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【憩いの名園】

市民の心 潤すオアシス 別所沼公園(さいたま市)

2009年5月9日

絵・大沢拓也

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 花見客でにぎわうサクラの季節が終わり、今はメタセコイアの並木など、木々の緑がすがすがしい。生い茂る葉が初夏の日差しも和らげてくれる。

 JR浦和駅から約一・五キロ。同駅前を中心に、周辺には県庁や裁判所など公的施設や商業施設、住宅が並び、近年は高層マンションが次々と建てられている。市街地に残る数少ないまとまった緑地は、市民の心を潤すオアシスだ。

 約八ヘクタールの園内は別所沼を中心に、一周約九百二十メートルのジョギングコースや児童用の遊具、広場などが整備されている。晴れた日は子どもの声が響き、ランナーが汗を流し、沼のほとりでは釣り人が糸を垂らす。三月の東京マラソンでフルマラソン連続五十二日走破のギネス記録を達成した楠田昭徳さん(66)は、五十一日目までは園内のコースを走り大記録につなげた。

 さいたま市公園緑地協会によると、公園のある一帯は南北に走る小高い丘陵に挟まれた低湿地だった。別所沼は百万年ほど前、谷からのわき水がたまってできたと考えられており、古くからかんがい用水のため池として利用されたという。

 昭和初期に「昭和園」という民間の遊覧地として整備され、サクラが植えられたりフジ棚が設けられたりしたほか、野球場なども造られた。戦後、旧浦和市が買い取って都市公園として整備。一九五六年に県に寄付されたが、さいたま市の政令指定都市移行を記念し、二〇〇三年に再び同市に移管された。

 沼の南西のほとりには「ヒアシンスハウス」と呼ばれる木造の小さな家がある。昭和初期の詩人で建築家の立原道造(一九一四−三九年)が残したスケッチを元に、市民や建築家、学芸員らが全国からの募金を充てて〇四年に完成させた。

 昭和初期の浦和には関東大震災で移住してきた画家が多く住み、芸術家村の様相を呈していたという。立原は、ヨシが生い茂る別所沼のほとりに週末用の別荘を建てようと夢見たが、肺結核のため二十四歳で夭折(ようせつ)。その夢を引き継いだ市民がボランティアで管理を担い、文化活動の場としている。

 管理団体「ヒアシンスハウスの会」代表で、近くに住む作家の北原立木さんは「訪れた人にいい気持ちになってもらいたい。そして文学や美術、ダンスでもいい。さまざまな文化の発信地になれば」と話している。

  (井上仁)

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『ハウス』は水曜、土日祝日

 入場無料。JR埼京線中浦和駅から徒歩5分。JR浦和駅から国際興業バスの「浦10」「浦11」「志01」のいずれかで「別所沼公園」下車。約20台分の駐車場あり。問い合わせは、さいたま市公園緑地協会=(電)048(836)5678。ヒアシンスハウスの開室は水曜日と土日祝日の午前10時から午後3時まで。

 

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