宮中祭祀とは、天皇が国民のために、皇室の祖先である天照大神や歴代の皇霊、八百万の神々に国家安泰や五穀豊穣を祈願する儀式である。
主だったものだけでも年20回も行われている。
http://www.kunaicho.go.jp/04/d04-01-03.html
その具体的な中身に関しては、「開かれた皇室」というものとは程遠く、神秘に包まれている。
月刊「サイゾー」2月号によれば、この神事の前には皇族が『入浴潔斎』をするのがしきたりとなっているという。「宮中祭祀中興の祖・明治天皇は普段の入浴の際でも、穢れ(朝鮮半島から伝わったもので、これが部落差別の基礎となっている)を気にされて、3人の女官に体を洗わせていたという文献が残っていますし、儀礼上、神事の前に皇族がこの『入浴潔斎』をすることになっているという説は有力です。入浴潔斎では、皇族は衣服の着脱も体を洗うのも、巫女たちによって行わせるのだそうです。雅子さまも例外ではないでしょう」
ベテラン皇室記者の談話としてサイゾーに掲載されている。
これが事実だとすれば、以前、当無礼ログ記事にて紹介した『高貴な初夜営み』の神秘!は大正天皇以降も行われ、現在まで続いていることとなる。
このサイゾー記事では、雑誌「平凡」で63年に掲載されていた美智子さまの『入浴潔斎』の様子を紹介している。
巫女たちは表情を押し殺した顔で、美智子さまのお召物を脱がせた。美智子さまは、自分では一指も触れることができないのであった。羞恥のため、美智子さまは赤くなり、うなだれ、不覚にも拒もうとされた。(略)二人の巫女が困惑しているのを見て、美智子さまは反省なさった。いつまで『町方』風にこだわっていてはいけない。懸命に羞恥を抑えて、巫女のなすがままに浴槽に浸られたが、その直後にはもっと堪えがたい行事が待っていた。巫女はまるで赤ん坊を扱うように、全身残すところなく手を入れて洗い流すのである。同性とはいえ、身が縮むようだった。(略)はげしい羞恥と寒さのために、美智子さまの唇は紫色になった。(小山いと子『美智子さま』月刊「平凡」1962年12月号147頁)
これは、平凡出版(現マガジンハウス)の月刊誌「平凡」に直木賞作家・小山いと子の小説「美智子さま」の一部で、美智子妃の側近への取材を元にまとめたものであった。宮内庁は「興味本位で、世間に誤った印象を与え、好ましくない」として、同社専務に対し同小説の掲載をとりやめるように申し入れ、今後まとめて出版しないことを要望した。その後、専務は宮内庁を訪れ、掲載は5月号で止め、単行本発行もしないと回答、小説は封印されることとなった。
皇太子夫妻が祭祀に消極的なのは、この『入浴潔斎』が原因なのか?
93年の皇太子ご成婚のさいに『入浴潔斎』があったのでは、と前出ベテラン皇室記者の談としてサイゾーは次のように書いている。
「潔斎自体は、結婚の儀の式次第には載っていませんでした。しかし、当日は、最も重要な『賢所(かしこみどころ)大前の儀』が始まるまでの数時間を、雅子妃は賢所に隣接する潔斎所という場所で過ごしているのです。宮内庁側はこの時間を、髪を整えたり、十二単を着付けたりするための仕度のものと説明していましたが、この間に潔斎が行われているのではないかとの見方がありました」
うーム……。
シャーマニズムによる神事を「秘儀」とすることにより、古代の天皇制が権威をもっていったのは想像できる。
宮中祭祀が、民俗学的に解明されることは、たぶん天皇稜の発掘と同様に天皇制が続く限り、未来永劫、有り得ないだろう。
皇室の存在自体が極めて宗教的なものである限り、今後とも民間人とのご成婚は悲劇を生み出すものでしかないのであろうか。雅子妃の病気もそうだが、美智子皇后はクリスチャンであったのだから、それを上回る重圧はいかほどのものであったのか……。
そして、皮肉にも、その美智子皇后に食事会で会うことが、雅子妃にとって「最大のストレスである」(ジャーナリスト・友納尚子氏)というのだから……なんとも救いの無いことである。
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