また、ユニセフ協会は、国連諸機関と連携して豚インフルエンザ対策を準備し、新型インフルエンザの世界的な大流行に備え、他の国連諸機関と協力して準備を進めています、とホームページに記しています。
※ このニュース記事の無断引用、掲載を固く禁じます。2009年04月30日
東村山通信 ユニセフへの寄付について
2009年04月30日
昨晩、東村山警察の方が来て下さいました
私はディズニーランド時代に千葉県警の多くの方から、安全警護など多くのことを教えてもらったり、渋滞対策に協力頂いたりした経験から、基本的には警察を応援しています。
明石市の花火大会歩道橋事故の件では警察に瑕疵はないと兵庫県警などに伝えましたが届きませんでした。
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/8800156.html
(この事故の真犯人は、後ろから押したまさに「エガワる思考」の観衆です。誰もが「小さく前へならへ」の姿勢であれば群衆雪崩など発生するわけがないのです。)
私服の警察官の方は、私の話を丁寧に聞いてくださりました。悔し涙なしでは話せませんでしたが、私がこのブログに書いている内容や、周りから白い目で見られるようになった恐怖感について話したところ、共感していただきました。
さらに、私が提案し、渡辺東村山市長も賛同してくださっている「武蔵野インターナショナル“さんぽ”フェスティバル」が、開催できなくなる可能性があることや、東村山市議会が採択した私の請願「地球温暖化防止東村山市宣言」の実際の活動に参加できなくなる可能性が生じてしまったことに対する悔しさを伝えたところ、「がんばって下さい」とおっしゃってくださいました。
家内にも声をかけていただき、とても感謝しています。
それでも、私たちは不安を抱えながら生きていくことには変わりありません。まるで、薄氷の上を歩いているような心境です、些細なミスで奈落の底へ突き落されそうで正直怖いです。
私は家族に、襲われたら「助けて!」ではなく、「火事だ!火事だ!火事だ!」と叫びなさいと教えています。その方が効果的だからです。
このように、「盗人」のレッテルを張られた私たちは、決して元の生活に戻ることはできないでしょう。
私は、学生時代に父親を亡くしています。父は54歳でした。私はアメリカや中米を放浪中であり、父の葬儀にも出ることができませんでした。
私も一ヶ月後に54歳になります。父より1日でも長く生きたいとは思いますが、命が惜しいとは思わなくなりました。「最後のパレード」の著者としての心境とのギャップを感じます。
警察の方に言いました。自殺していく人たちはみんな、私のように「生まれ変わるなら私は貝になりたい」「ひどい目に合わせる人間なんかには生まれ変わりたくない」と思ったに違いない、と。
「武蔵野インターナショナル“さんぽ”フェスティバル」の企画はこちらから
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/image/A4B5A4F3A4DDA3F0A3F0.pdf
※警察の方に感謝します。焼身自殺の記事は削除しました。
2009年04月29日
2009年04月29日
東村山通信 豚インフルエンザのメキシコを思いやる動き
2009年4月29日
千葉県御宿町で本当にあった心温まる話を紹介します。
「日本とスペイン・メキシコとの交流は約400年前に遡ります」
1609年9月30日未明、一隻のガレオン船が御宿沖で座礁し、多数の乗務員が浜に漂着しました。
船名はサン・フランシスコ号、スペイン領フィリピン総督ドン・ロドリゴを長とする乗客、乗務員の総数373名は、フィリピンからメキシコへ向かう途中でした。
残念ながら56名は帰らぬ人となりましたが、残る317名は岩和田(現御宿町)村民に救助されました。この時村人は大いに同情し凍えた異国の遭難者を海女たちは素肌で温め蘇生させ、夫の着物を、食糧を、惜しみなく提供したと伝えられています。
このことは、直ちに領主である大多喜城主本多忠朝に伝えられ、遭難者は37日間岸和田大宮寺に滞在し村民の手厚い保護を受けた後、江戸城の将軍、徳川秀忠に喝見し、歓待を受けるとともに、駿府城の徳川家康にも招かれ破格の歓待と豪華な贈り物を受けるなど親しく懇談し、翌1610年家康が三浦按針に建造させた新しい船で、無事メキシコへ帰国しました。
