No.17 鵜来島。
西公園の北西、すぐ沖合いに浮かぶ小さな島を「鵜来島」(うぐしま)という。
黒田長政が「長男の忠之には不行跡のため藩を譲らぬ」と怒った時、筆頭家老の栗山大膳が忠之を守るために、家臣たちを集めて血判書を書かせたのがこの島。
「・・・しばらく密談をし、三人に急いで大組の嫡子を残らず集合させ、その一団を誘導して小船に乗せ、自ら竿をもって近岸の鵜来島という小島に渡り、上陸して芝生に毛氈を敷きつらね、みんなをそこに並んで座らせた。大膳は上座につき、厳粛な口調でみんなに向かって、このたび江戸表より目付が藩に戻ってきたことにより、忠之公が切腹を願われた事情を告げて、それぞれの意見を尋ねると、一座のものはこれを聞いてはなはだ心配した様子であった。あるいは誰かこれに代わって切腹し罪を謝すべという者もあった。それぞれの意見は意気盛んであり忠誠心があふれ出ていたが、いずれも忠之の急を救って恩に報いようという気持ちが表れていた。大膳はこれを聞いてたいへん喜び、懐中から一書を取り出し、新次郎、善太夫、惣兵衛の三人に命じてこれを一座に見せた。これは『大組嫡子中より、忠之の罪を謝して、その一命を乞い、あたわずんば一同死を連ねて、地下に忠之に随い、以て主従の誼(ぎ)を完(まっ)たくせんと欲す』という内容の、それぞれの氏名を連記した嘆願書であった。みんなはこれを見て奮い立ち、即座に血判を押して誠意を表したので、大膳は大いに喜び、これからもなお忠之の身の上を擁護して忠勤を励むことを誓い、携えてきた瓢箪(ひょうたん)酒でみんなを慰労して帰船した。」(郡葆淙著・栗山大膳記伝より。口語に訳してみた)
2009年3月10日の鵜来島の写真です。
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