。乗る方は飛行機代分のサービスがあるものと期待しているわけです。 今回の中国旅行は、あしかけ8日間、中国の人たちと濃密につきあってきましたので、いろいろ分からなかったことが、もしくは考えのなかったことが、できるようになり、たいへんに内容の濃いものでした。タイミングもとても良かったし、わたしのような酵母研究者には今回の三人のホスト以上の人たちと会うのは現代の中国では無理かもしれません。しかもかれらはついこの間まで米国にいたりしたわけですから、そんな意味で激動中国を目の当たりにするのにも良い機会だったのだと思っています。 2009年 04月 14日
昨日に講演などをしたのできょうは研究室の若いかたたちと蘇州にいって見物をしました。 ひとりはこんど結婚するのでその衣装をもらいに行くとかで、蘇州は絹織物の製品でも著名なのでした。 わたくしの子どもというよりはまだずっと若い人もまじえてのグループで一緒に行くのですが、それなりに楽しめました。異国のことですから、単純なこともこちらにはめずらしいわけでして。 一日フルに観光して上海に戻ってきてその後一緒に食事をしてホテルに戻ったのですが、感想は山のようにありすぎて整理するのがたいへんです。 でもひと言でいえるなら、こうやって中国人のひとと密接に一週間もつきあうと色んなことが分かってきます。いえることはマスコミなどでは決して分からない、見えてこないものが沢山理解したというか、把握できたような気がします。 来たタイミングもいいし、前回の訪問があったのも良くて、いろんな比較考察の座標軸的に前回の経験もそれなりに役立っています。 これから、おりおりにブログで触れたいのですが、結論的には中国ではたらく中国人の研究者のすがたが今回はかなりしっかり見えてきたような気がします。 ありがたいことに、しっかりした共同研究も出来そうですから、かけ声でなく、本当のつきあいがこれからも出来るでしょう。 なお、わたくしがこちらからブログがさっぱり見えないことをぼやいているのをみたある人が連絡してくれて、バイパスする術でちゃんと見える方法を教えていただきました。 さっきその通りにやたらちゃんと見えました。 これでちゃんとなんとか自分のブログを中国で見ることが出来ました。ただ、そのままでは編集はしにくい感がありました。 なお日本のニュースをこの一週間みていてもほとんどなんの動きもないようでした。 京都も沖縄のほうも格別なニュースは内容に聞こえています。 妻のはなしでは、桜はことしはとても長かったとか。中国のさくらは葉桜と八重桜ですから、およそ雰囲気が異なります。 でも中国にもソメイヨシノの並木道を造ったらかなり受けると思ったのですが。 |
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