この史実が、日本とスペイン・メキシコの修好の契機となりました。
我らの先祖のすばらしい行動を後世に永く伝えるため1928年に一行が漂着した海岸近くの高台に大理石張りの「日西墨三国交通発祥記念之碑」が建立されましたが、戦時中攻撃機の的になり、見るも無残な姿に変わり果てました。
歳月が流れて1958年に多方面からの協力を得て記念碑は、新たにセメントで装われて再び白亜の塔として生まれ変わりました。
その後も御宿とメキシコの交流は活発に行われ、1978御宿町とアカプルコ市は姉妹都市協定が締結されるに至るとともに、同年は日西墨三国交通発祥記念之碑建立50年であり、建立50周年記念日にはホセ・ロペス・ポルティーリョ大統領が御宿を訪れ、歴史に培われた友情をさらに深めました。
御宿町発行の「日西墨三国交通発祥記念之碑建立80周年」「サン・フランシスコ号漂着400周年記念事業」企画書より
御宿町では現在、サン・フランシスコ号漂着400周年の記念として数々の文化事業が展開されていますが、5月6日に開催予定の「黒沼ユリ子 御宿・メキシコ交流コンサート」は豚インフルエンザ流行に関わる出入国問題により中止されました。
御宿町は今後の事業も中止か内容を変更して行う可能性があるとしています。
また、御宿町は再度メキシコ国民を助けるための「募金活動」も検討中です。
このサン・フランシスコ号漂着400周年記念に対し、日本政府はメキシコに桜の苗木1000本の寄贈を表明していますが、400本はメキシコ市の大平正芳元総理(故人)の功績をたたえた「大平公園」やメキシコ市最大の公園である「チャプテペック公園」にまとめ植えされ、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.のポトマック河畔の桜並木のような桜の名所にしていく計画だそうです。「最後のパレード」の著者も、「これらの友好活動を推進するための資金援助を惜しまない」と語っています。
また、メキシコ市在住の元メキシコ政府関係者は、豚インフルエンザ問題に関し、「落ち着いているし、外出もしている」と述べ、パニックに陥らないよう警鐘を鳴らしています。
※このニュース記事の無断引用、掲載を固く禁止します。
2009年04月26日
毎日新聞の報道は見解の相違、オリエンタルランドも困惑しているでしょう。
「OLC広報部は『類似には気付いていた。著作権は当社にあり、著者や出版社に使用は認めていない』とのコメントを出した」
私もオリエンタルランドから同内容の配達証明郵便をこの件が報道される前に受け取っていますが、このコメントは当たり前のことです。私の体験談を読んでください。
平田地区の子供たちを楽しませるイベントにミッキーマウスを登場させたいと考えたイベント主催者が、版権を有するウォルト・ディズニーカンパニーに「ぬいぐるみを作りたい」と許可を求めたところ、ディズニー側は「聞かなかったことにします・・・・子供たちの夢を壊さないように、ミッキーそっくりにしてくださいね」
「子供が腹痛で苦しんでいる、40キロの速度制限の道路を60キロで走りたい」と警察に許可を求めても許可されるはずありません。同様に、出版物には、「著作権は・・・・無断で・・・」と必ず書いてあります。 守らなくてもいいです、とは100%書かれていません。
私は以前にPHP研究所から出版依頼を受けました。しかしながら、PHP研究所が私の意向に反し、オリエンタルランドに出版許可を申請したところ、案の定許可されず、出版には至りませんでした。
そのPHP研究所は、「最後のパレード」の参考文献となった、オリエンタルランド元副社長の著書「魔法の国からの贈りもの」を昨年発刊しています。その中には、ゲストから寄せられたエピソードも掲載されています。
PHP研究所はディズニー側の許可を取ったのでしょうか。近日中に確認したいと思います。
そもそもです。長い文章は別ですが、ディズニー側は開園当初から、ゲストからの賛辞や苦情を社内報「ディズニーランド・ライン」や、講談社発行の雑誌「ディズニーファン」などで、積極的に公開しています。
また、スーパーバイザー時代の私もそうでしたが、キャストには良い話を(コピーして)持ち帰り、人生の宝物にするようオリエンタルランド側も推奨して来ました。今でも、ブレークルームなどに張り出される感動話は、キャストにより携帯で撮影され、ネット上に公開されているに違いありません。
つまり、ディズニーランドでの心温まる話は言ってみれば「公共財」なのです。個人のものではないと私は教えられてきました。その理由は簡単です。一人では感動を生み出せることはできないからです。
キャストが協力し合って初めて、「最後のパレード」に書かれた心温まるエピソードを生み出せるのです。
前著にも書きましたが、決して「独演会」ではなく、「オーケストラ」なのです。 このことをマスコミ関係者はまったく理解できていません。
確かに私は「無断で」心温まる話を掲載する選択をしました。
ディズニーでは「サービスの復旧」と言いますが、この程度の公約違反・・・もとい、ルール違反は、イエローカードは受けても、即刻退場にはならないと判断したからです。
その理由を記します。
例えばです。私が今でもオリエンタルランドに在籍し、私が記し、「最後のパレード」にも掲載された以下のエピソードが、25周年の社内文集に載ったと仮定します。
クリスマスシーズンのある出来事
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13440697.html
紀宮さまが東京ディズニーランドを訪れた日
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/9495387.html
その場合、このエピソードの著作権は私にあるのです。私は例えこの著作権が侵害されたとしても、喜んで「無視」することでしょう。ディズニーに心温まる話を提供した99%の著作権者はそう考えるに違いありません。
法律上認められている事後承諾を得るために、「最後のパレード」のエピソードの著作権者に誠意をつくすことは、サンクチュアリ出版様と出版前から約束してきたことです。確認文章も残っています。
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/image/A5B5A5F3.pdf
私には、読売新聞や毎日新聞が「何が言いたいのか」が全く分かりません。ディズニーがこの本を正すとでも考えているのでしょうか。
「バカの壁」という「最後のパレード」と同じ部門での売り上げ部数ナンバー1書籍にはこのように書かれています。
『これでは詐欺です。そこにあるのは自然ではなくて、人為的に用意された環境のみ。これではディズニーランドやテーマパークと同じことですから』
心ない著者は、ディズニーランドを詐欺呼ばわりしています。
『これでは詐欺です。そこにあるのは自然ではなくて、人為的に用意された環境のみ。これでは表参道ヒルズや日本庭園と同じことですから』と書かれたら、森ビル側はどう対応するでしょうか。
このように、ディズニーランド側は開園以来一貫して、心ない批判に敏感に反応してきませんでした。日本社会の常識に合わせるのではなく、ディズニーの常識に合わせてもらうよう、懸命な企業努力を重ねてきました。
日本の常識に屈服してこなかった、これがディズニーランド成功の最大の理由であると私は講演会等で申し上げています。
さて、著作権者の元ディズニーキャストの「思い出が汚されたようで悲しい」とのコメントを掲載しています。キャストはチームプレイでゲストをハッピーにしようと協力し合っています。
「思い出」を独り占めすることは許されません。特に、このエピソードには「メイク・ア・ウィッシュ」が関わっています。著作権者の元キャストには誤解を受けないよう慎重な発言を望みます。
この元キャストの方とは数日前に、池袋のホテルで面会しましたので、その時の事実を書かせていただきます。
某NPO代表のお母様と来られました。著作権者として「難病の少女との交流のエピソード」が掲載されたことで、その少女を傷つけることになるのでは・・・とお母様は繰り返されていました。
私は、それはオリエンタルランドが考えることであり、お母様や著作権者の方が気を遣う必要はまったくありません、心配しないでください、と申し上げました。私はゲストリレーション部門のスーパーバイジング教育も受けており、前記の「サービスの復旧」の仕方は熟知しております。
「サービスの復旧」のため、赤坂の前田病院に何回も足を運んだことも思い出しました
。
サンクチュアリ出版の鶴巻社長と私で、十分に誠意を示したつもりですが、誠意が伝わらなく、快く著作権の事後承認を得られなかったのが残念でたまりません。
義賊伝説ではありますが、鼠小僧次郎吉(じろきち)の「金に困った貧しい者に、汚職大名や悪徳商家から盗んだ金銭を分け与える」(もちろんディズニーは悪ではありません)を許す気持ちで『最後のパレードディズニーランドで本当にあった心温まる話』を見守っていただきたい、そう願ってやみません。
最後に、元毎日新聞記者の著作権意識の低さなどを問題にした記事を紹介します。
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13440426.html
毎日新聞の記者教育はどうなっているのでしょうか。
この問題は森田健作問題同様に経歴詐称問題でもあります。女性蔑視問題でもあります。この問題は瀬戸弘幸氏も問題視しているそうです。
毎日新聞の今後が心配です。
2009年04月26日
ディズニーと著作権
2年ほど前、島根県出雲市平田青年会議所様への講演時に、役員の方からこんな話を聞きました。
平田地区の子供たちを楽しませるイベントにミッキーマウスを登場させたいと考えたイベント主催者が、版権を有するウォルト・ディズニーカンパニーに「ぬいぐるみを作りたい」と許可を求めたところ、ディズニー側は「聞かなかったことにします・・・・子供たちの夢を壊さないように、ミッキーそっくりにしてくださいね」
これがディズニーなのです。教えていただいて、とても心が温まりました。
小学校のプールに描いたミッキーを消させたこともありました。公的な場所にディズニーのキャラクターを許可なく描くことを許せば、日本全国の公的施設には、それぞれの思惑での「ディズニーのイメージ利用」が横行することでしょう。
ディズニー側は信念に基づき、ミッキーを消させました。描いた子供たちや多くの人々に、他人が有する著作権を侵害しないことの大切さを教えたのです。
それでも・・・この話はこれでは終わりませんでした。ディズニー側は、後日ミッキーを描いた子供たち全員をディズニーランドに招待しました。消沈していた子供たちは大喜びだったそうです。
このディズニーランドへの招待も、ディズニーでは子どもたちの夢を壊さないための「当たり前のこと」なのです。
ディズニーでは、これを「サービスの復旧」と言います。
悲しい思いをさせてしまったり、不手際があったりした場合でも、その後に誠意を持って対応をすれば、ゲストは必ずディズニーランドに戻ってきてくれると信じています。
特に、スーパーバイザーがこの役目を担います。バレーボールのように、キャストがコートの外に外したボールを、スーパーバイザーは必至で拾い、コートの中に戻すのです。
ディズニー側の誠意を感じてくれたゲストは「前よりもディズニーランドが好きになった」と言っていただけたことも多かったと記憶しています。
脇が甘いところもありましたが、私はこの度の想定していた著作権に関する問題も、事後に誠意ある対応を示すことにより理解していただけると信じていました。(法律上、著作権者から事後承諾を頂ければ問題ありません)
「盗人(ぬすっと)野郎」「キチガイ」「バカヤロー」という電話がかかってきます。
ディズニーの常識は、おもいやりマインドが欠落した人の非常識である、そう実感した今回の私へのバッシングであり、残念でたまりません。
2009年04月25日
一週間の思考停止期間と「私の本性」
1週間前・・・後頭部をいきなりぶん殴られたような気持ちでした。
大きな変化がありました。不和と世間の目の変化です。生家からは「出入り禁止」の命を受けました。私たち家族は、報道後白い目で見られるようになりました。
思考停止状態からやっと抜け出し、本日考え始めました。私ってそんなに悪い人間なのか・・・今までにいいこともやってきたのではないか、と。
東京都議を3期。東村山市市議を4期務めた、私の政治的心の母・・・共産党の小松恭子氏に「中村はどんな人間か」と聞いてみてください。
お願いします。
以下に、私たちの血税で暮らしている、元毎日新聞社記者に対する私の請願を記します。私が想定していた著作権侵害よりも罪が重いように思うのですが・・・・
東村山市議会議長
丸山 登 様
薄井政美市議への辞職勧告についての請願
表題の件、下記の通り請願する。
記
1、 請願内容
東村山市市議会議員に当選した薄井政美氏に対し、東村山市議会が自発的議員辞職を求めるための辞職勧告を行うよう請願する。
2、 請願の背景
「地方選で争われる政策は生活に直結するものが多く身近で切実だ」「有権者みんなが多かれ少なかれ政策の利害関係者だ」(朝日新聞4月16日社説より引用)
東村山市の将来を決定する政策の形成と政策の決定に携わる市議会議員は、まさに私たち市民の運命を担っていると言ってよい。今般、夕張市の財政破綻や政務調査費の不正使用問題で表顕した地方議員の議員活動や議員としての資質の問題は、住民からの信頼を大きく失墜させる結果となっている。
3、 請願理由
@ 経歴詐称の疑念
薄井政美氏の選挙公報のプロフィールには「毎日新聞社記者などを経て前職は出版社社員」とだけ職歴が記されているが、大手新聞社勤務はわずか1年8ヶ月であり、さらに前職は性風俗レポーターである。選挙公報において「徹底した情報公開」を二大公約の一つに掲げながら、「市議候補」「市議」としての自分に対する疑問や批判に対して、意図的に説明責任を果たそうとしてこなかった薄井政美氏の行動はまさに、「経歴詐称」にも値する大問題であると断じざるを得ない。
また、青少年の健全な育成を責とする薄井市議の「出版社社員」としての前職が、ソープランドなど性風俗業界の女性求人誌を発行している出版会社の社員であることを知った市民は、薄井議員に主権者としての権利を信託するであろうか。答えはノーであり、多くの市民が「信託できない」と声をあげていることは紛れもない事実である。
結論として、薄井政美氏は「人物」「経歴」を「詐称(偽り)」と言えるほど美化して当選したものであり、民間であればまさに「クーリングオフ」の対象であることは明白なる事実である。
A 薄井政美氏の「異論の封殺行為姿勢」は市議としての適格性に欠ける
薄井政美氏のブログや住民投票を求めた市民連絡会のブログにおいて、薄井政美氏は一貫して氏の意見と異なる言論を封殺してきた。その行動姿勢は公人となった現在も同じであり、「少数意見の尊重」「表現、言論の自由」をうたった日本国憲法の精神に反する卑劣な行為であり断じて看過することができない。
薄井政美市議のこのような行為こそが、長崎市長が殺害された事件や加藤紘一元自民党幹事長の実家放火事件など、自由闊達な言論活動を封殺する蛮行へつながっていくのであり、氏の倫理感、道徳感の欠如はまさに市議としての適格性に欠けていると断じざるを得ないのである。
B 知的財産権侵害を奨励する姿勢はコンプライアンス精神を無視する愚行であり市議として甚だ不適任である
薄井政美氏のブログや住民投票を求めた市民連絡会の公式ブログにおいて、薄井氏は当方からの再三の忠告にも関わらず、違法投稿された「You Tube(ユーチューブ、11月7日に放映された報道番組の海賊版)」を見るよう勧める記事投稿を何回も行ってきた。米国が中国の著作権侵害をWTOに提訴した記事や日本でも著作権をめぐる法改正への検討が始まったという記事を目にするとき、元新聞記者の経歴を有する薄井政美氏のこの確信犯的行為はまさに断罪されるべきものであると言わざるを得ない。
著作権侵害の可能性のある行為や知的財産権侵害を奨励するという、コンプライアンス精神に欠けた行為を繰り返した薄井政美氏には、市議候補として立候補する資格すらないと断じざるを得ないのである。
このような理由により、東村山市議会が薄井政美氏の市議会議員辞職勧告を行うよう請願するものである。
4、 提出日
平成19年7月 日
5、 請願者および紹介議員
以上
この請願に関しては1分も審議されませんでした。憲法違反であると私はガッカリした記憶があります。
関連サイト
http://www.higashimurayamasiminsinbun.com/page034.html
http://www.higashimurayamasiminsinbun.com/page187.html
※ 私は草の根会派が問題にしている女性蔑視問題、創価学会問題、りんごっこ幼稚園問題には一切関与していません。
2009年04月25日
オウム一行が来る・・・対応は中村SVに任せる
クレーマーとの対応や、危ない方々との多くの対応を思いだしました。
前著「すべてのゲストがVIP」に掲載したエピソードです。ご高覧下さい。
■オウムの幹部が突如来園することに。対応は「中村SVに任せる」
麻原彰晃が逮捕された年の八月のある日、私は、運営部長と保安担当マネージャーから呼ばれました。
「関係部署からの情報により、本日オウム教団の幹部一行が来る。東京ディズニーランド側の対応者として、本日出勤しているスーパーバイザーでは中村さんが一番適任と考えられる。任務がスムーズに進むようパークを挙げて援護するので対応してほしい」
当時のオウム教団です。指令を受けた私の心臓は、それはもう爆発しそうな状態でした。私の任務は次のとおりです。
・オウム教団一行をスムーズに入園させ、スムーズに退園させる
・オウム教団と東京ディズニーランド間において、今後に何かを残すようなもめごと を起こさせない
・世間から「オウム教団を受け入れた」とも、「標的にされた」とも判断されない対 応をする
■一行は麻原彰晃の家族が中心
利用するアトラクションやコースの詳細を教団側の責任者と調整しなくてはなりません。施設の別口入場や、レストランの一部貸切などの特別対応を関係部署と調整しなくてはなりません。やるべきことが頭に浮かんでは消えていきます。
やるしかありません。
私は、最も信頼していた女性ワーキングリード弓岡さんをガイド役兼エスコートに指名しました。
私は同行している教団側責任者と交渉することになりますが、家族をガイドするのは弓岡さんです。私は、彼女に対しオウム教団の幹部であるこの女性(当時は未成年でした)の性格はこのようだということを伝えました。
幹部であるこの女性の機嫌を大きく損ねさせるような状況になれば、弓岡さん自身がある種…人生においての大きなキズを残す可能性があることを伝えました。
たとえ何事も起こらず、成功したという評価を受けたとしても、この人たちに「また来てください」とは言えません。テンポラリーの名前のないガイド役でしかないことも伝えました。
その上で私は尋ねました。「エスコートを引き受けてくれるか?」。
弓岡さんの答えはこうでした。
「誰かがやるしかないことですから」
私たちにとって最大の問題は、私たちの対応姿勢でした。すべてのゲストと同様、スマイルで「ディズニーの世界にようこそ」という姿勢で臨むことが正しいのか。それとも、いくら事件に関与していないとはいえ「社会の敵オウム教団」一行です。
映画の世界ではありませんが、秘密組織が秘密裏に行う任務のように、「口数は少なく、淡々と」応対するのが正しいのか。私は判断に迷いました。
一行が西新宿のホテルを出発したとの情報が入りました。
私たちは東京ディズニーランドの全キャストの代表です。オウム事件の多数の被害者、マスコミ関係者、今日来園しているゲスト、そして東京ディズニーランドのすべてのキャストの「存在」を考えました。
様々な立場の人たちが、東京ディズニーランド代表である私たちの対応ぶりをどのように評価するのか考えました。
「東京ディズニーランド、社会の敵オウム教団にようこそ!」といった記事が書かれることを気にしました。
到着を待つ間、私たちは話し合いました。
決断にそれほどの時間は要しませんでした。
「相手も人間、スマイルで迎えよう」
弓岡さんにはスマイルでの応対以外は似合いません。きっとディズニーのオンステージに立った瞬間、冷たい表情や対応もディズニースタイルに戻るだろうと考えました。
エスコートはスマイルで迎えることは決まりました。
しかしながら、その分相手側から受け入れることのできない要求があった場合、調整に当たる私が毅然たる態度をとらざるをえない立場になる。そのことも認識しました。
到着予定時間の知らせを受け、私たちはネームタグを胸にパークへ向かいました。
2009年04月24日
草薙さんの謹慎は不要であると考えます。
私も草薙さんからたくさんの幸せを「心のはーとディスク」にインプットしていただきました。特に映画「私は貝になりたい」での草薙さんの演技には、本当に感動してしまいました。
そんな多くの幸せをつくってきた草薙さんでも、一度過ちを犯すと激しくバッシングされます。私同様に、「失脚」することを願われます。
鳩山総務大臣は「絶対に許さない」「最低の人間」と人格を否定するような発言をしました。
これはいけません。「罪を憎んで人を憎むな」です。
やってしまったことは叱ってもいいのですが、人格を否定しない、これがディズニーランドの叱責の基本です。
それこそ、鳩山総務大臣が「最低の人間」と揶揄されても仕方ありません。
寛大な気持ちで草薙さんを許してあげましょう。しばらくは休養されるのは良いことでしょうが、長期の謹慎などさせてはいけない、私はそう考えます。
最後に、ディズニーランドの万引き対応について記します。ディズニーが正しく、マスコミや鳩山総務大臣が間違っている、私はそう確信しています。
「ディズニーランドでの集団万引報道を受けて」
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13196999.html
2009年04月24日
「最後のパレード」原画展のお知らせ
イラストレーターのヒラノトシユキが描き下ろした原画作品を全点、展示いたします。
本をご覧いただいた方も、まだの方も原画作品を通じて、ぜひ「最後のパレード」の世界を堪能してください。
2009年4月21日(火)〜 5月1日(金)
13:00〜19:00(最終日16:00まで) ※日祝休廊
場所 PICT:gallery
http://www.pict-web.com/pg/
http://store.sanctuarybooks.jp/index.php?e=222
私も見させていただきました。ヒラノ氏の世界・・・特に「ヒラノレッド」は心が本当に温まります。ぜひご覧になってください。
2009年04月23日
エレベーター死亡事故と安全の維持管理
当該エレベーターで過去に多発していた不具合(誤作動など)と死亡事故との関係が調べられていますが、いずれにしてもこの事故も「人災」であるのは間違いありません。
以前からこのブログで書いているように、ホスピタリティを構成する最も重要な要素は「安全、安心」です。
今日は安全の維持管理という観点からこの事故が発生した原因を推察してみたいと思います。
まずは、最大の疑問点から
それは「なぜ、扉が開いたままの状態でエレベーターが上昇してしまったのか」ということです。
もともと機械装置というものは不具合が発生するものであり、さらに言えば「壊れる」ものです。最新鋭の航空機でも、最高級車であろうと同じです。続きを読む
2009年04月22日
ブログの役割と明石市花火大会歩道橋事故
ショックでした。
簡単には説明できませんが、11人もの尊い命が奪われたこの事故の真因にたどり着いていてしまった、そのことがショックであったのです。
「ブログ 世界を変える個人メディア」を出版したダン・ギルモア氏は、ブログの重要な役割の一つは、マスメディアの批評家として機能することであると述べています。
氏の母国、アメリカであればその通り!と言えるのでしょうが、残念ながら日本は違います。
日本全国470万人のブロガーは、マスメディアだけではなく「政治家」「学者」「学識経験者」「官僚」等、世論を構成することに影響を与える人々全員を批評の対象にすべきです。
この忌まわしいこの事故の現場を訪れその意をさらに強くいたしました。
私はこの事故のニュースを聞いたその日から、今日までの大きな「流れ」を予測していました。
本当の犯人を取り逃がす。
日本中の自治体はこのようなイベントを取りやめるようになる。
規制緩和でなく、規制強化の方向へ警備業法が改正される。
今後の防止対策となりえる「事故報告書」が出されることはない。続きを読む
2009年04月21日
紀宮さまがディズニーランドをご訪問された日のこと
皇族の紀宮さまから民間人となったのですから、これからは黒田清子さんとお呼びするのですね。
幸せな家庭を築かれることをお祈りいたします。
今日は、紀宮さまが東京ディズニーランドを訪問された時のお話を少しだけさせていただきます。
86年(昭和61年)の6月9日のことです。東京ディズニーランドにはこの日、二つの「うれしいこと」がありました。
一つはドナルドダッグの52回目の誕生日です。
そしてもう一つの「うれしいこと」が紀宮清子内親王殿下のご来園です。続きを読む